釧路の郊外を車で走っていて、偶然に見つけたこの廃屋。
近道をしようとダートの道を進んで行くと、周囲に人家など見かけない場所にこつ然と現れた、完全崩壊でもない、だけど、そんなに新しくもない家。
カテゴリ:廃 屋
中を覗いてみると、そこには若かりし日の根津甚八のポスターや、欽ちゃんバンドの雑誌、果ては女子高生の日記まで、突然に、投げ捨てられるように生活臭が置き去りにされていて、「言うまでもなかろう・・・」の状態
庭には今の軽自動車サイズの車があったが、
かなりの旧車なので車種は不明。
草むらに粉末大高酵素ふげんの缶。
現在も発売中で、amazonでも好評のようです。
なんとか風雪に耐えしのいでいる状態。
北海道では禁止になってからかなり経つスパイクタイヤも。
奥にはミドリ安全の箱。手前にある安全靴のものだろうか。
生々しい生活物資が散らばった台所。
ガラス窓をみて一瞬ギョッとしたが、多分撮影者の自分だと思う。
この時帽子を被っていたかどうかの記憶は曖昧。
ふつう、引っ越しの時には、歯磨きの時のコップなんかは、持って行きそうなものだが、複数個置かれたままになっている。
トワイニングの紅茶葉缶とペプシが発売をしていたパティオ。
そういえば、この300mlサイズのガラスボトル、あったなぁ。。。。
喫茶店「ひまつぶし」のマッチ。
壁のポスターや散乱しているアイテムの内容から、女子高生と男子小学生の二人部屋だと思われる。
壁には根津甚八。ブラックニッカのポスター。
ロックバンド「ブロンディ」。1974年にニューヨークで結成。
1997年に再結成されて、現在も活躍中。
これを書いたままにして家を出て行く理由とは・・・
懇親会の領収書。6000円。昭和60年。
今だったらもっと安くしないと人が集まりそうもない。
表紙が欽ちゃんバンド。
ヘキサゴンファミリー以降、こういうアットフォーム系の男女お笑いグループを見なくなりましたね。
女の子らしく少女漫画「はいからさんが通る」のポスター。
注目すべきは、剥がれたポスターの下から、白黒のビートルズのポスターが見え隠れしているところ。
別のポスターには2代目RX-7が写っていたりと、この家族が家を去ったのは1980年代頃だろうかと想像できるが、庭の車が60年代っぽかったり、この家には60年代と80年代の痕跡が同時に共存している。
ボードゲームなど、男の子用のゲームがまとめられている。
ファミコンは無い。
親がテレビゲームを禁止していたか、或いはファミコン発売の1984年以前に家を去ったのか。
ふすまにジョン&ポール。
カラーのビートルズポスターも。
「北海道廃屋あるある」
若い頃の松山千春ポスター。
日記の内容から、高校卒業間近の女子高生と推測。
ギッシリと書かれた日記は数冊あったが、こんなものを置いて行かなくてはいけなかった状況とは、
一体・・・
ももクロとのコラボも話題のKISS。
仄暗いトイレ。
開ける勇気はない。
腐食倒壊陥没が始まっている。
部屋によっては足の踏み場もない。
今やAKB48のスポンサーでもある、京楽のパチンコ台。
沖縄の楽器「蛇皮線(じゃみせん)」をお土産用にした民芸品のようです。
物色されたような形跡も。
洗濯機は70年代風。
物置だろうか。
庭には別棟のトタン屋根の崩れた建物。
壁の収納ポケットには、届けられた葉書や封書が幾つもそのまま刺さっていたり、一家がどのような思いで家を後にしたのかは、想像に難くない。
台所にあったケーキの型で作られたバースデーケーキを、その弟はどんなにか極上の笑みで食べたのだろうか。
凍てつく雪の下、真夏の青空の下。家族の団欒を突然奪ったのはなんだったんだろうか。
残留思念というものが本当にあるなら、それを強く感じてまとわりつかれ、
離れてもくれず、もがきうち震える・・・・
複雑な思いで廃屋を後にする。
おわり
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コメント
