ドライブインかどや 正面
 洞爺湖を見下ろす、山間の国道230号線、北海道らしい長い直線でついついアクセルを踏み込み気味に、車を颯爽と走らせていると、廃墟徘徊者の視界に飛び込んで来たのは  遠目でもわかる、色はくすみ、所々が損壊気味、なんとか建物の体を保っている  廃墟ドライブインの『かどや』。

 広大な駐車場だったろう建物前のスペース、そのアスファルトはそこかしこがひび割れている。

 例によって、アスファルトの隙間からは雑草が隆起し吹きこぼれ、それらが次第に連鎖反応を起こしつつ、次から次へとアスファルトを捲っていく。出現し続ける廃墟庭園は、やがて 、残された区画のほとんどを、覆い尽くしてしまう予定なのかもしれない。少なくとも、これまでの物件はそうだった。



ドライブインかどや 草
 車を、建物から目視することのできる最遠部、警察が来ても駐禁をとられないギリギリの場所に駐車をして、かつては長距離トラックや団体用の観光バスで賑わったに違いない、運動場と見紛うようなアスファルト大空間の地を、ひとり寂しげに、でも待ち受ける廃物件に期待を膨らませつつ、膝を気持ち上げ気味になりそうなところを、もし他人に見られても冷笑されない程度になんとか自制して、氷上のカーリング選手程度の落ち着いた足取りで、歩いて行く。



ドライブインかどや 水たまり
 1964年の東京オリンピック以後、一般市民にも車が手に届くようになり、日本にもモータリゼーションの波が押し寄せる。日本全国に道が張り巡らされ、国道沿いには車利用者を目当てにした、ドライブインが多く建てられた。

 栄枯盛衰、その後の高速道路やバイパスの普及により、客足の遠のいた国道沿いのドライブインは、昭和の終わりとあわせるようにして、激減していった。

 ただ、消えて行ったドライブインの理由としては、他にも原因がある。

 僕がまだ北海道旅行の経験がかなり浅い頃、友人を車に乗せて旭川近辺の峠を下っていた時のこと   

「あそこにしよう!」

 友人が声を引きつりさせながら叫んだ。朝食抜きで走りっぱなし、飲み物もろくにとらずに昼過ぎまで経過をしてしまっていたのだから、しゃがれ声に期待値の大きさから子供みたいなその興奮ぶりも、まあ、仕方がなかった。

 それは個人でやっているような食堂だったが、北海道では大抵そうであるように、長距離トラック目当てで駐車場だけがやけに大きい、住居も兼ねた、個人経営ドライブイン食堂だった。

 建物は比較的新しく、オープンしてまだ一年ぐらいしか経過していないだろう。客は僕達ふたりだけだった。

 友人が『もやしラーメン』、僕はメニュー内でも一際目立つようにデザインされ、値段的にも一番高く店の名物に違いない、『激辛ラーメン』を注文した。

 店を切り盛りしているのはおじさんひとりだけだったが、ふたりのたのんだラーメンは待たされることなく、すんなりとでてきた。

 友人の『もやしラーメン』はまだ許せた。申し訳程度のもやしが小盛りに、お弁当用のミニハンバーグ並に小さいチャーシューがのっていて、「これをわざわざ『もやしラーメン』と名乗って通常のラーメンより割高な料金をとるのは、いかがなものか!」とでも言いたくなったが、値段がそれほど高くなかったので、ギリギリ許容できるレベルだった。

 僕の『激辛ラーメン』の方は酷かった。見てわかる明らかなラー油が、ただの醤油ラーメンにかけてあるだけで、その上にさらに胡椒がふってあったのみ。たったそれだけが、『激辛』の意味合い、演出ということらしい。ラー油も胡椒も卓上に用意されているのと全く同じものだった。

 バカバカしくもあり、呆れて怒る気もせず、こんな物をたのんだ自分が情けなくなるやら、恥ずかしいやら、でも怒りの態度を主人に示さないと、己の尊厳が保てなくなりそうなので、苦笑いがこみ上げて来て吹き出しそうになったが、一応、友人に訴えかけるという形をとり、「これが激辛って!?自分でここにある調味料をたせば済む話しだよな!」と、聞こえ気味に、万が一のリスク、こんなことでオヤジに逆ギレをされて一生あとを引いてトラウマになるようなことにはならない程度の、微妙な加減の声質で、”ヒソヒソ”クレーム問答を試み始めた。

 すると、驚いたことに、主人は聞こえてはいるだろうが(おそらく)、でも聞こえないふりを装いつつ、ニヤケ顔でニタニタと薄笑いを浮かべだした。

 たぶん、彼は、『俺が本気を出せば万人を頷かせる激辛ラーメンを作ることはできる。でも、それをやるには手間もコストもかかるし、こんな山の中のドライブインで出しても、リピーターはその内の数パーセントでしかない。口コミで客がやって来るのは、何年も後の気の遠くなる話しだろう。それなら、飛び込み客、以後、一生顔をあわすことのない客だけを相手にして、適当に作った物を、客が面と向かって文句を言ってこないギリギリ寸前の値段で提供して、訴えられない程度にボッタクってやればいい』 のように思っているはずだ。

