チニカ ジョゼフ・ルーラン
 2004年のエネオス(新日本石油)のカレンダーが壁に。

 チニカの最期を、積丹の海のごとくその眠たげなアクアマリン色の眼で、何の因果か見届けるに至った、ゴッホ作の「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」。

 おまえの行動は逐一監視しているぞ    下手なことはできないなと、探索の許可申請を願い出るかのような潤んだ物乞いのような眼をしながら、ルーランを見つめ返す。不機嫌さを装ってはいるものの、眼の奥に宿る灯火に際立った揺らぎはこれっぽっちも認められず。

 都合よく解釈をし、来た時から自らに制限を加えていた心の鎖を晴れて解くことにする。もてなすとまではいかなくとも、拒否することなく、黙認をしてくれたのだと。

 あいかわらず身勝手にも程があると自己嫌悪に陥るも、こうでもしないと既成事実は作り上げられないし、それをきっかけにして一歩を踏み出せない。現状把握さえできない。一体、この地で、何が起こったのかと。場合によったら、中で遭難をしている人がいるのではないかとさえ思い、見て見ぬふりをして通り過ぎようとするもう一方の自分を手繰り寄せる。

 新日本石油はかつて日本における石油元売りの最大手企業。近年の統廃合やブランド名変更により、「新日本石油」の社名は残っていない。「ENEOS」ブランドはサービスステーションとして存続中。



チニカ タコ茹で
  1987年、昭和62年の思い出の切れ端。再利用か。もしかして、ご自身か、親類が住友商事にお勤めだったのか。

 生タコの湯で方のレシピ、ネットで初披露。

   塩で 1時間モミ 水洗い  お茶をだした塩 ゆで

 たったこれだけのことを、メモ書きする必要があったのだろうか。 画鋲のスペース配分も予め考えずに。

『生タコ(画鋲)湯で方』

 画鋲部分には(の)の文字が入っていたはず。場所の配分構成能力が極めて欠如した人によるメモ書きかと思われたが、視線を下に移すことで謎が判明をする。

 太陽光線の照射範囲による影響か、紫外線により大部分のインク文字が消えかかっていたという事実を発見。本来は「生タコ湯で」による詳細なレシピが記されていたのである。濃密な情報を記すために少しでも文字のスペースを必要とすることから、泣くなく『生タコ(の)湯で方』の(の)の部分を犠牲にせざるを得なかったのだろう。

 本人自ら、時にはトドを見渡せることもある岩場よりダイブをし、『生タコ、取ったどーーーー!!』。

 その日のチニカの夜は、贅を尽くした多種様々なタコ料理がテーブルを埋め尽くしたとか。

 ちなみに、後に積丹岬に向かった僕は、トドが群れを成す岩場を遠目に望む北の岬の野性味あふれる荒々しさの光景にしばし呆然と言葉を失うことになるが、同時に予期しない突風が吹き、チベットのカイラス山巡礼時に買った思い出の帽子を、積丹の海の彼方へ吹き飛ばされることになってしまう。



チニカ 鍵
 有孔ボードを上手に再利用。厳格な鍵の管理がなされていた様子が窺われる。

 有孔ボードとは、穴あきボートともいわれ、学校の音楽室の壁や会議室の壁などに用いられる、吸音効果のある板。

 本来吸音効果のために開けられた穴にフックをねじ込んでやろうと思いつく。横一列に並べられた真鍮のフックにはそれぞれの部屋の鍵が吊るされる。アイデア・マンならではの発想だ。



チニカ ステンシル
 チニカ・ブランドの確立を目指していたのだろうか。「チニカ山荘」のステンシル・シート。

 石川ふう子のパンツ 3リ パンツ

 時には下ネタも飛び交いながら、和やかな雰囲気でチニカ山荘が運営されていたことの遠い証し。



チニカ ユニセフ
 忍び寄る「ユニセフ」のダイレクトメール。

 一時僕の家にも、大量にユニセフからのダイレクトメールが届いて困り果てたことがある。淀んだ目でこちらを見つめる黒人の子供の写真。日本語で書かれてはいるが、どこか文章がおかしくてしっくりこない。行間や字間が間延びしていて、しっかりとした日本語環境ではないPCで文書が作られた可能性が大。

 チニカでも同様の被害を受けていたようだ。



チニカ 外来語
 小池都知事の会見を真摯に聞く気があるなら、是非とも必要になるであろう「外来語言い換え案」の一覧表。

 外国人旅行者向けというより、昨今の大学生に対応するために必要だと感じていたのだと思われる。

 鴨の水かきのように、裏ではレシピに外来語にと自らに猛勉強を課していた。



チニカ 玩具
 手作りだろうか。柔らかな温もりのある木製のオモチャなどが並ぶ。複葉機にレース・カー。たぬきの置物。一番手前のは、キャットタワーのミニチュアだろうか。そんなミニチュア存在するのか?と思いながらも、それ以外に当てはまる言葉がない。

 手前と奥の背反する光景が今のチニカ山荘の現実。

 この忌々しい現実に目を背け、素通りすることも僕はできたはず。が、万が一を考慮し、後悔をしないためにも、ただひらすらに山を登ってやって来た。実際のところを自分の目で確かめるために。

 つい先日、中学生が探検と称して空き家へ侵入したところ、首吊りの死体を発見するという、映画「スタンド・バイ・ミー」を彷彿とさせる事件があったばかり。

 善意の押し付けではない。僕に今できることをやるしかないのだよと。

 崩壊をしている山荘で一体、何が起きたのかと。瓦礫の下に埋まっている人が、もしやいるのではないか。チニカ災害時ではなくとも、第二次災害ともいえる、僕の先人のような人が、倒木に挟まれて息も絶え絶え助けを待ち望んでいる    かれこれ四日間・・・。あの時手間を惜しんでさえいなければ、助けることのできた生命。損して得取れ。あらゆる可能性を否定しないのが、北海を彷徨う、廃墟探索者。

 義務感と邪(よこしま)な好奇心が交錯する中、更に僕は荒廃したチニカの奥深くへ入り込んでいく   

 

つづく…
「チニカの拾い物」 廃墟、『チニカ山荘』荒くれ探索.7