放射ぼけ2
 今回の日記で、キョーコさんの家の家業が判明をした。

 北海道らしくもある”その”仕事内容(ステレオタイプ的でもある)なのだが、まだ中学三年生だというのに、学校帰りの昼過ぎから、父・母と一緒に、過酷とも言える内容の肉体労働を強いられている。

 汗水流して、ボロ雑巾のように働いた   か、どうかは簡潔な文章内容からは知り得ないが、ともかく、15歳の少女が涼しい顔をしてやるようなことではない。

 やっとのことで夕食にありついたキョーコさん。なんと、”その”シーズンでもあるからのか、食べ終わってからは、東京住みの僕からすればドラマの中でしか見たことがない、あんな作業を、今度はたったひとりで、眠たい目をこすりつつ、文句も言わないで再開をして、その後もずっとやり続けたのだった。

 それにしても、それ特有の専門用語と当時の流行語、北海道弁、キョーコさんの造語、などが、今回は特に入り混じっているため、さして長くもない一日の日記内容をなんとか理解するのに、かなりの時間を費やしてしまった。読む度に解釈を変えるはめになった。本来なら他人に読ませることは決してない、自分だけが読む日記だ。極限まで説明を排除しているゆえ、理解し難い部分が多いのは、しかたのないことだろう。

 その閉鎖性ゆえ、ともすれば読んでいるこっちが恥ずかしくなるような、こっ恥ずかしい感情表現(思春期だから特に)を臆面もなく記述している。私小説と違って気取る必要もない。飾り立てて偽ることもない。等身大の少女の本音を垣間見ることができてしまう。僕がこの日記に引き寄せられた理由が、まさしくそこにある。毎晩勉強や仕事で疲労をしてもなお、内に溜まった鬱憤を吐き出すために   荒んだ心を整え、明日への希望と活力に繋げるため、ただ、ひたすらに書き続けた日記。

 彼女と僕がまるで、交換日記でもしているかのような錯覚に陥る。

 昔、「未来日記」とういのがあったが、これは言うなれば、「過去未来交換日記」ではないだろうか。 『おまえからのただ一方的な行為だけであって、”交換”の部分が発生していないぞ』 という指摘がありそうだが、あらゆる可能性を突き詰めてみれば、向こうから、何れ、遠くなくもない”先”のこと、この日記のコメント欄にでも、返信が届く可能性は、0%ではない。もしかして、身分を偽り、こっそり全く別の話題で逸らしながら、書き込まれるかもしれない。しかも、それが外国からだったりして。そのようなファンタジーが想像できるだけでも、この日記を公開してしまうことに、意義がある、と自分に言い聞かせる。

 北の重労働と、その対価ではないが、”ある”うれしい現金収入があった。彼女にしたらかなりの大金だ。

 その現金の使い道とは   
 


20
 1978(53)  5月 20日  (21) 0:30

 もうねむ .牛ぼいしたのよ.” 電ぱ ” の ところまで .走ってばかし .
mother は車. fathe*rは 私とおんなっじ . 最初はひっぱってたのに
********* なん回も 牛 (ひっぱる牛) をかえたり. している
うち に ある時 つなが スルリとぬけち まってさ. もう それから
は. ぼうの にーしん だ .  そしてまた 途中で 車がエンコシて
うごかんから 私が 一人で 車を ばってった . でもすこししたら
またきたよ .        家に帰ってから 夕食のパンを
 独自 で 食べてから またも 牛ばいよ.    今度 は おの先さん
 (たかひかん) の ほうに 行 く の だ.  でもあんましとおくない
ので 30分内でおわつた . あっちは 一時間以上だったが.
 ああ やせるぞ  .
 まけるなくじけるな    Let’   go 、 ア- ねむ

まず面食らったのが、「牛ぼい」。

イメージ的には「アルプスの少女ハイジ」のペーターを思い浮かべた。調べてみると、ある岩手の農家のお嫁さんのブログに説明があり、牛ぼい(牛飼い)とあった。放牧中の牛を寄せ集めることのようだ。「牛ぼい」とは初耳だったが、元々東北地方の言葉で、東北から来た北海道への入植者が、その言葉を広めたのだろうか。

” 電ぱ ”とは、電波塔?
 