コメント一覧 (50)
じゅんこさん。
どうも、はじめまして。
山楽荘、今となっては懐かしいです。裏山に工事人がいて、彼らの会話にビクビクしながら探索をした思い出が・・・。
そして、その流れで、日記シリーズまで読んでいただいたばかりか、オリンピックなど脇目も振らずに、5時間もですか。書いてきたかいがあったというものです。北海道の方なので、なおさら心情が伝わるんでしょうね。
カイラスチャンネルのご登録も感謝致します。ちょうど夜逃げシリーズをやっていますので、良かったらご覧ください。教祖一家という、ちょっと異質ですが。新作先行情報としては、三兄弟の父がフィリピン留学をしていたことが明らかになります。
お気遣い、ありがとうございます。北海道、どえらく暑いみたいなので、じゅんこさんもお気をつけ下さい。
私は北海道在住でして、たまたま栗山町の温泉情報を検索してたら「山楽荘」のブログ記事に出会い他の記事にもとても興味を持ちましていくつか読ませて頂き、キョーコさんの日記にハマってしまい途中でやめることができなくてやっとスマホから手を離せたら5時間経ってました笑
チャンネルの方も登録させて頂きました。
これからの楽しみにさせて頂きます。
暑い日が続きますが、どうぞお体ご自愛くださいませ。
愛・愛さん。
カイラスチャンネルより、ありがとうございます。ツイッターの方のフォローも。僕からもフォローバックさせてもらいました。
山田かまち、よく知らなかったのですが、BOØWYのメンバーと関係があったんですね。若くして亡くなり、死後評価されるとは、本人がそれを知らないだけに、複雑なものがありますね。本人の知るところでないというところは、キョーコさんにも通じるものがあるかも。
僕がツイッターを始めたのはブログより結構後です。ツイートしていない記事は相当あるはずです。初期の頃は、近所の廃工場の記事とかもアップしていたなぁ・・・。
これからも、カイラスチャンネル、ブログともども、どうかよろしくお願い致します。
Twitterと仄暗いお散歩ブログは、内容は同じなのですね?Twitterとブログの開始日が違っていたので、ツイートに記載されてない内容のものが、仄暗いお散歩ブログに載ってると勘違いしてしまいました。すいませんでした。
カイラスチャンネルから入り、TwitterとTwitterに上がっていない、仄暗いお散歩の記事を遡り、楽しませて頂いております。
キョーコさんの日記を読むと、エレキギターで感電死した山田かまちが思い浮かびます。彼も思春期特有の感情をノートに書き殴っていました。キョーコさんは、女版の山田かまちですね。
年齢の割にスマホを扱うのが苦手なアナログ人間の私ですが、Twitterにアカウントを作り、フォローさせて頂き、カイラスさんのツイート通知を受け取れる様にしました!
季節の変わり目、体調を崩しやすい時期ですので、無理せずにカイラスさんのペースで動画&記事の更新頑張って下さい。探索時には日本手拭いを忘れずに!応援してます!くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。拙いコメントにて失礼します。
連絡帳人さん。
どうも、こんにちは。はじめまして。
廃屋の記録とは良い趣味ですね。廃墟は水物に近いので、おっしゃる通り、気づくと更地になっていて、苦い思いをすることが多いです。早めの実行が良いかも。
>『大草原の小さな家(NHK、1975年~82年まで放映)』を想いだしました
なる程。自分に重ね合わせていたかもしれないですね。キョーコ邸、決して大きな家ではないし、辺り一面山や牧草地だし。私だけじゃないんだと、奮い立たせられていたりして。
日記文学、本人意識していなかったでしょうけど、これだけ克明に書いものを読んでもらっているのだから、新しいジャンルなのかもしれないですね。人間関係げ手に取るようにわかるのも面白いし。
>願わくはキョーコちゃんの元へ、この日記が戻りますように!
