エリア8マンション 表アップ
 不法投棄された物品類が山と積まれた建物の裏側から、新目白通りに接している正面へと回り込む。

 ベランダのスペースはほとんど無いため、クーラーは窓に埋め込む縦型のタイプを設置していた様子。一般的なエアコンだと、室外機はベランダの鉄柵に無理矢理固定するしかなく、やけにはみ出て不格好になっている。今にも落ちそうだ。震度6以上はどうみても耐えられそうになく、止め金具の錆による材質劣化が進行する前に、補強か取り外しが是非とも必要になってくるだろう。

 この狭いベランダでは洗濯物を干すこともままならず、大家が住人達のために屋上を開放して使わせていたとみてほぼ間違いないか。

 未だカーテンやレース、障子のある部屋もある。あの裏の惨状からみて、まさかこの段階で人が居座っているとは考えにくいが、登頂実行時には、決して音をたてぬよう、息を殺しながらのドアノブそろり回転チェックが重要となってくる。


エリア8マンション シャッター
 エリア8マンションの全景。

 この写真を撮ろうと、画角を「あーでもないこーでもない」と調整しつつ、ブレないようにするために息を止めて、シャッターボタンを押そうか押さまいかしていたその時、僕へ声が掛かる。それも男性二人から。

 今まさに撮ろうとしていたところなので、声の主にはすぐさま対応できず、三人の間でしばらくの沈黙が生まれる。僕が現在取込み中ということで彼等が立ち去ることを期待したが、どうやら何らかの思惑があるようで、そのまま待ち続けるようだ。

 シャッターボタンを押して一息ついてから、「すみません」と発しつつ彼等の方へ視線を向けた。そこには、二人してお揃いの黒いスラックスに白いワイシャツ姿。もう名乗られなくてもわかる、モルモン教の布教活動をしている人達だ。


 僕は数ヶ月間だが、カルフォルニアに住んだことがあり、ドライバーズライセンスを取得して車も所有していた。

 北米大陸の真ん中から左半分の有名どころの国立公園には自家用車を運転してほとんど行った。なぜ左半分かというと、東部の方は比較的交通網が発達をしていて、バスや列車で見て回ることができるが、街から街ならともかく、西はとにかく広大で、国立公園を要領よく訪れるには、車が必須となってくる。

 この世の果てのようなひたすらにただ真っ直ぐの道が地平線まで永遠と続いている、アメリカ西部の原風景のような光景が見られる、ユタ州へも行った。

 尋常ではない”直線”が見渡せるというのは、高低差が無くて坂による死角が生まれにくい盆地の必要がある。もちろん、巨大な空間、土地面積も。

 この、ありえない彼方へ続くような道、地平線は、結構ありそうでない。中国やチベット、ロシア然り、中南米やアフリカにもそう無い。

 サハラ砂漠なんかは一見ありそうにも思えるが、乗り合いランクル・トラックで実際横断したことがあるものの、起伏どころか巨大蟻地獄のような谷底があったりして、ユタ州にあるような凄まじく遠くに見える地平線というのは、残念ながら確認できなかった。

 少しでも傾斜があれば、地平線への距離は狭まってしまうのである。

 ロケットエンジンを積んだ車の最高速度を計測したり、かつては、セブンスターのCMで使われたりした、塩の大地が果てしなく広がる「ボンネビル・ソルトフラッツ」があるのが、ユタ州のソルトレイクシティ。

 僕もこの塩湖の跡の大平原へ、自家用車でもある、日系人から2千ドルで買った中古車、フル装備、トヨタの3ドアハッチバック車(カローラ2)、日本ではおよそ設定の無い色、くすみ気味のゴールド、購入時の走行距離が既に10万キロ    を、駆使して行ったのだが、それはもう、足が竦むような、自分がどこだか見失ってしまい、俯瞰映像のイメージをもとに、探しても探しても見つからなくて、途方に暮れてしまうような、桁外れの茫洋たる大地・・・

 どれだけ走っても二の腕はぶれずにハンドルへ固定状態。あまりにも地平線への空間距離があり過ぎて、際限なく直線の道路がまるでループでもしているように続き、気がおかしくなりそうで発狂しそうになる。どれだけ広大であるのか、ひたすらに真っ直ぐの道はこれ以上伸び続けるのか。走っても走っても撓むことさえ無さそうな道に怖気さえ感じてきて、時折、気を正常に保つため、空の範囲を再確認するため、何度も車から降りて、改めてまじまじと霞む地平線を見つめ直した。

