北朝鮮観光 鉄道
 中朝友誼橋を列車が通過し、無事北朝鮮入国を果たす。程なくして駅に停車をする。

 列車はすぐ動きそうもないので、寒風吹きすさぶ中、ホームに降りてみようと試みる。中国の国境から近い駅ということもあり、ホームの上には北朝鮮の兵士が等間隔に配置されている。列車のドアは手動式なので、自分で勝手に開けて、プラットホームに一瞬だけ降り、居並ぶ兵士の写真を捉えて、さっと引き上げればいい。

 コンパーメント内の北朝鮮ビジネスマン二人にも一応、デジカメを指さし、『いっちょ撮ってくるぜ』との意味合いを込めた目配せをしておいた。

 列車の扉を開けて、確実に氷点下はあろうかという厳しい寒さの中、ホームへ降り立った。

 兵士達に余計な詮索をされぬよう、『何の思想無い軽薄な一介の旅行者ですよ』とのアピールをするため薄笑いを浮かべながら、右手に握っていたデジカメを胸あたりに構えて、一番近くの兵士に向ける。

 すると、その兵士が猛然と7メートルはあった距離を進み出て来て、僕の真ん前に詰め寄る。そして、険しい顔つきで罵倒ではないかと思われる凄みのある口調で、なにやら物言いをしだす。当然、北朝鮮の言葉なので詳細は不明だが、「写真を撮ってもらっては困る」ということは”おぼろげ”にわかった。

 ある程度予想もされた展開でもあったが、それ以上に驚かされたのは、その兵士の風貌が見た目、どうみても中学生ぐらいだろうということ。下手をすれば小学校の高学年か。頬は寒さのため真っ赤だからなおさらそう見える。軍服姿からは想像もつかない、かなり幼い子供という印象を受けたのは確かだ。

 このまま子供兵士による、威圧的な警告のようでもあり、執拗なまでの説教めいた言い掛かりとも言えるだろう”口説”を、眼前で為す術もなくただ一方的に吐かれ受け続けるとする。そのうち上官に連絡が行く。駅にある詰め所にでも連行されて、聴取を受け、列車がそのまま出発したら・・・ 取り返しの付かないことになるのは明らかだ   

 バックパッカーとして、世界中を旅行してもう行き尽くしたと、最後に残っていたのが「北朝鮮民主主義人民共和国」という国。

 まだ内戦中だったカンボジアに行って、真昼なのに誰一人いないアンコールワットの光景を見たことがある。当時はレンタルのホンダ・カブが一人で乗り放題だったから、好き勝手に運転をして、ジャングルの奥地のまだ荒らされていない寺院を探索したりした。

 旧ユーゴの紛争中、ルーマニアから列車でセルビアの国境まで行き、入国管理官に掛け合った結果、「日本人が陸路でここを通るのは4年ぶりだ」との言葉を貰い、特別に入国。ルーマニアのブカレストの駅でセルビア・ベオグラード行きの列車チケットを買おうとしていた時には、後に並んでいたヨーロッパのバックパッカーから「おまえ、ミサイルで死ぬぞ!」と、真顔で忠告されたほどだった。

 セルビアとボスニアが内戦による空爆の被害で破壊の限りをし尽くされている、というのが、当時、日本の報道で知り得る情報のイメージだったが、実際行ってみると、セルビアから戦闘機が飛び立ち、戦地として空爆により被害を受けているのはボスニアの方だけだった。

 よって、セルビア国内は平和そのもの。ベオグラード市内はマクドナルドまで営業をしていた。ただ、当時世界中のマクドナルドでハンバーガーを食べたが、包み紙に文字や絵柄が無くて無地だったのは、セルビアでだされたものだけだった。戦争によるひっ迫した経済状態によるコストダウンの結果たったのだろうか。この無地のバーガーの包み紙は、その後、数年してから色々な国で見られるようになり、日本でも何時しか使用されるようになっていた。

 そのようなこともあり、”熟練バックパッカー”と自認をする上での驕り高ぶりがあったのか。まさか、真冬の北朝鮮、中国国境に近い、警備も厳しい、駅のプラットホーム上で、未成年の、中学生になるかならないかの子供から、いい歳をした大の大人が、一方的に罵りにも近い説教を受け続けるとは、思いもよらなかったのだ   

