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 中学三年生、十五歳の誕生日を機に始めた、キョーコさんの日記が、約一ヶ月間を経過し、六月へ突入をする。

 1978年の6月と言えば世間では、サザンオールスターズが、「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューをした頃。

 当時のヒット曲、沢田研二の「勝手にしやがれ」と、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」から、タイトルを付けたという歌を引っさげて、一見してコミックバンドのようだった、桑田佳祐率いるサザンが、二十一世紀の今日まで、日本のメジャー・ロック・バンドのトップに君臨しているという、事実   一方、家族の思い出とともに、その記録をとどめた少女の日記は、朽ち行く廃屋の下に埋もれたままであったという、切なすぎる現実   

 たまたま通りかかった、廃墟徘徊男にその日記が拾われて、幸か不幸か、世に公開されることに相成ったが、日記の中の現実は、つかの間の青春を謳歌する少女がそこにはいながらも、未来を暗示するような、描写、前触れのようなものがあり、偶然にも言及をしていた”その事柄”。目移りする恋と死の狭間で、彼女自身が気づいていなかったのは、当然と言えば当然のことなのだが・・・



01
1978 (53)  6月1日  (木) 11:26

今日” おつや ” がありました。昨日は”かり おつや”でした.
明日は”そう式” なので わたしは学校休みます
ちょっぴり ざんねんです .  だって 6時間目に体育
あるんだもの . 金山君 . 宮わき君 .山角君 、に
あえないなんて ほんとにかなしい 。
しかし あすはだいじな日だもの .
 昨日 (5月31日 朝 7:30 )に じじ ちゃんが ・・・・・・ 。
思っても みなかったことです . 84才でした .
私の しっている じじちゃんは 元気 で しっかりした人でした
 しかし 今はもう … 。 今日 *** もうすこしで泣くところ*
でした。  おてらにいくまで 戸田さんの車で , ます家に行き
私がセーラーにきがえてから . 町にむかい 写しんのげんぞうし*
*てできているのを*とりに行って 戸田さん 家へ . そして
おてらへ . のじゅんだった. やすらかに . さようなら 、おやすみ
なさいね .  手のひらひとつの命だけどなにものにもかえられぬ.
  まけるな くじけるな   good . niight ,

祖父のお通夜が本日、行われたという。

明日がお葬式なので、学校を休まなくてはならないが、それが”ちょっぴり”残念とのこと。理由は、体育で顔を合わせる男子達に逢えないから。

お爺さんは八十四歳だったから、誰もが認める大往生といってもいい。やはり、至極まっとうな死より、目下の自分の憧れの人達との出逢いの方が、何かと気になる様子。

>ちょっぴり ざんねんです

ちょっぴりとは、祖父の死を差し置いて、男の子達の存在を気にしている自分に対して、弁解戒めるための、敢えて控えめな表現を用いている、というか、装っているということだろう。実のところ、彼らを他の女子達に『盗られはしないだろうか?』といった焦りや、一時でも逢えないことによる喪失感、虚無感、を強く感じとっているのかもしれない。

複数人を同時進行で恋い焦がれ、選びきれないでいるキョーコさん。性別などが違うので、自分の行動には当てはめられないが、いくら多感期の少女時代とはいえ、こういうことがありえるのだろうか。

普段から尋常ではないほどに、自虐的で自分を極度に卑下することもある彼女。「自分以外、全員素晴らしい!」とまで言ってみせたりもする。自己否定が極みに達する時、過剰な他人賛美をすることで、贖罪をしたような気になり、なんとか自分の中の精神の均衡を保とうとしているのではないか。

>もうすこしで泣くところ*でした。

修学旅行で、自分と年齢が変わらないような、新人ガイドが、『至らない部分が多かったのに皆さんが文句も言わず・・・』と、号泣しているのを目の当たりにした時や、今回の”じじちゃん”の死でもそうだったが、泣きそうでもすんでのところで、泣かない、涙腺耐性は実は結構強い、意外な一側面をみせつけるキョーコさん。

