第一滝本館 第一歩
 要塞化していたかに思われた、廃墟「第一滝本館・ホテル滝本別館」だったが、探索者による執拗なまでの周囲周辺部探査活動の結果、そんなに衣服を汚したり擦り切らせることもなく、穏便に、内部への第一歩を、踏み出すことに成功。

 壁とカーペットの色が同色。オレンジに近いような、朱色だろうか。

 老舗の温泉旅館が経営母体でありながら、このホテルは建物の前衛的なデザインや、ブティックホテルとも見紛う館内配色など、オーナー氏による未来を見据えた、地元の”いち”旅館屋を脱却すべく、攻撃的かつ積極的な経営戦略に基づいた経営施策の効果が、端々に散見された。



第一滝本館 看板
 早速、一番手前の部屋に入ってみた。物置に使用されていたような部屋。

 上昇志向の強いオーナー氏による発案だろうか。当時のブームにいち早く目をつけたのかもしれない。「露天ジャグジー」の看板があった。観光バスがホテルのフロント前までやって来て、宿泊客が降りるたびに、オーナー自らがこの看板を掲げ、大声で声を枯らしながら宣伝をしていたかと想像すると、勝手ながら、哀れみさえ感じてしまう。

 やっつけ仕事のお手製看板まで作って、客の呼び込みに必至になっていた様子から、経営破綻寸前、末期の頃の物ではないだろうか。それを裏付けるかのように、看板自体もまだ綺麗で汚れや劣化が無い。



第一滝本館 のぼり
 のぼりの旗とポールスタンド。

 従業員も含め、めったに人の来ない部屋なのをいいことに、特定のある一人のためだけに用意でもされていたかのような、椅子が一脚。古株の高齢社員が抜け駆けで、タバコを吸うためにでも使用していたのだろう。

 コンクリートが生乾きのうちにドッジボールでも当てて遊んでいたのか、壁にはボールをぶつけた波紋のような痕跡が。



第一滝本館 ビール缶
 錆びた古いサッポロビールのスチール缶。

 私的に、これが店で売っているのは見たことがないし、かなり古そう。



第一滝本館 畳返し
 畳はきちんと返して立て掛けてあり、建物全体の再利用を模索していたことが窺える光景。

 廃墟でこういう状況を何度も見てきているが、その度に思うのは、 『ゲストハウスにでも開放すればいいのに』 ということ。辺鄙な場所だからこそ、バイクや自転車の旅人だったら、喜んで宿泊するだろう。ただし、激安価格に限る。上限、千五百円が限界か。

 一昔前、北海道では「とほ宿」というのが流行っていた。でも、手作りの豪勢な食事はいいが、やっぱりその分値段が高い。気軽さのような自由度がない。沖縄では、東南アジアをバックパッカーとして旅行をした人の成れの果てのような人達が、そのノウハウを活かして、バックパッカー宿を経営しだした。今では、すっかり、ドミトリー形式のバックパッカー格安宿文化が定着をした。山谷や西成のようなドヤ街にも準じたものあるが、設備が整いすぎている分、僕に言わせれば値段が高すぎる。今の日本には、数百円で宿泊できるような、本当のバックパッカー宿が必要だ。目標はワンコインの五百円。

 ライダーハウスもいいが、経営者がラーメン屋だったりして、夜食はそこでの飲み食いが暗黙のルールとして存在しているから、結局、高くついてしまう。宿泊施設の経営を完全なボランティアでやっているわけではないから、仕方のないことだろう。

 宿泊施設は廃墟物件を居抜きのタダ同然で借りる。激安宿旅行者は、屋根さえあればいい。東南アジアの安宿では、長期滞在者の宿代を無料にすることで、管理人をやらせていたりする。人件費はタダ同然なのだ。昔の道内のユースホステルにも、そういえば、そのような人がよくいた。ヘルパーと呼ばれていた人達だ。僕は知り合ったヘルパーさんに、まだ日にちが残っている周遊券を、東京から郵便で送らされたことがあった。当時は知識もなくわけが分からずただ従ったまでだったが、今考えると、もったいないような、騙されたような、複雑な思い出だ。ちなみに、彼からの連絡は、後にも先にも、数カ月後に感謝の葉書が一枚来たきり。

