金山君の”まあまあ”の顔(彼女曰く)。運動神経。決める時に決めてしまう運の強さ。立ち振舞。それらの全てが愛しいと恋慕の情を日ごと募らせていくキョーコさん。
たかが彼が左利きというだけでも「カッコイイ!」と腰砕けになり褒めそやす。
もしかしたら、あの大ヒット曲「わたしの彼は左きき」の影響を受けての発言であるのか。私的には、麻丘めぐみの歌はかなり古い六十年代のイメージがあった。調べてみると、「わたしの彼は左きき」がリリースをされたのは1973年の7月である。
キョーコさんが金山君にぞっこん惚れ込んでいたのは曲のヒットから五年後あたり。時期が近いこともあり、メディアによる煽動効果にモロに嵌まり、左利きがさも特殊で選ばれし者の妙技であるかのような認識さえ彼女は持っていたのかもしれない。
ちなみに、僕も左利きだが、これまでの人生で左利きを”格好いい”という観点から言及されたことが一度だけある。しかもそれは男からだった。
警備員のアルバイトをしていた頃、バイト仲間の大学生に「左利きって格好いいですね。昔から憧れているんです」と僕を羨望の眼差しで見て、休み時間になると彼は懐中電灯や警棒を左手で振り回していた。左利きになる練習とのこと。それだけならまだしも、警備日誌まで左で書いていたので、とんでもなく字が汚く、「まともな大学に行っているのに、頭がどこかおかしい・・・」と陰口を囁かれて仲間からは浮いた存在になっていた。その警備班はただでさえ、JAC(ジャパンアクションクラブ)の無名俳優やアンナ・ミラーズの元店長、新宿界隈で最後の流し、元映画助監督、などのいわくつきの人間が揃っていたというのに、彼等の並びから浮いてしまうとは、相当なものであり、実にアクの強い青年であったのだなと今更ながら彼への記憶が鮮烈に呼び起こされてしまうほどだ。
左利きが格好いいなんていうのは曲のイメージによる幻想でしかなく、実際は不便なことばかり。彼もキョーコさんもまんまとメディアの術中に嵌まり流されていいたのだろう。
とはいえ、本人にとって不便でしかない左利きでさえ愛し、家では史之舞の物まねに耳を塞ぐ。
学校では”金山愛”に関する告白ノートのようなものを”均”に見られて窮地に陥り絶望的にもなるが、翌日には事態を解決するどころか、均にたいしてとりあえず精神的にだけでも上位に立つ(日記内での例の予行練習)ことを心掛けた結果、潔く事の真相を彼に話し、口外禁止の約束まで取り付けることに成功する。
「均に言 って し もう た . だっ て スゴク おそろしかった
事の解決の仕方の解釈に見方はいくつかありそうなものの、一応の収束は見られ彼女も安堵をする。
鉄板カップルで知られる金山・佳子ペア。佳子さんと相思相愛である金山君へ一方的に恋心を抱くキョーコさん。ひた隠しであった”金山愛”をリークの寸前で阻止する。
嵐のような出来事の後のプール授業。
スポーツ万能の金山君がプール授業を休むことに疑惑の目を向けるキョーコさん。ついでに、金山君の兄の存在を突き止め、詳細な人物情報も得る。
珍しく母親の車で町へ行き買い物をする。そこではなんと、数十年後にブームになる、ある食品を数十年も先駆けて(結果として)購入。
夜は史之舞と一緒に海と喫茶店へ。
デートの下調べなのか、それとも、来るべき日に備えての史之舞との思い出づくり(これも結果として)であるのか、ともかく、迫りくる終業式に向けて、慌ただしく行事をこなし、家族との関係を盤石に築き、まだ知り得ぬ後の運命へ無意識ながら進み向き合う体制を次第に整えていきつつある彼女と家族の人達であった
1978(53)7月 21日 11:30
集合 体育 は .水泳
だった 。 BUT 私は
カゼを ひいてるから ダメ
ケチ なことに 今年 から
入らない人 は 入れないんだって
でも 金山君も入らないの,
ステキな金山君 !
