夕張 2000
 置かれていったままの、ミレニアム・イヤー、2000年十月十二日の読売新聞。安室奈美恵が「LOVE 2000」(ラヴ・トゥーサウザンド)という歌を出した年でもある。今や聞くだけでも恥ずかしいタイトル名。

 思えば、小室哲哉の作詞における言語能力が限界に達した年。当時は『なんて安直でやっつけな歌(詩)なんだ・・・』と誰もが呆れたものだった。引き出しは枯渇か。粗製濫造にもほどがある。愛と2000年にどんな関係があるのかと。並べて言いたかっただけだろうと。

 私的に曲はまだ良かったと思う。エイベックスの社長に救済してもらい復活してからは、すっかり駄目だが。

 globe末期頃の「try this shoot」は聴いていると頭が真っ白になりトリップをしてしまいそうになる曲。今でもたまに思い出したかのように聴くことがあるぐらい。ただ、当時のglobeは曲を出しても発売週になんとかオリコン十位以内には入るが、翌週には圏外へと。末期のアイドルと同じランキング推移を辿っていた。

 この曲から数曲後、明らかに落ち目感の漂い始めた小室哲哉は、立場の逆転してしまった安室奈美恵側から切られてしまうことになる。

 九十年代に猛威を振るったTKこと小室哲哉プロデュースによる一連のアーティストや曲は、この新聞が発行をされた”ミレニアム”を境にして潮が引くように市場から消えていった。



夕張 緑壁
 通称、グリーン・フォール。天井付近をよく見ると、緑色をした既成製品による幾何学模様が微かに判別できる。よって、上から漏れ垂れた水に製品のインクが染みて縦線の模様となって残ったのだろうと推測。

 足下の畳は沼のようにぬかるんでいる。乱暴に踏み出せば基礎ごと破壊してしまいそう。



夕張 となり
 窓からお隣を覗く。

 この一帯が撤去をされずにそのまま残されてゴーストタウンのようになっているのは、やはり夕張の厳しい財政によるものなのだろうか。ここへ来るような物好きの観光客はそういないだろうから、放置しておいて朽ちるがまま大地に委ねて待つと。

 サバゲー会場にもなっていないようだし、つまり人為的に荒らされていなく、三丁目の夕日の主人公気分でのんびり”失われた街”を散策してみたい人には最適かも。



夕張 壁
 都内で数多の有名所(どころ)の施設警備経験があり、廃屋や廃墟もひとりで普段から乗り込んでいる経験から、この模様が人に見えてしまうというような、オカルトチックな妄想癖は全くない。

 だからといって、物怖じせず胸を張って次から次へと半ば腐りかけた家屋に我が物顔で上がり込んでいるというわけでもない。人や動物、または得体の知れない何かが、常に出てきやしないかという怖れは心の奥底に抱き続けている。咄嗟の危機に対応するためにも、ある程度の緊張感は必要だ。



夕張 柱
 今にも崩れ落ちてきそうな天井。

 この様子だと、オカルトがどうこう言うより、物理的被害に最大限の注意を払わねばならないだろう。瓦礫の下敷きになってしまったら、下手すると一週間ぐらい救助されないかもしれないのだから。もしくは一ヶ月か。

 当ブログを読んで触発された大学生が、夏休みに夕張廃墟旅行へと赴く。早朝のゴーストタウンにて、セイコーマートのコーヒー片手に、まるでタイムリープをしたかのような、レトロな町並みで散策と洒落込む。

 それにしてもなぜ日本のアニメでは『タイムリープ』と定められているのかはよくわからない。おもねってそう書いてみたものの。

「これが噂のグリーン・フォールかぁ」上から、下からと、ブログとの答え合わせでもするかのように、写真を撮りまくる彼。そこで例の黒い染みの畳を発見。

「廃墟探索者が言ってたけど”泥”の沼とは大袈裟だよな」

 掛け値なく泥のように柔らかくなっている”本い草”の畳を足の甲で何度も踏み叩く能天気な大学生。突き抜ける足。鈍い音とともに潰れる床板と基礎。柱も根本から折れてしまう。目をむいた大学生の上に轟音とともに天井が覆い被さる。哀れ、大量の瓦礫の山の下敷きに。

 その瓦礫の山の真ん中には斜めになった柱が墓標のように突き刺さっていたとか    

 数日後・・・

「グリーン・フォールの家がなくなって、古墳みたいになってるぜ!」『(自撮り)パシャッ、パシャッ・・・・・・』   


 なぜこんなことを書くかというと、ここ数日、普段の倍以上のアクセスを記録しているからだ。今までの数だったらせいぜい廃墟趣味の人が読んでいたにすぎないが、倍となると他分野の人も見ているはず。旅行感覚で行ってしまうとこうなるよとの戒めのつもりでもある。

 急激なアクセスの増加は一過性の一時的なものだと思われるが、念のためにも。

 のしかかる廃墟探索者としてのリスクを受けとめつつ、次の部屋へと。



夕張 台所
 台所。

 家主の趣味が反映されているダブル・グリーンの床。一般家庭ではまず使わないような寸胴鍋。

 お父さんが家族を喜ばすために、一からラーメン用に自家製スープを作り、日曜のディナーに披露をしていたのか。それともラーメン屋をやっていて、自宅で仕込み中だったのか。



夕張 棚
 危うく見逃すところだった、グリーンの棚。もう一つのグリーン・ハウスの象徴。

 これはもう家主ではなく、ここを普段聖域としているお母さんの趣味だろう。台所に居間にと、母親のイメージカラーが用いれられ、仲睦まじい夫婦の家庭であったことが窺わえるというもの。

※この寸胴鍋は”加湿用”だと思われます。コメント欄よりご指摘いただきました。まっぴー様、ありがとうございます。



夕張 階段
 階段を登り、二階へと。

 滑り止めのマットはグリーンではなく赤。『傾斜のきつい階段を注意せよ!』と喚起をするための色だろう。父親の粋なはからいだ。女性視線の、色彩が統一をされたムード作りも”温かい家庭”には必要だが、身の安全に関わる箇所は、強い実権を持つ父親の意見が反映をされていたに違いない。

 母親をたてながらも、強力な統率力を持つ父親によって一家が治められていたという、日本”本来”の家族の伝統がしっかりと息づく保守的な家庭が、グリーン・ハウスこと”緑の家”にはあったようだ。

 室内装飾の色と、階段マットの色から、たったそれだけで、一家の崇高な精神に及ぶ立ち位置さえ読み取ってしまうことに成功をした”廃墟散策者”が、今度は、二階へ行き、更なる眠る家族の営みを、詳細に探っていくことになる   



つづく…

「家主の理想郷、ディストピア」 夕張廃墟世界、孤独探索.8