中学卒業後の進路のことで家族と揉めでもしたのか、精神のタガが外れたキョーコさんは深夜にひとり、「自由が欲しい!自分は人間、自分でしかない!」と核心的な部分はぼやかしながらも、面と向かって言えない相手に、自分の自由な領域内である日記の中で、何度も激しく執拗に吠え続けた。
荒れた心を癒やしてくれたのは、当時大人気のアイドル、ピンクレディー。リリースされたばかりの歌「モンスター」の歌詞とダンスを誰よりも先に覚えることで、目の前の息苦しくもある難題から、ほんの少しの間でも逃れて気を休めることができた。
そんな所にノコノコとやって来たのは、キョーコさん一家の愛すべき”モンスター”こと、史之舞だった。
史之舞はキョーコさんとは兄弟のようだが、働いている様子もないのによくお小遣いをくれる。ずっと家に住んでいるのかと言えばそうではなく、まるで通うようにして家に定期的にやって来ている様子。
断片的な情報を繋ぎ合わせると、どうやら史之舞は芳しくない抗いようのない運命から逃げることが”まず”出来ないのではないかということらしい。
キョーコさんいわく「とっても面白い人よ」ということで、夜通し、まるで憑依したかのような”猫の物まね”を披露していた史之舞だが、実はそれは「本意気」であり、猫そのものになりきってしまっていたのだという。落語家の形態模写のレベルを遥かに凌駕していて、いい年齢をした人間が、妹に小遣いを渡している身で、羞恥心を”これっぽっち”も見せずに、人格までもが本人意図しない形で”猫化”してしまっていたのだとか。
猫そのものになりきっている史之舞を目の当たりにして、表向きは笑うしかなかったキョーコさんだが、その裏では、この先の長い人生、親元からはなれて暮らしていけるのだろうかという心配、本気の猫を演じるような純粋な人間に対する世間の偏見
この日記帳もいよいよ最終ページに到達する。それに相応しい行事でもある運動会が開催される。
最後の背表紙裏には、暗号のような一文が書き込まれていた。
1978 (53) 6月 3 0 日
べ つ に 書く ことなし 金山君 に 会って ないので さびしい
運動会に 並木 の 人達とか こないかな ? 金山君 ~~ 。
宮脇さ~~ん 。 山角君 ~ 。 博くん くるかな ?来ないかも ?
やせたい やせたい なぜ ふとるのか やせたいなあ !
まけ るな く じけるなおやす み ちゃん。
1978 7月1日 (土) 11:00
史之舞 様が 帰って 来た 。 1000 円 おこずかい
もらった . でも たん生日 の プレゼント ぬき )
べ つ に ほかになかった . 明日は 運動会 だ
ほん とに だれか 来ないかな . 金山君 ,宮脇さん
山角君 .中村君 他 の人達 !
ほんとにね! だれか来る と いい なあ .
もうずっと金山君に会っとらん ,悲しい! 中村君 ゴメンナサイ
まけるな くじけるな よくねよう ねぜ
運動会があるからといって、『うちらが絶対勝つ!』といった目標があるわけではなく、あくまでも金山君をはじめとする自分の意中の人達に会いたいという願望が強すぎる、キョーコさん。
そもそも紅白チーム分けの由来は、源氏が白で平氏が赤の旗を揚げていたところから来ているらしいが、学校などでのチームそれぞれの構成員の分別には、根拠が無く適当なランダム選出がどこもほとんどだ。だから白が勝とうが赤が負けようがどうでも良く、必死感が生まれない。年末のNHK紅白歌合戦の勝敗に誰も興味が無いのと一緒。キョーコさんのように勝負論はそっちのけで、好きな人を見るのが目的になってしまうのも、しょうがないことだ。
>史之舞 様が 帰って 来た 。
”様”を付けて呼んでいる。意識はしていないと思われるが、年齢は向こうが上であるものの、精神年齢と社会的地位ではキョーコさんの方が上だという無意識ながらの認識がおそらくある。なので、「様」を付けて過剰に持ち上げることで、皮肉っているのと、その半面、目上の大人として認めてあげなけれならないという、彼女なりの優しい気遣いがそこには込められている。
>1000 円 おこずかいもらった . でも たん生日 の プレゼント ぬき
『本意気で無敵の猫の人から貰う”1000円”で買う菓子はうまいか?』 といったような穿った見方をするのは大間違い。
差別をすることなく、公平な気持ちで接しているからこそ、上下兄弟関係からくる利害の発生にも、何のわだかまりもなく、平然と対処することができている。猫になりきっている人を心底憐れんで引いた眼で見ていたら、誕生日のプレゼントまでな期待しないだろう。
1978(53) 7月2日 3日 0:*03.