”手のひらひとつの命だけれどなにものにもかえられぬ”

冥界へと旅立つ祖父へのはなむけ、感動のポエムが、紡ぎだされた。ざっと調べてみたが、引用とかではないみたいだ。感極まった修学旅行で初のポエムを披露してから、そして今回のこと。これからも、彼女なりに区切りをつけたい場面で、創作ポエムを繰り出すしていく意向なのかもしれない。



02
1978 (53)   6月2日  (金) 10:30

今日は おそう式 でした .
まるで ねむっているような やすらかな お顔で …
涙が出ます 。 お父さんの姿を見ました .
つかれ* はて ねむれぬ毎日のように やせこけ 、
*** 骨と かわだけのようになってほっていた 。
心配させたくない. こまらせた*くない あまりしんけいを
すりへらさせたくない  これ以上 , ただ その 一言 を
思うだけ . お父さんだけは 元気でいてほしい .今よりも,
もちろん みんな も元気な姿で いてほしい .
でも今は . お父さん の今の姿は 見ていられないほど
だから * 元気 に なって ほしいのだ ,
  話かわって ,  今日 . 並木との集体があるはずだった
1時間 しかないから*男女 いっしょだったと思う
ザンネンダ ! バレーボールだったんだもん .
私 のんだり くったりよりも家に帰りたかった ,
※ 焼くところ見てしまったのだ。 そう式に出たの初めて!
まけるな くじけるな  カッポ            !

お葬式当日。いつも見せそうで涙を見せないキョーコさんが、ついに、涙を流す。

思春期の女の子らしく、父親への言及があまりこの日記内ではなかったが、その変わり果てた姿に、かなりの字数を費やし、父へのいたわりの言葉が述べられる。

もしかしたら、老人介護のような状態だったのか。息子である父がつきっきりで、その殆どを受け持ってしまい、疲弊をして、結果、骨と皮だけのようになってしまったのかと。

看病だけで、キョーコさんも心配するような、痩せこけたような状態に、なるだろうかという、疑問も残る。その父の悲壮感から、行く末を感じ取っていたのか、大黒柱である父を失っては決してならないと、中三少女に思わせるくらい、家族の生活が逼迫していたのか。

>骨と かわだけのようになってほっていた 。

この”ほって”活用は前にも出てきたような気がするが、今回は、別の意味、『しま(ほ)って』の意だと思われる。

集体とは、過疎地ならではの、他の中学が集まって行う”体育”のことだったが、男女一緒のバレーボールをやれずに、残念がるキョーコさんに、あの四人に対しての、並々ならぬ強い愛情を、感じぜずにはいられない。

なにしろ、お葬式当日の日記だというのに、欄外に『金山 山角 宮わき 中村』と書いてしまうほどだ。目をつぶりながら、鉛筆の先で指したりして「もう一回」とでもやっているのかも。

あるいは、『金山 山角』の並びで、「縦から読んでも横から読んでも金山 山角だ!」と、ひとり悦に入っていた可能性もある。

悲しい日ではあったが、最後には、飼い馬へのリスペクトも込めた辛気臭くならない砕けた表現「カッポ            !(蹄の音?)」と叫びようにして、明るく締めくくった。



 欄外の四人の並びは、恋愛優先順位だったのか、ストーカー一歩手前のようになったキョーコさんは、金山君の家への詳細な道のり、居住地情報を、どこからか、仕入れることに成功をする。

 個人的に昔のこと、実はそこの場所へ行こうと思ったことがあるのだが、カラスに行く手を阻まれて、退却をした思い出がある地でもあった。

 そして、帰りの会で、予期もしなかった、ある行為を糾弾をされることになる。泣きながら詰め寄ってきた相手が、クラス全員の前で、キョーコさんを問いただす。怒りに満ちたペンの暴走は、日記の中で爆発をしてみせる。



つづく… 

「帰りの会での公開処刑、少女が突き止めた家」 実録、廃屋に残された少女の日記.12 

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