午前 の授業は ほとんで
しなかった 。 戸田さんは
** 休んだし !
金山君は どうして なんだろう。
なぜ 入 らない の かな、
金山君 の 兄に 春彦 っている
らしい ,友 に似てるんだって
はが かけていて ,さる に似ている
う ー ん あ ま り の ぶじょ く だ
似て るだ けに ・・・ 。
カゼ 早く なお そう っ と
まける ナ くじ け るナ オヤスミジ ャ .
最近の北海道では小学校には大概プール施設があるものの、中学校以上になるとそうでもなく、無い場合も多いという。
集体なので別の中学校に行かなくてはならないとはいえ、キョーコさんは恵まれた環境にあったのかも。
>金山君は どうして なんだろう。なぜ 入 らない の かな、
この書き方だと、金山君はずっと水泳の授業を受けていないと思われる。自分だって風邪で休んでいるのに、金山君の欠席を殊更訝しむキョーコさん。
もっとも、運動会に競技会にと大活躍のスポーツマンの金山君である。青白いもやしっ子が仮病を理由に休むのとは訳が違う。キョーコさんが疑惑の目を向けるのも無理もない。
今ではすっかりお茶の間の良きご意見番となった、かつては「小樽の狂犬」と呼ばれ怖れられた、お笑いコンビ「極楽とんぼ」の加藤浩次は、サッカーが得意なスポーツマンでありながら、泳げないカナヅチとして有名。
二人のスポーツマンに共通するのは、北海道の出身であるということ。時代的に小学校にもプール施設が無かったことも十分あり得るので、大の北の男のスポーマンが泳げないからといっても特段不思議なことではない。
キョーコさんは金山君が泳げないことにそれとなく気づいてはいるが、それに触れると彼のプライドが傷つくと察し、(でしょ)のニュアンスを込めつつ、日記内の文章で遠回しに勘ぐっている”フリ”をしているのではないだろうか。また、そんな他愛もない欠点を持っている金山君がより一層、愛しくなってくると。
>ケチ なことに 今年 から入らない人 は 入れないんだって
行政も北海道において水泳の授業が無駄だと思い始めているのか、やりたくない人は見学で良いといったニュアンスのことを、キョーコさんは説明しようとしているのかも。
>金山君 の 兄に 春彦 っている らしい ,友 に似てるんだって
どこからか、金山君の兄の名前を入手する。その名は「金山春彦」。ちなみに、金山君は「金山友彦」。お兄さんは春の季節の生まれか。当然ながら、金山君に似ているということだが、最近では疑似恋愛・恋人モードに入ってしまっているからなのか、「友」と友達以上の親しさをもって彼を呼びつけるキョーコさん。日記を書いて自分だけの世界を持つものだけに許されるせめてもの特権か。
>はが かけていて ,さる に似ている
一昔前は、前歯が大きく欠けた大人などそこら中にいたものだ。歯列矯正なんて海外ドラマの子役ぐらいでしか見かけなかった。ちなみに、映画監督の市川崑は、両手の塞がる撮影中にもタバコが吸えるようにと、前歯を抜歯したほど。
>歯列矯正なんて海外ドラマの子役ぐらいでしか見かけなかった。
とは指摘してみたものの、フルHDの画質を家庭でも楽しめるようになってから、日本の昔のドラマや映画を観ていると、子役やアイドルが実は歯列矯正のブリッジをしていたのを発見してしまい、驚くことが多々ある。昔はガチャガチャの歯の人が圧倒的に多かったが、やる人はやっていたんだなと、技術の発展により知り得た事実。
>う ー ん あ ま り の ぶじょ く だ似て るだ けに ・・・ 。
金山君そっくりの歯欠けの兄が猿似と聞かされ、それを侮辱と取り、彼の代わりに憤慨してあげる思いやりのあるキョーコさん。
1978 7月22日 * 11:46
* 昨日 Mother の 車で 町に行っ て
買い物をしてか ら 史之舞 の部屋に
行った 。 私は 電話 で 今日 . とまることに
なってしまっ た。
( 7月 22日 )
史之舞 の 部屋 に入っ て か ら
ジュース . スイカ , トマト などを 冷蔵庫
に, 入れたり きったり 母 と している 間に
史之舞 が 帰って 来た 。
今 ばん のごはんは . ひやし ラーメン .