僕は保管している立場だと思っているので、本当にそうなればハッピーエンドですね。
ワタシもブログやっています!実はイイ感じの廃屋が地元にあり、ふとブログにて記録しようと思ったのです。やれるうちにやらねば、すぐ更地となり喪われてしまう…ですが、なにぶん“不慣れな分野”なので。それでは、先人に学べと「廃屋」検索繰り返すうちに、コチラにたどり着きました。
ところが「キョーコちゃんダイアリー」に、取り憑かれてしまった!笑
読み進めるうち、わたしは大人気だったTVドラマ『大草原の小さな家(NHK、1975年~82年まで放映)』を想いだしました。これキョーコちゃん日記の時代と被るのです。もしもキョーコちゃんが番組から何らかの影響をうけ、牧農の生活を書きとめておきたいと日記を始めたのなら、素敵なコトだと思いました。
彼女が大草原の小さな家のロフトにて、思春期の揺れる想いを黙々と書き続けた…これはもう(レベルは、ともかく)日記文学なのでしょうね。
願わくはキョーコちゃんの元へ、この日記が戻りますように!
takutakuさん。
こんばんは。どうも、はじめまして。
そんなに着目してもらい、誠にありがとうございます。
ハイティーンブギでしたか。マッチこと近藤真彦が出演した映画は知っていました。と言っても、原作や映画はみたことなかったですが。1977年に創刊ということは、時代もドンピシャですね。
>厳しい運命に翻弄されながらも愛を育んでいく物語で
自分に置き換えて、興奮していたのかもしれないです。
>またこの漫画の序盤でリーゼントに関して重要なストーリがあり
なるほど。一時は街中でリーゼントの彼を追い回してたぐらい夢中になっていたのは、漫画の影響を受けて登場人物になったような気でいたのかも。
何気なく置いてある漫画一つでも、思春期の女の子の生き方に影響を与えているんですね。さすがにちょっとハイティーン・ブギを読んでみようとは思いませんが、映画がアマプラにあったら観てみます。どうもありがとうございました。
廃墟サイト巡ってたらこのサイトに辿りついて
キョウコ日記にどっぷりはまったものです^^;
表紙が欽ちゃんバンドの画像の上の方に少し写ってるハイティーと書かれた
ピンク色の本が見えると思うのですが
これは1977年から創刊されたプチコミックという少女月刊漫画に連載されていた
牧野和子さんのハイティーンブギっていう漫画です。
厳しい運命に翻弄されながらも愛を育んでいく物語で
妄想好きなキョウコさんにはドストライクだったと思われます。
またこの漫画の序盤でリーゼントに関して重要なストーリがあり、
リーゼントには相当影響されたと思われます。
鈴懸さん。
昨日まで暮らしていたままが残されている廃屋は胸が詰まるような思いがしますよね。
>ボロボロになった家の写真を見るとなんだか切ない気持ちになります。
現在はこの写真よりさらにボロボロになってます。二階がまだ完全に崩れていないのが不思議なぐらい。どこかでここのご家族がこっそり読んで懐かしんでくれていれば良いのですが...。
ボロボロになった家の写真を見るとなんだか切ない気持ちになります。
大盛ソースケさん。
僕もこんな感じのきっかけで本を読んでみることが多いです。
自分からはこの四冊はまず選ばないですからね。視野を広めるためにもいいのかなと。
僕も図書館など探してみて読んでみようと思います。
Puddleglumさん。
どうも、初コメ誠にありがとうございます。羽幌の記事もいまだに多くの人に読まれているようで嬉しいです。
>欽ちゃんバンドのところの写真、左側に背表紙の見えている文庫本が四冊
まさか、これらの文庫本の作品名が検証される日が来るとは夢にも思いませんでした。いずれも女性作家によるものなんですね。キョーコさん、作家自身にシンパシーを抱きながら作品選びをしていたのかなと。
>以外の三冊はいずれも家族の崩壊と男女の愛憎をテーマとするもの
作家に自分自身を重ねて、内容を通して我が家族を見ていた、そんなところだったのでしょうか。何気なく捨て置かれていた本ですが、読み手の想いみたいなものが伝わって来ますね。
>相当な読書習慣と読解力の持ち主だったのではないか
ノート帳から始まった日記。その後ハードカバーの日記帳はかなり多くに及ぶところになり、文章力が培われ、読解力も向上していったようですね。蛍光ペンで落書きみたいな内容の日記を書いていた少女を今思い返すと、育ったなと、感慨深いです。
>楽譜で・『松山千春 : 最新LP「浪漫」まで全曲集』
ミスタードーナツのバイトで念願の松山千春全曲集、買ったみたいですね。欲しい欲しいと今うわ言のように言っている最中ですが、夢を叶えたのかと、我が子の成長を見守るようです。過ぎ去った記憶なのですが、日記ではこれからの出来事。
キョーコさんの人となりを垣間見るようでとても興味深い検証でした。
とても参考になりました。わざわざ詳細にどうもありがとうございました。
Puddleglumさん
凄いですね、僕もどんな本読んでたのか気になってたのですが
辛うじてタイトルが読めたのは『恋あいうえお』だけでした。
瀬戸内ときて男女の愛憎、ひょっとして?と思ったら寂聴さんなんですねw
4冊探して読んでみようと思います、感謝!!
