放射状
 地域による”カルチャーギャップ”というものがある。風習や因習だったり、なにげない日常会話に挟み込まれる、方言だったり。

 北海道で旅行中に知り合った現地の人と雑談をしていて、不意に、食いかけの”うまい棒”を渡された時のこと。

「なげてっ」

 彼も写真を趣味にする人である。手元から揺れ落ちる”うまい棒”の齧(かじ)りかけパフゆえの予測不可な軌跡を、スローシャッターで撮ってやろうとでも思いついたのか?

 とにかく、命ぜられるままに、振りかぶって投げてみた。

「違う、違う、そこのゴミ箱!」

 北海道ではそんなに方言はないなと思っていたが、数少ない方言のうちでもメジャーどころの一つが、「なげる」「捨てる」であった。

 北海道に住むキョーコさんが中三の15歳で挑む身体検査にも、東京生まれの僕からしたら、かなり差異を感じてしまうところが、多く見受けられたのだ。



13-1m
1978 (53)  5月13日  土曜日   11:15
な.な.なんと 今日は しんたいけん査? が あったのら.
並木でなのれす 、 でも 私達はそんなこときいていなかったものだ
から.....。 とにかくバスにのって行ったの . そして 思った
とおり 東並田 の バスも来てたのよね  ! いやなよかんがした。
ゲンカンにはいって くつはいていた時に ジャージ を上に1まい1コ
だけきて音楽室に入っていくのれす.みなさん。 もち ハダカなの
ジャージの中 。 そのうえ ジャージのチャックもしめていないんだもん.
もちろん これ 中 男子よ .中女子のすがたが見えなかったように思うん
だが.... わからん 。 男子ってよいよね . むね見えたって
はずかしくないもん . とにかくわらびが *結論として言うには
博ちゃんいたのよね . ます ゲンカンで 胸が見えるの ハズカシ!
そして 理科室のような.ものをおく所のような.そんな所で
ふくをぬぐんだけど (私達も) そこでも、いたのよね     !
もう わたし こまっちまう . しようじき言と きたいしてたの. うれしかった。
わるいと思って顔をあわせるのがなんだか出来ないの. そんな
気持で 彼を見てたんだけど ..... むしなのよ . まったくむし
やっぱ りわたしが悪いんだ . バカなキョーコなのだ .



13-2
でも . きたいしてる 。 心 のすみで かすかにきたい しているのだよ.
まだ 彼がわたしのことを すいてくれているんじゃ ないのか . はずかし
いから声をかけてくれないんじゃないのか . そして いつか また**
手紙が彼からくるんじゃないかって・・・ たとえ そうではないとしても
このきたいの気持ちは、きえは しないの...。
たとえ 彼に 他の好きな人が いたとしても .... どうしても ごまかしだ
から . 私には 1人では行きてゆけない . そんな 気体を もたなけりゃ
長く. なっちゃった。 今日はほかにこれといって いいほどのことは
べつにない.ただまた むだずかいを しちまったっ てことかな.
では、 ねむ まぶだ がくっつくよ~~~ 。 手がもつつかれちまった
もんだから今 左で書いてんのよ. とちゅう で字がへんになって
るとこから . (え!全部そうだった. へん かってにしれ アポ )
もう そろそろねるよ ては ... いいかげんに .
マけるな. くジケルナ !
 Let's go! go ! go !

GooD ナイト  ナイト  おやすみ
         11:39

身体検査を受けるのにバスで行くというのは、北海道独特のものなのか、地域的な関係なのか。

他の地区名(中学名?)をあげていることから、規模の小さい中学校の生徒がそれぞれバスに乗り、地域を代表するような大きな中学校へ行き、まとめて身体検査を受けていたのかもしれない。

彼女が中学生の頃はベビーブームで大量の生徒がいたはず。でも北海道で衰退産業に依存していた地域などは、生徒数が激減していたりしたのかも。それで、合同身体検査が開催されていた可能性もある。

各地域の中学生を集合させた割には、スペースに余裕のある体育館ではなくて、音楽室で身体検査をしているのがよくわからない。ちなみに、彼女の住んでいる地域の名前は、調べたところ、現在は地図上から消滅をしている。おそらく、周囲の中学校の生徒をかき集めても、数十人規模でしかないのだろう。当時の北海道の一部地域に於ける想像以上に進んだ過疎化を、こんなことからも伺い知れてしまう。その流れは数十年も経て、日本全国、東京へもやって来てしまった。

書き始めの日記では、目移りするかのように様々なお気に入りの複数の男子の名前をあげておどけるような文章だった。もしかしたら、万が一、自分意外の人に読まれることを意識、警戒をしていたのではないだろうか。男子をまるでカタログから選ぶような道化を演じることで、第三者にもし読まれた場合、「冗談だから」と笑って誤魔化して、ダメージを軽減させる、彼女なりの予防策を講じていたのかも。

ハダカジャージにチャックを閉めない状態で歩かされる辱めにあいながらも、それはそれでひとまず置いておいて、思いの丈を日記にてぶちまけたいのは、好きな人のことだった。

数日書き進めるにあたり、警戒心も解かれていき、内面で揺れ動く恋(今の段階では「博ちゃん」)を、あけすけに記すキョーコさん。

彼はそのまま佇んでいるだけなのに、”むし”をしていると、独特の自虐的な表現方法をもって、雲をつかむような恋愛段階の今を説明している。

それにしても、初の長文2ページによる内なる告白、ということがあったとはいえ、腕の疲労により、途中から左手で書くとか、ありえるのだろうか。

パソコンが普及していない時代、物書きにさして興味のなかった人(彼女)の、独自に編み出した知恵として、人々の記憶のほんの片隅にでも、残して置いてもらいたい”妙技”ではないだろうか。



 もうすぐやって来る修学旅行に、日々大きな期待をふくらませていく彼女。

 そんな中、飼っていた動物が子宝を授かる。しかも4匹も。

 更に、恋愛以外にも、閉ざされた自分だけの世界でだからこそ言える、ある悩みを、打ち明けることになる   

 

つづく…

「子宝と過食」 実録、廃屋に残された少女の日記.5