ドイツ文化をメインにしたテーマパークの「グリュック王国」だが、園内にはメリーゴーランドや観覧車のように、一般的な遊園地にもあるような遊具もあった。
ドイツクッキーのお店の残骸。
バックパッカーとしてドイツに行ったことがあるけど、それこそ毎日のように、バンズから垂れるようにはみ出るソーセージがのったホットドッグを、
これしかないという感じで食べていたのは、良い思い出。
生い茂る草木。
三菱のミニキャブ。
洋酒や食料をグリュック王国に卸していたらしいが、どのような経緯で乗り捨てられたかは不明。
運転席にはジョージアのロング缶。
こちらはお土産を配送していたスターレット。
ホイールがパッションレッド仕様のサニトラ。
もうひとつミニキャブ。
こちらはかなりくたびれている様子。
パーツ取り車か。
セメント作業員が乗っていた模様。
あれは、もしや、旧東ドイツの国民車、
「トラバント」か、どうなんだか。定かではない……
案内所、あるいは軽食などを売る店?
首あり小人を確認。
観覧車もあります。
近づいて、
みたけど、
乗れそうもない。
腕にしっかりと!
モノレールのような一本レール式の乗り物「カーニバル」。
フライングカーペット系と思われるマシン。
園内を巡っていただろう列車。
その駅。
レッドバロンライドと表記がある。
無人の踏切だった場所。
バイキングのプレートも誇らしい「シードラゴン」。
この辺はコンセプトがかなり薄まっているような気がする。
「シンデレラのカルーセル」だそうです。
子供たちの笑顔が毎日溢れていたに違いないステージ。
メンテ中で復活するはずだったアトラクションも、そのままお蔵入り。
先端部が布団で覆われ手厚く保護されている。
CSのお宝ポーンスターズにでてきそうな物件。
水没。
園内を散策し終わり、道路に面した正面入口に戻ると、警察のパトカーが、私の車から少し離れた所に停車をしていた。
棘々しい看板はハッタリではなかったようだ。
東京からのナンバーで、車内にはガイドブックが散乱していたのが幸いしてか、特に不審者として呼び止められることもなかったので、ひと安心する。
朽ちた「グリュック王国」訪問 おわり
カテゴリ:廃墟
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コメント
コメント一覧 (70)
kさん。
Do As Infinityのは聞いたことがあったのですが、イエモンやYUKIのMVにもここ出ていたんですね。当時あまりない環境の珍しさと、まだエンターテイメント業界にお金があって、北海道までの豪華ロケも許されていたからこそなんでしょう。大澄賢也、いたなぁ・・・。小柳ルミ子さんはサッカー批評タレントみたいになっているし、時の流れを感じずにはいられません。
廃墟後には行かれていないんですね。美しい思い出はそのままにしておいた方が良いかも。今はかなり荒れているみたいですから。
https://youtu.be/qIoDWTF0qSo
https://youtu.be/fUiGx3k2oEE
https://youtu.be/vFW6YvV7Et4
シュロスホテルでは当時話題の小柳ルミ子と大澄賢也夫妻がダンスしていた番組が記憶にあります。
私はホテル完成前のオープン当初しか行ったことがなく、廃墟後あの天井画がどうしても見たかったのですが、やはりあの看板前に潜入できませんでした。
なっぱすさん。
リピーターだったんですね。わかります。書き込んでくれた人の感想は、皆、高評価だったので。多くの大衆に受け入れられるものではなかったみたいですね。
>子どもでもびっくりしたし、中も全然人がいなくて
自分で払うわけでもないこどもでひくような金額でしたか。まあ、施設のお金はかかっているようですけど、帯広ではそう馴染まなかったのかな。
>母に申し訳なくて、楽しいふりをした。貸切だね!
