北海道で廃墟巡りをしていた時のこと。
目的地へとカーナビを頼りに車で進んで行く。ナビ画面上の行先の方角を示す赤い線によれば、次の小道を入れば大幅な近道になる。
ためらわず、幹線道路より、狭隘な農道らしき道へと入る。
途中までは、所々地面が剥き出しで状態が悪いもののアスファルト道路ではあったが、次第に完全な砂利道となっていった。周囲は野原か、耕作放棄地なのか、とにかく、町も人家も無い、寂しい光景の草原がただ続くのみ
僕はいわゆる、女性に多いと言われる、地図が読めない脳、空間認識能力が著しく欠如している人間である。だからそれを補うべく、文明の利器でである「カーナビ」は、初期の段階から積極的に導入してきた。
例えば、バイク用のナビ。昨今では、誰しもが当たり前のようにスマホナビやポータブルナビ等を活用しているが、僕が初めてバイクにナビを搭載した頃は、車のドライバーからよく二度見されたものだった。
地図が読めない人間にとっては、車よりむしろバイク用のナビが必然であるのは、言うまでもない。道に迷い詳細な地図で確認しようとしても、いちいちバイクから降りなければならないのは、苦痛以外のなにものでもない。
パイオニアの据え置き型をバイクに載せようとまでは思わなかったが、今はなきサンヨーが開発をしたポータブルナビ「ゴリラ」が発売された時は、「よくぞ出してくれた。これで首都高も迷わない!」と発売日に飛びつき、バイク用に転用することを目論んだ。
が、CDROMを使用しているため、振動にとても弱いのと、当初メーカー側が、バイクに使われると想定していなかったので、バイクの乗車ポジションから見やすい位置にナビを固定するのが大変難儀だったのだ。
肝は設置と振動対策。
バイクへの設置当初のアイデアとしては、まず、ウェストバッグのチャックを開きそこに画面が見えるようにナビ本体を入れる。それから、ウェストバッグのトベルトを両方のバックミラーに引っ掛ける。これで、ナビ本体はハンドルと平行してぶら下がった状態になる。ナビ画面の位置はスピードメーターの真上辺りに来るから視認性も良い。
振動対策と設置、素早い取り外し、全ての面で理想的だと思われたが、バイクの不規則な揺れにより振動に反動が加わってしまい、ウェストバッグに収まったナビが目の前でグルグルと高速回転してしまう事態になった。しかも、回り切ると更に勢い良く逆回転・・・ の繰り返し。遠心力が加わっていたので、飛び出すことはなかったが、結局ウェストバッグ案はたったの2回の使用で打ち切った。
それからは試行錯誤を繰り返し、最終的には、金具を使用したブリッジを作り、メーター上に鉄製の円柱棒を通す。そこへ自転車のハンドル部にも使用されるカメラネジが付いたクランプ・マウントを噛ませ、ゴリラ・ナビを設置。振動対策として、隅々に、スポンジを巻いて、ナビ本体を浮遊状態へ近い形に持っていった。
視点の高さも考慮するため、それ用の特別な金具は近場のホームセンターでは見つからず、ネットで送料まで払って取り寄せるなどしたが、自作で作成した僕のナビマウントは、既成品に比肩するものは無いし、素人がネットで公開しているのどんな手作りナビマウントより、完成度の高い作品となった。
そんな苦労の歴史があるからこそ、カーナビを人一倍利用し、慈しみさえ覚えるわけだが、車での廃墟探索をするうえでも、それは革命をもたらしてくれた。
ナビが示す目的地方向の赤線を辿り、最短距離を進むべく、フロンティア精神溢れる僕は、どんな小道にも挑み突き進んでやろうとアグレッシブになる。
