天華園 門
 大渓谷を見下ろす山の中に取り残された、廃墟テーマパーク『天華園』。僕が訪れたのは、周囲の山々が、うるさいほどの暖色系で染められた、紅葉真っ盛りの頃。

 場所は北海道は登別。道道782号線と道道2号線が交わるあたり。

 天華園は中国文化を売りにしたテーマパークとして華々しくオープンをしたものの、わずか7年で閉鎖となってしまったとか。

 僕はバックパッカーとして中国には幾度か訪れたことがある。それぞれ数ヶ月単位の長期旅行だったので、かなりの広範囲を行き尽くしている。チベットへの鉄道がまだ無い頃、ラサからパッカー同士で車を借りてカイラス山まで行き、彼等はラサへ引き返し、僕だけはパキスタンへ。北京駅から世界最長の営業距離を誇るシベリア鉄道の満州里経由でモスクワへ。いろいろやり尽くしてしまいには、北京から平壌ルートの列車で北朝鮮観光にも行ったことがあるぐらいだ。

 その中国旅行好きの僕が、北の果ての試される大地で出逢った、廃墟中華庭園『天華園』。

 どこまで肉薄をしているのか、日中友好と中国文化をコンセプトとしたテーマパークの何がいけなかったのか。

 熟練バックパッカーと廃墟探索者としての見地から、微に入り細を穿つ検証を隈なく遂行し、北海道の観光産業へ少しでも助言提言できるような、問題点や評価され伝え残されるべき箇所などを、じっくりと発掘、突き止めていきたい所存である。



天華園 車両止め
 車両止めがあり、その先に閉ざされた真紅の鉄扉。敷地全体は鉄のフェンスで囲われた状態。

 侵入するのに都合が良いのはこの門だと当たりをつける。下に微妙な空間があり、一時の恥を忍んで大地に横たわりゴロゴロと転がって行けば、うまく入れそうだと目論んだ。

 若干手前に駐車した車中より、行楽客の車両往来が途絶えるのを、息を殺してじっと待つ。十数分様子をみたところ、4分に1度ぐらいは静寂とともに、無音無人状態がやって来るのを確認した。

 頃合いをみて車のドアより飛び出す。こんなこともあろうかと汚してもかまわない、上はワークウェア、下は革パン姿の廃墟散策者。門扉下部の隙間と平行状態に寝そべり反転横進を試みるが・・・

 はじめに微妙な空間と感じた通り、頭部がどうしても引っかかり、思い描いたように人間ドリル状態で回転侵入とはいかなかった。



天華園 表札
 結局予定を変更。車中で更に耐えること約30分弱。紅葉を見に山へ訪れる車を数十台やり過ごし、確信を持ってやって来ないと断言できる瞬間を厳選。

 人目に触れず門をよじ登り敷地内への侵入に成功する。



天華園 駐車場
 土中より押し上げる草により波打つ起伏が顕著なアスファルトの駐車場。



天華園 五重の塔
 誰もいない。これが廃墟?と思わせるほどの優美さを持ち完成度を誇る中国庭園に見えるが・・・



天華園 侵入
 寄るとこの荒れようはやっぱり廃墟と化したテーマパークだ。



天華園 正面
 相当な資金を投じて作り上げられた虚構の中国世界が目の前に。銀座で爆買いをしている中国人の首根っこを掴んで、ここへ突き出したらどんな反応を示すだろうか。

 そして数十年後、中国人の廃墟探索者が、中国国内の廃墟を巡り、ベトナム人あたりに、同様の疑問を投げかける。



天華園 入場口
 いよいよ入場口へと。中国料理店は夜中の2時までやっていたみたいだけど、人里離れた山の中のレストランに、果たしてお客さんは来ていたのだろうか。

 時はバブルの頃、大人1,800円の入場料は比較的良心的なお値段か。


 この先では、名物だった中国料理店をつぶさに探索し、独自のメニューなどを白日の下に晒すことに成功。興味深い中華ファーストフード店も発見。本物の中国を隅々まで旅して来た男だからこそ指摘ができる、建物内装の相違、中国人あるある、放漫経営の痕跡はあったのか、無かったのか。孤独な暇人だからこそ可能とした、幾多の執拗なまでの建築物拝観、五重の塔そぞろ歩き登頂    ラオックスやマツキヨで買い漁る中国人に是非見せたい、君たちはこんなに慎ましやかだったんだよと、在りし日の中国人記念写真の数々・・・


 大きく一呼吸した後、登別にかつて存在した、現廃墟中国庭園「天華園」へと、入場する。



つづく…

「円洞門・幻境空間」 廃墟中華テーマパーク『天華園』、そぞろ歩き.2

こんな記事も読まれています