泣けます。親が喜ばせてあげようと奮発したのに、いたたまれなくなる気持ち。大人になった時、なっているかもしれませんが、恩返しして下さい。
ホテル探索や、隅っこのプリント倶楽部など、詳細な記憶が聞けて、営業中には行った事もないのに、懐かしい自分の事のように思えます。
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございました。
のすけさん。
グリュック全盛期も働いていたのですか。今となっては信じられない光景ですね。お客だった人のガラガラ話ばかり聞いていたので、混んでいた話を働いていた人から聞くのはとても新鮮です。
>確かYELLOW MONKEYもホテルでMV撮影しましたよ。ドラマのロケもありましたし
do as infinityは聞きましたが、イエモンも撮影したのですか。珍しい景色なので、当時はいろいろ撮影しに来たんでしょうね。景気も良かったし。
他の元従業員の方も読まれて懐かしく思い出してもらえれば僕も行ったかいがあります。わざわざ書き込みどうもありがとうございました。
懐かしいなぁ。ほんと、ピークの時は閉園まで賑わってたのに切ないですね。
確かYELLOW MONKEYもホテルでMV撮影しましたよ。ドラマのロケもありましたし、良い思い出です。
まんじゅうさん
どうも、コメントありがとうございます。
農協が懸賞を出して無料でグリュック王国ツアーに行けたんですね。景気の良さそうな話です。今だったら参加費を取られそう。
>1993年だったはずですが、その頃もそんなに混んでいるという印象はなかった
その頃で既に人影まばらですか。岩見沢にグリーンランドというテーマパークがあったこと初めて知りました。これも景気の良かった象徴ですね。
>重厚感に圧倒されたりヨーロッパ系の従業員の方々の美しさに魅了
やはり、建物の壮麗さ、接客の評判は高いですね。つくづく惜しまれます。今だったら中国資本に買われて再建できたかも。
>先延ばしにしているうちに閉園となり残念でした。
客が少なかったとはいえ潰れるとは普通思わないですからね。僕も町はずれのレアなおもちゃがたくさん置いてあったおもちゃ屋がいきなり潰れていて涙が出そうになったことがありました。唯一の思い出を大切にして下さい。
>建物はしっかりと残っていて当時の思い出がよみがえってきました。
来園者の美しい思い出を補完する手助けが出来たような何よりです。グリュック王国のことを知らない人がいたら思い出を語ってあげて下さい。北海道にこんな素晴らしいテーマパークがあったんだよと。またこのようなものが出来ることを願っています。
恐らく1993年だったはずですが、その頃もそんなに混んでいるという印象はなかったです。
写真を見返しても当時同じ頃に行ったグリーンランド(岩見沢)より人は少なく感じます。
しかし幼いながら建物の重厚感に圧倒されたりヨーロッパ系の従業員の方々の美しさに魅了されたりで、また大人になったら行きたいなと思っていましたが、交通の便の悪さ等で先延ばしにしているうちに閉園となり残念でした。
また園内の様子が見ることができて嬉しかったです。建物はしっかりと残っていて当時の思い出がよみがえってきました。
さくらエボさん
ミニキャブ、もしかしたら盗難車かもしれないですね。土地管理者も面倒なのでそのままとか。
>三菱のフォルテです。…見かけからは想像つかないかもしれませんが、この車の4WDモデルをベース
初代パジェロがこのトラックから派生したとは知りませんでした。パジェロはつい最近生産終了になってしまったし、三菱から魅力的な車種がどんどん減っていくのは寂しい限りです。
2台のミニキャブ。王国開園当時の段階でも結構旧いモデルだったので、赤茶色の方は結構長期に渡ってあったのかもしれませんね。業者の車に関しては'81~'82年の間の期間のモデルと推察されます。(赤茶は'81~'84年)…しかし、会社の看板車を放置して問題にならないのかと不思議ですね。…社用車って結構管理がしっかりしているので廃車されずに点検にも出されていないと管理者が追及されるように思うのですが。
スターレットは3代目モデルの後期型なので'86~'89年の期間の車です。この代まであったバンではなく、乗用仕様のソレイユグレードで、リアゲートの表記シールからディーゼルエンジン搭載のようです。ちなみに免許取りたての頃、この3代目後期のターボ車に乗っていましたが、ターボ車ですら燃費が異様に良かったので、ディーゼルだととんでもなく燃費が良かったように思います。
ホイールの赤いボンネットトラックは三菱のフォルテです。…見かけからは想像つかないかもしれませんが、この車の4WDモデルをベースとして誕生したのが初代のパジェロです。
地元民さん
わざわざ辿り着いてくれてありがとうございます。
>農道から回っていけば敷地の外からでも建物を近くから見ることができました。
眺めるだけが無難かもしれませんね。余程好きじゃないと、内部では怪我の可能性もあって危険ですから。
車を堂々と正面に置いていたので巡回中のパトカーに目をつけられたのだと思います。要注意箇所なんでしょう。よくステッカーで「警察立ち寄り所」とありますが、アレはハッタリですけど、ここは本当にそうだったと。
>よくご無事で車に戻れましたね…。
道外ナンバーということもあって、そう厳しくはしなかったのかと。始終巡回しているわけでもなく、めぐり合わせもあると思いますよ。
看板の物々しさで敷地内に入る勇気は到底ありませんでしたが、農道から回っていけば敷地の外からでも建物を近くから見ることができました。
パトカーが車の近くにいたとのことですが、車の持ち主が戻ってきたところを捕まえるために見張っていたんでしょうか…?
