かつて確かに見て、驚き、たじろぎ、口を半開きにしながら
記憶が薄れたのか、街の変容に追従できなくなってしまっていたのか、あの幻の路地とは再会できなかったものの、代わりに偶然にも辿り着いたのが、卒塔婆・・・のような板が、まるで異界への入り口のようでもあった、奇跡的にも取り残されていた、新宿廃屋限界集落。
右側の砂利道の先には、枯れ果て水も緑も失った死の山々、そう、まるで廃屋山脈ともいうべき無残な姿を横たえた、廃墟アパートがあった。
左側の先はというと、急激に道幅が狭まり、車が通行できない歩道になっていた。歩いていった先に広がる光景は、いまだに信じられない、数々の廃家屋に、人の気配がある家は幾つかあったものの、どれも廃屋一歩手前の損壊状態であり、家主は何れも独居老人であるらしかった。手押しポンプの井戸まで確認。
新宿の伊勢丹からさほど遠くない場所にありながら、集落全体で、まるで息を殺すようにして隠れ忍んで、そこには、ひっそり生きながらえていた人々が確かに存在していた
周囲には高層マンションやオフィスビルが林立しているというのに、この場所だけに、局所的に、限界集落が残された謎
廃屋限界集落の入り口ともいえる場所に佇む、空き家だか廃屋だか、どうも釈然としないこの家屋に、『謎』を解く鍵があるのではと、今一度立ち返って、とりあえず、この”板”を検証してみることにする。
それは、卒塔婆ではなく、ただの板切れだった。
現場では文字が判読できなかったが、大写しの画像で改めて確認をしてみると、その内容が判明をする。
無断 侵入* 取 罰金 禁*
私道につき進入不可*
一部読めない箇所があったが、ざっとこんな感じだ。
進入不可とは、右側の砂利道のことを言っているのか、それとも、狭小になっている、歩道のことなのか。あるいは、我楽多のような物品などで溢れかえっている、家屋及び土地内へ”進入不可”という意味合いなのか。
どう見てもこの家は空き家で廃屋のように見えたが、筆文字による自意識漲る自己主張を見させられてしまうと、まさか、人が住んでいるのかも、と思えてくる
炎天下の中、雨戸はどれも閉め切られたまま。カメラを持ち周辺を撮影しまくるが、人の気配は感じられなかった。家屋はあちこちが崩れ痛んだままで、いつ崩壊してもおかしくない状況。
しかしながら、卒塔婆板の内容が判明したということもあり、今一度、この家屋を、見つめ直して、最終詳細徹底検証を実行してみることにした。
バケツの置いてあった場所を今度はアップでご覧いただく。
建物全体を蔦が這っている。長期間、開けられた形跡の無い窓。窓の向こうは家具かなにかで塞がれている様子。
何れの窓も閉じられたまま。室内にいたら体感温度は軽く四十度は超えるだろうから、熱中症になること必至。
まるで簾のコレクションお披露目でもあるような並べ方は、家の前面部分でも同様。
小テーブルはもしかしたら、猫の安息用か、それともただの不法投棄か。
仕切り直しとして、じっくりと観察、眺めてみても、この荒みようでは、「廃墟ではないのか」という印象は変わらないままだ。
だがしかし、何気ないこのカットに、見逃していたある部分を発見してしまい、『きゃっ』と、声にならないただの空気のゆらぎでしかない、か細い小さな悲鳴をあげてしまった。
問題の部分のアップ。
ここだけ窓枠の”材質”が違う。窓ガラスは汚れや摩耗、色素沈着が無く、光沢を帯びて非常に綺麗である。
この部屋だけが利用されていて、クーラーが設置されていることは、大いにありえる。
よって
新宿のど真ん中に、確かに、廃屋限界集落は存在した。
極めて狭隘な地ながら、その限られた集落だけに、朽ち果てる寸前の瓦礫に等しい家屋が多数密集して存在していて、その多くが空き家でありながらも、所々は、隠れるようにして、ご老人達が密かに余生を送っているようだった。
卒塔婆のような板に書き殴られた、軟体筆文字の解読に成功しつつ、その内容を額面通りに受け取るならば、「進入禁止」との意思表示をし、可能とさせる意味合いは、右の砂利道と左の歩道の先も含め、周辺一帯が書き主の所有であり、そこらへの立ち入り禁止を宣言しているにほかならない。
あの言いようは明らかに、板書きの地及びその周辺部一帯への「立入禁止」を示している。
自宅の家部分だけの土地所有者だったら、周辺一帯への立ち入りを禁止するような”厚かましい”書き方はしない。
終の棲家として、この地で天寿を全うしようとしている主は、デベロッパーに土地を一括で売る気は無いし、当然、所々を切り売りする気などの毛頭無いのだろう。
かくして、二十一世紀でありながら、新宿の地において、奇跡的にも、瓦解間際木造家屋群の、新宿限界集落が、取りこぼされるようにして、残されるに至ったのだった
おわり…
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コメント
コメント一覧 (5)
狭くなっている歩道の先にはさすがに入って行ってないですね。
井戸まであったので、もしかしたら京都の某地域みたいに水洗化もされていないのではとも思いましたが、それは無さそうでした。
当時はお隣さんがちょっと眉をしかめる程度のまだまだゴミ屋敷ビギナー風味です。
ただし、先見の明あるお隣さんはこの頃から「不法投棄→罰金」の当てこすり看板を掲げて隣家を牽制しています(結局効果が無かったことが証明されていますが)。
新宿へは中学の頃から行ってますが、まるで真空スポットのようにこの一角だけ、異質な雰囲気でした。集落を通り抜けて少し歩くと大通りに出て、顔をあげるとそこにはダイソーがありました。
50年前の小岩と似通っているとは、僕の予想が当たっているとすれば、集落一帯の地主かもしれない板書き家主の街並み保全の精神に、貴重なものを見せてもらったと、感謝したい気持ちです。
此処だけ時が止まっているのでしょうか?
もしくは「時空の歪み」みたいなものがあって、異次元に放り出された管理人が見てきた『夢』なんでしょうか。
不思議な気分にならざるを得ません。
でも、待てよ・・・と。
どこかで見た風景なんだよな。
俺も時空の狭間に落とされたのか?
いや違う。
半世紀も前の記憶だ。
50年前の江戸川区小岩が蘇る。
木戸をくぐると防火用水の石桶。
その横に手押しポンプの井戸。
家の周りは鬱蒼たる木々。
忘れかけていた幼き頃の記憶なのか・・・・