今日の運動会は 雨で 中止になり 明日やること になったそうだ
中止の 発表は お昼ごろだったので それまで みんな 始めは
外に い て レコードを かけたり してたけど 中に入っ て
体育かんで バレー , 卓球 などをしていた . やはり雨だったんだ
でも明日でよかったかもしれない , いやよくない 4日にして
ほしい なあ 、 でも , 日曜日で なくてよかったのは 私だ け
だって 私は博君が来てくれるというきたいをしてたのよ . もしこなかったら
…。 そう思うとやっぱし 4日の ほうが いいのだ , でも 日曜日
でなけれ ば 青年の ほとんどが 来れなくなるし 親せきの人々も
来れなくなるのだ . つまり 今年 の運動会 は 生徒 ,先生 ぶらくの人
たちだ け になってみすぼらし*くなる のですよ .
それ に 明日 9: 00 ~ お昼 ご ろ ま で てい電なんだって
いったい 運動会はどうなんのかね ,
私はしらん しょう品 さ えもらえれば
な~
まけるでないぞ! くじけたらだめだ , おやすみ な
楽しみにしていた運動会が”なんと”雨で中止に。
>日曜日で なくてよかったのは 私だ け だって 私は博君が来てくれるというきたいをしてたのよ . もしこなかったら …。 そう思うとやっぱし 4日の ほうが いいのだ ,
日曜日だと他校の博君が来てくれない可能性があるらしい。二日後の四日の火曜日だったら来るのだとか。
>でも 日曜日でなけれ ば 青年の ほとんどが 来れなくなるし 親せきの人々も来れなくなるのだ .
これは当然だ。平日に順延したら、観客はせいぜい年金を受け取っている老人ぐらいしかいなくなってしまう。
>今日の運動会は 雨で 中止になり 明日やること になったそうだ
しかし、日曜日の運動会が雨で中止になったら、翌日の平日に開催なんていうことがまかり通っていたのだろうか。普通一週間後の日曜日やるものだと思うのだが。
平日だと無観客大会のようになってしまって、生徒達も盛り上がらないだろうし、過疎の町でただでさえイベントが少ないというのに、働く親御さんも残念がるだろう。
>それ に 明日 9: 00 ~ お昼 ご ろ ま で てい電なんだって
運動会が翌日になった挙句、停電の中やるはめに。フォークダンスの時の「オクラホマ・ミキサー」も流れず、しかも観客はまばら。なんとも寂しい会場になりそう。
>いったい 運動会はどうなんのかね ,
予め停電することが分かっている日中。しかも平日。キョーコさんが心配するのも無理の無い話だ。
>私はしらん しょう品 さ えもらえれば
>な~んちゃって , 今日は みすぼらしい 一 日だった
子供に気苦労をかけさせるも、当の子供は気を使って自虐的に道化を演じ、大人へ対して”心配しないで”との配慮を見せる奉公ぶり。
キョーコさんは実に良くできた生徒であったのか。
表紙が「わんころべえ」の日記帳は、ここまでが最終頁となっていた。
次からは、当時周辺地域で女学生御用達のお店”ファンシー曽我”にて彼女が購入をした、多少値の張るもののガッシリとしたハードカバー製の本格的日記帳を用いて、日々の出来事を引き続き書き込んでいくことになる。
今更ながら、人生の中でも一番輝いていただろう時期、学生時代の淡くて濃い内容の日記帳を、なにゆえ、原野にたたずむ廃屋にどっさりと置いていったのか、今だに理解できないでいるが、兎にも角にも、本格的に書き続けることを覚悟した彼女は、自身の溢れる感情を毎夜文字に変えつつ、日々の生活に”より一層”追われて行くことになる
背表紙の裏にはこう書かれていた。
・アラベスク ハローミスター モンキー
