みゆき-30
 老朽化した雨樋丸パイプとその補強用丸鉄棒に、かつてのトラウマ(一歩手前だったが)のデトロイトYMCAシャワー室の錆びた水道管を、ふと重ね合わせてしまう、ダウナー傾向にある廃墟探索者   



みゆき-26
 裏庭の探索も終えようかとしていた時、大家であるみゆきさんの温かい人柄と和気あいあいとした住民同士の交流をしのばせる貴重な情報掲示板を発見   かと期待に胸が湧き上がるが、場所がトイレ付近、掛けられた高さ、ほとんど剥がれかかってはいるが、摩耗しきったガラス質の薄膜、などを考慮すると、シンクは見かけないものの、どうやれこれは手洗い場の鏡だったのではと推測する。食品を扱う商売をしている”みゆきさん”であるがゆえに、住人に対しても厳しい衛生管理を常日頃訴えかけていたようだ。



みゆき-36
 ようやく2階へと上がろうかとしていた、まさにその時、階段脇にあったのが、カーラジオ・・・ ではなく、電源コードが巻いてあるので、システムコンポのラジオ部分かもしれない。昭和の頃のみゆき荘住人だった学生なんかが捨てていったのだろう。有名企業の重役にでもなった彼が、赤貧生活を懐かしみ、もうあるわけないだろうと思いつつも、取引先との会食ついでに、みゆき荘へレクサスのSUVに乗ってやって来る。「まだあるぞ!俺の部屋。まるでハトの住処じゃないか!」。磨きあげられた革靴にコツンと触れたのは、彼が来る日も来る日も深夜ラジオを聴き続けた、あのかつてのシステムコンポのラジオ。あまりの懐かしさに涙ぐむ彼。丸く歪んだ視界より滲んでみえたのは、赤ゲージが指すダイヤル「1242」。その夜、正確には深夜1時30分頃、みゆき荘付近では、20分間ほど、大音響でもなければ控えめでもない、苦情の電話が警察に寄せられるかどうかの微妙な音域にて、岡村隆史の沈んだ声が車中より響き渡っていたという   

 そんな、あるかもしれない素敵な思い出を壊さないためにも、持ち去って行くのはやめておいた。



みゆき-35
 全身赤錆で覆われた、いつ崩れても不思議ではない階段。パントマイムのエスカレーターを演じるかのように、滑らかな体重移動にて、スムーズに上へと登って行く。要は立ち止まったりしないこと。その方が階段に対する負荷がムラにならなくて均等に一定となり、崩れ落ちる可能性が少ないと考えた。



みゆき-34
 みゆき婦人が雨樋に溜まったドロでもすくっていたのか、シャベルを発見。勾配はかなりきつい。なんとか僕の荷重には耐えている様子。

 さあ、昭和の澱が溜まりに溜まった部屋を開放してやろうかと、意気込み振り返る   



みゆきうえ-1
 ブラックウォール。入口は黒い板で封印されていた。一番手前の窓だけが半分弱ほど開いているのは、湿気対策による換気のためか、或いは、万が一の時、みゆき荘オーナーが入れるようにしてあるのだろうか。

 ふとみると、窓付近のトタン屋根も黒くなっていて、どうも焦げたあとのようだ。ということは、つまり、封印された入口も同様、失火かなんかで燃えて、勢い良く炎上まではならなかったものの、燻り炭化して黒くなったとみて間違いないだろう。

 それらの反省からか、廃アパートに消火器がわざわざ備え付けられているのは、用心深くなったみゆき婦人のせめてもの、ご近所住民に対する誠意と僕はみた。



みゆき-33
 わずかばかりの空間から中を・・・
 このようにみると結構な開口部がのぞいていると思われるかもしれないが、実際はかなり狭い。いいおっさんが、白昼堂々、近所の眼を盗み、体を卑屈なほど曲げて、人生をかけてまで、侵入する価値はあるのか・・・ 最終的にそれはないとの判断をする。

 パンツ一丁、目の下に隈をつくった苦学生風情の若者が、寝転がり足を組みフンフン頷きながら、眠気覚ましも兼ねた深夜のラジオ・リスニング。明日はテストでこれからが本番なのだろう。音量は少し高めだが、隣人が怒鳴り込んで来るほどではない。

