いなせ農園を抜けると、そこには当時の旺盛を物語るように、宿泊施設がどこまでも立ち並んでいた。
観光客用のコテージ風の施設には、住み込みの従業員らしい人達の部屋もあり、中にはまるで突然に夜逃げでもしたかのように、生活用品などが投げ捨てられ散乱をしている状態のものもあった。
入り口付近にあった2階建てのビジネスホテル風と違い、平屋で作りもかなり古い。
傍らには大スペース廃墟定番の、
軽ワゴン。
※軽ワンボックスはスバルサンバー3代目('73~82年)。一部が隠れているので定かではありませんが、グリル形状などから'77年に規格が360ccから550ccに変更された後のモデルで、且つフロントのドアハンドルの形状から'79年以前のものと推察されます。
ご指摘いただいた、さくらエボ様。どうもありがとうございました。
ラジカセさえ無い運転席。
宿泊施設の各ドアの鍵は施錠されていないものも多い。
そのうちのひとつに入ってみる。
生活用品が多く、職員用住宅かもしれない。
台風か、食料目当てで動物が蹴破っての侵入だろうか。
人間だったら素直に無施錠のドアから入りそうなものだが。
未使用でしかも複数枚のナンバープレートが・・・
精巧な作りと、その材質から鉄分が摂取できると、中国人観光客にお土産として好評な南部鉄器、年代物のトースターなど。
いなせレジャーランドが掲載されているかもしれないガイドブック。
女性従業員の部屋だったらしい。
家族での記念写真と思われるが、何でこんなものを置いていくのだろうか。
やむにやまれず手ぶらでここを出ざるをえなかった理由とは…
観光客用の宿泊施設を社員の住宅に流用しているので、押入れはないようだ。
配管剥き出しの脱衣所。
真冬はとてつもなく寒そう。
変わった色の浴槽。
芳香剤も侘しい和式便器。
更に奥へと進んでゆくと、それらの建物は見た感じ建てられた時期がもっと古そうで、老朽化も激しい。
かつてこの場所が宿泊者で賑わっていたのかは、ちょっと想像もつかない。
大雑把な網戸。
こちらへも入ってみる。
畳が剥がされている。
暗部を覆い隠すかのように、外人モデルのポスターが貼られていた。
旧ソ連時代のニュース。
更に別の部屋へ。
寝具だけで部屋が一杯。
鎧のコレクションしか思い浮かばないガラスケース。
クリスマス前にここを脱出した様子。
先ほどのユニットバスとは違い、古い仕様のタイル式浴槽。
こちらの風呂もやっぱりタイル浴槽。
昭和の木造校舎にあったような大型ストーブ。
鹿の間と呼ばれていたらしい。
昭和臭が立ち込めている。
配管の処理はかなり雑。
とにかく様々な形式、形状の建物が折り重なるようにして並んでいる。
そして、それらは奥へ進めば進むほど時代を遡って古くなり、まるでタイムトンネルのような時間移動を錯覚させる。
いなせレジャーランドの懐の深さは、まだまだこんなもんじゃないだろう・・・
つづく…
「和風アレンジ」 荒廃、『いなせレジャーランド』散策6
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コメント
コメント一覧 (2)
さくらエボさん
スバルサンバー。あの製造中止になってしまったやつでしたか。最後のスバルブルーのリモテッドエディションか何だったか、欲しかったです。この頃の軽トラはラジオが高級装備なんて時代ですね。
>ナンバープレートは、末梢登録する際に持っていき忘れたのかと思います。
てっきり、怪しいビジネスでもやっていたのかと。いずれにしろ、いなせで業務用のトラックに使用する予定だったのは間違いないようですね。
こちらも追記させてもらいます。どうもありがとうございました。
一部が隠れているので定かではありませんが、グリル形状などから'77年に規格が360ccから550ccに変更された後のモデルで、且つフロントのドアハンドルの形状から'79年以前のものと推察されます。
ラジオに関しては当時、ミドルクラス(ブルーバード、コロナクラス)くらいまではそれなりのグレードではAMラジオのみが標準装備で、軽や下級グレードではそのAMラジオすらオプション扱いのケースも多かったので、この個体はそれなりのデラックスなものだったと思います。今でいうところのナビ装備くらいの感じだったかと。
運転席の座面が破れていて敷いていたであろうクッションが足元に落ちているところに哀愁が漂っています。
部屋の中の段ボールのナンバープレートは、末梢登録する際に持っていき忘れたのかと思います。封印を外したような跡が残っているため車体から外したところまでは間違いないようですが、昔は今と違って『紛失した』と言えばあっさり署名捺印1つで廃車できたようですし。ナンバーが45なところから小型商用のライトバンやワンボックス、小型トラックが使っていたもののようです。