その功罪、報いとしてもたらされるのが、まだ見ぬ「廃墟・廃屋」のご褒美。
当ブログで紹介済みのものや、まだ未紹介のものを含め、メディア上で未開拓であった数多くの廃物件の発掘に、カーナビは寄与してくれた。
【廃 屋】
【街角、廃アパート漁り~東京】
【街角、廃アパート漁り~東京】のカテゴリでは、自転車によるナビ走行に於いて、件(くだん)の”見知らぬ道の近道最短走行”をした結果、うす気味の悪い”大型廃アパート”との遭遇に成功している。
下手に道を知っていたり、要領よく地図が読めると、高速道路や幹線道路ばかりを手際よく使用してしまい、得たいの知れない道を、リスクを冒してまで通ろうとはしないだろう。
ただ、それは実際、諸刃の剣である。北海道の山の中の林道を数時間走行し、あともう少しで出口だと思ったら、チェーンが張ってあったなんてことがあり、泣く泣く引き返したことが何度かある。それが許容される、暇人ということも、重要なファクターになる。
突如出現をしたのが、一軒の廃屋。周囲には何も無い、取り残されたようにたたずむ、崩れかけの家。土地や建物の権利者という概念さえ取り払われたかのような放置状態。
どうにかして形をとどめてはいるが、本気で蹴りを15発ぐらい入れたら、一気に崩れ落ちそうな、木造の古い家屋。もう僕からしたら珍しいことではないのだが、室内には家電製品やら日用品、手紙や書籍類まで、おそらく数十年の時を経て、そのままにしてある。
僕は黒ずんだカーペットの上にあった一冊の日記帳を手に取った。
ざっくりと目を通した結果、思春期に差し掛かかろうかという、ある少女の日記であることが判明。
部屋は雨水風雪による自然破壊、侵入者の行為と思(おぼ)しき、物品が氾濫。天井は一部が崩壊。壁には雨漏りの染み。床も所々が腐食して欠損。一冊の日記帳がほぼ無傷であったことは奇跡に近い。
驚くべきことは、日記の内容だった。ありえない確率。偶然。シンクロニシティ
何れ明かさねばならない時が来るだろうが、とりあえず今の段階では伏せておくが、北海道の山の中で忽然と現れた廃屋に置かれていた一冊の日記、僕が読むことは必然だったのかと思わせる、ある記述。不気味さもあったが好奇心はそれ以上あったということで、その場で一気に、読み通してしまった。
同時に、「この日記、誰かに奪われてしまわないだろうか?」という、ともすれば、変質的とも思える考えも込み上げてきた。
僕がこのまま日記を元に戻すとする。頭上の天井の裂け目からは次第に雨水が垂れ落ちてくる。ハードカバーの日記帳には多少の撥水効果はあるかもしれないが、横たわり接地面でもあるカーペットは確実に水分を含んでいき、しまいには黴だらけになるだろう。やがて日記のカバー部分にも水が浸透をして、カビ繁殖の土壌づくりが促進されることになるのは明白。
そうなったら、一気に日記帳は腐ってしまう。あるいは、床が抜け落ちて、瓦礫とともに藻屑となる可能性も大。
自然に朽ち行く前に、傍若無人の侵入者によって、内容など検証もされしないで、ビリビリに引き裂かれ抹殺されてしまうおそれも大いに有り得る。
名も知れず、人里離れたうら寂しい地で育った一人の少女の青春時代の弾けるような甘酸っぱい活力のみなぎりが収録された、一冊の記録日誌。「無碍に放棄しても良いのか」という方向性で僕は捉えることにして、一時保管であると自分に言い聞かせ、罪の意識を多少感じながらも、懐へとおさめることにした。
「保護しなければ、未来永劫、彼女の記録はこの世から一切合切消えてしまうのだ」
