日記 最初
 北海道で廃墟巡りをしていた時のこと。

 目的地へとカーナビを頼りに車で進んで行く。ナビ画面上の行先の方角を示す赤い線によれば、次の小道を入れば大幅な近道になる。

 ためらわず、幹線道路より、狭隘な農道らしき道へと入る。

 途中までは、所々地面が剥き出しで状態が悪いもののアスファルト道路ではあったが、次第に完全な砂利道となっていった。周囲は野原か、耕作放棄地なのか、とにかく、町も人家も無い、寂しい光景の草原がただ続くのみ   


 僕はいわゆる、女性に多いと言われる、地図が読めない脳、空間認識能力が著しく欠如している人間である。だからそれを補うべく、文明の利器でである「カーナビ」は、初期の段階から積極的に導入してきた。

 例えば、バイク用のナビ。昨今では、誰しもが当たり前のようにスマホナビやポータブルナビ等を活用しているが、僕が初めてバイクにナビを搭載した頃は、車のドライバーからよく二度見されたものだった。

 地図が読めない人間にとっては、車よりむしろバイク用のナビが必然であるのは、言うまでもない。道に迷い詳細な地図で確認しようとしても、いちいちバイクから降りなければならないのは、苦痛以外のなにものでもない。

 パイオニアの据え置き型をバイクに載せようとまでは思わなかったが、今はなきサンヨーが開発をしたポータブルナビ「ゴリラ」が発売された時は、「よくぞ出してくれた。これで首都高も迷わない!」と発売日に飛びつき、バイク用に転用することを目論んだ。

 が、CDROMを使用しているため、振動にとても弱いのと、当初メーカー側が、バイクに使われると想定していなかったので、バイクの乗車ポジションから見やすい位置にナビを固定するのが大変難儀だったのだ。

 肝は設置と振動対策。

 バイクへの設置当初のアイデアとしては、まず、ウェストバッグのチャックを開きそこに画面が見えるようにナビ本体を入れる。それから、ウェストバッグのトベルトを両方のバックミラーに引っ掛ける。これで、ナビ本体はハンドルと平行してぶら下がった状態になる。ナビ画面の位置はスピードメーターの真上辺りに来るから視認性も良い。

 振動対策と設置、素早い取り外し、全ての面で理想的だと思われたが、バイクの不規則な揺れにより振動に反動が加わってしまい、ウェストバッグに収まったナビが目の前でグルグルと高速回転してしまう事態になった。しかも、回り切ると更に勢い良く逆回転・・・ の繰り返し。遠心力が加わっていたので、飛び出すことはなかったが、結局ウェストバッグ案はたったの2回の使用で打ち切った。

 それからは試行錯誤を繰り返し、最終的には、金具を使用したブリッジを作り、メーター上に鉄製の円柱棒を通す。そこへ自転車のハンドル部にも使用されるカメラネジが付いたクランプ・マウントを噛ませ、ゴリラ・ナビを設置。振動対策として、隅々に、スポンジを巻いて、ナビ本体を浮遊状態へ近い形に持っていった。

 視点の高さも考慮するため、それ用の特別な金具は近場のホームセンターでは見つからず、ネットで送料まで払って取り寄せるなどしたが、自作で作成した僕のナビマウントは、既成品に比肩するものは無いし、素人がネットで公開しているのどんな手作りナビマウントより、完成度の高い作品となった。

 そんな苦労の歴史があるからこそ、カーナビを人一倍利用し、慈しみさえ覚えるわけだが、車での廃墟探索をするうえでも、それは革命をもたらしてくれた。

 ナビが示す目的地方向の赤線を辿り、最短距離を進むべく、フロンティア精神溢れる僕は、どんな小道にも挑み突き進んでやろうとアグレッシブになる。

 その功罪、報いとしてもたらされるのが、まだ見ぬ「廃墟・廃屋」のご褒美。

 当ブログで紹介済みのものや、まだ未紹介のものを含め、メディア上で未開拓であった数多くの廃物件の発掘に、カーナビは寄与してくれた。

【廃 屋】

【街角、廃アパート漁り~東京】


 【街角、廃アパート漁り~東京】のカテゴリでは、自転車によるナビ走行に於いて、件(くだん)の”見知らぬ道の近道最短走行”をした結果、うす気味の悪い”大型廃アパート”との遭遇に成功している。