よくご無事で車に戻れましたね…。
ぶたどんまんさん
どうも、こんばんは。
グリュック王国の現在は朽ちていい感じに綻びをみせていてその気になれば建物の中に入れてしまいます。言われる通り、看板は相変わらずみたいですけど。
>一部の建物は見えてて、窓が開いてたんですよね…カーテンが揺らいでた…
侵入者が開けていたか風によるものかも。
>後日、雨の日に同じ建物を見に行ったら、窓は閉まっていました。 管理者が出入りしているんですかね?
管理者はいるようですがいたちごっこなので解体されるまで収集がつかないと思います。広大過ぎて囲うこともできないですし。
>地味に手入れをされている可能性もあるので、美しい廃棄としての再利用もありそうですね。ツアーでも企画すればいいのに。
チェルノブイリも観光地になっているぐらいですから一考する価値はありそうですね。僕はこっそり行くのが好きですけど。最近地元の米軍基地跡に行って来ましたが、損壊が酷く、廃墟をツアーで公開するもの結構難しいことだなと思いました。
昨年の凄く暑い夏の昼間に飛行場方面から近づいてみましたが、警告看板が狂気じみていたので入るのはやめました。
そこから中はよく見渡せなかったんですが、一部の建物は見えてて、窓が開いてたんですよね…カーテンが揺らいでた…
その建物はなんだったのか、調べてみたいです。
後日、雨の日に同じ建物を見に行ったら、窓は閉まっていました。
管理者が出入りしているんですかね?
地味に手入れをされている可能性もあるので、美しい廃棄としての再利用もありそうですね。
ツアーでも企画すればいいのに。
私なら是非いきたいですが。
経営の傾いた末期的な頃に来場ということは、ただでさえ忘れ得ぬ思い出なのに、新婚旅行なら尚更ですね。
>当日は宿泊客は私たち夫婦のみだった記憶があります。食堂?でのディナーは我々だけしか居ませんでした
こういうことを聞くと、回復の見込みはあると、経営者は期待をしていたのかと、思ってしまいます。
>食事は本格的で美味しかった記憶がありますし、部屋もとてもしっかりした造りで立派だったと思います
やはり、評価は皆さん高いようですね。時代に余裕があって、後先考えずにふんだんにお金を使えたという世の空気もありましたが。
>その新婚旅行では、ここのコメントでも出てきた夕張のロボット博物館にも行きました。 夕張とは無関係にしか思えない施設でしたが私的には楽しかったです
子供の頃の「ロボット百科」に載っていたような、ベタなロボットが展示してあるんですよね。僕は経営破綻してから、五日後に行きました。園内、僕ひとりっきりでした。
>そんな新婚旅行に行った旦那とも13年前には別々の人生を歩む事になりました
何を思われたか、ふいに検索をして、ここに辿り着いたなら、思い出の補完のお手伝いができたということなので、光栄です。
>今では全てがいい思い出です。 廃墟よ永遠に
いずれ土に還るでしょうけど、それまでは時々思い出してやってください!
