チニカ山荘 桃岩荘
 サンシェードを兼ねた食堂の白樺の木。そこに、桃岩荘Y.Hで発行されたと思われる「八時間コース完歩証明書」がなぜか何枚も貼り付けられている。

 真夏のうだるような暑い日の一日。北海道とて、八時間も費やし徒歩で礼文島を一周でもしたら、肌は焦げ、全身発汗で服は生乾きの雑巾状態。ゴール間近では、足の感覚はなくなり、目も虚ろで倒れ込む寸前に。旅先にてほんの軽い気持ちで参加をしたつもりが、最後には皆で肩を組み横一列に並んで号泣しながら、参加者本人も、宿で待ち構えていた人達も異口同音に「ありがとうーーーーーー!!」。その「ありがとうー!」には、中学生ぐらいの葬式鉄が、縁もゆかりもない昭和の時代に製造された引退車両に泣きながら別れをいう軽薄さと、外からみれば似通ったところも見受けられるが、それぞれ本人の入れ込み具合と素直な反応には嘘がないと言っても良い。

 大絶叫をしながらのゴールイン。七十年代のヒッピー文化を北海道では唯一色濃く残している宿。礼文島桃岩荘での二度と訪れることのないない青春時代の中の忘れることのできない思い出の一日。

 そこまでして得たかけがえのない証を画鋲で穴を開けることに抵抗がなく、礼文島から遠く離れた龍飛の山の中の食堂に貼ることにしたのはどういう理由からなのか。

 特異な桃岩荘での経験から信者化した桃岩荘宿泊者が布教活動でもするように貼っていったのか。

 チニカ荘のオーナー自身が桃岩荘の熱心なリピーターという可能性もある。つまり、ここに貼られている証明書全てがオーナーの血と汗と涙の証しであると。

 海外放浪を経験したバックパッカーが日本でゲストハウスを始めるように、学生時代に桃岩荘に宿泊をして忘れられない思い出と友を作った後(のち)のチニカ・オーナーが、寂れる一方の龍飛の山荘を買い取った。

「リフトが壊れているからスキー客なんか見込めないよ。それでもいいなら、こちらから無料譲渡で頼みたいぐらいだよ」

 廃業を決め込んでいたチニカ前オーナーの一言に、後のチニカ新オーナーがこう切り返す。

「たった一晩で、最盛期の綿花工場のごとく、一生忘れることのできない思い出が、麻袋から溢れんばかりに紡ぎ出される、そんな伝説の宿が礼文にあるんです。僕は第二桃岩荘ともいうべき、桃岩の志を濃く受け継いだ宿を経営するんだという誓いを、学生時代に初めて桃岩に泊まったその夜に早くも打ち立ててしまったぐらいなのです   

 このぐらいの覚悟がないと、八時間の完歩証明書はおいそれと供与できないだろう。チニカ山荘を龍飛の山奥の地で赤ペンキを塗り直してリフォームしてまでこの先も経営していこうとはまず思わないはず。



チニカ山荘 99
 更に古い証明書。

 桃岩の信者化してしまった旅人だったら、帰属意識と自己主張は人一倍強いだろうから、せめて苗字だけでも記すはず。



チニカ山荘 北の国から
 オーナーのお気に入りの新聞記事も貼られている。

 上の記事は、今では普通の主婦として生活を送る元女性ライダーの話。チニカ山荘のことが書かれていると思いきや、大まかな北海道ツーリングの思い出だけ。

 下の記事は、ドラマ「北の国から」ファンにはもうお馴染みのエピソード。倉本聰さんが札幌の飲み屋で、たまたま隣り合った人に「富良野はいいよ」と言われ、酔った勢いで「そんなら移り住むんべ」と即断した話。ちなみに、たまたま隣り合った人というのは、地井武男が演じる「中畑木材のおじさん」のモデルとなった人。

 桃岩の宿泊経験があってのチニカ山荘の経営を譲り受けるというオーナーの成り行きの運命を、倉本聰のエピソードと重ね合わせているのかもしれない。

 上の記事に関しては、もっと女性ライダーに来て欲しいというチニカオーナーの願望か。

 もっともらしい推測を述べているようだが、チニカ・オーナーが桃岩荘の精神を濃く受け継いでいるというには、まだ根拠が薄いし、あったとすれば、桃岩的な流れの中で育まれるに違いない深き理解者であるリピーターの宿泊者が小粒ながらも存在していたというような証拠にも乏しい・・・との意見も聞こえてきそうではある。

 そういった声に反論できるようにと、僕はチニカ探索において、次の残留物の掘り出しに成功していた。
 


チニカ山荘 オーナー
 借入金のやりくりによる精神的な疲労からか、地肌が目立つようになってきた薄めの頭頂部。積丹グリーンのハッピ。首からは同じく積丹グリーンのブブゼラ。手には中途半端な大きさのメガホン。足下はアイヌの伝統的な革のブーツ。地べたに赤いズタ袋。

