ぼやけ
 札幌での修学旅行を大いに満喫するかに思われた彼女だったが、文面からは事務的な報告のような堅苦しい文言の羅列ばかりが目立つ。

 毎日、学校終わりに家で牛飼いを手伝わされていたキョーコさんが、一時ながらも開放をされて、クラスメートと一緒に自由を謳歌する。

 せっかくの、北の都、大札幌にて、”心ここにあらず”なのは、夜の男女交流会へと標準を定めていたからにほかならない。事をさっさと円滑に運びたい彼女は、自ら男子グループに話しを持ちかけ、早々に約束を取り付けてしまう。

 札幌市内での自由行動は、ある一点に絞られていた。とりあえずは餞別をくれた兄弟へのおみやげは大前提として、もう一つ。それを購入した後ぐらいから、彼女の言動が大人びてしまうような、結果として、少女から大人への変遷を強く押し進めてしまった品。

 そして、夜の交流会ならまだしも、昼の自由行動にも、予期しない妨害が入ることになり、普段は穏やかな彼女を、大変苛立たせることになる   



26-3s
     そして *昼食は 円山動物園
だった 。 ホテルは都ホテルだった .
2人べや の ベッド . イス . 小さい テーブル. テレビ .
洗顔所のような 手をあらうようなものが ついていて
すごくごうかだった . この日さい後 の 旅かんせいかつだったので
夜に 他校の生徒をよんで きて  トランプをした 、
その前に さっぽろでの 自由行動 1回目は 先生いっしょで.
ます 東西 の 地下*道に入って 地下 てつにのって .(えきまで)
えきについてか ら  上に あがって ToKU に いった.
そので 純と*史 の オミヤゲをかった .
2回め の 自由行動のとき.  4人だけで 行 動した .
まず 東西 の *** 地下道 を あるいた . そのときはいつも
なにかよいものはないかと まわりを見わたしながら .
そして 南北 の 地下道をあるいて .  なんだか プラザにも
はいった . そこで 私 は ゆびわをかった . そのとき .先生に
3回もあったので ぐうぜんかと思ったが あとてきくと .
心配で オマエラのあとを つけて いたのだと言った
いやらしいやつだ .
昼食を円山動物園で食べた、キョーコさん。その夜の宿泊は都ホテル。修学旅行では、畳の雑魚寝部屋へ大人数で押し込められるようなことも多いが、2人用のベッドルームという、つかの間のセレブ感を味わい、「豪華だ」と興奮を隠し切れない様子。

僕もこの「都ホテル」には宿泊したことがあるが、いたって普通のビジネスホテルだった。

人里離れた、放牧をするような環境の中で、日々生活を営む彼女。彼女達の家はやがてもぬけの殻になり朽ち逝き、瓦礫ともども土へと還ることが運命づけられている。僕が目撃したあの廃屋の状態から、たとえ数十年遡ったとしても、家族の暮らしぶりは決して裕福だったとは言えないだろう。キョーコさんが目を輝かせながら都ホテルを「豪華」だと持ちあげ、多大なカルチャーショックを受けてしまうのも、無理もない話だと言える。

札幌での自由行動の一回目には、先生が帯同をした。これを自由行動と言うのかは、疑問が残るところ。

「TOKUに行った」とあるが、これは勿論「TOKYU」に違いない。一般的には知られていないような店「ファンシー曽我」を、特別な場所と普段は位置づけているぐらいだから、札幌の東急デパートに至っては、大げさに言えば、「夢でしか見たことがない物が買える場所」とでも、思っていたのかもしれない。

北海道の寒空の下、山の中で、牛ぼいをしながら『東急デパートに行ったら、貰った餞別で「この棚全部」みたいな買い方をやってみたい。あれを買って、これも買って、綺麗な包装紙に包んでもらって、これみよがしに、通行人に見せつけてやるんだ!』 こんなキョーコさんのささやかな夢を、誰が責められるというのだろうか。律儀にも彼女は、晴れの舞台の老舗高級デパートにて、二人の兄弟へと思われるお土産を、購入した。