1996年の11月上旬だったと思います。
当日は宿泊客は私たち夫婦のみだった記憶があります。食堂?でのディナーは我々だけしか居ませんでした。
食事は本格的で美味しかった記憶がありますし、部屋もとてもしっかりした造りで立派だったと思います。
その新婚旅行では、ここのコメントでも出てきた夕張のロボット博物館にも行きました。
夕張とは無関係にしか思えない施設でしたが私的には楽しかったです。
そんな新婚旅行に行った旦那とも13年前には別々の人生を歩む事になりました。
今では全てがいい思い出です。
廃墟よ永遠に。
高尚で凝ったテーマ性より、いかにして楽しませてくれるのかという、仕掛けということですね。USJなんかは途中からジャンプの漫画のキャラを登場させたりと、テーマ性は最早破綻していますが、お客は増えているみたいですね。
>養老ランドという今にも潰れそうな遊園地がありますが駅が近いのと観光地だからという理由で未だに続いているのでしょう。
ターゲットが明確ですね。最近のテレビ番組の傾向も高齢者向けばっかりになってきてます。めちゃイケやとんねるずの番組が終了して、次の番組は露骨な高齢者向けになってますから。
無茶に挑んだからこそ、廃墟としては深み出てきているのだとは思いますが、ビッグデータやAIを利用して緻密に企画・運営をしていくと、こういった途方もない違和感のあるテーマパークなどは今後生まれそうにないので、廃墟探索趣味の人間としては、物足りなくなりそうです。
出来る限りブログなどで最近の園内の様子を見てはいますが、再び営業することは無いでしょうし、公開も考えにくいです。
電気が通っている廃墟はたまにありますが、グリュック王国に関してはその様な記事や写真は見かけなかったです。
もし電話番号が使い回されているのであれば、帯広民の方には大変申し訳ないことをしました…。(ただの無言電話)
現地にて電話を掛けるのが確実でしょうが、それはそれで怖いですね。
個人的には帯広の民家へ繋がったかグリュック王国に訪れた方が電話をお取りになったことのどちらかであると幸いです。
まるで小説の導入部みたいな不思議な話しですね。近所に住んでいたら、何らかの行動を起こせたのですが・・・。
復活するとは思えないのですが、どうなんでしょうか。
グリュック王国市庁舎の事務所に電話は繋がるようです。
TEL(0155)64-5300
ただし、電話を掛けてみたところ数回コールしたあと女性の方がお出になられました。
その時女性側の背後の音は一切無く
「はい」とだけ。コールもそうですがまさか誰か出るだなんて予想外だったので女性側が出られたあと電話を切ってしまいました。
固定電話の番号が使い回されることがあるのか分からないので何とも言えません。
これをやったのは学生の頃で、数年後に彼と再会をしたら今だに送られてくるとぼやいてました。
個人的にはこの記述にのみ興味を抱きました
季節的にも今が最高ですね。軍艦島みたいに整備をしたり制限をするのではなく、そのまんま公開して欲しいのが希望です。
廃墟テーマパークで売り出せば人気出ると思います。
無人駅にある記帳ノートのように使っていただき、有難く思います。関係者の貴重な声が集まる場所は、あまりないですから。
>オープン当時、広場の左手にあるマキシミリアンだったかな?レストランで働いていました
レストランも凝っていたんでしょうね。再興はまずないだろうから、勿体無いです。
>私が働いていた当時は活気があり、とても賑わっていました
景気が良いと地方でも大胆なことをやっていたようで、ニュースを聞くたびにわくわくしたものです。昨今の銀座のモールオープンとか、ゲンナリしてしまいます。
>沢山のドイツ人は、厚生病院近くの、トリコロールハイツに住んでいました
潤沢にお金が投じられていたことを物語っています。仮に今、似たようなのがあっても、南米系の白人を使ったりしそうです。
貴重な当時のお話、ありがとうございました。
実際に行った人なら、形を変えてでも存続して欲しいですよね。再訪すれば思い出がその都度蘇るだろうし。
カジノなんかはお台場とか大阪のような都市部ではなくて、夕張やグリュック王国跡にでも作ればと思ったりもします。
お読み頂きありがとうございます。
常軌を逸した内容の看板でしたが、どう考えても電源周りが作動している様子が無かったので、明らかなブラフだと思い、踏み込みました。帰りにパトカーが待ち受けていたのは今も謎です。
詳細なリポートありがとうございました。
直近の状態は知らないのですが、まだ綺麗に残っているのですか? それだったらいつかは再訪してみたものです。北海道のローカル線がいくつか廃止になってしまうようなので、それまでには行ってみたいです。
以前の店の中にまだ会社の什器が置いてあり先日も取りに行ってきました。
久しぶりだったのでついでにホテルや他店舗の中も入って見てきましたが
雨漏りで多少は痛んでるものの殆どが綺麗な状態でした。
どうも、初めまして。
朧気な記憶しかないのですが、多分、見なかったと思います。
観覧車の向かい側に、建物があったはずですが、2階を見ましたか?
