瓦礫と自然との共生が始まりつつある廊下を、床が抜けやしないかと、うろたえながらも、少しずつ前進して行く。
”たんぽぽぐみ”の中に入ってみる。
カーペットが腐食しているようにも見えるが、ここは幼稚園、板張りだったろう床が、大地からの緑にほぼ完全に侵食されてしまっている。
足跡を付けないように、細心の注意を払い、苔むした床の中に僅かに浮き出ている、基礎の木枠を平均台のようにして、絶妙なバランスを保ちながらにじり進む、廃墟探索者。
足を踏み外そうものなら、床は抜け、下手をしたら、腰まで飲まれそうだ。もし、そうなったとして、身動きできなくなろうものなら、助けを呼ぼうにも、どう説明したらよいのか、戸惑うこと、この上なくなる。
エレクトーンではない、ピアノとまではいかない、オルガンだろうか。
ちなみに、床が残っていたのはせいぜい廊下付近の手前部分だけだった。オルガンの重量も、床の崩壊に寄与しているのだろうか。
鼻のかなり大きい人が主演をしていた『戦場のピアニスト』という映画があったが、ふと、『廃墟のオルガニスト』という題名が頭にうかぶ。
自分がその主役になったような気になり、鍵盤を叩いてみるが、全くの無音だった。
『とうやこ幼稚園原生花園』といってもいい光景に、息を呑み、しばし、見とれてしまう。
父母会にでも使用されていたに違いない、錆だらけのパイプ椅子。
園児用のは、塗料で着色されているので、錆を免れている。次があるとすれば、園児用のパイプ椅子だけとは、再会できそうだ。
噴火の予知により、避難をしたのが3月29日。当日までしっかりとめくられていたカレンダー・・・・・・と思われたが、破り方がいい加減で、上部に余りができてしまっている。よって、部外者により、後になってめくられ破られた可能性が大か。
或いは、緊急避難命令が突如出て、慌てふためいた職員が、幼稚園の完全崩壊を覚悟して、せめてもの置き手紙、生きた証、痕跡を残しておこうと、震える手で乱雑に破り捨てたのだろうか。
園児のロッカーの並びが途切れていて、向こうへの、まるで扉が開いてでもいるようだった。
くぐってみると、そこは、様々な遊具で溢れている、園児達の楽園ともいうべき、プレイ・ルームだった。
つづく…
「ジャングルアーチでみた夢の続き」 廃墟、とうやこ幼稚園と噴火遺構.7
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コメント
コメント一覧 (2)
地震学会の予知は全く、ほぼゼロの確率ですが、噴火の予知はかなり的確なのだと、この記事を書いて知りました。
死者が出ていたらこの状態での保存は無かったかもしれないから、園児含めて皆さんお元気で良かったです。
私個人としても辛かった何年間をやっと抜け出し、運気が上昇し始めた思い出深い年でした。
同じ北海道でも400km程離れているので、まるで違う国で起こったような感覚でした.これだけの噴火で人的被害が出なかったのは、本当に不幸中の幸いだと思います。