
北海道の弟子屈町、クッシーでおなじみの屈斜路湖の湖畔に眠る、その昔栄華を誇っていたという、巨大レジャーランド施設「いなせレジャーランド」。
朽ち逝き続け、森の中へと静かに消えようとしている、その前に、思い出に留めておかねばと、ふと立ち寄ってみる。

この美しい湖「屈斜路湖」の湖畔に、巨大な廃レジャーランドがあるというのだが。。。

こちらはそこそこ賑わっているおみやげ屋さん。

元祖砂湯クッシーの存在感。

湖畔沿いにはこのような観光地然とした、賑やかなお店が並ぶが、

少し離れた森を散策してみると、長い間放置されたままの観光バスがあった。

日野製で「湯の閣ホール」とある。

窓は割られ、車体は錆だらけ。

隙間から入ってみる。

森に同化し始めている運転席。

数十年が経ち、森の奥の廃バス。わざわざこんなところまで来るのは妙な人ばかり。

いなせレジャーランドとの関連性は不明。

日産コーチのプレート。
※「KINSAN COACH」はバスボディメーカー・金産自動車工業(金沢産業)の略称。「すずらん」様より。
※日野の「RV」という車種のようです。
コメント欄でご指摘頂いた「tokyu8500」様、どうもありがとうございました。
追記(2020-03-01)
※ウィンカー形状や窓配置などから、1968~69年式の日野RC300と思われます(おそらくRCであるとのこと)。
コメント欄でご指摘頂いた「すずらん」様、どうもありがとうございました。