既出であれば恐縮ですが、欽ちゃんバンドのところの写真、左側に背表紙の見えている文庫本が四冊ありますが、これは上から順に、
・大庭みな子『栂の夢』(文春文庫、文庫初版1980年12月、初出1971年)
・中山千夏『恋あいうえお』(文春文庫、文庫初版1981年10月、初出1978年)
・夏樹静子『影の鎖』(集英社文庫、1977年11月)
・瀬戸内晴美『燃えながら』(講談社文庫、文庫初版1980年12月、初出1967年)
であるように思います。
私はどれも読んだことがないのですが、調べた限りでは『恋あいうえお』以外の三冊はいずれも家族の崩壊と男女の愛憎をテーマとするもので、かつ『栂の夢』は芥川賞作家による相当にハイブロウな作品です(文学的に注目されたらしく、文芸誌や学術誌に評論が多数掲載されています)。これら文庫本の読み手は、(40年前という時代状況を考えても)実はやはり相当な読書習慣と読解力の持ち主だったのではないかという気がします。
ちなみに『恋あいうえお』、ネットの画像でみつけた当時のものらしい帯には「いい人間関係としての恋のありようを、かつてない斬新な視点で捉えた恋の辞典」とありました。ちょっとほっこりします。
なお、文庫本と欽ちゃんバンドの下に背表紙だけ写っている本ですが、これは楽譜で
・『松山千春 : 最新LP「浪漫」まで全曲集』(ソングブックシリーズ11、協楽社、1980年5月)
のようです。わずかに読める文面やロゴ、そしてロゴ脇に付いているコードの画像処理でかろうじて視認できる下四桁が、古本として売買されている同書の背表紙画像と概ね一致します。
以上、長々とすみませんがご参考までに。
道民の孫さん
日記のシリーズ、長い話となっていますが、読んでいただき誠にありがとうございます。
>のどかでありながら厳しい暮らしがかいまみえます
一言「寒い」とあっても、東京のそれとは桁違いですからね。息苦しいような人間関係もあったり、言われる通り、厳しさが行間から読み取れて、笑い以外にも気づかされることが多いです。
>駅名や学校名は当然変えてあるので簡単ではなかった。
地元の人でもわからなかったりするので、文章の中の描写だけでは難しくもあるかもしれないですね。付近に似た廃屋もあったりするし。
>何名かの友達は消息がわかりましたが、ご迷惑も考えてコンタクトはしていません。
お気遣い、どうもありがとうございます。金山君の兄などは広報誌に掲載されていたりして、一部露出している人は散見されみたいですね。たった数名の中学校ですので、全員が無事に暮らしていることを祈りたいものです。
私は関東在住ですが、どうしても気になってネットを駆使して調べました。
キョウコさんの家は、とある線路と川のそば
駅名や学校名は当然変えてあるので簡単ではなかった。
何名かの友達は消息がわかりましたが、
ご迷惑も考えてコンタクトはしていません。
京子さんシリーズ、読みました。
40年ほど前の北海道の開拓地ののどかでありながら厳しい暮らしがかいまみえます、
Ekohさん
同じ廃屋愛好家であるからこそ目も厳しくなるであろうはずなのに、読んでいただけるとは、身に余る光栄です。ありがとうございます。
>ちょうど日記の時期には小学生として札幌市に在住しておりました。
キョーコさんと同じ空間を共有していましたか。といっても距離はかなりありますけど。でも修学旅行の際はすれ違わないまでも、近かったと思います。
>自分の人生と彼女の人生がどこかでクロスしているような親近感を感じております。
あらゆる可能性がありますからね。こうやってこのブログに辿り着いたのも可能性の一つかと。何気ないすれ違い、注意を払ってみてください。キョーコさんの日記連載を始めた頃、メールで札幌の廃屋情報を寄せてくれた女性の人がいたのですが、やけに廃屋に感心のある女性だったので、もしかしてキョーコさん本人がうずうずして?なんて思ったりしたのですが、結局、よくわからずじまいでした。
>これだけの参考資料(?)と文才がおありでしたら、小説でも書けるのではないですか?