深夜ラジオでも聞きながら日記を執筆していた彼女。『これは良い歌』と琴線に触れた曲を、咄嗟に背表紙裏にメモをしたのではないかと思われる。
アラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」は、1978年のヒット曲。
こちらが表紙の裏。
1978年(S53年) 5月7日 日曜日 P:M 12
つづく…
「覆された彼女の日記帳」 実録、廃屋に残された少女の日記.23
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コメント
コメント一覧 (4)
あきらさん。
公園の子供が煩いと、公園が潰される世の中ですからね。学校で打ち上げ花火なんて、今だったらどんなクレームがくるのやら。
今では考えられませんが、運動会開催の時は打ち上げ花火が1発、中止(延期)の時は2発(確か)撃っていましたね。現在は騒音防止や安全面から花火は無くなり、メール一斉送信等で簡便に済ませられてしまってますが。色々息苦しい世の中になったものです。
どうも、はじめまして。シリーズを読破するその勢い、いたく感動までしてもらい、ありがたく思います。
今はそれほどには想っていないけれど、見に来てくれるのでは?という期待だけはしてしまう博くんのこと。
>キョーコさんが日曜日の中止をよろこんだのは、大抵の学生が暇な日曜日に行われる運動会に博君が来てくれなかったとして、"その暇な時間を博君は自分のために使ってくれなかった"と思い、自分の心が傷つくのを恐れたからではないのかな
田舎町では大きな行事があるのに、昼からテレビを家で見ていて、運動会に来てくれなかったら、それは虚しすぎると、繊細なキョーコさんは思ったのかもしれませんね。傷つくことを恐れるあまり、舞台の存在ごと、消えて知らなかったことの方が、まだましよと。運動会が無かったら、博君が来なかった時の悲しみを、回避することができる。
自分に自信がなく、好かれないことに怖じ気さえ感じているので、そこまでして自分を守ろうと考えが働いてしまっているのは、ありえますね。
>それにしても、この博君は、キョーコさんの中でどういう立ち位置の男の子なのでしょうかね?
既に思い出になっている人のようですが、忘れられず、あわよくば、といった感じでしょうか。僕も小学校時代の好きだった人が急に来て、言い寄られたら、それはそれで嬉しいですから。
運動会が中止だったらというエピソードを、深く考えもせず、おざなりに素通りしましたが、出遅れ勢さんに指摘してもらい、キョーコさんの心の領域に、また一歩、近づけたような気がします。この回ではどちらかと言うと、史之舞のモンスター的な佇まいの謎に、目を奪われていました。
これから、受験、その先と続きますが、まだまだ、よろしくおねがいします。
完っっ全に個人的な解釈なのですが、キョーコさんが日曜日の中止をよろこんだのは、大抵の学生が暇な日曜日に行われる運動会に博君が来てくれなかったとして、"その暇な時間を博君は自分のために使ってくれなかった"と思い、自分の心が傷つくのを恐れたからではないのかなと思いました。
けれど平日開催なら、博君が来ないということに、学校という理由付けができて、傷つくこともないし!みたいな感じの心情を個人的に感じました。けれどそうなれば、随分と寂しい運動会になってしまうし、難しい所ですよね。
それにしても、この博君は、キョーコさんの中でどういう立ち位置の男の子なのでしょうかね?好意を持っているように見受けられますが、金山君らとはまた別枠のように扱われているような気がしました。
引き続き、ワクワクしながらシリーズを追わせていただきます!