愛する人に振り向いてもらいたいがために、身の丈以上の理想を抱き創作料理に挑んだキョーコさんだったが、終わってみればその料理というのは、至って普通の煮込みスープとなっていた。
中学三年生の彼女にとっては、できることの精一杯をやったつもりだった。
数十年後の未来よりの部外者がどうこう言おうと、彼女はその特製スープ料理に満足気であり、いつか何処かでチャンスがあれば、是非金山君に食してもらい、佳子さんから自分への心変わりを、遠回りに、控えめながらも、間接的に、虎視眈々と伺っているようなのだった。
自己満足気味の特製創作料理を作り終え、ふてぶてしい親戚軍団が去って行き、落ち着きを取り戻した日常にて、ふと我を見つめて彼女は思う。
取り乱すような、ともすれば軽度の錯乱状態なのかという精神の不安定さをみせながら、自分へ何度も執拗に問いかける。
自分は馬鹿だ。人間だ。私は私なんだ。私の選んだ道を進むだけだ。自由が欲しい。一人の時間が欲しい
日記の中でさえ核心には触れぬまま、深夜、過疎の町の寂しい一軒家に灯る薄暗い蛍光灯の下で、彼女は、自分と、思うようにならない社会へ向けて、虚しく何度も言い放った。
1978 (53) 6月16日 月 0:20
つかれた , やせたい , はらへった .
これじゃどうしようもないね ,
べつに書くことはなし ねます.
まけるなくじけるな やせようね!
1978 (13)6月27日 (火) 11:36
やせようと思っても ふと る い っほう ,金山君 あなたは なぜ
やせてるの ? やせ *型の 人が好きなの ?
私は あなたが好きなのに . こんなにも … 。
まけるな くじけるな お やす み ,
ここにきて特に、思春期の少女に共通する悩み事、体重の増加をしきりに気にしだす彼女。おざなりな文章が数日間に渡り続いた。
>これじゃどうしようもないね ,
どうしようもないと、投げやり気味にもなる。
>金山君 あなたは なぜやせてるの ? やせ *型の 人が好きなの ?
自分が金山君に見初められないのは、考えあぐねた果てに、体型に問題があるのではないかと、倒錯めいた思考を書き綴り出す。まだ本人に打ち明けることさえしていなく、それでは彼も選択するどころか気づいてもいないと思われる。修学旅行での出逢いがあってからまだたった一ヶ月前後しか経っていないにもかかわらず、叶わぬ恋の理由を自分に欠陥があるからだと自分自身を追い詰めて行く。
1978 (53) 6月28日 (水) 11:36
べつに べつに , 馬鹿 , 馬鹿 , 馬鹿 , 三回よんでも 馬鹿
私は馬鹿でもなく , 鹿でもない . なのに 私 は 馬鹿 . なぜか 馬も
鹿も私だった , でも , でも 私は 人間 . 私は .私 で し か な く
私 は 自分自身 の ことしか わからない . そんな私で しかない .
なにをするのも私は私で , 自分の 体で した , なのに
みがってなのか , 私のえらんだ道だ , 私*自身が え ら び ,
私 自身 が 進む道だ , なのに みんなが 横 か ら 口を出す
こまる としたら私で どうなろうと ぶつかって 進むのは 自分だ ,
回りの人は アドバイス , でも 私 は 私 の考え で進みたい
自由で いたい , 自由がほしい . 私の自由は私のよくぼう
を みたす*もの で いいんだ , その自由が ほしい そして
私の自由は 1人の時間が ほしいということでいいんだ
その 自由 , 私は 、私で , 私 な の で す ,
まけるな くじけ る な おやすみ
1978 (53) 6月29日 9:55
今日 、 運動会 の総練習 を し た 。 very つかれ
たのら。 もう いやじや ! もう 少しで ピンクレディー
の新曲*のふりつけを見れたのに , ぜんねんだ ,
早く,モンスター のふりつけ を おぼえたいなあ ,
うたも おぼえたいなあ 早くや せ た い なあ ,
まけるな くじけるな やすみ ・・・。
>べつに べつに , 馬鹿 , 馬鹿 , 馬鹿 , 三回よんでも 馬鹿
自分のことを馬鹿だと、突如三回も連呼をしたキョーコさん。以降、自分と、自分に干渉をしてくる他者との葛藤を熱く語る。
ここ数日は淡白に、痩せたいのとそれに絡めた金山君への話題で終始していたが、この突然の変わりようには、学校での友人関係とは別の、家庭的な問題でもあるとでもいうのだろうか。
>私は馬鹿でもなく , 鹿でもない . なのに 私 は 馬鹿
悩み多き中学三年生の少女が思わず呟いた、禅問答のような自分への罵りの言葉の意味。
>馬も鹿も私だった , でも , でも 私は 人間 . 私は .私 で し か な く私 は 自分自身 の ことしか わからない .