グリュックの末期は遊園地などが閑散としていたこともあり、ネタ扱いされている部分もありますが、実際宿泊をした人は、ねこさんのように、良い思い出をお持ちの方が多いですね。
バブル期に、潤沢な資金を投入して、本国から資材を輸入するなどして、しっかりした物を作ったからこそだと思います。
将来、ネオレトロなテーマパークを専門に扱う趣味の分野が確立されるかもしれないので、ホテルの写真本は、大切に保管しておいたほうが良いかもしれません。
3泊4日で行ってます
お城の中のホテルは本当に綺麗でした
あんな綺麗な部屋に泊まれたのってこの先はないと思います
廃業した話は知っていたけれどとても残念です
帰ってきて撮った写真のデータを入れたパソコンが故障してしまい写真が見れなくなってしまったけど
ホテルで写真集的な立派な本を頂いたのを大切にしています
自分にとって思い入れのある場所だったので悲しいです
残念ながら、お察しの通りになってしまっているのが、現状です。
>ぼくも静岡にあった富士ガリバー王国に行ったことがあり
営業当時は知らずに、後年、廃墟ブログ等で、その存在を知りました。貴重な経験ですね。
地面に貼り付けられたガリバーは確かに存在感がありそうですが、一回でも見たら満足してしまって、リピーターは少なかっただろう気がします。
ぐぐってみました。もう閉園されていたのですね…
でもこうやって詳細を知ることができてよかったです
ぼくも静岡にあった富士ガリバー王国に行ったことがあり、
でっかい敷地に入場者は我々だけという悲哀を味わったことがあります。
おそらくここもそういう雰囲気だったのでしょうか…
時代的にも、もう二度とあのようなテーマパークは作られないだろうから、行けなかったのは残念ですね。雰囲気でけでも味わってもらったようで、記事を書いたかいがありました。
前にグリュック王国でバイトをしていた人の書き込みがありましたが、建設中に入った人まで登場をしてくれて、生き証人が更に増えて、当時の生々しい資料価値としての厚みがより増したような気がします。
ここは周囲に何もなく、道路から園内中心部まで距離があって、JAFが来てくれるのかは微妙。ましてやトラックのスタックなんて、命拾いをしたのではないでしょうか。
開業前の突貫工事によるゴタゴタした慌ただしさが伝わってくるような話しですね。ありがとうございました。
確か王国メインの建物が「ビュッケブルグ城」そんな名前じゃなかったかな?
その前にある噴水をぐるっと回ったら水道工事して埋め戻したばかりで地盤が弱くトラックの後輪がハマって
スタックしたんです!