 毎晩、中庭でキャンプファイヤーもできるし、周囲に人家が無いから、大騒ぎしても苦情が来ない。

 北海道ならではの、若者達がこぞって集う激安宿旅行文化。北海道内を特区として指定をし、法的な問題がクリアできれば、新たな格安旅行文化の創出として注目を集め、世界中から長期滞在目的の旅行者がこれまで以上に来るかもしれない。

 とにかく、今の貧困化した日本にこそ、数百円で宿泊できるような、激安旅行宿が絶対に必要だ。そうでないと、若者はますます、スマホの中の山や川の光景だけで満足をしてしまい、観光産業はこの先、衰退し続ける一方だろう。

 思えば、はじめての北海道旅行では、駅寝ばかりをしていた。当時はまだ寛容な時代だったこともあり、駅員も駅寝を黙認していてくれていた。冬の遠軽駅では、さすがに待合室は閉められたが、寒空の下で寝るのは可哀想だからと駅長さんがご好意で、駅寝予定の僕を含む五人達を、待合室と入り口の間にある緩衝地帯のような、温もりのある場所で寝ることを許可してくれた。その夜、見ず知らずの貧乏旅行者同士、遠軽駅・駅長さんへの感謝の思いを夜通し語り合ったことは、今でも忘れられない素敵な思い出として残っている。



第一滝本館 トイレ
 中級ホテル並みの設備。



第一滝本館 マットレス
 行き場の無いマットレスがひとまとめに。



第一滝本館 椅子重ね
 「椅子の間」と化した部屋。

 四つ並べれば、立派なベッドになる。



第一滝本館 廊下通り
 真夏には湿気があるのだろうか。腐食し始めている壁。



第一滝本館
 横たわる、宴会場の電飾看板。

 ここらへんは、旧態依然とした、”日本旅館経営者脳”が抜け切れていない様子。



第一滝本館 どさんこ
 地下に専用のお土産店まで存在した、かなりの規模を誇るホテルだった。

 ここ周辺の土地代など”ただ”みたいなものだろうから、コストのバカ高い地下部分をわざわざ作る必要はあったのか。



第一滝本館 カウンター
 高椅子とそれにあわせたおしゃれ小テーブル。置くスペースがお盆ほどしかなく、実用性は皆無。



第一滝本館 配膳
 昼前の、物音一つしない館内。照明設備は稼働していないので、当然、建物の死角には日の当たらない暗がりが存在する。

 が、設計者の建物に対する芯の通った哲学のようなものを、館内を探索していくうえで、強く感じさせられることになる。

 建物の外観を思い出して欲しい。あの、階段のような、あらゆる部屋の窓に光を迎え入れるようと試みている、まるで太陽に媚びてでもいるかのような、全方位型陽光取り入れ建築。

 そして、朱色という明るい色彩に、ともすると、殺風景な壁ではあるのだが、その上部にはしっかりと、こだわりの明かり採り部分が、しつこいまでにぎっしりと並ぶ。改めてそのことに気付かされ、設計者か、あるいは、攻めの勢いが一番あった頃のオーナー氏による考案か、廃墟より、深く敬意を払わずにはいられなくなった。

 光を自在に引き寄せる、この建築物にも、漆黒とまではいかないが、やわらかな暗がりが存在した。死角はどうしてもうまれ、薄闇のような視界のきかない場所もあったのだ。

 オーナー氏は、それを補填でもしようとしたのか、形状からくる影の排除は実質的には不可と判断をし、当時は勢いのあった彼が導き出した一つの解決法がそれだったのか。



第一滝本館 影鹿
 その暗がりには、来館者の気分を少しでも明るくさせようとの試みか、鹿が置かれていた。オーナーの閃きだとでもいうのだろうか。でも、こちらを睨みつけているように見えた。

 これより     女中部屋から一般客室部屋まで、縦横無尽に、駆けずり回って探索活動を行うことになるが、なぜか起点となるのは、毎度この鹿であった。あっちへ行っても、こっちへ行っても、上へ駆け登っても、気づくとこの鹿と対峙をし、顔を突き合わせることになった。まるで、この鹿を中心として、ホテルの施設が配置されているかのようでもあった。

 

つづく…

「廃部屋巡り、鹿巡り」 鹿旅情、廃ホテル滝本別館.3 

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