 下手に道を知っていたり、要領よく地図が読めると、高速道路や幹線道路ばかりを手際よく使用してしまい、得たいの知れない道を、リスクを冒してまで通ろうとはしないだろう。

 ただ、それは実際、諸刃の剣である。北海道の山の中の林道を数時間走行し、あともう少しで出口だと思ったら、チェーンが張ってあったなんてことがあり、泣く泣く引き返したことが何度かある。それが許容される、暇人ということも、重要なファクターになる。


   画面上の赤い誘導線に引き寄せられるように、北海道の山中、人里の存在しないような風景を進む。起伏のある砂利道に、時折道路上にしなだれる木々の枝。密接する草木は僕の車へ次から次へと擦過痕を刻んでいく。

 突如出現をしたのが、一軒の廃屋。周囲には何も無い、取り残されたようにたたずむ、崩れかけの家。土地や建物の権利者という概念さえ取り払われたかのような放置状態。

 どうにかして形をとどめてはいるが、本気で蹴りを15発ぐらい入れたら、一気に崩れ落ちそうな、木造の古い家屋。もう僕からしたら珍しいことではないのだが、室内には家電製品やら日用品、手紙や書籍類まで、おそらく数十年の時を経て、そのままにしてある。

 僕は黒ずんだカーペットの上にあった一冊の日記帳を手に取った。

 ざっくりと目を通した結果、思春期に差し掛かかろうかという、ある少女の日記であることが判明。

 部屋は雨水風雪による自然破壊、侵入者の行為と思(おぼ)しき、物品が氾濫。天井は一部が崩壊。壁には雨漏りの染み。床も所々が腐食して欠損。一冊の日記帳がほぼ無傷であったことは奇跡に近い。

 驚くべきことは、日記の内容だった。ありえない確率。偶然。シンクロニシティ   

 何れ明かさねばならない時が来るだろうが、とりあえず今の段階では伏せておくが、北海道の山の中で忽然と現れた廃屋に置かれていた一冊の日記、僕が読むことは必然だったのかと思わせる、ある記述。不気味さもあったが好奇心はそれ以上あったということで、その場で一気に、読み通してしまった。

 同時に、「この日記、誰かに奪われてしまわないだろうか?」という、ともすれば、変質的とも思える考えも込み上げてきた。

 僕がこのまま日記を元に戻すとする。頭上の天井の裂け目からは次第に雨水が垂れ落ちてくる。ハードカバーの日記帳には多少の撥水効果はあるかもしれないが、横たわり接地面でもあるカーペットは確実に水分を含んでいき、しまいには黴だらけになるだろう。やがて日記のカバー部分にも水が浸透をして、カビ繁殖の土壌づくりが促進されることになるのは明白。

 そうなったら、一気に日記帳は腐ってしまう。あるいは、床が抜け落ちて、瓦礫とともに藻屑となる可能性も大。

 自然に朽ち行く前に、傍若無人の侵入者によって、内容など検証もされしないで、ビリビリに引き裂かれ抹殺されてしまうおそれも大いに有り得る。

 名も知れず、人里離れたうら寂しい地で育った一人の少女の青春時代の弾けるような甘酸っぱい活力のみなぎりが収録された、一冊の記録日誌。「無碍に放棄しても良いのか」という方向性で僕は捉えることにして、一時保管であると自分に言い聞かせ、罪の意識を多少感じながらも、懐へとおさめることにした。

「保護しなければ、未来永劫、彼女の記録はこの世から一切合切消えてしまうのだ」

 良心への妥協案として、来年もまたこの地へ訪れることにしよう。その時、建物の状態を精査して、あと数年は持ちこたえそうなら、この日記帳は元に戻す。書いた本人が万が一にも、数十年ぶりに取りに来る可能性もあるのだから。そして、また保管目的で訪問すればいい。建物が崩壊をするまで、それを繰り返す。消失・紛失リスクは多少減る。僕は彼女から暫定一時保管を委ねられているようなものなのだ。