 みゆき荘が賑やかだった頃を思い浮かべながら、あのドアの向こうで奮闘する青年を待っている未来、それは、デトロイト化して殺風景なみゆき荘の裏庭のようであるのか、それとも、グーグルカーとテスラModel Sが行き交う、イノベーション溢れるIT企業が立ち並ぶサンフランシスコのベイエリアだろうか   

 泥で汚れて穴の空いた作業着を着る高齢者が、びっこを引きながらみゆき荘へやって来た。破けた作業ズボンの裂け目からみえるくるぶし付近には、糖尿病の後遺症だろうか、黄色い蜂蜜のような膿とともに壊死のあとが醜くある。よろけながら踏み外しそうになりながらも、なんとか赤錆階段を登り切る。ブラックウォールと対峙し、沈黙すること5分間。次に1号室の剥がれかかったベニヤのドアに目をやり、また黙りこむ。やがて右上腕を振りかぶりワナワナと震わせ人差し指で1号室のドアの小窓付近を指し「ココーーッ!ココーーッ!」と喉をやられているのか、全く通らない声量とかすれ声で、全身を振り絞り叫びだした。更に、
「コノ頃が良かったーーー!」
 彼なりにひとしきり絶叫したかと思うと、両耳を塞ぎ腰を落とし両膝を付いて正座の姿勢になる。後方にゆっくりのけ反り反動をつけてから、額を踊り場の床に一回”ゴン”と強く打ち付けた。更に一拍をおいてからまた、”ゴン”と額が割れてコンクリの床に骨の破片が飛び散らんばかりに、叩く。しまいには連続で木槌のように、己の頭部を床へ”
ゴンゴン”打ち続けた。

 高級SUV車で乗り付ける彼か、絶望的な生活を余儀なくされ、みゆき荘時代の方がまだ良かったと、座して血だらけの額で悶絶しながら青春時代を偲ぶ彼か。

 後者であってくれと。なんなら、出血する額を押さえつつも、吹き上がる血しぶきはとめられず、コンクリの床に溜まり広がっていく血の海に不自由な右足を取られて、後方へ滑空したかと思うと階段を背にした状態でそのまま落下をする。翌朝、みゆき荘の裏庭で、住所不明の足の不自由なホームレスの死体が、みゆき婦人によって発見される   

 熊本大地震では、何千万も寄付をした芸能人に対して「少なすぎる」と抗議をしたり、被災者でもある元グラビアアイドルが発信するツイッターの文言に「おまえだけが苦しんでいるわけではない」「売名はやめろ」と難癖をつける。チャーハンの炊き出しをしに来てくれた、訪問してくれるだけでも被災者が感涙ものの大スターへは「公共の場でのタバコのポイ捨てはご法度だ」と正論を振りかざす。僕の妄想と彼等の行為、どちらが不謹慎なのだろうか。SNS上でさえ悪人になりきれず鬱憤を晴らすこともできないでいて、いもしない架空の人物、廃アパートの住人の行く末を残酷にもて遊び勝ったつもりになって見下して嘲笑をしている情けない男・・・

 せめて、公の場だけでは善人面をしておこう。わずかばかりのお金を、ネット上からでは全く目立たないので、少しでもひと目の触れる街頭で、咳払いでもしながら、タメを作って、募金をする。小学生達の「ありがとうございます!」を、周囲へ”どうよ”と響かせながら。
 
 そうだ、明日は何時もみる新宿の西口のヨドバシ付近で募金をしよう。それがいかがわしい団体かどうかは知ったこっちゃない。一瞬だけでも周囲の人間から良い人かもと思われることが今の僕には必要だ。

 こんな僕にもまだ、生きる理由が残されていたような気がして、架空の成功者へ向けていた憎悪の感情をとりあえず内へおさめつつ、足取りも軽く、淀みの無い体重移動で、ヨネヤマママコのみたこともないエスカレーターのパントマイムを思い浮かべ模倣しながら、下りの今度はより一層スムースリーに、赤錆だらけ脆そうな階段を、静かに一段一段、緩やかでありも、でも滑り落ちるように、下っていった。
 

 
終わり…