放射ぼけ
 15歳の少女”キョーコ”さんは、口を開けば「学校が面白くない!」とぼやく日々。挙句には、楽しみなのはもはや”コレ”ぐらいしかない、と日記に不平不満を書き連ねる。

 もうすぐやって来る修学旅行に期待を寄せつつも、テスト結果の不甲斐なさを嘆き、その責任を先生のせいにする。これは日記の中だから許される怒りの感情表現であるし、彼女なりのストレス解消方法ともいえるだろう。

 そんな多感な青春時代、慌ただしい日々を送る彼女の家に、子宝が授かる。

 そして、15歳だからこその、彼女にとっては切実ともいえる、ある大きな悩みを、日記の中で打ち明ける。



15
1978(53) 5月14日  日    (15日 ) 0:16 : 35秒

今日は母の日だったんだがなにもやらんかったわい .
ま. ゆるして くりや .  そして ○○○○会 にも行かんかった 。
だって 私 そういうの大きらいなんだ 。
いや   ねむたい . ほんと      ねむたい 。
いっも 12時 近くになるんだよね . ねるの .
 もうすぐ *** 修学旅行だね . オヤスミ、
  マケルナ ! クジケル ナ ! ファイトジヤ    !

   あーあ  あした いやなことがありそう そんあよかん !

1978 (53) 5月** 15日

 べつに コレ と いって おもしろいようなことなんてなしだ.
 ホント! 学校 ってこんなにおもしろくなかったろうか 、 
給食だけがたのしみになっちゃってるみたいよ.
 今日は コレダケ それでは おやすみなさい 。
  まけるな 。クジケルナ !!  ガンバッテ    。PM12 : 前だよ



16
1978 (53) 5月16日   PM :12 : 59

今日は理科のテスト があったのよ . でも ゼンゼンわかんないの 。
そして も ひとつ ! 戸田さんは かんちがいしているなぁ . 自分の心をいつわっち
ゃ だめよ 先生 さあ   !  それだけ 言いたいの 。
  今日は ミッケの 子 がうまれこんたのら . 4ひきだ ぞ !
赤と白のが 2ひき . 三毛 みたいなのが 2ひき .
 ちようど 2ひき ずつだのだ 。 しかし赤と白の うちの かたほうのしっぽ
は. とちゅうでおれているようなかんじにまがっているの.
そして もうかたほうは まっすぐ で 長い  まあ . 両ほう とも長いのだが!
みっけのほうは 2ひきとも ミッケ に似た しっぽだ .*先が曲がっている
まあ そんなところだ  今日は たいしたことはない .
 ああ . やせたい 努力せねば いかんなぁ   !
 お昼 の パンは のこしてこよっと . そして  かん食はやめよう.
 それだけ まもれば 十分だと 思うよ . ただし !!!
 まもれればの話だかんね . よし いっしょう けんめいまもって
早くやせよう . やせたい !やせたい !!やせたいよう!!!
まけるな くじけるな 。  ゼッタイダ ゼ !!

反省はしているものの、「母の日に何もやらんかった」 と半ば開き直る彼女。思春期の男の子ならともかく、キョーコさんくらいの年代の女の子だったら、率先して母親のためにパーティーに近いような催し物でもやりそうなものだが、これは、母親との微妙な距離感を意味しているのではないだろうか。決して良い方向へとは向かうと言えない一家の行末だが、その破綻の端緒は、案外親子関係に起因しているのかもしれない。
 
キョーコさんがトンズラしたという、○○○○会とは。

「お楽しみ会」かとも思ったが、そもそも字数が違うし、新学期早々やるものではない。「ザンネン会」「シンボク会」「イエズス会」などがとりあえず浮かんだ。『私 そういうの大きらいなんだ』とはいうが、肝心の”そういうの”の詳細が述べられていないため、今のところは不明のままである。

学校へ行って楽しいのは「給食だけ」と言い切るキョーコさんだが、このことが、基本的な食生活を改めるきっかけにもなる。

いずれは廃屋となる決して抗うことのできない悲しい運命がこの家には待っている。だが、この当時は活気で溢れる家族の元に、新しい生命が誕生する。

「ミッケの 子 がうまれこんたのら」 ミッケとは、彼女の家で飼われている三毛猫の名前に違いない。 「うまれこんたのら」の語尾「のら」はキョーコさん特有のおどけた表現だが、「うまれ『こんた』」とわざわざ記すあたり、これ(こんた)はごく狭い地域で使われていた北海道弁なのかもしれない。或いは、当時の流行語をもじっているとか。単純に「生まれた」と書けば何の問題ないわけだから、少なくとも、書き間違いではないと考えられる。

ミッケの遺伝子を確かに引き継いだ子猫達には、尻尾が長くてその先が曲がっているという、親と同様の特徴が表れていることを目ざとく発見したキョーコさん。小さな発見の成果をどうだと言わんばかりに得意気に日記へ書き込む。

目下一番の楽しみである給食の食べ過ぎが影響したのか、中学三年生の少女に降りかかった悩みは、体重増のこと。

「お昼 の パンは のこしてこよっと . そして  かん食はやめよう.」 彼女の努力は、報われることになるのか、ならないのか。

この先の、アグレッシブな恋の駆け引きから見て取れるように、彼女自らが持つ魅力に対する絶対的な自信、負けない折れない心は、食欲の煩悩を取り去り克服したらこそ、花開いていったと言っても過言ではないかも。

あと、ここら辺りにきて、最後の彼女の決め台詞、自分への励ましの言葉が、変化をしてきたことに気付いた。 

今までは”決められた”フォーマットにほぼ沿って発せられていたが、どこか簡潔気味になってしまった。言い方を変えると、手を抜いているというか。 

人間として成長をしたと感じ、自分への鼓舞がさして必要にならなくなってきたのか、または、 単に毎回面倒になったのか。これは彼女の成長の変化を文章より読み取れることのできる貴重な一部分でもあるので、これからもその変移に注目していきたい。



 いよいよ、修学旅行がさし迫って日々慌ただしく走り回るキョーコさんだが、親より、家業のお手伝いを命じられる。

 僕でも聞いたことのないような専門用語がポンポンと出てくるような仕事だ。東京在住の人からしたら、「中学生にそれをやらせてしまうの?」と驚くだろう。

 キョーコさんが慎ましくも、真夏の炎天下、冬の寒空の下、勉強の合間に仕事を手伝わされて、健気に頑張った結果が、数十年後、あの土に還りそうな廃屋の残骸だったのかと、感傷的にもなる。日記を読み解いていくことで、別の可能性もあったに違いないはずだと、一縷の望みを執拗なまでに追いかけていくのが、僕に課せられた天命だと思うことにする。

 中学三年生の女の子が勉強に勤しむ傍ら、当然の事であるかのように受け持つ、過酷な北の大地での労働。

 例えば、ダッシュ村のことなど、口の達者な彼女なら、「40過ぎたアイドルおじさん達の冒険島遊びでしょ」と平然と言い放ってくれたことだろう。それほどキョーコさんは、人知れず、辛い仕事を当たり前のようにやってのけていたのだ。

 では、その労働内容とは   
 
 

つづく… 

「中3少女の重労働と一万円」 実録、廃屋に残された少女の日記.6

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