かどや 金庫
 カウンター内には、開け放たれたままの空の金庫、同じく缶のクッキーの入れ物などが、そのままに。

 外に捨ててあったおもちゃや雛人形などの痕跡からすると、仲睦まじい親と子の温かい家庭環境がその時点では存在していたのではないかとも思われたが、この乱雑で余裕の感じられない狼狽ぶり、取り敢えず必要最低限の物だけ持ち去った感のある物的様相を眼前に突きつけられると、ここもまた、追い込まれての、悲しき夜逃げ物件であるとでもいうのだろうか。

 僕が北海道へ幾度となく足を運ぶようになったきっかけは、勿論、日本の西や南では見られないような北限の大自然を堪能したいということもあるが、その前提として、「北の国から」などをはじめとする北海道を扱ったドラマや映画に感銘を受けたことも大きい。

 脚本家の倉本聰が富良野に移住した際に、夜逃げをした農家の廃屋を発見し、そこから、ドラマ「北の国から」の着想を得たということを最近になってから知った。

 事実、「北の国から」で東京からやって来た純や蛍達がはじめに連れて行かれた家が、まさにそのような、廃屋であり、僕のブログの記事によくでてくるような、何時崩壊してもおかしくないような”あばら家”だった。「北の国から」の第一話のタイトルはそのものズバリ「廃屋」である。

 今ではネットで「廃屋」と検索をすると、僕のブログが一番上に現時点では来る。

 正直、「北の国から」の第一話の内容なんてすっかり忘れていた。最近CSで北の国からのスペシャル版の再放送をみて、『そういえば・・・』と思い出したぐらいだった。

 炭鉱と運命を共にして衰退をしてしまった”街”などを駆け巡りながら、そこで発見をした廃屋に入るやいなや、今にも多くを語り出しそうな人々の歴史が封印されているかのような置き去りされた物で溢れかえった、どちらかと言えば物悲しさで充溢した部屋という部屋に、僕は次第に魅了されていった。

 北の国からで強い印象を刻まれたあの第一話の「廃屋」のことが、無意識ではあったが、どこか共鳴するものがあり、あの鮮烈さよもう一度と、物語に結果的に煽られるようにして、北国育ちでもない僕がドラマにより擬似的郷愁を感じながら、廃屋を追い求め続けて行くことになったのではないか・・・とさえ思った。

 あの時の僕は、立場的にいえば、純だったのか、蛍であったのか。

 廃屋と対峙をし、立ち向かいなんとかしてやろうと意気込むその様は、黒板五郎こと田中邦衛だったに違いない。

 廃屋にて足を踏み外し、泥濘んだ地面に足をくるぶしまで突っ込んでしまい、泥だらけになってしまった時のこと。その現場を早々に切り上げて道の駅まで向かい、手際よくトイレで足の泥を洗い流したまではよかった。その後、セイコーマートで買い物をした時に、どこでどう付着をしたのか、紙幣の隅に僅かに泥が付いていた。レジのお世辞にも古尾谷雅人似とまではいかなかったが、そこそこの風貌をしていたお兄さんの顔を曇らしたのは言うまでもなく、当時は廃屋のことをブログに書こうと思っていなかったこともあり、ましてや検索数で廃屋界のトップになるとは夢にも思わず、年下のバイト店員に泥付きの紙幣のことで蔑みの目でみられたことに憤りを感じるどころが、『いいおっさんが、北の果ての寒空の下、ひとり虚しく何をやっているのか。情けない・・・』 ひとり自分を憐れんだ。

 「情けないよ、父さんはまったく・・・」

 風力発電を途中で断念してしまい、純を叱りつけることさえなくなり、何もかもが中途半端な五郎のことを、純は嘆いた。

 こうして、五郎さんこと田中邦衛にシンパシーを抱いた僕は、そういえば最近田中邦衛をテレビで見ないがどうしているのだろうかと、調べてみたら、実に嫌な記事を目にする。

 数年前、北の国からのプロデューサーでもあった元フジテレビ取締役の告別式があったそうなのだが、純(吉岡秀隆)や蛍(中嶋朋子)が参加していたにもかかわらず、田中邦衛の姿が無かったという。

 週刊誌の記者が、近所でも豪邸で知られる田中邦衛の家付近で聞き込みをすると、ある時期から姿が全く見えなくなり、最近やっと見かけたと思ったら、付き添いの人が一緒で、その姿は「北の国から」の五郎さんそのものだったとか。

 遠回しな物言いだが、要は介護老人のようになってしまったということらしい。

 例えそうであっても、彼は素晴らしい功績を残した俳優に変わりはなく、五郎さんが劇中で残した遺言「謙虚に慎ましく・・・」を、大事な言葉として、時折暗唱しつつ、北の大地での探索活動の際に頭の片隅にでも思い浮かべ、自分の活動が北海道へ何らかの形で寄与することを願いつつ、一定の線から踏み出すことなく、教えを遵守しながら、といって卑屈にならずに、思慮ある行動をもって、これからも自身のやるべき努めに勤しみたいと思う次第である。



かどや キリンビール
 早々従業員の首を切り、最後まで一人もがき格闘をした経営者だったが、結局は切羽詰まり、身辺整理などもせず、この場から逃げるようにして去って行ったのか。

 逃げ出す頃には、夢と希望で満ち溢れている”あの絵を”描いていた時のおおらかな心はすっかりと荒みきっており、人でも殺しそうな悶絶の表情を浮かべ、ご近所の人にも知らせずに、深夜こっそりと、後ろ足で虻田町に砂をかけるようにして、闇夜に飛び出して行ったのか   



かどや ラジオ
 このラジオデッキにさえ、かつて生命が宿り、洞爺湖畔に毎朝、目覚めのクラッシック音楽を響かせていたこともあった。



かどや ケーブル
 ケーブルに掴み乗り、振り子の原理を応用して向こうの棚へ乗り移りたくもなったが、先程の言葉を反芻し、すんでのところで踏みとどまる。



かどや オレンジカウンター
 従業員を打撲から守った、ウレタン仕込み合皮包み   弾力性のあるカウンター。



かどや みやげ
 五郎さんは足を伸ばせるお風呂を切望していた。

 そして、自分自身でやりきった。



かどや バード
 かれこれ数十年、まだ空気が充満している。

 バルブを開放してやると、かどやオーナーの息が漏れ吹き出すのか。

 彼の息遣いを、まだこの地へ、残しておいてあげようと思った。



かどや グリーン
 匂い消しの錠剤か。

 ジンギス汗とあるから、北海道ローカルの製品だろうか。



かどや あったかい
 マトリックスの光景をみて、整理整頓した後に去って行った廃墟だと思ったが、そんなことはなさそうだ。



かどや え
 「へ」ではなく、「え」。



かどや 裏
 今にでも鹿が顔をのぞかせそうな雰囲気だが、人さえも寄り付かなくなっているのが現状。



かどや 地下
 地下へ降りてみた。

 従業員部屋に踏み込む。

 そして、いよいよ、異臭を放つ、廃液でまみれた、くろがねの巨大厨房への探索を試みる・・・



つづく…

「悪臭厨房とおざなりラーメン」 昭和の栄華、廃墟ドライブイン『かどや』の夢.6 

こんな記事も読まれています