幸い釧路帰りの同僚が立ち寄ってくれて脱出する事が出来ましたが(汗
ドイツから呼んだ職人さんが作業してたのおぼえてます、テレビのCMでオープンしたのは知ってますが
一度も行く事無く気づいた時には「廃墟」になってました。
混沌とした時代背景があったとはいえ、登別の山間に中国テーマパークを建てたり、夕張にはロボット博物館があったりしましたね。
三笠や小樽の鉄道博物館に行ったことがあるのですが、私的には、北海道の鉄道の歴史をひとまとめにした、大規模な鉄道総合博物館を作ってもらいたいです。道外の人間からすると、普通のディーゼル気動車や、廃屋同然の無人駅、さえ、好奇の対象です。秘境駅の「小幌駅」を完全再現したセットなんかも、呼び物にできそう。
「みんなここへ集え」ではなく、どうみんみんさんが挙げられているような施設に興味を抱く層、るるぶを携えて来る層、外国人観光客、それぞれにターゲットを絞った細かな観光地づくりが、必要となりそうです。
貸し切り状態の客に多すぎる従業員、貸し切りの道化師、資本主義の物悲しさを存分に味わい
遊びに行ったはずなのに、物悲しくなって帰路に着くという経験
建物が異常に立派だったのは覚えている、でも当時も「それで?」と思った
「オプイエロ コウフコ レクスクルニクライヒ」
ってのが何を指してるのか、団塊jr.以上の道民は知ってる
ここは芦別レジャーランドの大観音像やカナディアンワールドより、よほどコンセプトはしっかりしていたとは思う
でも「日本人が作った人工ドイツ村」に何の魅力があるのやら。
当時も今も博物館の屯田兵村家屋の再現展示の方が興味を惹くし、アイヌのチセの展示なんて興味深いものだし、三毛別羆事件展示や網走監獄博物館が最高のアミューズメントだと思ってる、モヨロ貝塚なんて涎が垂れそうな考古学の物証満載の展示で、北海道史に興味を湧き立てる資料だと思う。
当時の道民は北海道には誇る魅力が無いと思っていたから、外国から借りて来てこういう施設を作ったんだろうね。
グリュック王国でバイトをしていた人の書き込みは初なので実に興味深いです。
ドイツはヌーディストビーチ発祥の地だったり、温泉好きでもあるらしく、開放的のようですね。フロリダのマイアミビーチに行ったことがあるんですが、そこにヌーディストビーチがあって、かなりの数のドイツ人が全裸で日光浴をしていました。ユースホステルに宿泊をしたんですが、同部屋のドイツ人が「ドイツ人ばっかりだよ」と教えてくれました。彼らは日本でも同様に振舞っていたようですね。
トマムあたりからバイトを連れて来ていたということは、ライダーハウスで燻っていた人なんかも駆り出された可能性があるかも。
冬は湯治客のご老人用宿泊施設のみの営業は致し方無いとはいえ、そこら辺の採算性の悪さも経営悪化の一因かもしれないです。
打ち上げ花火の下でトラバントの横をすり抜けながら軽トラでジュースの配送とは、結構割のいいバイトっぽいですね。でもやっぱり夏季限定になってしまうのが惜しいところだけど。
中の人からの貴重な実録体験談ありがとうございました。
ドイツ周辺国の大道芸人さん達を連れてきて帯広市内の安いホテルに住まわせてたみたいで、
客が入れないバックヤードのいたるところでは、その方々が全裸で日光浴をあたりまえにしてました。
働いている人は大勢いたけど、社員さんはほんの数人で、殆どはバイトとトマムとか夏が閑散期の所から借りてきた人たちでした。
レストランは園内に複数ありましたが、ぶっちゃけ厨房は一か所で、どこで食べても作ってるのは同じ人。
冬場は閉園して、ホテルのみ湯治客のご老人が宿泊してましたね。
毎晩8時から花火が上がるんで、そのタイミング狙って園内を軽トラで疾走して、自販機にジュース詰めてました。
愛国辺りまで渋滞ができていたなんでちょっと驚きです。廃墟化したグリュック王国の周囲はうら寂しい感じで何もない場所だったので想像ができないです。
取り敢えず開業当時は、客を引き寄せる需要はあったけど、その後のリピーターが作れなかったようですね。
海外で会った外人バックパッカーには、バブルの頃、日本でバイトをして稼いでいたなんて人が結構います。特に六本木のクラブで働いていた女性パッカーなんかは何人もいました。たんまり稼いだ円をそのまま持ち出し、東南アジアを格安で長期旅行していたのです。