 それからというもの、あの時のユタ州郊外で経験したような”ただひたすらな直線と、その先の永遠に届きそうも無い地平線”の光景は、また目の前に現れるのだろうかと、海外各国で」乗合バスなどに乗る時、何時も比較して探し求めているが、あの経験を越えるものにはまだ遭遇していない。

 ブリガム・ヤングが荒野を切り開き信者を率いて辿り着いたのが、ユタ州のソルトレイクシティ。モルモン教の総本山がある。そこはなかば観光地化していて、僕も信者の人に施設を案内してもらった。


 どうも、日本のモルモン教の宣教師達は、街中で一人でぶらぶらしている、おっさんをターゲットにしているのか、僕は彼等によく声を掛けられる。ブログを始めて、「北海道廃墟ネタ以外に都内ネタも探そう」と軌道修正  というより選択肢を増やした  をしたこともあり、なおさらそうなのだ。

 多少話せる日常英会話で、ブリガム・ヤングやソルトレイクシティへ行ったこと、ロサンゼルスに住んでいた話(なぜ英語を話せるのかと毎回しつこく聞かれるので)などを彼等にすると、『こいつは引き入れられそうもないな・・・』といった感じで、笑顔を残しつつも、大概、退散していく。

 彼等は日本人と外国人のペアだった。「カッコいいカメラですネ~」と、白人宣教師の方がまだ場を繋ごうとしていたが、会話の内容から空気を察した日本人の方が右手で相方を制し、反転をして背を向けて、申し訳無さそうにして去って行った。



エリア8マンション カフェ
 このカフェは名前と建物の風化具合からして、「ドラマのXファイルが流行った90年台ぐらいに営業を開始したのではないか」と、今思えば実にいい加減な推測をしたが、それが大きな間違いであることが、情報提供者よりの追加情報から判明をするに至る。

 ブログ案件へ訪問する時は、現地での初見で感じる素直な驚きを大切にしたいのと、余計な先入観で探索の範囲を狭める可能性もあることから、詳細な情報収集はしないことにしている。

 ここへも下調べもろくにしないで行き、帰って来てからネットで「エリア8カフェ」で調べてみた。でも、食べログと、既に画像が消えてしまっている訪問記ぐらいの情報しか自力では見つけられることができなかった。まあ、マイナーなカフェだからそんなもんだろうと、たかをくくっていたのだが、情報提供者の更なる追加情報により、ネット上のピースを集積していくことで、意外な事実を掘り起こすことに成功した。

 まず、僕の趣味とは程遠い、石鹸作りがメインのとあるブログより、「年末で営業終了してしまうAREA8 cafe窓際から頂いてきた」との文言から、昨年末でカフェが廃業したことを確認できた。

 更に辿るなどして、野晒し放置状態の「エリア8 Cafe」そのもののHPを発見。

 「2013年4月オープン」とあるから、たった2年しか営業をしていなかったことになる。モルダーとスカリーの大活躍が世間を轟かしていたのはその15年も前のことだから、カフェの名前の由来はイチローがシアトル時代に言われていた「エリア51」からでもとったのだろう。ネバダ州やXファイルのことは眼中にも無かったのかもしれない。

 遂には、本丸のフェイスブックへ到達   

 エリア8カフェの経営母体は、「株式会社はちへるつ工房」という工務店だった。

 『地球の振動・リラックスしているときの波長』を建物造りに活かしているとのことだが、その真意についての考察は、ここでは触れないでおく。

 情報提供者いわく「ザ・海人(ウミンチュ)」といったような感じの沖縄のソウルを強く滲ませた風貌の、人懐っこそうでもあるオーナー兼社長の近影をフェイスブック上で拝めることができた。が、彼自身と「はちへるつ工房」のフェイスブックは突如として更新が途絶えたままになっている。

 「AREA8 cafe」と「工房」共々現在休業状態へと陥っているようだが、あの残骸を目撃した後だと、全くの見ず知らずの他人ながら、彼の身に起こった避けることの出来なかったかだろう”突発的なアクシデント”を推し量ると、只々心苦しいばかりである。



エリア8ビル カフェドア
 ソフトバンクの犬のお父さんとフレッツ・スポットのWi-Fiが完備されていたことからも、廃業をした時期はそう遠くない頃だと予想はできていた。

 ただ、エリア8マンションとしての建物自体はかなりの老朽化をしていたことから推測されてはじき出された「エリア8カフェ」の90年台オープン説であったが、僅か2年ばかりの営業期間だったことが判明した今、それ以前にあの場所に存在したお店(おそらく居抜きだったと思われる)は一体何なのだろうという疑問が湧いてくる。

