石階段 正面 別記事の「エリア8マンション」と同じ情報提供者よる廃物件を訪ねる。

 彼からのメールによると、深い森の中の坂を登って行った途中、急峻な石段の上にある、コテージ風木造家屋だとか。更に坂を登ったところにも、もう一軒。登り切った上にも、「売出し中」の看板がかけられた、比較的新しい屋敷の廃屋が2軒存在するとのこと。

 個人的にこの付近には土地勘が全く無く、彼より情報を得なければ、一生、この「下落合」という土地には足を踏み入れることは無かった。

 下落合に対する僕の持っている最大限の情報、知識と言えば、頭の片隅に僅かにこれがあったぐらいのものだった。

 この映画自体かすかにおぼえていて知っていたということだけで、作品はみたことがなかった。ツタヤへ行ってわざわざ探すとまではいかないまでも、アマゾンプライムビデオあたりにリストが加わったら、どうにか鑑賞ぐらいはしてみたいと思う。

 情報提供者である”サブ”さんには、廃墟探索の裾野を広げさせてもらったということで、改めてお礼を申し上げます。

 かの、廃墟「エリア8マンション」から近いということもあり、真夏日の中、滴る汗を拭いつつ、颯爽と、向かってみることにした。
 


下落合廃屋 小道
 西武新宿線の「下落合駅」から徒歩でそれほど遠くない距離にある「野鳥の森公園」。緑の木々で覆い尽くされた森、その横の側道。ここを登って行けばお目当ての廃物件があるらしい。

 ここで、右顔面側部にただならぬ気を感じる。



下落合廃屋 モルタル
 そちらへと振り向けば    森より出手しはモルタル造りの巨大な老朽化したアパート、か。

 廃物件情報提供者からの報告が無かったことからもわかる通り、人の気配がある。廃墟・廃屋ではない。が、尋常ではない”存在感”を、交錯する樹木の間隙より、こちらへと放ってくる。事実、僕の前に立っていた女子小学生の高学年と思われる少女が、おもむろにスマホを取り出し、写真をバシバシと撮りだした。

 彼女に郷愁に浸るような懐古「廃墟趣味」があるはずもないと思うが、それでも、少女をして、ともすれば単なる”ボロアパート”を、写真に納めようかと突き動かす衝動にともなうこのモルタル建屋の侘びしい存在感たるや・・・

 写真を数枚撮って満足した彼女が立去ったのを見届け、僕はこの森へと踏み出して、その正体を探ってやろうと思った。



下落合廃屋 ハウス
 廃墟然としている趣を保ちながらも、想像以上に宅内に人の所在があった。これは、間違っても、立ち入ってはいけないケース。犯罪になる。

 北海道では車を運転しながら、廃屋然とした建物を目ざとく発見すると、飛び込みで入ってしまうことがよくある。中が昭和の時代で封印されたようなタイムカプセルのような家だったりすると「凄いの釣り上げた!」と一人興奮するのだが、まれに、入ってはみたもののあまりにも整頓され人の気配を感じさせる家の場合がある。当然、猛然と逃げる態勢になるのだが、幸いにも、完全な勘違いを犯したことは今のところない。

 玄関を上がったあたりで嗅ぎ取る、極度の緊張状態が誘引する、誤った自分の触感、あの、人いきれを確かに知覚したようで幻覚とも感ずる戸惑い     廃か在かと逡巡し身震いして判明するまでの束の間の昂ぶり。

 この建物の正式名は「ライト ハウス イングリッシュスクール」。全体が英語教室のようだが、調べてみても、どのような経緯でこのような形態でおこなわれているのか、詳細はつかめなかった。



下落合廃屋 坂上
 「ライトハウス・イングリッシュスクール」を後にして、坂を登っていくと   



下落合廃屋 間家
 二段の層の更にその上、崖に築かれた、洋風コテージ風の廃屋を確認する。

 情報提供者が言うには、ここより少し坂の上にもう一軒あるとのこと。



廃屋2軒 木造
 その通りにあった。

 鉄製のフェンスで囲まれて、建物は木製の雨戸で閉じられている。近寄ることもできず、これ以上の探索は不可能と判断。

 事前の情報通り、坂を登り切った上にも、もう2軒の廃屋があったが、比較的新しい建物だった。しかも、並びの大邸宅に業者が入り工事をやっていて、カメラをぶら下げてウロウロと撮影したり徘徊できるような雰囲気ではなかった。工事作業員の横を通るたびに、睨まれているような感じがしたのだ。

 観光地でもない一般の住宅街の中を、カメラを持って歩く暇人の僕に対して、高級住宅の工事を請け負う職人さんが警戒をしてくるのもわかるような気がする。

 まあ、休日なので、暇人かどうかという定義は置いておいて、寛容的になり豊かな心で事を荒立てないことも、都内を探索するうえでの、重要な要素となってくるのではないだろうか。