グリュック王国の外国人の方達もそのたぐいかもしれないです。
会社の旅行でとは、レアなケースですね。当時の幹事さんは責められたのではないかと想像しますが、今となっては、生き証人というか往時を知る語りべと言ってもおかしくなく、羨ましい気もします。僕なんかは社員旅行と言えば温泉旅館ぐらいしか思い出がなく、人に話してもなんの興味をもたれるものではないですし。
あのトラバントはやっぱり不動車のお飾りかも。クラッシックカー的価値も無いから、そのまま置き去りにされて、外国の質素な軽自動車と見られてか、侵入者達の誰も興味を示さなかったと。
当時のお話、ありがとうございました。
ドイツ人かどうか定かではないと思いますが、そんなに外人を大勢呼んでいたんですね。その頃は円高で景気がよかったから、稼ぎに来る外国人には魅力的な労働条件だったかもしれないです。
ドイツ文化の基本はおさえながらも、脈絡の無いフライングカーペットやそれこそ電動のショベルカーなんかを稼働させていたのは、経営判断だろうけど、詰めの甘さを感じさせずにはいられません。
営業当時を知る方より、訪れた人だけが知っている経験などを聞くことができて、廃墟後しか知らない僕にとって、大変参考になります。
貴重な体験談、ありがとうございました。
今から25~6年前、オープンして間もない頃に会社の旅行で訪れた事があります。
上の方でコメントされてる方もおりますが、やはりお客さんの入りは極端に少なかったように思います。
ほとんど我が社の貸切り状態でしたし。。。
しかしトラバント、あまり傷んでないんですね。
当時同じ場所、同じ車で写真を撮った記憶があるのですが。
ここの観覧車でうんこを漏らしたのはいい思い出ですw
帯広生まれ、帯広育ちですが遊びに行ったのは子供のころ1度だけでした。
パスポート無くすわ、迷子になるわで親父にげんこつされました(笑)
外人いっぱいいて、ガラス細工作ってたり、大道芸やってましたね。
砂場でちっこい電動ショベルカーで遊んだ記憶があります。今思えばドイツでショベルカーってあれ?
立地が人里離れてるんでなかなか帯広人でもなかなか行けない場所です。
帯広の森近郊に展開していれば、あるいはまだ生き残っていたかもしれませんね。
廃業をしたテーマパークなどは、例えば夕張のロボット博物館のように、嘲笑の対象になってしまいがちですが、改めてグリュック王国は、特にきりのさんのように実際に行った人達にはとても好評で、惜しまれつつ消えていったとのだな、という印象を強く受けます。
いずれ再訪シリーズはやりたいと思っているので、痕跡と在りし日の比較も含め、聞くだけでも興味深い”「フェリエンドルフ」というバンガロータイプの宿泊施設”の存在検証など、遠くない将来、行けたらなと思っています。
ご感想ありがとうございました。
家族で何度も行った思いでの場所でした…
見ていて切なくなりましたが、「クオリティーが高い」と書いていただけたことが救いでした。
☆4つなのは、ホテルをもう少し写してほしかったのと、近辺に「フェリエンドルフ」というバンガロータイプの宿泊施設もあったので、そちらも取り上げていただきたかった期待からです。
ブルストサンドとお土産に買った時計を思い出しました。
営業時に入ったことがあるとは本当に貴重な体験ですね。羨ましい限りです。当時は道内を散々駆け巡っていましたが、グリュック王国は全くのノーマークでした。それが、廃墟化してから潜入をし、記事にしたものを大勢の人がみて反応をくれるとは、何がどうなるのかわからない、うれしい誤算です。
グリュックに続く帯広の記事もアップ予定なので、時間があったらまたよろしくお願いします。ありがとうございました。
今でも空港に行くときに見かける寂しい看板
中に入ろうと、何度思ったことか!
写真ありがとうございました!!
中というのは、園内敷地内ということで、建物の中へは入ってません。結構ヒヤヒヤもののシチュエーションだったので、建物内に侵入する余裕は無かったです。
採算性を深く考慮しないようなテーマパークみたいなのは、これから先の日本では建設されそうもないですから、僕も少しぐらい覗いておけばよかったかなと後悔の念がありますね。
中まで散策したと言うことですが、撮影に使われた美しいフロアは見ることはできたのですか?