 その答えも、情報提供者が兄の証言まで引っ張り出して来ることで、解明へと漕ぎつける   
 
 エリア8カフェのホームページを詳細に読み潰していくとこうあった。「エリアエイトカフェの場所は、2013年2月末まではカフェ杏奴(アンヌ)でした。店主のやむない都合により閉店をいたしましたが、杏奴ママもお客様も大事にしていた「2種類のカレー」及び「コーヒー杏奴ブレンド」だけはエリアエイトカフェに引き継がせていただきました」と。

 実は、地元民にとって、この「AREA8 cafe」の印象はほとんど無いらしいのだが、それ以前にその場所に存在していた「カフェ杏奴」はとても愛されていたことが、ネット上で散見される情報などで読み取れる。

 主婦による子供たちのための「絵本読み聞かせ会」が頻繁に開催されていたり、数々の常連さん達による「カフェ杏奴」での”ひととき”を記すブログなどが、そこかしこに見受けられたのだ。

 だが、ある時期を境にして、それらの書き込みに異変が生じる。大勢の常連さんが引きも切らずにお店へ押し寄せていたのは確かなのだが、どうやら店主自身の身にに何らかの変化があったようなのである。

 どの記述も間接的な表現をしていて、事の詳細を避けているということが、お客さん達の店主への温かい気遣い、愛情を裏付けるような結果となっているのだが   

 そんな折、情報提供者が膝を突き合わせて、こと改めて兄と対峙をして、地元で懸念されている「エリア8マンション」廃墟問題について話し合ったところ、兄より「カフェ杏奴」の熱心な常連客だったことが告げられる   

 その兄は、配慮をしているネット上の常連さん達とは違い、兄弟による口頭の対面会話という”気軽さ”もあり、ありのままを語ってくれたというのだ。

 まず、カフェ杏奴は半地下のような構造になっていたとのこと。建物裏の不法投棄の山からは今では想像もつかないが、営業当時は裏側から行くと、半地下の店内が見渡せたらしい。このことを裏付けるように、エリア8マンションの全景を撮った画像には、閉じたシャッターがあるが、とあるブログの「絵本読み聞かせ会」の記事には、このシャッター部分に下りの階段があり、そこを降りていった所に全面ガラスの観音開きのドアが備え付けられている写真があった。そう、これも半地下。

 これらの証言の合理的な一致により、情報提供者の兄が常連だったということは、ほぼ間違いないとみていいだろう。

 では、問題の核心部分、カフェ杏奴が終焉へと向かうことになった本当の理由とは・・・

 店内は連日客で大賑わい、下井草のホットスポットして親しまれていた「カフェ杏奴」。その後、エリア8カフェにも受け継がれたという「2種類のカレー」「コーヒー杏奴ブレンド」といったメニューのせいもあるが、やはり、店主でもあるママの人柄に惚れた大勢の常連さん達が引き寄せられていたということが、繁盛の理由だっただろうとのこと。

 それが、いつもお店で笑みを絶やさずお客さんに対応していたママが、何時しか、お花にばかり水をやるような光景が増えていってしまったとか。そのようなことが長きに渡り、ついに閉店へと向かうことに   

 もしかすると、裏の金属遮蔽板と店主の変調に何らかの関係性が”なきにしもあらず”だが、完全なる第三者としてではあるが、僕なりに気苦労を察していたその折、またもや情報提供者よりの連絡。店主は地方にて数年の時を経て、見事復活を果たした、との朗報を受ける。自前のホームページや、元常連さん達の復活を喜ぶ記述などが沢山芋づる式に発見できたのだ。

 巨大金属目隠し板の謎への糸口が掴めたかのような感触があったのも束の間、ではあったが、「カフェ杏奴」を贔屓にしていた大勢の人達にとって、これほど嬉しい結末、報告はないだろう。謎は更に深まるものの、このことに関して僕は、素直に喜びをあらわしたいと思う。


 ともすれば、一円にもならないどころか、誰も得しないような「潰れた工務店」やその強面の「オーナー」の情報、先代のカフェの顛末などを、丹念に調べあげてくれた情報提供者の”サブ”さんには、今更ながら頭が上がりません。この場を借りてお礼を申し上げます。



エリア8マンション 境界
 エリア8マンションのカフェの歴史に切り込み、ある一定の答えを引き出したその後、立ちはだかるのが、隣の廃屋と言うべきか、ネグレクトされたゴミ屋敷なのか、廃墟か、この一連の並びに関連性はあるのかないのか。

 エリア8マンション裏より酷い有様のその屋敷を、のぞいてみることにする   
 

 
つづく…

「ゴミ屋敷主人の生き様」 廃墟、『エリア8マンション』~完全登頂記.3