石階段 正面2
 察した僕は素直に引き返し、坂を下り再び、石段の前にやって来た。

 険しい傾斜の石段だ。山の上、崖の上に、別荘のようなコテージ風の建物というのは、欧米思想の裕福な資産家の発想。

 日本だと駅に近いほど住宅価格が高いが、アメリカに行くと、都市設計の違いがあるものの、住宅街の”これでもか”という丘や山の上に、競って金持ちが家を建てている。



石階段 正面3
 息を切らすぐらいの角度の石段を登る。玄関の木戸は、永久に封印されているかのような跡が見受けられる。

 つまり・・・



石階段 ブロック塀
 こういうことになる。左が閉ざされた玄関の木戸。

 僕は今、境界線に於いて、不安定な状態で、とどまっているような格好だ。右手でカメラを握りつつシャッターを切る。左手で岩を掴み身体をなんとか固定させるている。

 もし、左手を離そうものなら、後方へと落下をして後頭部を石段に激しく打ち付けて即死するかもしれない。

 軽やかに浮かせるように、腰に楕円状の回転運動を起こし・・・



石階段 壁中
 おわかりいただけただろうか   

スペイン風に言えば、パティオへと到達した。我ながら、東京の街中でやるようなことではないのではないかとも思う。

 崖上にあったのは、地上3階建てを誇る、軽井沢別荘風、欧風スタイルの木造建築の住宅。それぞれの窓には違う柄のカーテンが用意され、中を窺い知ることが出来ないようにしてある。窓ガラスの表面をじっくり観察すれば、その汚れのこびりつきで、この家が長期放置されたままであるということが確認できる。

 一家の存在を完全否定するかのように、地面は夥しい落ち葉で埋め尽くされていた。

 富裕層向けとも思われる、これほどの豪邸がいつしか廃屋となり、崖の上で人知れず、ひっそりと余生を送っていたのだ。



石階段 倉庫
 庭から視線を上げると、1階の部分に蔵のような空間。倉庫だろうか。横の扉はびくともしない。



石階段 側面
 庭は猫の額ほどの狭さで大変窮屈。こんなものなのかと肩透かしを食う。何気に大きく右に振り返ってみると、胸の高さほどの石垣を組んだ壁があった。

 この先になにかありそうだ。

 石垣に足をかけて登ってみた。

 すると、想像もしなかった、眼前に更なる大きなもうひとつの森がひらけていた。その森の中央部分に慎ましそうに佇む、落ち葉に埋もれそうな一軒の家があった。

 洋風コテージ風廃屋に狭小な庭。そこの石垣を登った上にまた森。加えて出現したのが、2階建ての古そうな和風木造家屋。まるで絵本のような光景である。

「また、廃屋一丁いただきか!?」 廃墟探索者として、突撃態勢を整えようか整えまいかの、その刹那    それは旧式の日本家屋なので、1階部分に縁側があるのだが、そのガラス戸から漏れるテレビの映像の明滅が鮮明に確認できてしまった。

『人がいるじゃないか!』

 撮るものもとりあえず、脱兎のごとく、更なる森の先にあった家を後にした。中の人にこちらを見られたかどうか。

 地図で予め確認をしていたのだが、崖上廃屋の奥付近には大型のマンションが控えているのは知っていた。ただ、地図上に崖上廃屋の記載は無く、森の側道と崖上のスペース、マンションとの境界線は曖昧な表記がされていた。崖上の廃屋に裏側からアプローチ出来ないだろうかと、マンション側にも行ってみたが、マンションが壁となっていて、その先(崖上廃屋)へは行けそうもなかった。

 近所をぐるりと一周してみたが、どこも行き止まりで、崖上廃屋の裏の森にアプローチできるような道は存在しなかった。

 崖上廃屋と大規模マンションの間に広大な空間が存在していて、驚くことにそこには、日本昔話に出てくるような、森があり所在なさ気にたった一軒だけ家があり人が住んでいたとは・・・

 ここで当然、ひとつの疑問が生じてくる。

 大きな森の小さいお家の住人は、どこから外界へと出入りしているのかと。

 考えられるのが、坂の上にあった大豪邸の存在。あの家の庭が坂道の裏側一帯を沿うようにして崖上廃屋裏まで来ているのではないだろうか。なんなら、並びにあるこれらの廃屋の数々は、豪邸の主人の所有の物ではないのか。近所では名だたる資産家ではあるものの、近年の不況により、手持ちの不動産が不良債権化(廃屋・廃墟)してしまったとか。建て直したくとも、資金難で自分の家の改築が精一杯。他には手が回らない。よって、「野鳥の森公園」横の側道に、廃墟銀座通りが出現してしまったと。

 ちなみに、逃げるようにして慌てて石段を降りて側道にて胸を撫で下ろしていたところ、坂の上の豪邸で工事作業をしていた職人が、険しい顔で上からやって来た。僕を睨んでいるような、いないような。

 もしかしたら、森の中の家でテレビをみていた人が、僕の存在に気が付き、「様子を見て来い!」と職人へ命令を下したのかもしれない。

 やって来た職人の顔を見ると、厳しい顔である反面、胸ぐらを掴んでまでという雰囲気ではなく、嫌々様子見を頼まれた、といった風だ。向こうからの積極的な物言いもなさそうだが、微妙な空間距離がとられていて、あともう少し狭まれば、何か言って来そうでもある。

 これ以上ここに滞在してこじれても大変なので、そそくさと逃げるように、崖の上の廃屋を惜しみつつも、下落合駅へと、顔は平静を装いながらも、尋常ではない速さの早歩き、ピッチ走法と競歩の中間というよりは、どちらかといえば、足が浮き気味のピッチ走法に限りなく近い速さ、でも、いい歳をした大人が町中で全速力走りでは恥ずかしいので、競歩的優雅さを保ちつつ、職人よりの追尾をどうにかかわし、這々の体で、目指すべき駅へと辿り着くことが出来たのだった。


 
終わり…