良心への妥協案として、来年もまたこの地へ訪れることにしよう。その時、建物の状態を精査して、あと数年は持ちこたえそうなら、この日記帳は元に戻す。書いた本人が万が一にも、数十年ぶりに取りに来る可能性もあるのだから。そして、また保管目的で訪問すればいい。建物が崩壊をするまで、それを繰り返す。消失・紛失リスクは多少減る。僕は彼女から暫定一時保管を委ねられているようなものなのだ。
しかも、前年には確認をしていなかった勉強机の引き出しがどうしようもなく気になりだして覗いてみたところ、更に数冊のハードカバーの日記帳を捕獲。加えて、本格的な日記の前章ともいう位置付けと思われる、2冊の日記ノートまで、発掘するに至ったのだった。
東京から北海道への車を利用した撮影旅行は、大げさに言うと、一財産突っ込むような感覚である。フェリー代に高速料金、ガソリン代、宿泊費。車中泊も毎日では疲れるので、ビジネスホテルに泊まったりする。自炊する時間は無いからセイコーマートで買う弁当の金などもかさむ。バックパックを背負って世界一周でもした方がよっぽど安い。
彼女の青春時代の記録を保管し維持し続ける
再考をした結果、彼女が全身全霊書き溜めた思い出を、無駄に地に還らせないひとつの方法として、僕は、その記録を、ブログへと書き写すことにした。ただし、名前や地名は架空のものを用いることにして。
これなら、クラウドとして、未来永劫、残り続ける。そのまま、あの廃屋へ置き去りにして、侵入者に燃やされるなんてこともない。
これから公開をするのは、北海道の山の中、人里離れたとある一軒の家で家族とともに慎ましくも暮らした、名も無き中学生の少女自身が社会人になるまでを書き記した日記、廃屋に残されていた”日記帳”である。
1978年(s53年) 5月XX日 X曜日
今日は私の15回目のたん生日だった。そして今日ほど苦のない日を住ごしたこともないほどだった。私としても十分あまえていた日でもあった。そして十分に自分の気持をはっきした日でもあった ほんとに しあわせだ!
誤字脱字もそのままに表記します。
NOTEBOOKこの日記は、少女雑誌「なかよし」の付録と思われる薄いノートブックに書かれている。中学三年生でむかえた誕生日の区切りということもあり、日記を始めようかと考えたものの、続けられるかどうかの不安、本格的な日記帳の購入は中学生にとって高額の出費、という懸念事項がある。取り敢えず様子見で、付録のノートを用いて、肩慣らし的にスタートをさせたのかもしれない。
これ以上のわがままはないと思う。そして今日ほどたん生日としてたのしんでうれしかったことはない。心だけでもうれしかった。時計、はだ着、くつ、などのそれほどのものを この私の”たん生日”に買ってもらったことがあっただろうか? そう思うとほんとうにうれしい日だったとしか言いようがないだろう。 たん生日のケーキほどなかったがそれよりも!それにもまして わたしの しあわせの一日としてあたえてくれた皆の心がうれしい。
きたない字 ではあるが今日から できるだけ 字を書きつづけたい。
つまり日記というものを書いてゆきたいのだよ! いつまで続くかが問だいである。 だいいいち 1回目からこのみだれきった字だからさ.....。
でもさあ 書こうと思った気になっただけでもほめてよ!
自分としてはめずらしいくらいにおもうんだからさ!あした学校だよ。
も中三だからガンバルゼ! まけるナ! くじけるナ!キョーコ!