Mother に ねだって かってもらってきた
と 史之舞に ゆって やった . 夜 少しくらく
なって 海に 行った 。 月もなく 夜だった
ので . くらかった , でも 私 は町が好き
なのよ なんとなく いい かん じ 、
デート す る に は 最高 の場所 か も、
そして また 夜に さてんに 入って
チョコ パ を食って . ミックス サンド を食べた
史之舞の よく たべること . 金がなくなった .
ねる時 くるしかった 。
オヤスミ .
↑レッコさんの
とこにも行った
オモシロイような
したしすぎるような
人達だった*
>* 昨日 Mother の 車で 町に行っ て 買い物をしてか ら
その街は今では人通りが昼間でもほとんどない。道は整備されビルも建つが、SF映画によくある、人間消滅でもしたかのように、都市でありながらゴーストタウンと見間違えるほど。人の流れが郊外のショッピングモールに移っているということもある。冬にひとりで街中を歩いていると、人さらいでも来やしないかと、子供の時に感じた寂しい孤独による言い知れぬ恐怖を大の大人の僕が味わったほど。
キョーコさん家族が街に買い出しに行っていた頃は、さぞかし繁華街も賑わっていたと思われる。
>史之舞 の部屋に行った 。 私は 電話 で 今日 . とまることに なってしまっ た。
これは、施設の中にある史之舞の部屋という意味かもしれない。その部屋にキョーコさんが泊まることになったと。
>今 ばん のごはんは . ひやし ラーメン .
冷やしラーメンという呼び方をして売り出したのは、結構最近のことではないだろうか。冷やし中華のようにアレンジされたものではなく、ラーメンをそのまま冷やしたような内容。値段の高いカリスマ系ラーメン屋が始めて、大手メーカーが家庭用に売り出したはず。キョーコさんの家庭が独自に冷やしラーメンを数十年も前につくりあげていたのか、それとも、北海道の一部ではメジャーな呼び方だったのか。
>夜 少しくらくなって 海に 行った 。 月もなく 夜だった ので . くらかった , でも 私 は町が好きなのよ
現在住む、大草原の中にたたずむ一軒家ではなく、町が好きだと主張をするキョーコさん。
畑でとうもろこしを育てたり、牛飼いをしたりの今の生活から抜け出して、OLになりたいという願望をこの頃から持ち合わせていたとみるのは深読みのし過ぎだろうか。
>デート す る に は 最高 の場所 か も、
金山君と街路樹を歩き、ファンシー曽我でアクセサリーを物色。フレンドショップで買う予定は無かったが試着をすること数回。ファミレスなどなかった当時のランチは、気心のしれた喫茶店
キョーコさんが思い描くそんなに贅沢とも言えない”夢”ははたして叶うのか。
>また 夜に さてんに 入ってチョコ パ を食って . ミックス サンド を食べた
やはり、当時の中学生が気軽に外食をしようと思ったら、喫茶店が王道だっただろう。女の子の好きなデザートも豊富だし。”チョコパ”という縮め言葉のセンスにはかなりの先進性が感じられる。
>史之舞の よく たべること . 金がなくなった .