最大限の評価、遠慮なく受けさせてもらいます。別の記事ですが、青年家主を訪ねて、みたいなタイトルで面白いものが書けないかと、今、構想を練っているところです。期待しないで待っていてください。
ご心配おかけしましたが、病気以前に戻ったかに思います。今のところですが。来てくださったばかりなのに、そのようなお気遣い、胸の奥から熱いものが込み上げてくるようです。ありがとうございます。これからも何とぞ末永くよろしくお願い致します。
私も廃屋などを覗いてみたりするのが好きで、同じような趣向の方の写真をみたりしているうちにこちらのブログにたどり着きました。
今は主にキョーコさんの日記を読ませていただいておりますが、量が膨大なためまだまだ途中です。
キョーコさんもご存命であれば今頃56才でしょうか。私はキョーコさんの4才年下になるようですが、ちょうど日記の時期には小学生として札幌市に在住しておりました。(今は横浜市におります)その頃の自分を思い出すと近くの女子中学生に憧れをいだいていた時期で、会っているはずはないのですが、自分の人生と彼女の人生がどこかでクロスしているような親近感を感じております。
カイラス様は写真も素敵なのですが、特に文章がとてもすばらしく、まるで長編の小説を読んでいるかのように引き込まれてしまっています。これだけの参考資料(?)と文才がおありでしたら、小説でも書けるのではないですか?
退院されたばかりとのこと、お体にお気をつけて更新なさってください。
陰ながら応援させていただきます。
戦前の愛知航空でよろしいですよね?
99艦爆、流星艦上攻撃機、米帝本土爆撃に参加した晴嵐等々、攻撃機、水上機を得意としていたメーカーが開発した車両でしたか、中島と比較すると多少マイナーですが名機も数多く排出しているメーカーですね。
戦後航空機メーカーは自動車産業にシフトしたようですがなかなか難しかったようですね。
ミリオタですので、嫁が介護の仕事していた時に自分のオタク知識が役立ちました、海軍と陸軍の敬礼違い等々、谷田部でゼロ戦に乗っていたK沢さん、帝都防空で二式戦に乗っていたM田さん、横須賀基地に居ながら乗る船がなくて防空陣地掘りされていたO内さん、えらく喜んで会話して頂いたそうです、「女の子で若いのに良く知っているね?」嫁は若くもないけど皆さんからすればひよっこ、ミリオタからの情報なので当時の軍人さんなら常識レベルの知識は吹き込んでいましたからねぇ。
皆さん靖国に行かないと会えないので、近々また靖国に行かなければと思っている極左暴力主義者の蘭丸与利。
どうも、飽くなき探究心、ありがとうございます。
もう見慣れた廃屋の残留物ですが、整理すると、また違ったものが見えてきますね。
>懇親会領収書 1985年 関係ない領収書があるのは不自然なので
お父さんは建築士説ですか。85年というと、日記からそう間を置かないで。お父さんだけが何処かへということも考えられますけど。
>日記 5時限目日本史 1981年12月8日(火)〜12/9 日本史の授業ということは、無事高校に進学
どれかにとは思いますが、本人は一喜一憂するんでしょうね。
>young rock kiss 来襲号 1977年
この雑誌は、わざと目立つ所に置いておきました。二度目の再訪時、無くなってました。僕以外にもやはり誰かしらは訪問者がいるんだなと。
>欽ちゃんバンド表紙のヤングソング 明星1983年10月号付録
清水由貴子さん、まさかあんなことになるとは。清水善造に至っては、欽ちゃんバンド以外で聞いたことないです。
>ブロンディ LPアルバム『the hunter』
キョーコさん、洋楽とか聞きそうにないイメージですけど、高校で大抵趣味も変わりますから。
>パタリロ 花とゆめ22号特別付録(1978~90連載は)1978~80年頃
はいからさんとこれは、もうガチでしょうね。
>オカモト介護用品 洗髪器(スパイクタイヤがある写真) 寝たまま洗髪をできる機械
普通に使うものではなく、子供用ではないので介護が必要な家族