昭和53年の5月某日ザ・ベストテンが放送を開始。ヤクルトが「ミルミル」を発売。キャンディーズが解散。サザンが「勝手にシンドバッド」でデビュー。
「字を書きつづけたい」と祈るように自分へ言い聞かす彼女。キョーコさんは強弱、波のある運命に翻弄されながらも、数冊の日記帳を社会人になるまで書き続ける。当然だが既に知っている僕は何とも奇妙な感覚に陥る。
「まけるナ! くじけるナ!キョーコ!」と自身を鼓舞する姿には、この先に訪れるだろう未来のあの瞬間を、既に悟っていたと考えるのは、深読みのし過ぎか。
満たされていた彼女の生活に何が起こり、身の回りの品を余さず残したまま、一家は去って行ったのか。見るも無残、絶望的な廃屋へと成り下がった、消失一家の謎。
彼女が辿るその先にある未来の行方・・・・・・
つづく…
「特別な、ファンシー曽が」 実録、廃屋に残された少女の日記.2
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コメント
コメント一覧 (36)
あきらさん。
ようこそ、辿り着いていただき、こちらこそ本当にありがとうございます。
この日記に幼馴染の面影をダブらせる。なるほど、亡き彼女の日記を読む機会があったり、あきらさんが九州とはいえ、衰退する石炭の街の様子を目の当たりにし、それはあたかもキョーコさんの北の大地の街の変容ぶりと似通っており、共感されるのも頷けます。5歳差なら日記に出てくる芸能人もお馴染みで、尚更でしょうね。
北の端の一少女の物語か、或いは、遠い記憶の奥の幼馴染か、想いを馳せつつご覧下さい。
貴殿のblogを検索し、此方にたどり着きました。
キョーコさん、私の5歳年上の御姉さんですね。
実は私には異性の幼馴染みがおりました。
過去形なのは彼女はもう居ないからです。
後日中学生~高校生の間の日記を読む機会があり、当時の幼馴染みの苦悩、恋心、嫉妬、憧憬等の様々な思いが綴られておりました。無論、私に関する記述も多々あり、あたかもタイムスリップし、当時の彼女が隣に居るかの様な、懐かしくも寂しい、甘酸っぱい、忘れかけていた想い出に浸る事が出来ました。
このキョーコさんの日記は幼馴染みの日記を彷彿とさせ、感涙モノです。私は九州住みなので旧産炭地の衰退する様を身を持って経験しています。昔は賑やかだった街から人が、店が消えて行きました。北の大地のほぼ同年代のキョーコさんの青春時代はどんなだったのでしょうね。北の大地は此方より厳しい環境だったのは予想に難くなく。まさに「頑張れ、キョーコさん」です。じっくり拝読させて頂きます。
キョーコさんの日記をblog化して頂き有り難う御座います。
三毛猫モジャ男さん。
どうも、こんにちは。
いつも、動画ともどもありがとうございます。
今はカイラスチャンネルとこのブログくらいしかやっていませんよ。たまに、レトロゲームをヤフオクで売ったりするぐらいで。動画をやると、撮影やら編集作業でやはりかかりっきりになってしまいますね。ブログだけをやっていた時、一回撮影をすると、そのネタで数ヶ月連載のように続けられることが出来ていた時代がとても懐かしいです。
カイラス君って動画の編集センスや合わせるBGMチョイスが凄いと感じて界隈をお邪魔してるんだけど、
ブログも読み込んでみるとその文章力や切り口、段取り、文章構成も凄いね。正直ビックリしちゃった。
実は表の顔は作家さん?正体を隠して活動してる?
検索ワード変更
もしかして:天才/鬼才
連絡帳人さん。
この記事まで、辿り着いていただき、ありがとうございました。
擬似的にですが、まさにタイムリープするような感覚がありますよね。
同世代ならではの共感。ノスタルジーなのか、既視感なのか。
記憶を辿るような面白さがあると思います。
>昭和五十三年頃は、ピンクレディの全盛期でした。
キョーコさんも踊っていた一節がありました。いつか見た情景が、日々綴られていくリアルさ。キョーコさんも、ディスコとかいくのかな。そもそも、ディスコが地元にあったのか。
>ほとんどの(内地では)家庭では、すでに当たり前
経済格差でしょうか。姉のお下がりの白黒テレビを貰って喜んでましたからね。そういえば、お金のことで親に不平を言っていないので、出来た子なのかなと。
>日記の〆の合言葉。何かキョーコちゃんの背景に、“負けられぬ何か”を感じました。
負けそうな状況、もしくは負けているからこそ、その言葉で奮起していた。口には出さないものの、両親の不仲、貧困、などかな。なるほどなと、大変興味深い考察でした。
ブログ検索していたら、たまたま発見して、以来読ませて頂いております。
こんにちは。連絡帳人と言います。この「キョーコちゃんの日記」ですが、
ある意味、昭和考古学的な面白さがあります。場所は違えども同時代を
生きた者として文章に触発され、色々と思い出す出来事も多く、何故か
懐かしい感じすらします。これはノスタルジーと言うべきなのか。
昭和五十三年頃は、ピンクレディの全盛期でした。UFOとかの楽曲を
女の子が振り付けを真似て踊っていましたね。キャンディーズが解散コンサート、
普通の女のコに戻った年でもある。あと、ディスコブームもありましたね。
驚いたのは、昭和五十三年時点で「初めてのカラーテレビ」という記述で、
ほとんどの(内地では)家庭では、すでに当たり前だったと思います。
あと気になったのは『まけるな!くじけるな!Let's go!』といった
日記の〆の合言葉。何かキョーコちゃんの背景に、“負けられぬ何か”を感じました。
Kailas様
私の長文をお読まれになり、
ご返信までくださるとは、大袈裟ではなく、感無量です!