いざこざのある相手は親だろうか、兄弟だろうか。自分を馬鹿と責めつつも、自分は自分でいたいのだと、頑なまでの自己主張を決して引っ込めようとはしない。
>私 自身 が 進む道だ , なのに みんなが 横 か ら 口を出す
中学三年生といったら、翌年には人によっては就職をする場合もある。キョーコさんの家は遠くない将来、変わり果てた姿となることは、この僕が一番よく知っているわけだが、この当時は家業の酪農もうまくいっていたようだし、それにより親の立場も強そうなので、あれこれ進路を指図されていたのかもしれない。
>自由で いたい , 自由がほしい . 私の自由は私のよくぼうをみたす*もの で いいんだ
進学でも就職でも、私の好きにさせて欲しい!牛ぼいや作付けとは違う世界を見てみたい!・・・とでも訴えていたのか。
ちなみに、あくまでもドラマであるが、北の国からの純や蛍らもそのように言ってはいたものの、結局二人とも富良野に戻ってきて落ち着いた。
>1人の時間が ほしいということでいいんだ その 自由 , 私は 、私で , 私 な の で す
彼女の叫ぶ”自由”をこの先、掴むことができるのか。一人の意志を貫徹できるのか。その行き先は、これから続く日記内により詳細に書かれているかもしれないが、一体、どういった方向へ進むのか・・・
>今日 、 運動会 の総練習 を し た 。
総体に総練習。少ない生徒数なので、地域の中学が一同に集まって行う催しには、いちいち「総」を付けている様子。
>もう 少しで ピンクレディーの新曲*のふりつけを見れたのに , ぜんねんだ ,早く,モンスター のふりつけ を おぼえたいなあ ,
ピンクレディーの「モンスター」がリリースをされたのは、1978年の6月25日。まさに”この”日記が記された四日前のこと。キョーコさんの飛びつき具合が嫌でも想像できる。ほんの前日まで自分の存在意義について、激しく厳しい自己問答を深夜に繰り返していたというのに、この変わりようとは。当時のピンクレディー人気がいかに凄かったかを物語っている。
多少のノイローゼ気味でもあったキョーコさんに落ち着きを取り戻してくれたのが、時のスーパーアイドル「ピンクレディー」の存在だった。当時の少女達はこぞって、ミーとケイが繰り出すフリや歌を競うようにして真似し合った。キョーコさんもまた、例外ではなく、またそうすることで、張り詰めた緊張感から解き放たれたのだった。
また家に「史之舞」が帰って来る。そしてキョーコさんにお小遣い千円をくれる。小遣いはうれしいが、誕生日のプレゼントがなし崩しになってしまっていると、本人には面と向かって言えない怒りを、彼女は日記内に吐露する。
登場するごとに”帰ってくる”という表現を用いられてる「史之舞」さんだが、断定はできないものの、それが事実であるとするならば、遠くない将来、かなり悲劇的な運命と向かい合うことになる。そして、置かれている状況も、キョーコさんは明るく振る舞っているものの、涙を禁じ得ないほどの辛く悲しくもある兄弟叙事詩を語れるぐらいの切ない物語がそこには存在していた。これは決してオーバーな表現ではない。このことを頭に入れて、過去の史之舞に関する記事を読んでみると『なるほど・・・もしや・・そうなのか・・』と、美しい兄弟愛に触れて、打ち震え感涙にむせぶこと間違い無い・・・かも。
史之舞が帰って来た翌日、いよいよ待ちに待った運動会が行われる。
少女雑誌「なかよし」の付録を用いた簡易的な扱いだったこの日記帳も最終ページとなる。
既にハードカバーの日記帳を購入済みのキョーコさんは、少女を脱して大人へと移行する準備段階を踏むかのように、ケジメとしての最終頁を、中学生最後の運動会でのエピソードで埋め尽くしてやうと、気合を入れて書き込むのだった。
つづく…
「少女とモンスター兄弟の秘密」 実録、廃屋に残された少女の日記.22
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コメント
コメント一覧 (13)
あきらさん。
眼の前の欲求がダイレクトに書かせる嘘の必要の無いリアリティ。閉じられた日記の醍醐味なのかもしれませんね。
前回読み落としていましたが、この一行は秀逸。
やせたいけど、お腹が空いてしぁあない。
深夜にお腹をぐうぐう言わせながら書き綴る日記。
虚飾等一切考えていない、中学生のキョーコさんが確かに存在した。それを数十年後、数千キロ離れたこの地から思い起こす事が出来る不思議。
どんな小説家でも敵わないリアリティーを感じます。
ありがとうございます。リカちゃん人形の衣装について。
>UFOあたりの、銀ラメのやつでしょうか。
とても近いです。銀ラメではなかったけれど。ミニスカですね。
>日記では進学?や年頃になってますます赤裸々なことに触れられていくもしれませんが