 ニヤけている意味は、『本気でこれを作っているわけではない。俺もバカじゃない。客を騙しているわけだが、表情だけでも横柄な態度をとってしまうと、怒りに油を注ぎ、客からの反撃にあうこと請け合い。あざとく狡猾であり、無能ではないことをアピールしつつ(腐ったプライド)、客との緊張状態を和らげる、その答えが、このニヤケ顔なんだ・・・』 僕は咄嗟にそう汲み取った。

 このように、ドライブインとは大抵個人で慎ましく営業をしているものであり、客に対する情熱、熱量は千差万別である。手を抜こうとすれば、それには際限がなく、絶望的な店主と仮に巡り合わせたとしても、誰も保証したり弁償してくれるわけではない。入ったとこ勝負の存在。

 大当たりがあれば、その逆もまた数多く存在し、非常にリスキーな施設、それがドライブイン。

 ある程度の質を全国規模で担保してくれるチェーン店、都道府県のアンテナショップでもある道の駅、などがドライブインにかわって台頭してきたのは、当然の成り行きと言える。



ドライブインかどや 玄関
 ガストや松屋にセイコーマート。画一化され外れは無いが、大当たりが無いことも事前にわかりきってしまっている。

 かつて、車に乗り家族旅行で行った先のドライブインには、未見の謎、魅惑的で大当たりの”昭和のドライブイン”があった。テーブルから溢れんばかりの皿と小鉢。聞いたことの無い方言を話す満面の笑みの給仕さん。

 人目を引こうと、奇妙なディスプレイで勝負をする、個性的な建物のドライブイン。

 今回のドライブイン『かどや』も、昭和の栄華がしのばれるような  その昔、大勢の観光客を魅了して、引きも切らずの至福の笑みを絶やすことのない人々で  店内が溢れかえっていたというのだろうか。

 在りし日の自身の体験を重ね合わせるようにして、昭和の綺羅びやかだった幻影を追い求めるようにして、今、この、見た目は亡骸のような廃墟化した廃物件ではあるが、往時の賑わいを検証すべく、あるいは、没落の原因を探るべく、廃墟探索者が胸を張りつつ勇ましく、廃墟ドライブイン『かどや』の懐へと、踵をしならせつつ、飛び込んで行く   



ドライブインかどや 札
 団体客を歓迎する札が玄関に、いまだ立て掛けられたままに。

 これは、大手の旅行会社もうちを利用していますとの、売名的ダミーの立て札であり、一年中、この一番目立つ場所に掲げられていたと、推測する。

 もちろん、実際に大手旅行会社の利用もあっただろうが、ドライブインの経営者は、人一倍の権威主義というか、攻めの姿勢を常に崩さない、地方ではやり手で知られていた、その頃に関してだけは、優れた成功者であったのかも。



ドライブインかどや ごみ
 建物周辺調査を開始する。

 己の揺るぎない、廃墟における検証理念として、『ゴミは人を語り人を炙り出す』というのがある。

 その発表以来、多くの賛辞を、止むこと無く受け続けている、廃墟ドライブインにかつて住んでいた、家族の生態を如実のもとにさらけ出した、衝撃の問題記事、『廃墟、『ドライブイン丸豊』の闇』でもそうであったが、これらの残留物から察するに、手厚く可愛がられていた幼子を擁した、二世帯家族による、健全な経営状態(ある時期までは)の、地元での評判もそう悪くないドライブインであったと、想像できる。

 暖色、寒色の、二色の手押し車のおもちゃがあることから、男女二人の兄弟がいたと見る。



ドライブインかどや 人形
 二人の兄弟、長女のための、雛祭りの人形だろうか。

 元は大規模ドライブインなので、ある一時期の羽振りの良さは、確かにここでも見受けられた。



ドライブインかどや 売地
 入り口には、廃墟徘徊者の侵入を拒むかのように、あゆる意味で、無駄な足掻きと感じられる、『売地』表記の看板。

 物理的、精神的な覆いを撥ね退け、昭和ドライブインの幻惑に誘われるように、虻田町虻田郡にかつて存在していた、廃墟ドライブイン『かどや』の賑わいを擬似体験すべく、幼き頃の家族でのマイカー旅行を懐かしみながら、この瞬間、一時の時流退行経験に浸るがために、いざ、踏み込み出そうかと、決心をするに至った   



つづく…

「グラフィティとオブジェの解釈」 昭和の栄華、廃墟ドライブイン『かどや』の夢.2 

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