樹脂製の黄色い大型タンクが備えられていた。エリア8カフェで使用されていた、給水用目的の物だろうか。
背後には、エリア8マンションに設置された、特殊な巨大金属遮蔽板の恩恵を一身に享受する、資産家の大豪邸。
豪邸の手前には老朽化した2階建ての木造家屋があるが、ここがなんとも、まるで、豪邸の主へと当てつけるかのように、嫌がらせであるかのように、今にも臭気が漂ってきそうな廃屋。
それもただの無人化した家というわけではなかった。
教科書通りの”ゴミ屋敷”とはこのことだろう。
驚いたのは、この表札の名。エリア8マンションに大きなプラスティックプレートが貼ってあり、そこにビル名が書かれていたが、なんと同じ苗字。
同一のファミリーネームを掲げる、年季の入ったゴミ屋敷と隣合わせの廃墟マンション。
更に、ゴミ屋敷と隣接する比較的新しい淡い青色のビルの方に、コソコソ隠れるようにして確認をしに行ったところ、これまた苗字が同じであったのだ。
つまり、新目白通り沿いに3軒並びで同一の苗字を冠する建物があるということになるが、そのうちの2軒が廃墟・廃屋いう現状、惨状
新し目の青いビルとこのゴミ屋敷は、苗字は一緒だが名前は違っていた。
おそらく、ゴミ屋敷の方にリタイヤをした父親が住んでいて、青いビルにはその父親から相続を受けた息子が住んでいるのではないだろうか。
その昔、現在はゴミ屋敷となった家(当然かつてはゴミ屋敷ではなかった)に家族で一緒に住んでいたのだろう。息子が結婚を期に資産を相続し、立派な藍色のビルも建て、嫁が転がり込んで来て新婚夫婦で新居に同居することになった。老いた父と母は、息子夫婦に気兼ね無く、終の棲家で仲睦まじく、余生を過ごすことになった、はずだったのだが・・・
その結果がこうなのかと、戦後の高度経済成長期に汗水垂らして、地面に這いつくばってやってきた、最後の最後が、これなのかと、顔もしらない全くの他人事ながら、憐憫の情を抱かずにはいられなかった。
ゴミ屋敷での必須アイテム、梯子が大・中・小と綺麗に手際よく揃えられている。父親がまだ元気だった頃は、梯子に登って庭から2階のベランダへ直接にでも行ったのではないか。
「おーい、●●夫、新婚早々ケンカなんかしていないだろうな!」と、ベランダから新築の藍色ビルに呼びかける父。
「父さん、そっちこそどうなのさ」ビル裏の窓より顔を出して父と母のご機嫌を伺う息子。
その頃までは親子関係もうまくいっていたとみて間違いないだろう。
無駄に派手な色彩の、エアコン「霧ヶ峰」の室外機は、70年代のものだろうか。例によって傘は何本もある。僕でさえなかなか捨てられない、スチロール製の保冷ボックスも複数個転がっている。
限度を超えた捨てられないゆえのゴミ屋敷化は、周囲との人間関係の希薄化より生まれる。
では、荒廃するがままの”ゴミ屋敷”を、息子が放置した理由は何なのか。
それは息子からみると母親の死、他界された頃はもうお婆さんの年齢だったかもしれないが、きっかけとしては、ゴミ屋敷主人の妻の死により夫が独り身になったことがまず考えられる。ちなみに、ゴミ屋敷の表札には一人の男性の名だけが記されていた。
お婆さんの死により、お目付け役というタガが外れたお爺さん。「もったいない、もったいない」が口癖で、燃えないゴミの日には早朝から下落合界隈を徘徊し、あらゆるゴミ(彼にはお宝)を漁ってくる。敗戦後の貧しい時代を生き抜いてきのだから仕方がないだろうと、行き過ぎた収集癖にもある程度の理解を示していた息子。
しかし、ゴミは増え続ける一方。しまいには敷地外へも粗大ゴミを並びはじめる。そのゴミに寄せられるかのように、どこからとも無く人がやって来ては、ゴミ屋敷前のゴミの中に壊れたテレビなどを捨てていくようになった。
激怒をしたのが、細い道路一本挟んだ向かい側の豪邸に住む近所でも有名な資産家の男。