というのも、コメントを見た自分に、
大きな安堵の気持ちがあるからです。
私自身、心に抱える葛藤を、(失礼ながら)同じ意志を持つ方に、
聴いていただきたかったのでしょう。
北の廃屋からの日記、峠のお宿の交換日記の
クラウド完全保存、公開の日を願うと共に、
決して楽ではない、Kailas様の日々の活動を、
陰ながら応援させていただきます。
それでは、失礼します。
ある遺品整理士さん。
しっかりと読ませていただきました。そういったご職業の方も読まれていることに驚きましたが、現場で見つかる日記や写真を残したい、という葛藤と闘っているとは。
僕なりの立場と視点で、本来誰の目にも触れることのなかった元家主の想い、記録などを、発進していけたらと思っています。
某地方にて、残置物の処分と内装の解体を
生業としている者です。
大半が関係者健在の現場ですが、
月1件は残念な事情による現場があります。
現場はワンルームから戸建て、個人病院、
雑居ビル、事務所、工場、寺院、土場、旅館など
様々な方面からいただいております。
住居の残置物がメインですので、
手記の類、お写真、も出てきます。
冒頭から、自分の話ばかりで申し訳ありません。
なぜクダクダと生業の話をしているかというと、
Kailas様の熱意に感銘を受けたからです。
少女が全身全霊をかけて書き続けた日記。
それを何としても守り続けたい。
自然に帰したり、蛮族に蹂躪される事だけは、
絶対にあってはならない。
そして今、これからの時代において、後世に伝えるべきは、
歴史書や哲学書ではなく、ましてや芸能人や成功者の話、
書籍である訳もなく、名もなき隣人の手記、肉筆なのだと思います。
公開前提では決して出てこない、ナマの軌跡なのだと思います。
青春全開な日記、女性に貢いだ男の怨み節、社畜のボヤキ、
家出した奥様の手記、薬物中毒者のノートなど、
数えきれない隣人の肉筆に、関わってきました。
でも私は、それを保存できない。公開などもってのほか。
これは後世のために、遺すべきなのに、できない。
殆どの個人現場は、処分場までご依頼主の同席、または、
ビデオにて保存提出後、即削除となるため、歯痒い限りです。
でもあなたならできる。できている。
長くなりましたが、そういう輩が、
あなたを応援している、というコメントです。
勿論ご返信は結構です。
そのお時間を、編集、公開、保存、維持、休憩に
お当てください。
今日もこのブログ、動画が存在している。
それこそが最高のご返信ですので。
しょうさん。
お気に留めていただき誠にありがとうございます。
少女の揺れ動く恋心、多感な時代の成長が描かれていると思います。他の記事も読んでいただけたら幸いです。廃墟の器というより、その場での人の営みにフォーカスしています。引き続き、よろしくお願い致します。
今からじっくり1話目から読ませて頂きます。先が気になる…読み終わったら他の記事も読んで行こうと思います。楽しみです。
のりさんからその呼び方をされると、変にかしこまってしまいます。
誕生日を祝ってもらえた喜び、ブラをプレゼントされて、大人の仲間入りを果たしたような高揚感、行間に滲み出てます。
>きっと姉である史之舞さんのお下がりが多かったからではないでしょうか?