スパイクタイヤは不法投棄の可能性もありますが、この洗髪器はこの家のでしょう。弟さんのだとすると、日記の中でこれから苦労されるのかも。
>小さいお兄ちゃんが鮮魚系トラックドライバーだったのかもしれません
職業ドライバーはいかにもです。仕事終わりでも、ヤンキー系同士で活用していたんじゃないかと。
>伊呂波歌メモの左下の紙の住所が三ッ輪運輸でしたので
浮き沈み激しいので、廃業していそうです。あんまり長く出来る仕事でもないと思いますが。
写真からの情報
:ブラックニッカ 根津甚八 1980年
キューコさんの趣味か、ハードボイルドに憧れた弟のものか?
:懇親会領収書 1985年
『一般社団法人 北海道建築士会は〜〜〜〜〜道内在住の建築士の中心となって活動しています』
関係ない領収書があるのは不自然なので、父の職業が建築士が濃厚、少なくとも85年までは居住
:日記 5時限目日本史 1981年12月8日(火)〜12/9
日本史の授業ということは、無事高校に進学、ダブってなければ高校三年の年末ですね
:young rock kiss 来襲号 1977年
77年3月~4月まで来日コンサートをしてます、キョーコさんの兄が実家にいた頃の物でしょーか
:欽ちゃんバンド表紙のヤングソング 明星1983年10月号付録
主に中高生女子が読む雑誌です、20歳のキョーコさんがまだ実家にいた?
:ブロンディ LPアルバム『the hunter』の初回プレス10万枚のみ特典付録ポスター 1982年
解散前の最後のアルバム、キューコさんの趣味?、弟の趣味でしょーか
:パタリロ 花とゆめ22号特別付録(1978~90連載は)1978~80年頃
花とゆめの購読と年代から完全にキョーコさんのものです
:はいからさんが通る 少女フレンド1975年7号〜77年10号
漫画好きのキョーコさんは当時の大人気漫画もすかさず購読していた模様
:オカモト介護用品 洗髪器(スパイクタイヤがある写真)
寝たまま洗髪をできる機械
普通に使うものではなく、子供用ではないので介護が必要な家族がいたのでは、お守りの必要な弟か、寝たきりになった?祖母用のものでしょーか
家はGoogle mapではなくアースでしたか、しかしわからないですね〜^^;
高校の同級生がコールサインの紙を自慢げにみんなに配ってました、小さいお兄ちゃんが鮮魚系トラックドライバーだったのかもしれません、伊呂波歌メモの左下の紙の住所が三ッ輪運輸でしたので何らか関係があるのかもしれません
まぁ、いずれそうなるだろうとは思っていましたが、案外、早いものなんですね。完全瓦解はまだのようですが。
廃墟・廃屋は、一時だけの巡り合い、そう肝に銘じて、これからも探索に励もうかと思います。
入り口がわはまだ体裁を保っていましたが、側面は崩れて近寄れません。
サイト主さんはラッキーでしたね。
どうも、はじめまして。
僕はほぼアイドルソングしか聴いていなかったこともありますが、ブロンディは全く知らなかったです。レコードとCDまで買っている人がいるということは、というより、そもそも、この家の壁にあるぐらいですから、熱烈な支持はあったようですね。
>根津甚八と言えば、1981年に放送された連続ドラマ"想い出づくり。"に出演していました。
お金のために、バラエティ番組に出たりしない、役者らしい役者さんですね。缶コーヒーの宣伝に出演していて、その缶コーヒーを、よく飲んでいました。バイトばかりしていて、辛かった時期なので、よく憶えています。
>それにしても北海道の廃墟というのは、何か独特なものを感じます。私は北の大地に憧れを感じます。
この家にしても、雪の積雪から家を守るために、屋根の傾斜がきつくなっていて、そのために、お洒落でもなく、ロフトスペースが生まれます。廃屋でも、ヨーロッパの山の中にある家の内装みたいなので、毎回、新鮮な驚きがあります。
機会があったら、旅行に行ってみてください。昔と違って、飛行機も安くなっているので。