 更なる大恥をかくまえに、凍てつく寒さと羞恥心でより一層、その子供以上に顔を真っ赤にした僕は、『逃げるように』ではなく、本当に逃げ出すべく、尻尾を巻くようにして、用心のために予め少しの隙間を開けてあった列車の出入り口目指して、子供兵士に背を向けて、一目散に走りだした。正確には、速度的に走っているような素早さではあるが、モーションは緩やかにして徒歩のように見えている…はず。事を荒立てて事件が起きているような雰囲気に見られることのないような繊細な配慮、僕ができる最大限の子供兵士への”ささやか”な抵抗でもあった。

 背中には、完全に上位に立ったと本人も自覚しているだろう”子供兵士”の高圧的な叫び声が聞こえるが、無視を決め込んで、世界の危険地帯をくぐり抜けてきたと自負していたバックパッカーのプライドをズタズタにされながらも、なんとか、列車内へ戻ることに無事成功する。



北朝鮮観光 客
 中国国境から数時間。とある地方の駅。向かい側に停車中の北朝鮮の国内列車。恐ろしく老朽化した客車だ。窓ガラスが無いものもある。この寒さで窓無しでは、幼児などは耐えられるのだろうか。



北朝鮮観光 客車2
 真冬のマイナス温度の中を走る列車に窓が無いという過酷な現実。その状態を補うため、自分で持ち込んだ布を窓枠に張る人もいる。

 いくつかすれ違った列車の中には、黒色のゴミ袋で防風よけをしているのもあった。



北朝鮮観光 駅舎
 遠くに見える駅舎。中央に「金日成」の肖像画が掲げられている。

 日本だったら、下車印を押してもらったり、駅弁を買い求めたりするのだが、この国にはなさそうである。

 ちなみに、シベリア鉄道の途中駅では、時として屋根も無いような駅に停車をしたりするのだが、どこからともなく集まったロシア人のお婆ちゃん達が、自家製のピロシキや煮込みなどを地べたに並べて売っていた。列車内のレストランは、ボルシチと焼いた肉料理の2種類しかない。パンは酸っぱい黒パン。すぐ飽きるので、僕や同乗していたバックパッカー達も、ロシア人のお婆ちゃんが作った手料理を、駅に停まるごとに楽しみにして買い求めていた。



北朝鮮観光 駅員
 列車を見送った駅員。



北朝鮮観光 乗客
 北朝鮮の人民達。どれもカーキ色の服装なのは、軍人の団体なのだろうか。



北朝鮮観光 人民2
 こちらがリアルな北朝鮮の人民か。中国の地方都市の人達より地味な印象を受ける。



北朝鮮観光 列車内トイレ
 中国国内の長距離列車に比べれば、まだ清潔的ではある、列車内トイレ。

 中国人は、体内から分泌される液類に対して(自分のさえ)日本人が思う以上の、不浄さを感じている。あらゆるところに、唾や痰を吐きまくるのも、そのためだとか。小便や糞便も同様で、しかも人が排出した場所と同じ所にするのには激しい抵抗感を持つ。他人の体液に、小便やうんこなどを介して直に触れ合ってしまうような感覚に陥る、屈折した嫌悪感を持っているということが理由のようだ。

 そのためなのか、僕が上海から広州まで乗車した列車が遅れに遅れて、53時間もかかった時のこと。時間が経過するたびにトイレが”おぞましく”汚れていったのだ(便器のタイプは洋式ではない。日本と同様の物)。要は、他人のした所にするのが嫌なものだから、便器にせずに、わざわざ他人の液がまだ付着していないと思われる、床に直接ウンコをしてしまう。こぞって空いている床へとするから、50数時間後には、トイレの床面全体が筆舌に尽くし難い、足の踏み場もない糞便まみれになっていた。

 北京駅発平壤駅行きの列車は、客層もまた違うからなのか、そのような地獄絵図は見られなくて一安心だった。


 夜の7時過ぎ、列車は無事に平壤駅建物内にあるホームに入線。だが、駅構内は真っ暗で視界がほとんど無いも同然。照明が最小限に抑えられているためだ。事前の説明では通訳兼ガイドが迎えに来ているはずなのだが、とにかくホーム上にいる大勢の人の群れは確認できるが、顔は判別できない状況。

 闇の中の平壤駅に列車が完全停車。

 荷物を背負ってホームに降り立つ。辺りは騒がしく出迎えの人達などがたくさんいるようだが、薄暗くて影が蠢くような光景で、たった一人取り残されたような不安が襲ってくる。

 2歩目を踏み出した時、物腰の柔らかそうな日本語の声が聞こえてきた。それも2人からのようだった。

 

つづく…

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