こころざしと姉の地位を引き継ぐ姉妹の矜持みたいなのを感じたのかも。キョーコさんの感極まった文章、昨日のことのように思い出します。
>僕も、こういう気持ちを大切にしたいなと自分に言い聞かせています。
若かりし日の汚れのない心、思い出して初心に戻れと、僕も言い聞かしてます。自分を見つめ直すのにも、この日記シリーズは最適ですね。
>負けるな!くじけるな!途中から書かなくなりましたが、このフレーズも大好きです。
自分を奮い立たさる、魂の叫びのようなものを感じます。孤独に、日々立ち上がっていたのだなと。
>それから…例の件なかなか更新出来ずにすみません。
僕の方こそ決してハイペースとは言えないので、のりさんのペースで更新して下さい。都度成長に思いを馳せながら感じていきたいと思います。
改めて初めから読み直しています(*^_^*)
この最初の日記が一番好きですね♪
次いで82話の「常軌を逸した人格攻撃」ですかね(笑)
キョーコさん、誕生日プレゼントでこれ程喜ぶのは、きっと姉である史之舞さんのお下がりが
多かったからではないでしょうか?
自分の為に買ってもらったプレゼントを、さぞや大切にした事でしょう。
僕も、こういう気持ちを大切にしたいなと自分に言い聞かせています。
負けるな!くじけるな!途中から書かなくなりましたが、このフレーズも大好きです。
それから…例の件なかなか更新出来ずにすみません。
まだまだ時間はありそうなので気長に行こうと思います。
こちらこそ、はじめまして。
僕はどちらかというと、かつてあった人の息遣いを重きに置いているので、そこらへんを読み取っていただけていると、報われているような気がします。
>中でもキョーコさんの日々の記録は、いまや自分の生き甲斐と言っても過言でないくらいに夢中です。
そこまで言われると、ブログを業者に売ったり、できませんね。頑張ってみます。
僕は近接の日記を読んで更新するのが精一杯なので、後先のことは漠然としか考えていないです。どうなるのかなと。
まぁ、どこかで元気にやっていることでしょうね。僕の友達で、初期の頃からフェイスブックをやっていて、突如、アカウントを削除して音信不通になった人がいましたが、数年後、地元に帰っていたことが判明しました。本人はそう深刻に考えないで、他の土地に移ったりしているものなのでしょう。
はじめまして。
半年前にこちらのサイトにたどり着いてからというもの、さまざまな廃墟と、廃墟がまだ輝きと希望に満ちていた時代の、そこに生きる人たちの想いに、深い感動を覚えるばかりです。
中でもキョーコさんの日々の記録は、いまや自分の生き甲斐と言っても過言でないくらいに夢中です。
元記事にある日記の断片から判断するに、まだあと数年は続くのでしょう。キョーコさんの日記生活の結末、最後の日の日記を読むのが恐ろしくもあります。
カイラス様はもちろん結末をご存知なのですよね?
自分は、キョーコさんとそのご家族の多幸を祈るばかりです。あの廃墟が、不幸の終点ではなく、幸福の残滓であってほしいと、願いながら、更新を待っています。
そういえば、キョーコさん、こんなこと出だしで言っていたんですね。
>この日記と出逢ったカイラスさんに他ならないでしょう。
散々僕が勿体ぶって言い続けている、日記を持って来てしまったある理由に、繋がっているような気がします。掛け値なく、えええええぇえっ!と、なると思うのですが、その到来が・・・、僕にもどの辺かよくわかりません。
誰に訴えたかったのか?
この日記と出逢ったカイラスさんに他ならないでしょう。
誰にも褒められず、土に還るよりは良かったと思います。
もしや、このブログの記念すべき初コメンター、あのホレおばさんですか?