お金が無くなるほど食べるとは、史之舞はかなりの大食漢。
>ねる時 くるしかった 。
自分も苦しくなるほど一緒になって実は食べていた。
>↑レッコさんのとこにも行った
地方の喫茶店なら自前の土地と建物の場合が多いので、限界まで高齢化していないなら、長く続いている場合が多い。
僕は北海道の主要駅から徒歩十五分圏内にそれぞれお気に入りの喫茶店があり、北海道へ行くたびに街の基点として利用している。今のところどこも廃業はしていない。ちなみに、小樽のアーケード内にある有名な煉瓦造りの喫茶店は一時長期に渡り休業をしていたが、次のオーナーに受け継がれて無事再営業へとこぎつけていた。
次の日、せっかくのレコード鑑賞中だというのに、キョーコさんの家の中が水浸しになる。それもあり極度の疲労困憊に。
動物の物まねをする史之舞と買い物に行くが、ここで、史之舞に関するある事実が判明をする。文中では具体的な指摘が無かったので断定はできないでいたが、ここにきて確実なエピソードが語られることになる。
史之舞とは駅で別れて、キョーコさんは汽車で地元の駅まで行く。地元の駅にて、汽車を降りていったのは、金山君その人だった。
「この汽車にのってるなんてしらなかった」
加えて、山角君が彼の家の前で遊び呆けているのを発見。山角君は何人かと楽しそうにしていたが、その中のひとりが、金山・佳子カップルの片方、佳子さんだった。
つづく…
「浸水と姉の実像」 実録、廃屋に残された少女の日記.30
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コメント
コメント一覧 (16)
どうもはじめまして。
僕からは詳細について表立って公開をするつもりはないですが、でも、けいさんのように興味を持たれた方などが、コメント欄や記事内容から知るに至るということは、流れにまかせて見ていようかなと思っています。コメント欄は妙な宣伝のスパム以外極力消さないようにしてありますし。
木造家屋なので、遅かれ早かれそうなることは避けられなかったのですが、思いのほか早かったような気もします。
テンポよく更新を続けていく予定なので、良かったらまた読んでみてください。
キョーコさんとはほぼ同世代ということもあり、いつも興味深く読ませていただいてます。
過去の※欄や別記事を参考に、あの辺かこの辺かと考えてましたが、今回の※を読んでついに見つけました!
嬉しくてつい書き込んでしまった次第です。
まだ訪れたことのない地にたたずむ廃屋のありかを、自宅でネット環境を通じて眺めることができるなんて感慨深いです。
でも、ついに倒壊してしまったとか…
つくづく、キョーコさんの日記がkailas様にサルベージされて良かったと思います。
ご負担にならない範囲での更新、これからも楽しみにしてます。
まだ家のリフォーム途中でしたか。南から北へと。しかも自ら仕上げるという行動力。北の国からの五郎ファミリーを地で行くようで驚きです。
>あの小川といい、キョーコさん家から見る夕日も綺麗で
あの小川に架かる、家に入るための渡し板があるのですが、子供の頃、雪の日などにあそこから落ちたりしなかったのだろうかと、ふと考えてしまいました。
僕が日本で唯一行ったことのない都道府県が沖縄県です。機が熟して「さぁ行こうか」と思った頃には海外バックパッカーに目覚めてしまい、結局今に至るまで行かずじまい。
その沖縄に現在ではアジアのバックパッカー文化定着していると聞いて、不思議なめぐり合わせを感じています。
キョーコさんの家を見て、そこで青春を過ごしたキョーコさんに思いを馳せて、なんだか寂しい気持ちになりました。家がまだ崩れていなかったとしても、私は怖くて廃屋とか入れないので、遠くから見るだけなのですが、あの小川といい、キョーコさん家から見る夕日も綺麗で、ノスタルジックな気持ちになりました。あの小川のエピソードもあるんですね。洪水とかの心配はあるけれど、牛や馬を飼うには川があるのがいいでしょうね。
Kailasさんも、また北海道へ行くんですね、いつもキョーコさん日記以外の記事もとても楽しく読ませて頂いています。また廃墟や廃屋、秘境などの記事、楽しみにしていますね。お気をつけて廃墟探検なさってくださいね。お互いに大好きな北海道に移住できる日を夢見て、頑張りましょう。
キョーコさんファンクラブ「親友会」さん、
私もファンクラブ入りたいです(笑)。毎回、自分の青春時代と重ね合わせるかのように、キョーコさんの日記に没頭しています。これからどんな展開になるのか、本当に楽しみです。多分いろいろと切ない気持ちになると思いますが・・・。マケルナ、クジケルナ、キョーコさん!