2回目の自由行動では、生徒4人だけで行動をした。これが本来の「自由行動」だ。

「なんだかプラザ」に入ったとあるが、これは、札幌にもある、ソニープラザのことではないだろうか(1978年当時にあったかは不明だが)。現在はソニーの資本が外れて、ただの「プラザ」と名乗っている。

先生からの監視の眼を逃れたのをいいことに、指輪を購入する彼女。大人へとなる自分へのプレゼントか、親類の誰にか、または、意中の男性に重みのある表現の行為として、渡してしまうのか。指輪の用途への言及は今のところ無い。

本当の自由を手にして札幌市内を練り歩いた、キョーコさんをはじめとする四人だったが、途中、三回も同じ先生と遭遇をする。単なる偶然かと思ったら、その先生は心配だからと四人の後をつけ回していたらしい。

中三少女をして「いやらしいやつだ」と言わせてしまうその教師。セリフには多少の嫌悪感も汲み取れる。時代が時代なら、ストーカー教師として、糾弾されそうな粘着具合でもある。或いは、生徒達の無事を人一倍心から願う、熱血教師であったのか、それは後々、彼女の口から語られていくに違いない。



26-4s
そして 旅かんで  夜にトランプをした .
まず 私が 男子の へや に行って トランプしようと と言って
ほか の 学校の人もようんでこよう と いい しょうだく を うけて
菊池 さんをよんで きた . そこで 中村 さんも いた .
ババ ぬきをして . いるとちゅうで 中村 さんがはいってき て .
一人ではしゃいて 見ていた 次にポーカーをした
こんどは 5人で やった もち .中村さん 、菊池さん .中川くん
西村 くん .そし て わたしだ . そのとき カッ チャンは
立体パズルにいっしょうけんめいでさ*いごまで できなかっ
た. とちゅうで 菊池さんと. 中村くんが だれかに 呼ば
れて行ってしまったので こんどは 並木 の 男子 の 人と1人
均ちゃんが 呼んで きた. そして ガムをかけて .
4人で ポーカーをした . わたし はあとになって
カってばっかし いて ガム ぜんぶをとって しまった。
伸一に 3まいかして あるが … 。 そして 先生 が 入ってきて
ちゅういされた .  だって 11:30 だったのだ .
ほんと むちゅう になっていて あまり時間など わからんかった .
  そしてさいごの日 今日.さっぱろを たって .
ソニプラ?での指輪購入といい、何が彼女の行動を大胆にさせているのか。その目的の裏には、オブラートに包まれているとはいえ、下心ありありとも受け取られるであろう、”トランプ”に名を借りた、深夜の異性交流会がある。

だが、「承諾を受ける」などと表現が固かったり、他校の生徒を積極的に呼んでいることから、場の勢いにまかせて、強引にでも目的の人に近づいてしまえ、というのが第一の主眼ではなく、純粋に、全方位外交による、平和的な親睦会を開きたかったというのが、本意だったのかもしれない。

冷静に人々の出入りをチェックしていたり、どうでも良さそうな、立体パズルの最後までを見届けているなど、誰か一人に偏らず、リーダー的な視点で部屋の全員をそれぞれ等しく管理でもしているかのような振る舞いをみせる彼女。