このブログもあの頃がら随分大きくなり、大層な所まで来ていますよ。動画サイト全盛の今、アクセス数を誇示するのもなんですが、先日、400万アクセスに達しました。最近も、業者から、ブログを売ってくれという、メールが来るようになったぐらいです。もし売ったら、二日後に僕による更新が終了し、クライアントに引き渡すとか書いてあるのですが、廃墟ブログなんて、採算が取れるのでしょうかね?日記コーナーなんて、原本は僕が持っているし。
何かホレおばさんの琴線に触れたので、僕のブログにコメントをくれたのですよね。その読みは正しかったのではないでしょうか。
本人ではなくて冷やかしでもかまいませんが、あの時、全てが始まったのだと、代わりにでも、お礼を申しておきます。
僕がこのブログを始めてから数ヶ月ぐらいしてから、グリュック王国の記事に「ホレおばさん」という名前の人が最初に、コメントをくれました。
クセのある内容のブログ記事にたいして、その人もどういったアプローチをして良いのか迷ったらしく、書かれたコメントは、質問するでもなく、自己完結するような、でも感想というのでもなく、戸惑いが感じられる内容でした。たぶん、僕の出方が見当もつかず、コメントを放置されることを考慮して、そのような書き方になったのだと思います。
初のコメントに僕はいたく感激したのですが、どう接していいのやら見当もつかず、迷いに迷っている間に時間は過ぎていき、結局、コメントに返答する機会を逸してしまいした。
せっかく、得体の知れない男に接してくれたのに、形的には無視をしてしまい、大変申し訳なく、とても悔やまれた出来事でした。
それで、二度と同様の過ちを繰り返さないためにも、心を入れ替えて、積極的にコメントには返答をすることにしました。
そうるすことで、感想や情報を多く得られることにもなり、ブログの内容に反映することができて、今では相乗効果生まれ、記事作りに大変役立っています。
>こういった企業や役所が絡まない調査は本当に貴重です
歴史に関するデータの羅列や、たんに画像を無言で貼り付けるのではなく、後発ブログゆえ、今までの廃墟ブログになかったような、人情にスポットを当て、細密に調べることで違いを見出だせないかと、思案した結果でもあります。
旭川ですか。いいですね。また北海道には足を運ばなければならないと思っています。いろいろな障壁が私的にありますが、とりあえず、車のタイヤを変えるところから始めます。
それにしてもこの日記にしても廃墟巡りにしても非常に興味深いです。
僕も車で郊外を走っているときに、ふと何十年も放置されたような崩れかかった空き家を見つけ
興味がそそられる事がしばしばあったのですが、それだけのことでした。
土足じゃ他人の家に入れません。
好奇心と少しばかりの強引さと、礼儀をお持ちの方が正直少し羨ましいです...
自費と時間をかけて集めた情報を一般人にもシェアして頂き、感謝します
こういった企業や役所が絡まない調査は本当に貴重です。
しかしそれにもましてマクシミリアン増大法のような
関係のないコメントが時折現れるのも面白いです
それはともかくこの一家は今では間違いなく家族全員平穏無事に暮らしていると思いますよ。
来週帰りますので、旭川に寄ったら家にお立ち寄りください。
セキスイハウスの家が目印です
お返事ありがとうございました。
これからも楽しみに拝見させていただきます。
どうもはじめまして。
家族の足跡とかですが、あまり嗅ぎ回るのも申し訳ない感じがしまして(日記を持ち去っておきながら・・・)、日記内で語られる文言より詮索していくという形をとることにしています。
場所ですが、ブログの記事や寄せられたコメント欄を読んでいくとわかるようになっています。僕からは気が引けるので直接は示しませんが、かといって言論・情報封殺のようでは息苦しいので、そのようにしています。
「廃屋に残された少女の日記」非常に興味深く拝見しています。
少しお聞ききしたい事があります。
答えられる範囲でいいので、回答いただけないでしょうか?
