夕張 焼肉一番
 大夕張までは行かない、その途中にある南部青葉町。この界隈がゴーストタウン化してしまっている。

 事前の調査では、「焼肉 お食事 一番」がまるでここ一帯のランドマークでもあるかのように、結構な頻度でブログ等に紹介されていたのを確認。

 一様にここの評価が「安い!」とのことだが、はたしてそうだろうか。

 牛カルビ・・・・・・650円 豚ロース・・・・・・500円 ジンギスカン・・・・・・450円 ジョッキ(中)・・・・・・400円

 ざっとこんなところ。安そうにも感じるが、まず、量の表記がないので手放しではそう喜べない。値段に釣られて入店してはみたものの、中皿程度の量で出されたとして、「少ないんでやっぱり食べないで帰ります」とは、心臓に毛でも生えていない限り言えはしないないだろう。

 銀座に老舗の庶民的な店構えのカレー屋さんがあり、そこはメニューの表記がカレーの量にちなんだ駅名になっていた。僕は大食いでもないので<普通>に相当する駅の名前で注文をしたら、小皿プレートに盛られたかなりこじんまりしたカレーが出てきて非常に残念な思いをした。老舗の看板にあぐらをかいたやり方なのかもしれないが、気の短い人だったら、ブチ切れていたに違いない。苦々しく思い、内心は怒りがこみ上げていたが、金沢までの夜行列車が出発するまでの待ち時間に忙しく食べにやって来ていたので、『小ぶりな駅弁をあと一つ食べればいいか・・・』と矛を収め、店主に怒鳴り散らしたりするようなこともなくそこはおとなしく退散をした。

 焼肉の一人前には定められた取り決めがない。昔はどの店も大体100gだったが、安売りチェーン店が台頭してくると、それらのお店が80gや70gと一人前の量を減らしていったのだ。

 牛角などが創業をする前に地元では既に名を馳せていた「焼肉 お食事 一番」なのかもしれないが、毛ガニ商法でもわかる通り、観光客相手に商人は時としてえげつないことをしてくる。小金を携えて旅行をする人は、旅先では細心の注意が常に必要になってくることを、肝に銘じるといいだろう。



夕張 狭小住宅
 東京の下町にでもありそうな、部屋に浴槽ひとつ置いたら身動きできそうにもない超狭小住宅を発見。

 二階の窓が不自然に大きいので、浴槽のサイズに合わせて窓を作ったのかも。クレーンで浴槽を吊るして窓から入れて部屋にドスンと設置したと。

 昔はこの場所も賑わっていて、土地の奪い合いだったから、こんな形の家が存在していたのだろうか。



夕張 寄り
 今まで、この建物における浴槽問題と、その設置方法に言及するブロガーがいただろうか。

 否。

 後発ブログゆえ、取り上げる題材が手垢だらけということも少なくない。単に写真を撮って「かつての住人達の息づかいが聞こえてきそうです・・・」「松尾ジンギスカン、キターーーーーーーーーーッ!」などでは、その他多くの有象無象に埋もれてしまうことになる。

 人より一歩、踏み出して、切り込むことが、皆が自分に期待をしているところではないのか。

 とはいえ確たる根拠もなく、こちら側が見定まり誤ったサイレントマジョリティに煽られるように身勝手な行動をした結果が、多摩川での遺体発見現場探索。

 お供えのジャケットとデニムで型どられた人のような分身でもある”彼”を、あろうことか、SF小説の登場人物、五万年前の宇宙服姿の遺体となぞらえて「チャーリー」と命名。

 かなり引かれる結果となり、それが災いしたのかしないのか、しばらくアクセス数が停滞してしまう結果に。

追悼訪問、多摩川18歳全裸遺体事件の現場へ行く

 人の嗜好の極限を見極めるさじ加減が大事であるということを、知らしめられた一件であった。



夕張 松尾ジンギスカン
 道民の食のオアシス「松尾ジンギスカン直営店」も。

 今となっては廃墟が立ち並ぶこの場所だが、こんな有名チェーン店が店をかまえていたぐらいだから、往時の賑わいが容易に想像できる。



夕張 時計店
 時計店まであったということは、ここを中心として立派な街が形成されていたということだ。

 現在では、朽ちた映画のセットのような建物群が数ブロックにまたがってあるぐらい。それ以外は寂しい野原が続く光景。



夕張 螺旋階段
 松尾ジンギスカン店舗の横の螺旋階段。

 普通の階段の方が施工費は安いと思われるが、傾斜はきつくなるし、当時ジンギスカンチェーンは繁盛していただろうから、凝った作りの螺旋階段を迷うことなく設置した、松尾ジンギスカン・オーナー在りし日のレガシーがここにひっそりと眠っていいるのをしかと確認。