熱心にお読みいただきありがとうございます。
僕もあえて二日程度しか先読みをしないようにしているので展開は不明ですが、高校生にもなれば積極的にはなりそうですよね。周囲も寛容的になる年代でもあるし。
どうもお久しぶりです。 プリプリの名曲を聞きつつ「キョーコさんファンクラブ「親友会」」はまだ存続していたんですね。連載が終わるまでは続いてほしいものです。
日記の中ではこれからが青春時代の真っ只中になるわけで、あの地が遅かれ早かれ草原のようになってしまうのは、時の隔たりをあらためて思い知らされます。
>貴重な日記がサルベージされたのが、唯一の救いです。
懸念事項だった蛍光ペン色褪せ問題も克服できたということで、70年代がリアルタイムで進行しているような感じでこれからも書き進めて行きたいと思います。
ここ最近の日記は、「乙女の恋心」という内心に迫る話が続いており、
更新を追いかけているうちに、キョーコさんの青春時代より後になりますが、1989年にリリースされたプリンセス プリンセスの名曲「DIAMONDS (ダイアモンド)」を思い出しましたw
めぐ様
キョーコさん達が暮らしていた住まいが遂に倒壊してしまいましたか…あちらは雪が厳しいと聞いていますが、非常に残念です。
廃墟とはジャンルが違いますが、東北で大昔に廃止された森林鉄道に残されていた、巨大な木造の橋が無残にも破壊された姿を捉えた写真を見た時のようなショックを受けました。(山さ~のアレです)
kailas様の重大な決断により、在りし日の姿を伝える貴重な日記がサルベージされたのが、唯一の救いです。
山角君ですね。間違えていました。そういえば前も佳子さんは彼の家の前で遊んでいたような気が。
沖縄に移住されてから北海道に帰られたんですよね。おめでとうございます?でいいのかな。
>崩れてしまっており、もう入るのは無理そうです
あとはあの地に還っていくだけとは悲しいような自然の摂理というか。あそこで青春時代を過ごした人のストーリーを、今まさに書きながら追体験をしてあれこれ思う自分の立ち位置が、親戚でもないのにどうなんだろうかと考えてしまいます。結構読まれているようなので自分を納得させていますが。
>家の前に小さな川が流れていたり
そういえば、無作為抽出して読んだ中に、あの小川に関するしんみりエピソードがありました。どのあたりで出て来るのかちょっと今はわかりませんが。
>キョーコさんの家の写真を送りますね
お申し出ありがとうございます。ただ、ケジメではないですが、そう遠くないうちに自分でまた訪れてみたいと思っています。あの家や日記の中にでてくる店などを巡って自身で写真を撮って比較などして記事にしたり。
感謝されるのは畏れ多いですが、力強い応援どうもありがとうございます。
北海道での『冷やしラーメン』は昔からなんですね。意外でした。でも呼称だけで内容は一般的な冷やし中華であると。
キョーコさんはそうとう冷やしラーメンが好きだったみたいで、これからも文中に出てくるだろうから、もやもやが晴れて助かります。ありがとうございました。
最後ロッキー山脈で殉死をしたあの人ですか。本人を調べてみたら、かなり興味深い経歴をお持ちの方のようですね。
北海道では未だに結構冷やし中華のことを冷やしラーメンと呼んでいるので