Q1 残留物の中に年代を特定出来る物(カレンダーや新聞)等は無かったのでしょうか?
そういった物が見つかれば、一家が家を去った時期が特定出来るかと思うのですが。
Q2 ブログ主さんが日記を見つけた廃屋というのは北海道のどの辺りにあるのでしょうか?
行くつもりは無いのですが、無性に気になって。。。
お褒めの言葉、ありがとうございます。励みになります。
一旦は闇にでも葬り去られた一(いち)少女の日記ですが、あるきっかけで拾われて、過去と、今と未来が次第にリンク(人や物)されていく・・・みたいな感じで書き進めています。まっぴーさんのような方がコメントを寄せてくれるのも、その一環ではないかと思っています。
>人名はともかく、地名や学校名はせめてイニシャルだったらなあ、と
これには僕も「過剰なのでは」いう部分が多々あると感じているので、追々修正していく予定です。
これまでも、非常に見事な文章力と文学的なセンスに感心しておりましたが、今回の「廃屋に残された少女の日記」シリーズは、題材が実際の日記ということもあり、出色の出来映えの傑作だと思います。すっかりファンになり、更新を心待ちにするようになりました。
私は北海道在住で、日記の「キョーコさん」と近い年代なので、彼女の住む(だいたいの)地域や,実名で登場する店などについては概ね見当が付きますが、地名や人名が仮名となっていることだけが残念でなりません。
人名はともかく、地名や学校名はせめてイニシャルだったらなあ、と儚い思いを抱きながら想像を巡らせております。
今後の展開に期待しております。
読み返してまで頂いているなんて実に光栄です。
>字の変化もあり
何か学校の行事があったりすると、一旦かしこまって字が整うようなのですが、しばらくすると乱れていくような傾向もあるようです。
エンディングまではまだかかりそうですが、引き続きよろしくお願いします。
久しぶりにオープニングを眺めていたら、字の変化もありかなり懐かしく感じました。更新楽しみにしてます!!
このシリーズの最後がコナンのエンディング並みに気になります。。。
お読み頂きありがとうございます。
僕も全ての内容を読んだわけではないので、まだ手探りのような状態です。
これからもご愛読、よろしくお願いします。
何故か懐かしくて泣けてきました。
続きを楽しみにしています。
お越しいただきありがとうございます。
>事実は小説よりも奇なりですか?続きというか結末が気になってしょうがないです。
どこまで触れてよいのか、偶然過ぎるとはいえ、自分の身に降りかかる部分もあり、かなり迷いながら書き進めることになりそうです。
これからもどうかよろしくお願いします。
これからも楽しみにしています。
結構な初期の頃からのご愛読、ありがとうございます。
羽幌の炭住アパートでチラシの裏に記した母親の伝言を見つけたあたりから、廃墟に眠る、人の営みの痕跡を辿るようなことに、興味を持つようになりました。
この日記ですが、世に出すことに迷いもあったのですが、ビシャスさんをはじめ、後押しをしてくれる人がいるようなので、心強いです。この先、蛍光ペンだらけで退色して判別が難しいページや、心苦しくなるような展開があるのですが、やんわりと彼女の足跡を追ってみたいと思います。
ブログ主さんの、廃墟での想像力、対象物へ向ける深い慈悲…のような慈愛…のようなものに、いつも心うたれます。
僕が廃墟をめぐっていたときは、主に建造物の造形を見る、といったかんじで、外側から眺めるのがほとんどでした。
今は、自由に遠出もできず、昔より臆病になって、廃墟巡りは困難になってしまいました。
これからも、読ませていただきます!
これが最近のだったら流石にためらいますが、昭和53年ですからね。数年間にも及ぶ、人生で一番輝いている時の日記帳が、そのままの状態だと、確実に北海道の土に埋もれてしまうのは無念でしょうがないと思いました。
洒落じゃなくて。マジで保存しておいてあげてよかったと思います。
私でもその思い出だけは守ってあげたいと思います。
切なし。。。