 桃岩荘の名物「お見送り」を踏襲している、チニカ・オーナー、その人である。

 積丹半島までフェリーがあるのかと調べてみると、遊覧船ぐらいしかない。遊覧船だったらまた同じ港へ戻ってくるわけだから、チニカ・オーナーも忙しいのにわざわざ出迎えたりしないだろう。意味がない。

 数時間かけて車で小樽港まで行き、宿泊予定者をピックアップしてチニカ山荘まで乗せて行っていたということになる。当然帰りもサービスで小樽港まで見送っていた。

 車による手厚い送迎サービスに加えて、桃岩仕込の送迎の舞をやられたら、東京から来た貧乏旅行者はひとたまりもないはず。踊る緑ハッピをフェリーのデッキから見て、周囲の客に恥ずかしいので冷静を装い他人のフリをするが、印象としては控えめな感じを持っている初めて相対する北海道人が、振り切った踊りを自分のために無心でやってくれているという申し訳無さと感謝の気持ち。



チニカ山荘 オーナー人形
 オーナーの肖像写真のすぐ近くに倒れていた人形。送迎の舞に感激をした宿泊客が、チニカ・オーナーを模した人形を製作し携えて、二度(にたび)、この地へ赴いてくれたと。

 このようにして、リピーターはある時期までは増え続けていたようだ。



チニカ山荘 ズタ袋
 離れ気味の目といい、角度としてはこちらの方がよく似ているように見える。赤いズタ袋もしっかりとあって似せるような工夫が見受けられる。

 もしかしたらゼロから作った人形ではないのかもしれないが、オーナーの魅力に染まった宿泊客が次の年にでも、似通った人形を地元から見つけて持ってきてくれた可能性もある。



チニカ山荘 コーヒー看板
 色ムラがあるコーヒーの手書き看板。クリエイティブな仕事は細部の詰めが甘いところも多々あり。

 

チニカ山荘 瓦礫
 オーナーが心血注いだチニカ山荘。

 この荒れようだと復活はあり得ないのか。



チニカ山荘 白樺壁
 ここは、半オープンスペースのような場所だったのか。それとも、この一面の全てが吹き飛ばされてしまったのか。

 ぶら下がった角笛と帆立の絵皿。



チニカ山荘 帆立
 装飾品に統一感はまるでなし。



チニカ山荘 鷲
 チニカオーナーが子供時代に活躍をしていたサッカー・チームのものだろうか。

 これさえ置いていってしまうとは、惨状をみて絶望的になり全ての気力を失ってしまったのだろう。



チニカ山荘 便り
「便りを出そう! 一枚 150円」

 一般的な市場価格の50円増しぐらいなので、ボッタくるというまではいかない。



チニカ山荘 営業中
 今となっては見るも虚しい「営業中」の看板。

 豚のシルエットのようだがはたして。

 桃岩荘第三の流れを受け継ぐ次代のオーナーが現れて、再建に動くといったストーリーはないものだろうか。

 クラウドファンディングでお金さえ集まれば、僕自身がやってもいいくらいだが、世の中そう甘くはない。数千万円集金できれば重たい腰も動きそうだが、中途半端に百五十万円とかだったら、膨大な借金に苦しむのは目に見えているので、迂闊には動けない。



チニカ山荘 廊下
 中庭のような設計だったのか。丸ごと壁が吹き飛んだのか。

 錆びて動かないリフトを発見し、何気に山道を車でやって来てこの光景があるのだから、北海道は懐が深すぎる。



チニカ山荘 裏から
 向こう側からのぞいていた時まではまだ気楽なものだった。



チニカ山荘 オリオン
 壁に各部屋の鍵がかかっている。横一列にオフィス用の机が並ぶ。

 事務室のようだ。

 チニカオーナーの写真を拝見した時、独特の彫りが深さを感じさせる顔で、アイヌの血を受け継ぐ人かもと思ったりもした。

 ところが、乱雑な机の上にたたずむ数本のビール缶。サッポロビール王国であるここ北海道にて、オリオンビールを好んで飲む人にはお目にかかったことがない。ましてや、当時の時代に、そう簡単にオリオンビールが入手できたのかどうか。

 郷里よりチニカオーナーが愛飲のオリオンビールを送ってもらっていたとしたら・・・。彼は沖縄県より、憧れの北海道に移住してきたというケースも浮上してくる。

 これより、大型風呂施設や各宿泊部屋、厨房など、室内探索へ歩を進めることにする   



つづく…

「前に進んだ、廃墟探索者」 廃墟、『チニカ山荘』荒くれ探索.6