ブロンディと根津甚八の若い頃のポスターが貼ってありますね。
ブロンディは、1980年代に買った"BEST OF BLONDIE"のレコードを持っています。
その後CDも買いました。
根津甚八と言えば、1981年に放送された連続ドラマ"想い出づくり。"に出演していました。
"想い出づくり。"は思い出に残るいいドラマでした。
それにしても北海道の廃墟というのは、何か独特なものを感じます。
私は北の大地に憧れを感じます。
只今、編集をし、伏せさしてもらいました。
ご配慮、ありがとうございます。
前のコメントに峠の名前実名で書いてしまいました。
非常に近い場所なんで編集お願い致します。
やはり別の方みたいですね。家の前を通ってみて、そんなに過酷だったかな?と、思ってました。あの得体の知れない中古車が見られないのは惜しいです。
あの道なら今は通行止めになってるね。
車は全て無くなってるから、場所を間違えてるかもしれないですね。
あくまでも答えの無い中での一つの見解なので、いろいろ見方はあるでしょうね。
>実家は物置としてそのままに。 子供たちはそれぞれの生活があるため実家の保守管理まで手が回せない。
あそこまで崩壊が進行するとは、普通、考えないですからね。鍵をかけておけば、それは物置だという考え方はわかります。飛躍した見方をすると、ブラジルに移住とかもありえますし。
>母の実家が途中までは同じような道を辿り、最終的には人手に渡ったもので なんとなくその可能性であってほしいなと思う次第です。
写真では不鮮明でしたが、男の子のボードゲームが纏めて紐で括ってあったのが強く印象的に残っています。準備万端整ってから、旅立って行っただけなのか、緊急時にも常に折り目が正しい家族であったのか。
>私も未だに実家に本やら置かせてもらってるので尚更…(^_^;)
肌身離さずというわけでもないですからね。
今と違って、アナログのデータとネット上のデータがリンクすることも無いですし、雲散霧消してくれと、そのまま日記だろうがかさばるので、敢えて置いていった可能性もあります。
これからも、人の息遣いが漂ってくるような物件を求めて行きたいと思います。
夜逃げ…と聞いてちょっとさみしい気持ちになりました。
個人的にはもしかしたら夜逃げではないかもと思いました。
子供たちはそれぞれ独立して巣立っていく。
私物はすべて持っていけないし、いつでも帰れるので最低限だけ持ち出し。
何らかの理由で住めなくなる。(中心地に新築、不幸事、離婚 etc)
実家は物置としてそのままに。
子供たちはそれぞれの生活があるため実家の保守管理まで手が回せない。
もしくは金銭的理由で解体処分できず結果として廃墟化。
母の実家が途中までは同じような道を辿り、最終的には人手に渡ったもので
なんとなくその可能性であってほしいなと思う次第です。
日記などは二度と戻ってこられないと思ったらきっと持ち出したに違いないですし
いつでもまた来られると思っていたからこそ残して巣立ったのではないかとも。
私も未だに実家に本やら置かせてもらってるので尚更…(^_^;)
勝手な憶測でしかないですが、それなら哀しみは薄れるかなと思ったり…。
いろいろ考えさせられる物件をありがとうございます。
廃道でしたかね?もしや現在は変わっている可能性もありそうですが。僕の車も軽自動車並の小型四駆なので、車格はそんなに変わらないと思いますが、冬だとためらいそうですね。
>航空写真を見る限り車両は一台持ってかれちゃったみたいです。
CSでたまに車のレストア番組をみるのですが、廃車って結構貴重なアイテムなんですよね。それ目的で持って行ってしまったのかもしれません。
グーグルアースにて小学校の近辺を探したところそれらしき家屋を発見しました。
もしそこが正解ならよくあんな行き止まりの廃道入りましたね…軽四駆でも入るのをためらうような道でした。
航空写真を見る限り車両は一台持ってかれちゃったみたいです。
