北朝鮮観光 金日成
 昔、テレビの特集でみた「ギアナ高地」の特集が忘れられなくて、いつかあのような世界中にある絶景をこの目でみてみたい、との思いを抱きながらも、うだうだと燻っていたあの日あの頃。

 自分の環境や時代の移り変わりが急変したということもあり、”来るものが来たか”と啓示を受けような気がし、その後、出会う人ほぼ全員が「こんなミニバッグで世界一周ですか?」「コレより小さいバックパックを持つタビビトを、ボクはシリマセン」「アナタの小さなバッグとそのナカミは、恐ろしいまでに機能的デ、タビの全てがツメコンデアリマス」と、国籍を問わず大絶賛を浴びた、あの驚異のミニバックパックを背負って、世界中を肩で風を切り駆け巡り、一部で旋風を巻き起こし、信者のような人をも育成するまでになる。

 兵馬俑で有名な西安のドミでは、ぱっと出のOLバックパッカーが背中とお腹に巨大なバックパックを背負って抱えていたので、「旅を楽しみたいなら前に抱えているバックパックをまず日本に送り返しなさい」と僕が厳しく諭すと、僕の熱弁にもう抗えないと降参をしたのか、渋々ながら彼女は船便でバックパックの一つを送り返すことに。冷房を極度に効かし過ぎる僕と余計なおせっかい(荷物指南)に二日間ぐらいはギスギスとした空気が二人の間に流れていたが、そのOLバックパッカーが次の目的地に旅立つ朝には、憑き物の取れたような晴れやかな笑顔を浮かべ僕に向かって「こんな気苦労を感じない出発の朝は初めてです。今までは大荷物をこれから運ばなくてはいけないという憂鬱さばかりが募り、旅立ちの朝は大抵暗く塞ぎ込んでいたものでした・・・」

 彼女は何度も何度もお辞儀をして手を振り、文字通り軽い足取りで西安駅に向かって歩いていったのだった   
 
 驚きのミニバッグの解説は別の機会に譲るとして、旅自体は大円団を迎えて終了したものの、美的感覚が麻痺をしてきたのか、途中から古代遺跡や絶景をみることに疲れ、次の新しい国へ行くと、なぜかスラム街やクネイトラのような退廃的な戦争遺構、廃墟などに、足は自然と向かうようになっていった。

 幼少の頃、都下に住む愛国心溢れる乗り物好き幼児には特に人気の調布飛行場には、まだ米軍ハウスの廃屋が所々で見ることができた。白ペンキで全体を塗られた平屋の木造住宅は今にも崩れそうで、バラ線で括ってあるものの、強引に開けばなんとか中をのぞける窓からみた内部には、印字も褪せた英字新聞、当時は勿論知らなかったが、ウォーホルでもお馴染みキャンベルのスープ缶がいくつも捨ててあった。その後幾度も同じその光景を見に行った理由は、まだ見ぬリアルなアメリカ文化の一端を直に感じ、憧れを増幅させていたのか、それとも、栄えていたものが散っていく儚さにみる、退廃主義、デガダンス的な背徳感に刺激と快感をおぼえ、恍惚感にひとり浸って打ち震えていたのか。

 その答えは、中学生時代に第2次背徳期を迎えたと判明をすることで、幼少時代の奇僻が明らかとなる。

 鉄道で北海道旅行に行き、辿り着いたある岬。ただただ見渡す限りの広大な平地が海の手前に広がっている。茫洋なる石の巨大な舞台といったところか。そんな殺風景で強風吹きすさぶ大地にぽつねんと、たった1軒だけ、しかもほぼ舞台中央に寂しげに佇んでいたのが、廃墟、「岬うどん」のお店。

 日々強風に煽られているせいか、建物が海寄りへ極端に傾いている。お店というより半屋台のような構えで、粗末な一枚板のせり出したカウンターがあることから、立ち食いうどんなのは明らかだ。場所的に当然電気水道、ガスもない。結構な旅行シーズン中にもかかわらず、見渡しても観光客は僕だけで、そんな場所にうどんのお店を建てるというのは狂気の沙汰という以外なにものでもない。

 眼下に深く荒れる海流とその岬には気にもとめずただひらすらに、写真に収めたのは既に魂の抜け切った「岬うどん」の残骸のみ。中学生の頭の片隅には勿論、無意識にでも、滲んで千切れた英字新聞と錆びて潰れたキャンベル・スープの缶の残照があったのは、間違いない。

 その後、日本経済の潮流とともにそのデガダンは封印されたかにみえ、ミニマムパッカーとして世界を旅し、個人世界旅行は行き尽くしたとネットゲームなどにうつつを抜かしていた時、北朝鮮旅行は個人で参加可能だとの情報を得る。

