三笠ではまだらで赤錆の今にも倒壊してしまいそうな『住友奔別炭礦立坑櫓』が、視界のどこへでも入って来る。初めての訪問でも車の運転に迷うことはない。
もうすぐ昼だというのに全く人を見かけない街中。低層階の古びた家屋ばかりが並ぶその中に、異様に高く、太く、頑強そうであるのに、傷みによる老朽化により実情的にはなんとも頼りなく、石炭産業の衰退もあり、儚くもある、鉄骨の立杭。
事前の見学には予約が必要”うんぬん”ということだが、関係者を含め、とにかく人が全くいないので、いつしか廃墟散策者の足どりは住友奔別炭礦立坑の施設内をぐるぐると・・・
ランドマークでもある櫓を追いかけながら車を走らせていると、現れたのは幽霊屋敷のような廃屋。立坑櫓はすぐそこだし、車をこの辺に駐車をして、絵になりそうなこの廃屋を撮ろうと、近づいてみるが・・・
想像もしなかったが、中からゴンゴンと打撲音がする。それも近づくほど、その音が強くなる。音の質感からして、棍棒や角材のようなもので、柱などを叩いていると思われる。要は中に人(長年暮らしている)がいて、「ここは廃屋じゃぁない。人が住んでいるだ!!」と、牽制と威嚇の意味でやっているのではないだろうか。
ただのスナップショットを撮るだけとしか考えていなかった自分だが、他人の人生のあとどれくらいあるかわからない貴重な余生に、土足で入り込んで泥でもバラ蒔いたような気がして、なんとも気まずく感じた。
取り敢えず家の前まで来てしまったが、咄嗟に機転を利かせて『お婆さん(推測)の大事な家を廃屋だと蔑んでいるのではありませんよ。僕は東京から来た北海道の右も左もわからない観光客です。この角度からの立坑櫓をファインダーに捉えてみたかっただけです
こんなことでお婆さんの傷ついた自尊心が少しでも和らげば幸いだし、もしそうなれば、僕も立杭櫓が頭に浮かぶたびに、この苦い思い出がトラウマとならなくてすむ。
かなり目立つひなびたお屋敷なので、訪れた際は皆さんもご注意を
住友奔別炭礦立坑の施設入り口はすぐそこ。この建物は炭鉱関係者のアパートだろうか。
注意書きをよく読む。施設内は廃施設ばかりだが、一部は現在も稼働中。
炭鉱が閉山をしたのが昭和46年。立杭櫓はどうすることもなく、立ち続けている。
間違っても車で乗り付けないでください・・・
あしたのジョーで、丹下ジムがあった泪橋付近にあるような家が並ぶ。現役か廃屋か、立杭櫓同様、時の流れるままに、自然の成り行きにまかされている。
毛筆体の金属プレート。直江兼続の兜『愛』の文字にも通じる”主張”の強さを感じる。
閉山時の密閉作業中に5人の作業員が死亡したそうです。
自分以外誰もいないので、気兼ねなくお散歩中・・・。
すのこベッドへ再生するには、傷みが進行し過ぎている、コンパネ。
閉ざされた木戸。人の住んでいた廃屋ではないので、あってもせいぜい薬品や機械類でしょう。
立杭櫓を中心として施設内には様々建物がある。これも廃施設。
一応、中を覗いてみました。用途のわからない機械が放置されたままに・・・。
ローカル鉄道の駅舎のような強度試験室。中には棚がたくさん並ぶ。物悲しい半開き扉。
当時、東洋一と称されていたのは伊達ではない。関東だったら間違いなく撤去されていただろうが、全てが寛容的な北海道でよかった。
寛容的過ぎて、『ロッキーフライドチキン』なんていうデザインもそっくりなチェーン店が、全道規模で展開をしていたこともある。行くたびに見なくなっていったが、2000年を過ぎた頃でも、江差町で見かけた記憶がある。夫婦でやっていたが、本部は破綻をし、そのまま残ったオーナーが続けていたのだろうか。
ひとりでこの光景を独占できる至福の時間。
現役稼動中だったら、作業員にどやしつけられでもするところ。
行き止まり。これだけの自由な放置空間だと、なにをもっての区切りなのか不明。
ゴーストタウンというか、ゴーストファクトリーだろうか。昼下がり、巨大施設を徘徊するひとりの男。このような時にいつも大声で”歌ってやろう”かと思うのだが、もし見つかったら赤面して後悔すること必至なので、結局やらずにいる。
でも、バイクでは眠気覚ましも兼ねて、頻繁に大声で叫ぶように歌うことがある。
仮に聞かれても他人だし、一生合うこともない。一瞬に過ぎ去る関係で後腐れがない。きっと電車内で化粧をする女性も近い考えかもしれない。
野ざらしフォークリフト。その奥の2階建ての建物には赤錆階段。
取り敢えず、あの赤錆階段を上がってみることにしよう。
つづく…
「修滅」ゴーストファクトリーひとり周遊.2 住友奔別炭礦立坑櫓
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