母が車で牛の群れを追い回して集め、父と娘がそれらを牛舎やトラックへ、ひっぱったりしながら誘導をする。北海道では見慣れた光景    でもないか。道民の誰もが農家をやっているわけでもないし、子供をそうそう、重要な戦力扱いにはしなかったかも。

でも、70年台後半といえば、まだバブル期を迎える前。彼女が住んでいたのは北海道の山の中の人里離れたこじんまりとした一軒家なのだから、一家の経済状態は言わずと知れたこと。中三少女のキョーコさんが貴重な労働力として家族から必要とされていたことは、十分ありえる話でもある。

>「ぼうの にーしん だ」

これがよくわからない。北海道弁なのか、キョーコさんが自分の中だけで使う言葉なのか。散々読み返した結果、「ぼう(母牛のあだ名)の にーしん(妊娠)だ」 母牛が妊娠をしたという結論に達する    と思ったが、今一度精査をしてみると、今度はこうも読めた。 「ぼう(親戚か友達の名、あるいは、牛の名)の にー(兄貴)しんだ(死んだ)」 つまり、「ぼうの 兄 死んだ」。誰かの訃報を受けたなら、何れ日記にそのことが書かれるだろうから、そうすれば彼女の言葉の意味が判明をする。

>「私が一人で車を ぼってった」 (母の運転する牛追い車がエンコをして、動かないから) 

これが「ばってった」なら”う”が抜けていて「奪っていった」なのだろうけど、拡大をしてみても、確実に「ぼってった」と書いてある。”うごかん”が前提なのだから、私有地だからといって、彼女が車を運転したわけでもない。「ぼってった」とは地方独特の言い回しなのか。

夕食後の牛ぼいは一人でやらされたみたいだが、最後にはこう書いてある。 

>「あっちは一時間以上だったが」

家に近い農場は大方、牛ぼいが片付いていてキョーコさん一人で終わらすことができるレベルだった。離れた農場ではまだ多くの牛が未収容で、両親があと一時間ほどかけてやり終えたのかなと。

懸命に働いていた一家が、なぜ、消失をするようなことになってしまったのか。現代のミステリーのようでもある。日記を読み解いていくことで、僅かでもその理由が判明をすれば、少なからずの理解者が生まれ、廃屋に書き置いて行かざるを得なかった彼女も、多少なりとも報われると思うのだが。

「ああやせるぞ」

一家の苦しかろう経済状態もあり、かなりこき使われているようだが、ダイエット効果もあるんだと己に信じこませ、「まけるなくじけるな」と、自分にムチを振るい、日記の中でさえ、両親に愚痴をこぼさない、キョーコさん。

学校から帰って来てからも、牛ぼいをやらされた、長かった一日。その深夜。「眠い」のボヤき連発も当然だ。



22
 1978 (53)  5月21日 (日)   (22) 0:すぎ

 時*計が 止まってん のよ ね .

今日ね . 史之舞の 荷物だけ の おひっこしだったの。
それに 史之舞 の おともだ ちの 「なんだか 」 っ ていう人に
合ったのら . も ひとつ ! 小さい お兄 ちゃん か ら 「 これ 2 ニ で
わけなさい 」 と い っ て 『一万円』もくれたのだ .
う ~~~~ うれちいよ ~~~ !
もうすぐ 修学旅行だ . あと 1日 ねて 次の日よ.
おやちちゅみなさい . よいゆめを . 
アキラをはやくわすれたい.
もひとつおまけに 早くやせたいよ ~~~ !
まけるなくじけるな  Let's ら ゴン じゃ    ,

1978 (53) 5月22日 (月)  11:30分すぎ

今日は 午前授業だった 。 だって 明日は修学旅行なんだ
もん . あすは早 い そ 6:00に起きねば.
たのしく すごしたい 3泊4日 , アン ネムイネ.
日記も 3.4日お休みですよ . オ~ シバシ の 別れじゃ.
修学旅行は よいことが ありますように オネガイシマス ワ~~~ !
まけるな くじけるな 早く やせよう good night 、