 ブータン王国、北朝鮮・・・ 団体旅行は一切拒否をしてきた僕が遂に、重い腰を上げ、ひとりで北朝鮮へ赴くことになった。


 この記録は、その後、執拗に廃墟徘徊をすることになる、とある探索者の、前日譚である。



北朝鮮旅行 ユース
 手始めに、北京市内のダウンタウン、胡同にあったユースホステルに宿泊。

 大阪にある北朝鮮旅行を取り扱っている業者に掛け合ったところ、北朝鮮観光は一人からの申し込みもOKだという。経費を節約したければ、日本からの往復は自分で用意すればいいとのこと。様々なコースがあるけど、その旅行会社には、行きは北京から平壌の列車、帰りは平壌空港から瀋陽までの飛行機、そして北朝鮮内の観光、を手配してもらった。



北朝鮮旅行 北京百貨店
 もう何回も来ている北京百貨店。鳥山明の趣味が外国へ行ったらスーパーやデパートを見学することだときいて、僕もそれに感化され、同様の行動をしているが、中国の某地方都市の国営デパートでのこと。とあるフロア、医療品がズラリと並ぶところに、ものすごい数の大人のおもちゃがあった。いわゆるディルドだ。それも日本製のようにカラフルだったり電動タイプではなく、ドス黒めの土色をしたリアル系の生なましい実用的なディルド。陳列数が半端ではなく、数百種類のディルドがどっさり置いてあり、「中国人妻はどんだけ欲求不満なのか!?」とも思ったが、よく考えてみると、その頃はまだ一人っ子政策が厳しく行われている頃で、器具を使って火照りをさまさざるを得ない事情があるんだなと、複雑な性生活事情に深く同情してしまった。



北朝鮮旅行 旅行会社
 日本の旅行会社からは住所を渡され、北京市内にある旅行会社まで行って、平壌駅までの鉄道乗車券を貰えとのこと。街外れの狭く入り組んだ場所にあり、旅慣れたバックパッカーだからよかったものの、普段からツアー旅行しか参加していないような人だったら、絶対に辿り着けないと思う。

 しかも、この建物はどうみても古い一般の民家で、家の中の3畳もない酷く狭い小部屋が旅行会社だという。いたのは専門学生みたいなお姉さん一人で、終始おどおどしっぱなし。おそらく日本で言うレンタルオフィスのようなものではないだろうか。

 ユースに戻り物珍しげにようやくゲットした平壌駅行きの乗車券を眺めていたら「国籍 朝鮮人」と記してあり腰を抜かす。僕は純粋な日本人で、パスポートは勿論日本のものだ。こんなチケットを持っていると下手をすれば、列車で北朝鮮入境時に、引きずり降ろされるか、スパイ容疑をかけられて、強制収容所送りになる可能性もある。先日、アメリカ人の学生が、ホテルの壁に掛かっている政治スローガンの文言が記されているタペストリーのようなものを盗んで捕まり、体制への敵対行為を行ったとして、15年の労働教化刑を言い渡されたことは、まだ記憶に新しい。しがないバックパッカーが、外交カードにされたらたまらんと、先ほどの怪しい旅行会社に電話をすると、

「ダイジョウブ。ヘイキヘイキ。問題ガナイ。問題ガナイ。ソノママ   」と返答してきた。

 彼女とは乗車券受け取り時にごく簡単な英語で会話をしたが、日本人向けのチケットを扱っているだけあって、最低限の日本語は話せるらしい。でもどうせバイトだろうし、面倒だからでまかせを言っている可能性もあり、不安このうえない。

 北朝鮮のビザも北京市内の住宅街にある北朝鮮大使館へ自分で取りに行った。書類手続き自体は日本の旅行会社がやってくれていたものの、中国漢字で書かれた住所を頼りに、あっちに行ったりこっちに行ったり、迷いながらもなんとかたどり着く。お金に余裕のある人は、全部まかせた方が無難だろう。

 北朝鮮の大使館はどんなもんだろうと、興味津々だったが、敷地はかなり広く、建物はメンテナンスが行き届いていないということもあって、アダムスファミリーに出てくるような古い洋館のようだった。建物周囲に配置されている警備員というか兵士は、今までいろいろな国でみたどの大使館よりも数多く配置されて、等間隔に詰め所もある厳重ぶり。



 北朝鮮旅行 万頭
 ついに、平壌へと旅立つ日の北京駅周辺。万頭のような携行食品やミネラルウォーターなどを買い込む。



北朝鮮旅行 北京駅
 以前にはここより、満州里経由でモスクワまで行ったことがあるが、まさか北朝鮮を目指すことになるとは・・・

 

つづく…

「平壌行き夜行17時25分」 バックパッカーは一人北朝鮮を目指す.2 

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