夕張 ナショナル
 松下電器の小売販売系列店はかつて、「ナショナルショップ」と「ナショナル店会」に二分されていた。

 この「中野電気商会」は、縦看板の表記にある通り「ナショナル店会」だったようだが、「ナショナル店会」は1993年に廃止されている。

 シャッターに書かれている 『奥さまサロンで実演を!』 にお気づきだろうか   

 僕の近所に以前から空きテナントあったが、いつしか店が入ったようなので、『何の店だろう?』とのぞいてみた。店内では高齢者が輪になって椅子に座っていて、その真ん中で司会者が熱弁を振るっている。高齢者達の足下にはそれぞれマッサージ・ローラーが。

 数日置きにそこを通るが、その度に違う顔ぶれの高齢者達がマッサージ・ローラーに足をのせて熱心に司会者の話しに耳を傾けていた。

 足乗せマッサージ・ローラー講習会の店の場所は駅から遠く不便な場所にあるし、店の表から値札は確認できない。なぜそのような場所に大勢の人が集まるのか不思議でならなかった。

 そのような形態の商売が実は催眠商法のひとつで、「ハイハイ商法」と呼ばれて社会問題になっていることを知ったのは、だいぶ後のこと。

 売るアイテムは羽布団だったりネックレスだったりする。まず、無料の玉子や食パンで近所の暇なお年寄りをかき集める。狭い店内は高齢者でぎっしりになるが、かなりの割合でサクラが混じっているのが特徴。

 言葉巧みな司会者が商品の説明を一通りした後「これ、欲しいですか!?」とやると、サクラの老人達がダチョウ倶楽部よろしく威勢よく「ハイ!ハイ!ハイ!」と叫んで一斉に手を挙げる。買う気など全く無かったターゲットの老人も釣られて思わず一緒に挙手をしてしまう。後は契約成立だとか言いくるめられて、無料の玉子を貰っているという負い目もあったりして、高額の布団などを購入させられてしまうことに。

 思えば、松下電器の系列店がやっていた「奥さまサロン実演商法」ともいうべき販売方法は、現代のハイハイ商法と何ら変わらないやり方だったように思える。

 サロンという名の電気屋の空きスペースに、無料コーヒーと無料おかきに釣られてあるひとりの主婦が招き寄せられる。店主がする新発売の電子レンジの説明に感嘆し頷く主婦達。何割かは買収されているサクラの可能性も。店内には「次のボーナスで買おうかしら!」と景気のいい声が飛び交う。店主とは近所付き合いがある。無料の飲食を受けているという負い目がある。近所の皆さんが買うのにという疎外感もある。程なくして、契約書に印鑑を押す主婦の姿が・・・。

 中野電気商会も夕張の石炭産業の景気が良かった頃は、そのようなサロン商法でボロ儲けしていたのだろう。その時のツケというわけでもないだろうが、見るも無残な店舗の姿を後世へ晒すことになってしまったと。



夕張 自販機
 現代でさえ、夜中にコンビニへ乾電池を買いに行くことはまずない。当時もあまり使用頻度は高くなかった乾電池の自販機。



夕張 小屋
 松尾ジンギスカン、時計屋、電気屋、ときて、末端に残った小屋みたいなのは、本屋あたりだろうか。今でこそ近所の本屋さんは絶滅状態だが、この街が元気だった頃は需要も高く、商店街でもトップクラスの売上を誇っていたはず。



夕張 近所
 店の並びの奥にはまだ人が住んでいそうにも見える家屋がある。ただ、人影どころかネコもいない。



夕張 薬屋
 当然、薬屋さんもある。

 今のこの姿からは信じられないが、数十年前までは、この街は完全に機能していた。



夕張 金庫
 金庫かロッカーか。店先に放置されたままに。



夕張 標識
 入るぞ、跨ぐぞと、延々と遠回りして来たが、遂に、意を決して、侵入体制を今一度整えるために、まず、右足を、看板標識のコンクリ台座部分にのせることにする。

 そして、ブーツの紐の緩みを引き締め直す   



つづく…

「安息の地のヴィレ・コーヒー」 夕張廃墟世界、孤独探索.6