文章内容だけからは、史之舞はまだキョーコ一家のどの位置に属する兄弟なのか、性別も不明。荷物だけはお引っ越しをしたという。例の白黒テレビの行方が気になるところ。

『「なんだか」っていう人に合った「のら」』

この、「のら」という言い回し。北海道弁ではないことは、前回も述べた通り。日記の中だけで素を晒している時の、照れ隠しから来る、キョーコさん特有の戯(おど)けた表現方法かもと思っていたら、コメント欄よりある指摘を受ける。「当時は楳図かずおの「まことちゃん」が流行っていて、この頃の子供は皆、その言い方を真似していましたよ。~のら~という風に」と。僕はこのマンガをほとんど読んでいなく、「グワシ!」ぐらいしか知らなかったが、どうやら、キョーコさんは、まことちゃんの言い回しを真似ていたようである。

実は「まことちゃん」とはどんなマンガだろうと気になり、一回だけ立ち読みをしたことがある。その内容がかなり壮絶だった。塀に登ったまことちゃんが、下に向かって両方の鼻の穴から粘液質の鼻水を1.5メートルぐらい垂らす。すると、その臭気におびき寄せられた無数の蠅がやって来て鼻水にびっしりとたかり、ハエ取り紙の罠のごとく捉えられてしまう。それを蠅ごとズルズルと鼻に吸い込んでいく、まことちゃん・・・ あまりのおぞましさにトラウマにさえなり、それ以降、一切、まことちゃんを読むことはなかった。よって、キョーコさんの言い回しにも、気づくことはなかった。

>「一万円もくれた 小さいお兄ちゃんから」

史之舞の他に、年上の男兄弟が二人存在することが判明をした。名前を呼び付けの”史之舞”は、妹か弟の線が濃厚となる。
 
『一万円』をくれたというのは、おそらく、修学旅行の餞別とみて間違いないだろう。それにしても、この時代に一万円! 大盤振る舞いだ。小さい方のお兄ちゃんは就職でもしたばかりで、気前が人一倍良くなっている時期なのか。

>アキラをはやくわすれたい

小さく控えめに記述された、この言葉の意味   

いよいよ明日に迫った修学旅行。

「明日は早いぞ6:00に起きねば」 ということは、さすがに早朝の牛ぼいは日頃からも免除されている様子。農家だったら、朝の3時や4時に働き始めるのはザラだろう。毎朝、そこまで手伝わせていたとしたら、日記に文句をタラタラ書きそうだ。農家に於ける常識の範囲内でのお手伝いということで、キョーコさんは健全な中学生活を当時は送っていたとみて間違いない。



 最近は中学生でも、韓国や台湾などへ修学旅行に行くのも珍しくはない。僕は東京の中学生だったが、行き先は定番の京都だった。ただ、中1の頃からもう一人であちこち旅行へ行っていたため、京都も大体既に見て回った所ばかり。寺や大仏をみてはしゃぐ同級生を横に、大変退屈な思いをしたものだ。

 キョーコさんの修学旅行の行き先だが、東京生まれの東京育ちの僕からすると、実に興味深くもある。

 東北なのか。道内ですませるのか。定番の黄金ルート「京都・奈良」か。あるいは、住んでいる場所が、ばんえい競馬のような公営ギャンブルで潤っていたとしたら、多額の税金の恩恵を受けるということもあり、外国というケースもある。事実、東京の府中などがそうであるようだ。

 キョーコさん、修学旅行先には日記を携行して行かなかったため、帰って来てから、まとめて道中に起きた出来事を、今までで類のない大量の5ページをもってして、怒涛のごとく語り尽くす。

 定番の深夜の男女トランプネタもしっかりと。

観光バスのドライバーの年齢まで書いていることから、日記の「ネタにでも」と、メモ帳持参でやる気マンマンだったようだ。

 更に、全行程を終えた翌日の日記には、あまりにも素晴らしかった修学旅行と、仲間やガイドさん、関係者達に謝意を示す意味で、彼女初となる、青春真っ盛りの、甘酸っぱい”ポエム”を、恥じらうこともなく、堂々と、披露をしてくれる。

 

つづく…

「抵抗し続ける少女の修学旅行」 実録、廃屋に残された少女の日記.7 

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