   僕は本当に実行をした。一年後、律儀にも懐に日記をしのばせ、再訪をしたのである。

 しかも、前年には確認をしていなかった勉強机の引き出しがどうしようもなく気になりだして覗いてみたところ、更に数冊のハードカバーの日記帳を捕獲。加えて、本格的な日記の前章ともいう位置付けと思われる、2冊の日記ノートまで、発掘するに至ったのだった。

 

日記 背表紙
 東京から北海道への車を利用した撮影旅行は、大げさに言うと、一財産突っ込むような感覚である。フェリー代に高速料金、ガソリン代、宿泊費。車中泊も毎日では疲れるので、ビジネスホテルに泊まったりする。自炊する時間は無いからセイコーマートで買う弁当の金などもかさむ。バックパックを背負って世界一周でもした方がよっぽど安い。

 彼女の青春時代の記録を保管し維持し続ける    その大義を果たすためとはいえ、金はいつまで続くかわからない。僕が多重債務者へと堕ちて行く可能性も十分にある。その前に体力が続くかどうか。

 再考をした結果、彼女が全身全霊書き溜めた思い出を、無駄に地に還らせないひとつの方法として、僕は、その記録を、ブログへと書き写すことにした。ただし、名前や地名は架空のものを用いることにして。

 これなら、クラウドとして、未来永劫、残り続ける。そのまま、あの廃屋へ置き去りにして、侵入者に燃やされるなんてこともない。


 これから公開をするのは、北海道の山の中、人里離れたとある一軒の家で家族とともに慎ましくも暮らした、名も無き中学生の少女自身が社会人になるまでを書き記した日記、廃屋に残されていた”日記帳”である。
 


日記 初日2
1978年(s53年) 5月XX日 X曜日

今日は私の15回目のたん生日だった。そして今日ほど苦のない日を住ごしたこともないほどだった。私としても十分あまえていた日でもあった。そして十分に自分の気持をはっきした日でもあった ほんとに しあわせだ!
誤字脱字もそのままに表記します。

日記 最初
NOTEBOOK
この日記は、少女雑誌「なかよし」の付録と思われる薄いノートブックに書かれている。中学三年生でむかえた誕生日の区切りということもあり、日記を始めようかと考えたものの、続けられるかどうかの不安、本格的な日記帳の購入は中学生にとって高額の出費、という懸念事項がある。取り敢えず様子見で、付録のノートを用いて、肩慣らし的にスタートをさせたのかもしれない。

これ以上のわがままはないと思う。そして今日ほどたん生日としてたのしんでうれしかったことはない。心だけでもうれしかった。時計、はだ着、くつ、などのそれほどのものを この私の”たん生日”に買ってもらったことがあっただろうか? そう思うとほんとうにうれしい日だったとしか言いようがないだろう。 たん生日のケーキほどなかったがそれよりも!それにもまして わたしの しあわせの一日としてあたえてくれた皆の心がうれしい。

きたない字 ではあるが今日から できるだけ 字を書きつづけたい。
つまり日記というものを書いてゆきたいのだよ! いつまで続くかが問だいである。 だいいいち 1回目からこのみだれきった字だからさ.....。
でもさあ 書こうと思った気になっただけでもほめてよ!
自分としてはめずらしいくらいにおもうんだからさ!あした学校だよ。
も中三だからガンバルゼ!   まけるナ! くじけるナ!キョーコ!
 
昭和53年の5月某日
ザ・ベストテンが放送を開始。ヤクルトが「ミルミル」を発売。キャンディーズが解散。サザンが「勝手にシンドバッド」でデビュー。

「字を書きつづけたい」と祈るように自分へ言い聞かす彼女。キョーコさんは強弱、波のある運命に翻弄されながらも、数冊の日記帳を社会人になるまで書き続ける。当然だが既に知っている僕は何とも奇妙な感覚に陥る。

「まけるナ! くじけるナ!キョーコ!」と自身を鼓舞する姿には、この先に訪れるだろう未来のあの瞬間を、既に悟っていたと考えるのは、深読みのし過ぎか。

 満たされていた彼女の生活に何が起こり、身の回りの品を余さず残したまま、一家は去って行ったのか。見るも無残、絶望的な廃屋へと成り下がった、消失一家の謎。

彼女が辿るその先にある未来の行方・・・・・・
 

つづく… 

「特別な、ファンシー曽が」 実録、廃屋に残された少女の日記.2