いなせレジャーランドよ何処と、森の中を彷徨いながら、行き着いた先は・・・

湖の湖畔沿いではなく、道路を挟んだ向こう側の、木々の隙間から現れた「いなせレジャーランド」。

自然災害なのか、

年月からくる傷みなのか、とにかく全崩壊待った無し。

湖畔の賑わいが嘘のような、静寂の中に、しかしその姿体は、荒々しく。

テニスコートや温水プールまでをも持つ、巨大な複合エンターテイメント施設だったに違いない。

なんでも揃ってはいるが、

特徴に乏しいレストラン。
現在の物価並のお値段。

ハンガー以外は跡形もなし。

周辺の宿を案内している余裕はなかったはず。

アメリカン・ビンテージ大修復!ビフォー&アフターのリックに直してもらうには、ちょっと新し目のコカコーラの冷蔵庫。

風俗的な妖しさが漂うカラフル電飾。

冬や台風が来るごとに崩壊は進む。

今だったらハングル版や中国語版があったに違いない。

鳥の水飲み場。

カリモク風ソファー。

かなり古そうなエレメカ機「X-08」。

スターウォーズに影響を受けているデザイン。

台風の直撃を受けた体育会のよう。

ちょっとぐらい片付けようとする人がまるでいないばかりか、古タイヤを捨てていく人が多数いる様子。

大きなのっぽの古時計。

いなせの文字も凛々しい、釜飯。

ブラウン管のテレビは役所が引き取ってくれないし、業者の言い値は高い。

まるで、屋内スキー場のようなスケール感がある。

さて、導入部ともいうべき入り口付近の散策を終え、

いよいよ、いなせレジャーランドの広大なる、敷地内へと、

入って行く。。。。。
つづく
「廃アスレチックランドフィールド」 荒廃、『いなせレジャーランド』散策2
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コメント
コメント一覧 (18)
なつめさん。
どうも、はじめまして。
今は無残な姿を晒していますが、弟子屈にもこんな楽しそうな施設があったとは、とても信じられない話しです。
>最盛期は近くのスキー場や、屈斜路湖での遊覧船事業もやっていたようですが、04年のゴールデンウィーク以降この施設の名前が出てくることはない
なるほど。船が何艘かあったのは遊覧船事業をやっていたからですか。湖に係留させて置くとお金を取られるので、とりあえず施設内に置いたのかな。書類上では04年に廃業でしょうか。そんなに大昔でもないのに、ここまで崩壊してしまうとは、北海道の自然の驚異みたいなのを感じてしまいます。
>綱渡りの経営が長く続いたんでしょうね…
何の見込みがあって大阪のメーカーが買い取ったのか、今となっては謎ですね。
わざわざお調べしてもらいありがとうございます。
この地が自然に還るのか、新事業が始まるのか。良かったら見届けてみて下さい。
かつては弟子屈にこういったレジャー施設があったのですね。
気になって地元の新聞(北海道新聞)をひもといたところ、休業していた「いなせランド」を大阪の会社が買い取り、82年に「いなせレジャーランド」として再開させたようです。最盛期は近くのスキー場や、屈斜路湖での遊覧船事業もやっていたようですが、04年のゴールデンウィーク以降この施設の名前が出てくることはないようです。
01年のインタビューの時点で運営会社の社長が「厳しい状態」と話しているので、綱渡りの経営が長く続いたんでしょうね…
突然の書き込み、失礼しました。
すずらんさん
長きに渡りお読みになっていただき感謝致します。日記だけでなく廃墟読み物まで。
>ウィンカー形状や窓配置などから、1968~69年式の日野RC300
細かい形式の違いがあるのですね。資料として読む人もいるので正確さは僕としても気にしたいところです。
>「KINSAN COACH」はバスボディメーカー・金産自動車工業(金沢産業)の略称です。
横浜の日産だけでなくバスボディメーカーとしてまた別の地域で製造されているなんて知らなかったです。
>つまらない指摘で恐縮ですが、
いえいえ、大変参考になります。なかにはこのバス目当てで検索をして来てくれる人もいるので、きちんとした情報を書いておきたいと思うので助かります。後ほど本文に追記しておきます。
こちらこそ、これからもよろしくお願い致します。
3年近く、キョーコさんの日記をはじめカイラスさんのブログを楽しませて頂いている者です。
文中に出てきたバスですが、ウィンカー形状や窓配置などから、1968~69年式の日野RC300と思われます(既にコメント欄にて日野RVとの書き込みがありますが、おそらくRCです)。
また、車内プレートの「KINSAN COACH」はバスボディメーカー・金産自動車工業(金沢産業)の略称です。
つまらない指摘で恐縮ですが、今後とも、ブログの更新を楽しみにしております。
弟子屈町町民代表者さん
今お住みになっている地元の人にしたら、いい迷惑なんでしょうね。この地を離れた人なら、思い出がまだ残っていて、感傷的になったりするようですが。
>ビラオスキー場をやり始めたがいなせの社長はそれも放棄
土地が転売出来ないとなると、更地にすると固定資産税が高くなるので、そのまま。最近の都市部だったら撤去も早いですが、ここではそうはいかない。心中お察しします。
>大阪商人って最悪だな、妾作ってる暇あんなら今すぐ更地にしろや‼︎
オーナーは大阪の人でしたか。野心的でしたが、夢の代償はあまりにも大きかった。あの残骸を前にして、言葉も無かったです。大規模過ぎて、このまま放置なんだろうな、と。
>弟子屈町町民はあんなもん40年以上もほったらかして迷惑なんだよ‼︎とっとと片付けろ