フロンテというと、スズキの軽ですか。北海道は一人一台、車を所有することが多いので、そのフロンテは、奥さんか子供が所有していたのかもしれないですね。
パーソナル無線て、一時期流行りましたよね。トラック運転手の不法改造無線が社会問題になり、是正のために、パーソナル無線が推奨されたような。結局、僕はやらなかったので、どういう物かいまいちわからないですが。
親友会○○13792
PH ○ 02277
共に鮮魚市場系のトラック乗りの無線クラブみたいですね。
愛知機械工業は、今は日産自動車の部品メーカーです。
愛知機械工業で、鉄くずみたいなサビサビの個体をレストアするプロジェクトも過去にあり、本当に希少車です。
1962年7月から1970年3月まで販売していました。となりの車はフロンテバンです。
あ、ちなみにキョーコさんの家族のどなたかは、多分父かと…。
居間にある昔のパーソナル無線のクラブの郡コードが壁に貼ってありますが、多分トラックドライバーだと思われます。
自分も当時、約30年前に同じくパーソナル無線クラブに所属していましたので、わかります。
5桁の数字の…、です。
いつかは、車名を知っている人が書き込んでくれるだろうと、そんなに期待もせず待ち続けていましたが、この時がやって来ましたか。ありがとうございます。
>愛知機械工業のコニーAF-7ですね(o^^o)
そんなメーカー名で、そんな車名の車があったとは。家族、いや一族?の入植した時代背景がわかりそうな気がします。
>大変希少な車です
レア車ですか。現在、この廃車両は無くなってしまっているという話しも聞きましたが、マニアに持って行かれた可能性もあるのかも。
愛知機械工業のコニーAF-7ですね(o^^o)
なんせもう車は作ってませんから(笑)
たまに旧車のイベントなんかで奇跡的に車検が付いてる個体に遭遇しますが、大変希少な車です。
今回もコメントありがとうございます。
中に入って人の痕跡を検証できるような、廃村や廃集落に、余裕ができたら行ってみたいと思ってます。
都会と違って再開発の予定もないでしょうから、ずっとこのままのような気がします。一見して草原のようでも、草をかき分けると、三輪車や人形などが転がっているような場所が、他にも人知れずあるのではないでしょうか。
続きを楽しみにしております
この一家が去ってから30年以上(推測)、家屋の強制撤去はされてないんですね
この先何年間、このままになっているんでしょうね…
しかし、夜逃げを余儀なくされた理由とは…
どうもはじめまして。コメント、ありがとうございます。
以前、少し批判を受けたこともあり、この記事の場所などについては、個人情報の観点からも、自分から言わないようにしています。実に歯がゆくも思うのですが、ひと通り読んでみて、察してみて下さい!すみません。
先週辺りサイトにたどり着き、キョーコさんの日記シリーズを中心に楽しませて頂いております。
ちなみに、この廃屋があの日記の舞台という事で合っていますよね?
僕自身も学校で何かあると、自戒の意も込めて、字体を改めて正すようなことがあったので、そのあたりはわかるような気がします。
ワープロ以降、そのような心理分析が無くなってきたのは、仕方がありませんね。
いっけん荒らされているように見える物も実は自然の成り行きて事もある。
女の子が書いたと思われる日記、たった一日で字体が変わるて事は精神的に何かあったからでは・・・。
達筆て事もあるかもだけど、なんて書いてあるか分からい内容の次の日にはマトモに読める。
昔はシンナー中毒て結構流行ったからね。
KISSがあってビートルズもあるから、もしかしたら私と同年齢かも知れないなあ。
2ストの車というと、旧式のジムニーぐらいしかないのかなと思っていましたが、三菱でも出していたんですね。知りませんでした。
車種名はバブルの頃ぐらいまでのだったら、なんとか分かるのですが、それ以前は見当もつかないのが多いです。
昔を懐かしんで、車種名で検索をして来られる方も多いと思うので、不明車種のご指摘は大変助かります。ありがとうございました。