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 修学旅行の夜に深めたに違いない、ひたむきなまでの、恋心を、ポエムという形でもって、表現をした、キョーコさん。

 行動に移すべき自分自身を、自ら鼓舞する唄のようだと、そのポエムを見る向きもあったが、肝心の相手の名前をはっきりと明記していないところが、しおらしく、彼女らしくもある、奥ゆかしさが見て取れた。

 そんな中、恋に、勉学に、家業の手伝いにと、充実をした日々を送っていた、中学三年生の少女に、突如、身内に不幸が降りかかる。

 その訃報を聞かされても、狼狽することもなく、落ち着いた様子で、ソフトボールの話題を淡々と、振り返えってみせる彼女だったが、一晩を過ぎると、やはり、もう大人だからと冷静さを装っていたのか、以後、悲しみを包み隠すこともなく、死に対する抗うことのできない、無念さを、切々と、吐露していくことになる。



30
1978 (53) 5月30日(火) 9:52

 ハ  イ  今日は 早いでしょ . 書く時間!
Father  and Mather は さっき おでかけに なりました.
理由ですか?  8時ごろだったかな? 電話が来てね.
「じじちゃんが ・・・・ 」 どうのこうのと 話しをしていた ら・し・い・。
”きとく” だなんて言ってたの . 理由わかったでしょ .
ホイでもって今日の 五.六時間目に グラント開きをしたの .
天気 が悪くてね . 五.六時間目になってから雨が ポツン
ポツン降りだして…… 六時間目の終わりになると 少し多めに、
降ってきたのです. 今なんて ザーザー降ってるよ .
ホント に スゴイ いきよいでね . あの グランド開きはね.
天気が悪かったということから ソフトボールしかやらなかった .
Aチーム 21点 Bチーム23点  Bチームの勝*
このわたくしは . なんと Aチーム . しかし せいいっ*ぱい
やったし とても たのしかったよ . 今日はそんなもんですよ .
では . ** 中村君 ~~~~ と 呼んだりして… 。
 まケるナ くジけルな  ゴーゴー Let' Go !

いつもなら、深夜に日記を綴る彼女だが、朝9時の時点で、もう書き始めているのは、気が動転しているからなのか。

>”きとく” だなんて言ってたの . 理由わかったでしょ .

お爺ちゃんが危篤だとの連絡を受けたということで、『朝から日記を書いている心情を理解しろ』と、まるで読み手の理解力の無さ、無神経さを嘲笑っているかのような、キョーコさん。

それにしても、この問いかけるような文体は、彼女特有のものなのか、それとも、少女時代の日記における、ありがちな手法であるのか、よくわからない。僕が日記を持ち出さなかったら、キョーコさんの問いかけは、北の大地の残土の中に埋もれたままで、わかるもわからないも、まるで暗闇にボールを投げるばかりで、一向に跳ね返ってこないという、ただただ虚しい行為が、用紙が分解されるまで無限に続けられていたかと思うと、「持ち出し公開は是か非か」、その答えはいまだ胸を張れるものではないが、”全くの無駄ではなかったことは確かだ”と言えるところまでは来ている、との自信は微かにだが、増してきた。

ざっと先読みした時点では、「グラント開き」とは酪農をする上での、何かの手順の一つではないかと思っていた。酪農家としては欠かせない大切な行事で、北海道らしく、授業中でも一時帰宅することが許されていたとか。が、今一度、前後の文脈からしっかりと判断した結果、これは「グランド開き」のことに違いない。事実、それ以降には濁点が付いていた。

僕の学生時代には、この「グランド開き」という単語を一度も使ったことは無かったのだが、これは、一年で初めてグランドを使用する際の用語なのか、それとも、毎回、「今日もソフトボールをやるから、グランド開きをするよ~」と、毎度のこと使う言葉なのか、どうも定かではない。

降りしきる雨の情景を振り返る記述。北海道も梅雨のシーズンに入ったのかと思いきや、台風はまれに上陸するが、確か北海道に梅雨は無かったはずだった。彼女も「もうすぐ6月だから、梅雨だね!」との言及は無い。

もしかすると、泣きたくなる心情を、雨になぞらえるという、ひとつ上の表現手法をいつの間にか、身につけたとでもいうのか。

>中村君 ~~~~ と 呼んだりして… 。

恋い焦がれ、抑えられず唐突に中村君のことをストレートに叫んだのかと思ったりもしたが、年頃ということもあり、流行語などを時折会話に挟む彼女のこと、これは1958年にヒットをした歌、「おーい中村君」のパロディであると同時に、勿論、実在する中村君のことをかけていて、照れ隠しの手法だったろうと、推測する。



31
1978 53    5月31日  11:25

なぜ 泣かなければ なんないんだろう
なぜ 人を 好き にならなければ なんないんだろう
いやだ! いやだ !  そんなことは嫌いだ
もう なんにも書きたくない . 一人が こわい. 生きていることが こわい
 
まけるな くじけるな   もう いや !

※ 今日 集体 (並中 といっしょにやる体育のこと) をやりまして.
内容は スポーツ テストのつづき .
ふみだいしょうこうの時 となりに山角君がいた. オモシロイ人だ!
宮わき君もいたし金山君もいた . ああ . なつかしい顔ばかり
そして みんな いい人 . オモシロイ人ばかり .
私のような人は一人もいない . みんな ステキな人ばかり
やさしい人ばかり . 私、みんな すきよ .
自分以外 みんなすき .  ほんとうに みんな 好き!

お爺ちゃんの死に悲しんではいるが、そこは、中学三年生の女の子。叶わない恋の無念さからくる、悲痛な思いの方が、今は優先されてしまっているような状態。

自分以外はみんな好きだと、オモシロイ人ばかりと、自虐的になる一方の彼女。

恋愛対象が、具体的に絞られてきた。

後日の日記では、欄外に、彼女の中の”恋愛ビッグ4(フォー)”とも言うべき存在の人達、彼等の苗字が、神々しくも、書き並べられることになる。

 お通夜に参加をするが、お爺さんの死以上に、看病で疲れ果て、骨と皮に成り果てた父に、涙するキョーコさん。

 お父さんだけは元気でいて欲しいと切に願うものの、通常なら容易(たやす)くもある希望は、やがて廃屋の下で彷徨うことになる家族においては、成就できるものなのかどうか。

 四人への思いが増すばかりになりつつも、生まれて初めてのお通夜に参加をし、そこでは、無意識・無自覚ではあったが、彼女は近い将来の予見を  何かの知らせでもあったからなのだろうか  書き綴ってしまうこととなった。



つづく…

「少女が受け入れた死、四人との天秤」 実録、廃屋に残された少女の日記.11 

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