これからもあのままなんでしょうね。ニセコバブルのようなことが起きれば変わるでしょうが、それも無さそうだし。カジノが来るとか、そういった著しい変化を期待してます。
景観も悪いし今では幽霊屋敷‼︎
かと思いきや、ビラオスキー場をやり始めたがいなせの社長はそれも放棄して建物も撤去して居ない
大阪商人って最悪だな、妾作ってる暇あんなら今すぐ更地にしろや‼︎『立つ鳥後を濁す』と言う言葉は貴様の事だ‼︎
弟子屈町町民はあんなもん40年以上もほったらかして迷惑なんだよ‼︎とっとと片付けろ、だらしねぇ‼︎
tokyu8500さん
日野のRV。レジャービークルの略ではないですよね。今あってもおかしくないような、古びていない名前です。
>このカラーリングどこかで見たことあるので、恐らく元々バス会社で活躍していたのを中古で買ってホテルか何かの送迎用に転用したみたいですね。
車体色そのままに、プレートだけ替えて済ましていると。大資本のホテルでもないだろうし、安くあげているみたいですね。
こちらも追記しておきます。どうもありがとうございました。
このカラーリングどこかで見たことあるので、恐らく元々バス会社で活躍していたのを中古で買ってホテルか何かの送迎用に転用したみたいですね。
インバウンド需要も、川湯温泉には及びませんでしたか。インスタ映えの素材でも発掘するしかなさそうですね。
>倒産の噂があったホテルが、突然の不審火で焼けたり、廃墟状態のホテルから身元不明遺体が出たり、もう大変
一部マニアは大喜びしそうな話ですが、地元にとっちゃ深刻な問題なんでしょうね。いなせの廃墟ツアーとか、結構ウケると思うんですが。
倒産の噂があったホテルが、突然の不審火で焼けたり、廃墟状態のホテルから身元不明遺体が出たり、もう大変
いなせランドのジャングル風呂経験者ですか。僕のブログの写真をみると、ディストピアの世界に陥った錯覚が生まれるかもしれませんね。家族で楽しんだ場所がああまでになっていると、言葉も詰まってしまうことでしょう。
>行く度におじさんが覗いていました。うちの父が言うには、這って行って覗いてたと、笑っていましたが、子供だった私は、ただの変態としか思いませんでした
その頃はお父さんも世間も、覗き行為にたいして大らかだったのでしょうね。まさか、あのスクーター所有の管理人のおじさんだったりして。
>今あれば、たまに行くのも楽しいと思いますが、 川湯温泉が錆びれすぎて、砂湯まで行く人も少なくなり いなせランドまでは行かないでしょうね
僕が行った時は屈斜路湖畔にはそこそこ観光客がいましたが、川湯温泉はそんなにさびれてしまっているんですか。
また機会があったら、どんなにさびれているか、行って方々探索してみたいと思います。
子供の頃に砂湯でキャンプをすると、いつも、
いなせランドのジャングル風呂に行きました。
懐かしくなり、どこだったかな?と車を走らせてると、
砂湯から数分で木の茂った所に、いなせランドの建物が見えましたが、こちらの写真とは異なり未だ立派な外見がチラッと、見えます。2018年6月です。
熱帯雨林のジャングルみたいな風呂で、確かにバナナの木もありました。
行く度におじさんが覗いていました。うちの父が言うには、這って行って覗いてたと、笑っていましたが、子供だった私は、ただの変態としか思いませんでした。
廃業したのも、知りませんでしたが、アスレチックなど、あったのも、知りませんでした。
今あれば、たまに行くのも楽しいと思いますが、
川湯温泉が錆びれすぎて、砂湯まで行く人も少なくなり
いなせランドまでは行かないでしょうね、
懐かしくてついコメントしちゃいました。長くて、失礼しました。
昔は地方にも山師的な人が多くいて、ここのジャングル風呂のようにスケールの大きな施設がたくさんありましたよね。もう作られないだろう、こういった施設の経験者がうらやましいです。
夜はなんか怖かったけど、久しぶりにジャングル風呂いってみたいなぁ
管理がゆるゆるだったんですね。アスレチックランド辺りの牧歌的な雰囲気を見ると、そんな感じはしました。
瓦礫より拝借したポストカードの中に、そのジャングル風呂の写真があったんですが、あまりにも立派で却って不自然過ぎる画像だったので、きっとこれはコラージュかなんかで、運営会社による未来予想図というか、理想像かなんかではないだろうかと勝手に思っていました。
そのジャングル風呂が実際に、かなり立派な敷設として存在していたばかりか、ジャングルの木に実っていたバナナを食べた人と接することになるとは、あの瓦礫の廃墟で犬に吠えられていた時には、想像もできませんでした。豪華そうな高速艇の謎も判明して、言われてみればなるほどと納得できます。
貴重な情報ありがとうございました。ポストカードの画像と廃墟を比較した番外編を書こうと思っていたので、参考にさせて頂きます。
昭和40年代~50年代にかけてです。
ここの売りはハウス内にあるジャングル風呂でした。温室に熱帯植物が辺り一面に生い茂っていて、その中に温泉大浴場があるのです。
今で言えば、万葉の湯とか、東京健康ランドの様な施設の走りかと思います。
当初の経営は確か弟子屈町で、後に大阪緑風観光と言う会社が美羅尾スキー場と共に買い取り経営していました。
時代はバブル期です。やがてバブルが弾け、平成2年か3年頃?破綻し今に至っている様です。
湖側では、高速艇も2挺所有していて、15分程の遊覧で5000円払って乗った事があります。平成元年の夏の事です。
余談ですが、ジャングル風呂内にバナナの木があって、こっそり採って食べたのを覚えています。(笑)