生キャラブームの時に田中義剛さんは帯広の美味しいところだけ吸いとってしまった感じですね…
私に莫大な資産があればグリュック王国を買い取りたいくらいです。
残念ながらワーキングプアのサラリーマンですので夢のような事を抜かしてしまいました…
妄想ですが私に所有権があるなら地元の演劇部や道内の劇団に依頼してグリムの演劇を発表する場を設けたいかな?
ヨーロッパの旧市街のような廃墟は、僕も違った意味での感動がありました。良好な状態を保ち、風雪にさらされて程良いくすみ具合になれば、軍艦島的な道もあったのではないかと、思ったりもします。
帯広は、田中義剛の生キャラメルブームの時にもっと地元に還元されるかなと思いきや、いい具合に上澄み部分だけを吸い取られて、収束してしまいましたね。
今では、テレビ通販やクーポンサイトのような、ちょっとボッタクリ気味のテナントで、北海道帯広ブランドだけを利用した、工場で作られた加工品を売っている様を見かけると、地元の人は物悲しくなるのではないでしょうか。
地元の人にも知らせずに、突然休園状態になり、廃墟化していったのかもしれませんね。営業中に訪れた人の感想は、そんなに悪くも無いということを、ここの書き込みなどで知り、僕も廃墟化する前に見ておけばと、後悔しています。ハウステンボスのように、経営者が変われば、なんとかなったかもしれないのも、今更ながら残念です。
ガクトはホテルでカレンダーの撮影をしたみたいですね。あと、イエモンがMVの撮影をしたようです。ドイツから材料を取り寄せて作った本格的な建物だったようなので、色々なミュージシャンの作品に使われるのもうなずけます。
今みたいに携帯があるわけでもなく休園と書いてあったのでもしかしたら再開するかもと数年後行ってみても同じ看板があったので潰れたんだなと理解しました(笑)
自分と弟以外の家族皆は訪れたことがあるみたいでこんなとこだよーって話に胸を躍らせてたのでとても残念でした(まだ小学校低学年と幼稚園入園前だったから無垢でしたw)。
GACKTがPVの撮影をしたホテルがあったらしいですね!すごい勿体ないと思います。
グリュック王国が宿泊施設も備えていたとは知りませんでした。記事内ではライダーハウスにしろとか、少しネタ的に語っていますが、やはり、あの本格的な建物群には、圧倒されました。建物や食事の評判は良かったようなので、長期滞在の本格的なリゾート施設に絞っていたら、まだ現存していたのかも。帯広は美味しい銘菓が沢山あり、お気に入りの街のひとつなのですが、うまく行ってればグリュック王国は北海道を代表する名所になっていたかもしれないことを思うと、とても残念です。
貴サイトでもお気づきの通り内装外装とも今のハウステンボスと同じく
チープさがどこにもない非常に重厚なモノでした。食事も美味しかったです。
ただ人が私たちを入れても十数人いたかいないかで非常に寂しく、客が少な
すぎてまた従業員からいつも見られているような肩身の狭さを感じる施設でも
ありました。このような建物を作る技術が日本にあるのならそれを住宅などに生
かして綺麗な街作りでもしたほうが資産価値が上がるように思います、東京でも
北海道でも。
短命に終わった北海道のいちテーマパークに、何故皆さんこんなに感心があるのだろうと、不思議に感じていたのですが、観光の教材に使われたり、Do As InfinityのMVのロケ地だったそうで、その辺りが理由かもしれませんね。検索をしたら『深い森』と出てきたので、早速見てみます。
貴重なご意見、ありがとうございました。
Do as infinityの曲でこの場所がロケ地になっており、PVの中でまだ運営していた頃の城の内部や遊具が動いている様子を見ることができました。なんて美しい場所だったんだろう、今はどうなっているんだろう?と異常なまでに気になっておりましたが、お蔭さまで今年に入ってからの状況を見ることができました。自然の力が跡地を覆っていましたが、建物の外見は美しいままだと知ることができました。本当にありがとうございました。
帯広の廃スポットネタ、あと幾つか書く予定なので、
よかったらまたみて下さい。
こちらこそありがとございました。
凄く面白かった思い出…
グリュック王国の跡地がこんな風になってるなんて…
興味深い記事でした!ありがとうございます。