誰もが通る道なんでしょうかね。
『アンネの日記 完全版』や、高野悦子の『二〇歳の原点』と、彼女が未成年時代の日記を文庫版にしたものも読んでいて、自分でも10代の頃は断続的に日記をつけていましたから。
キョーコさんも含めて4人とも、おおまかなとこでああ10代の女の子だなあ…。と苦笑いしております。
どうもはじめまして。コメント、ありがとうございます。
当時のピンクレディーを見る時間も無かったということは、さぞ大変だったろうなと察します。僕が地方の古いおもちゃ屋さんなどを訪ねた時に、ピンクレディーや他のアイドルの売れ残りのグッズを安いので買ったりするのですが、ためしにオークションに出してみると、ピンクレディー物は『こんなものまで?』というぐらいに、売れていきます。根強いファンがいまだにいるのだなと。中には、たのきんトリオのヨッちゃんの文房具ケースのように、十数年間も全く売れない物もあったりします。
>2歳だったいとこが夢中で応援し、リカちゃん人形まで、キラキラしたミニスカートでした
UFOあたりの、銀ラメのやつでしょうか。キョーコさんも先頃まで夢中でしたね。思春期になって、タモリを経て、松山千春になってきているみたいですが。
>当時の10代前半はミー、ケイとそう年が違わないので、キョーコさんは私とまた違い、憧れとまぶしさをもって振付を覚えていたのかなと想像します
当時のアイドルは今からすると大人びて見えても、中学生とか高校生ですからね。キョーコさんが触発されてコメディアンになりたいとか言い出すのも、わからないでもないです。
日記では進学?や年頃になってますます赤裸々なことに触れられていくもしれませんが、危うげそうな振る舞いなどがありつつも、見守り続けるような感じでお読みいただければ幸いです。
廃墟ブログのしょうもない好奇心から始めた一コーナーでしたが、とりせぶんさんや他の方など、様々なバックグラウンドを持った人に熱く読まれているんだなと、あらためて思い知らされました。これからもよろしくお願いします。
年齢はキョーコさんより一回り下です。
昭和53年は、子どもの私には病院→幼稚園→病気の治癒を願っての手かざしで過ぎていき、ピンク・レディーの振付を覚えるに至りませんでした。後からYOUTUBEで見ると、全てが懐かしいです。観られなかったと思っても、結構「ああ、こうだったな」と覚えているもので…、
2歳だったいとこが夢中で応援し、リカちゃん人形まで、キラキラしたミニスカートでした。
当時の10代前半はミー、ケイとそう年が違わないので、キョーコさんは私とまた違い、憧れとまぶしさをもって振付を覚えていたのかなと想像します。
熱心なご愛読、ありがとうございます。
「総練習」も「総体」のように地域で集まって練習するものかと勝手に想像したのですが、ちゃむさんからご指摘を受けて、そういえば運動会は規模がどうであれ学校ごとに開催をするということを思い出しました。「総練習」の意味合いが予行練習でないと、矛盾が生じることになります。
同じような行事をやっていても、地域で微妙に呼び方や内容が違うのはとても興味深いです。
私の住んでいた所では、本番と同じように行う予行練習みたいなものを総練習と呼んでいました。
実行委員会の人の動き方や、担当の係の動き、整列の場所や所要時間など、運動会当日の流れを確認する感じでした。
すみません。しょーもないミスをしてしまいました。
渡辺徹は現在重度の糖尿病で身体ボロボロで号泣どころでは済まない悲惨な状態だとか。甘い物好きの僕も肝に銘じて注意したいと思います。
どうも、初めまして。お読みいただきありがとうございます。
いい所にお住みですね。僕は甘い物が結構好きなので、有名デザート系ショップが沢山ある環境が羨ましいです。
日記には複雑な家庭環境がこの先、含まれていそうなのですが、分かりやすく書いていこうと思っていますので、これからもよろしく。
ゲーム番組への思い入れ深過ぎてお名前が『情報屋サブさん』になっちゃってますyo!
渡辺徹号泣。
そして、私はグリュック王国の近くにすんでいまして、小学生の時には遊びにいってました!最後に行ったのが高校のときで、乗り物が修理中だかでほとんど動いてなく、木も倒れてたりしてました。そのまま残してあるグリュック王国を見れて、懐かしくなりました!
今はきょーこさんの日記に夢中です!更新楽しみにしてます!
あの流れのゲーム番組は、なぜか司会が地味な落語家ばかりでしたよね。落語家協会の縄張りのようなものがあるのではと、当時訝しげに思ってみてました。
あと、楽しそうな猫のモノマネも、額面通りには受け取れないものだなと感じました。
江戸屋子猫の『Theゲームパワー』ismですね!
私も最終章の裏を取ったわけではないですが。確かな筋のお話なので。本当にそうして読み返すと涙です。。。