に、見えもしたが、それは、次のページで激変をした。

ガイドさんの思わぬ涙腺決壊を期に、キョーコさんも、それまで抑えに抑えていた、内面の感情を、あらわに、活字にて表現をしだしたのだ。



26-5s
たき川で昼食をとって さいごに バス の中で 1人 1人 、
思い出をかたってもらった. わらくしたちは とちゅうで
2号車にのりかえねば いけなかったの で  どこだかのドライブイン
で * なんだか 式を した .  しかしそこではのりかえなかった.
そして  あとすこして のりかえの 時間がくるとき . ガイドさんは .
道 どうめぐり はじめてのため 不じゆうぶんで わからないところも
あったかもしれないが ほんとうにみんなよい人たちで ……
と いいつつ 涙をながしてないていた . 私も つい 泣きそうになった
今でも思い出すとなけ そうだ . サヨーナラ ガイドさん .ドライバーも
そして 一号車にの っているみなさん . 私は .手をふって
2号車のほうに のりかえた .  2号車 の うしろにのった
そのとき 並木 の男子の 金山くんなどがいて オモシろかった .
だった あち ら から 金山ですよろしく と いうんだ もの それに この人
とっても ギターがうまいんだもん ステキ . チョコ やって ほった
もち 中村 くんもいた . そして 東並田 . 並木 .行間辺へと
バスは言った. 学校につくとおかあさんがいた 車にのって
帰った . ああ あのまま ずっと いたかった .
もっと 修学旅行 が長かったら ああ みんなにあいたい
松尾ジンギスカンの本社があることでもおなじみ、滝川市で昼食をとった学生達。

「思い出をかたってもらった」とあるから、やはりキョーコさんは、まとめ役のリーダー的な立場へと、この修学旅行の間に、おさまってしまったというのだろうか。わずかな文脈からでも彼女の精神的な成長を発見してしまい、嬉しくもあった。

どこだかのドライブインでの”なんだか式”とは? 様々な学校が集まって修学旅行をしていることもあり、帰る際にそれぞれの方面ごとへ車両を乗り換える必要がある。それへと至るにあたり、”なんだか式”が必要になるようだが、この説明だけでは、何のことだかさっぱりわからなかった。

>ガイドさんは .
>道 どうめぐり はじめてのため 不じゆうぶんで わからないところも
>あったかもしれないが ほんとうにみんなよい人たちで ……

十九歳の新人ガイド、宮崎さんが声を詰まらせながら、至らないところが多々あったが、学生の皆さんが文句も言わず優しかったと、号泣をする。

>私も つい 泣きそうになった
>今でも思い出すとなけ そうだ

結局今になっても一回も泣いていない彼女だが、 深い感動を共有していることは伝わってくる文章だ。

実に悲しいことだが、数十年後には瓦礫の山と化している”あの”家へと帰るために、 お世話になったガイドやドライバーさん達に手を振りながら、最後の別れを惜しみつつ、2号車に乗り換える、彼女。

金山くんのことを大変気に入ったようだ。

>あち ら から 金山ですよろしくと いうんだ もの

言葉遣いがすっかりと、中学三年生の少女から、大人の女へと、変貌してしまったようだ。

あの穏やかでもあった、深夜のトランプ交流会の水面下で、語られていなかった何かしらの神経戦があったのか。以降の言葉遣いが全く変わってしまった。淡々とした人物描写をする中で、人間の情念を読み取る包容力のようなものを、身につけてしまったのかもしれない。指輪購入の踏ん切りも併せて、確実に、牛ぼい少女は大人への階段を急激に駆け上っている最中のようだ。

1970年代ということもあり、ギタープレイのうまさが、女心をくすぐるひとつの条件にもなっている。

自分が食べるために残しておいた大好きなチョコを、金山くんのために、やってほった、 キョーコさん。その本気度は相当高そうだ。



 言葉の端々に大人の女性を匂わせるような発言が多くなった彼女。 精神的な成長の移り変わりを文字にて内なる自分へ届けたいと思ったのか。修学旅行の総括と感謝の意味を抱合した、情感あふれるポエムを、興奮冷めやらぬこの直後に披露をする。

 ともすれば、読んでいるこちらが顔を赤らめてしまうような内容だが、彼女の今が素直に書き綴られている、清々しくもある、二ページにも及ぶ、大作ポエムである。

 しかし、このポエムを綴った数日後、家族の中のある一人の身に、ご不幸が訪れ、しばらくの間、彼女の精神状態が不安定となってしまうことになる・・・

 
 
つづく…

「欲望赴くまま、中3少女の初ポエム披露」 実録、廃屋に残された少女の日記.9 

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