男はゴミ屋敷主人に直言してみるが要領を得ず、息子に相談するも、「老人のことだから大目に見て欲しい」とけんもほろろに突き返された。
しまいには、不燃物の粗大ゴミばかりか、腐りかけのフルーツやファーストフード店裏の残飯まで拾ってくるようになり、周辺一帯、腐敗臭が常に漂うになる。夏になると強烈な異臭が1キロ先までとどいたとか。
近所のゴミ屋敷を市に訴えても、「個人の所有物だからどうすることもできない」とつれない返事ばかりを繰り返す行政に愛想を尽かした資産家の男は、ある策略を思いつく。ゴミ屋敷主人として糾弾できないのなら、息子が所有する、我が家の目の前に鬱陶しく立ちはだかる、あの「エリア8マンション」の住人より覗かれて、プライバシーが著しく侵害され精神的に参っていると、圧力をかけるのだ。なんなら法廷闘争も厭わない覚悟だと。
豪邸住まいの男と、父親でもあるゴミ屋敷主人との間で、板挟みになり、悩み苦しんだ、息子。
言い掛かりをつけて抗議してくる男性を黙らせようと、父親にゴミの収集をやめるように頼むが、一向に改める気配はない。自分が育て上げて財産まで譲り渡した息子に、「ゴミを集めるな」と、物品の収集活動を、まるで浮浪者の廃品漁りのごとく非難され、憤る父親。親子関係は冷え込んでいくばかり。
資産家の男の抗議を抑えようと、巨大金属目隠し板を設営することで、ある一定の解決をみたが、一連の騒動で、親子間、ご近所同士、それぞれに完全には修復できない大きな溝を残したことは間違いなかった
廃屋ニスト、廃墟探索者、”Kailas”としての見立てはざっとこんなところである。これが果たして正解かどうなのかと、現在も藍色ビル住まいの息子さんに、「直接訪ねて聞いてみよう」なんてことは、極力、くれぐれも、慎んでもらいたいところである・・・
部外者からすればゴミが散乱しているようにしか見えないかもしれないが、ゴミ屋敷主人からしたら、案外機能的に物が配置されている、というのが、今まで幾多のゴミ屋敷を見てきた僕の所見である。
ドア横の脚立は棚として使用されていた形跡がある。傘やお爺さんお手製の黒ゴミ袋バッグ、トングも掛けられている。ゴミ収集道具一式とみてほぼ間違いないだろう。早朝は新聞配達より早起きをして、脚立に装填済の三種のアイテムを用いて、意気揚々と出陣するかの勢いで、出かけていったと思われる。
こんな物を大事にするお爺さんを、誰が責められるだろうか。
ゴミ屋敷主人とアンティークコレクターの微妙な境界線について、実に詳細な見解を述べている素晴らしい文章があるので、是非、拝見してもらいたい。
東京、ゴミ屋敷巡りアーカイブ
ゴミ屋敷周囲を丹念に探索したが、住人の気配は全くない。
一体、いくつもの花を咲かせていたというのか。
おわかりのように、ゴミ屋敷にはアパート部分もあったのだ。管理人や清掃を甲斐甲斐しくやっていたお婆さんの死後、打って変わった雰囲気に住人も逃げ出す。やがて居住部分とアパート部分も含めて、その全体が、ゴミ屋敷となっていった。
2階の浮いたドアの存在が気にはなるものの、隣接するゴミ屋敷の歴史にある一定の答えを導き出したということもあり、ようやく、「エリア8マンション」の、完全登頂を、実行することにする
つづく…
「伝説の社長、永遠の別れ」 廃墟、『エリア8マンション』~完全登頂記.4
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コメント
コメント一覧 (2)
藍色のビルの表札をみた時には、背筋が寒くなりました。「親子かよ!?」って。
廃マンションはともかく、ゴミ屋敷放置の理由は、案外、僕の妄想推測に結構近いのでは
ないかなと、思ったりします。
もとは地主一家だったんでしょうね。。
あの裏手に住む成金に(父親の痴呆に付け込まれて)権利書を奪われたあの日までは。。