もういい歳をした成人でもある二十歳の兄貴と、まだ”いたいけな・・・”と言ってもかろうじて許される年齢の中学三年生のキョーコさんが、蹴っ飛ばされ叩かれの乱暴な兄弟喧嘩の大立ち回りを演じてしまう。もちろん、暴力の前に一方的に苦汁をなめさせられことになったのは、キョーコさんその人。
振り返って冷静に考えてみると、以前は当然酪農を手伝っていただろうガタイの良さそうな兄貴が、肉体的な力を行使して中学の妹と喧嘩をしている光景を、親は見ていないはずがなかったとは思われるが、途中で止めるわけでもなく、キョーコさんがやられるがままになってしまったのは、どういうことなのか。
酪農夫婦の朝は早いので、親が早々に寝静まった深夜、かねてから細かい衝突が続いてお互い近々、溜まりに溜まった怒りのエネルギーがいつか噴出するのだろうとは気づいていて、この際決着をつけるなら親が熟睡した今しかないと、どちらからともなく、行動へと移していったのではないかと、あの廃屋の二階の部屋で、実際にしばし宙を睨みながらたたずんだことのあるこの僕が、下の居間兼寝室との位置関係などを考慮し、可能な限りの推察を導き出してみた。
バカ兄、クソだアホだと、叩かれて泣かされたわりには、心から鬼になれず控えめな罵り言葉で日記の中でさえも一線は越えないで、我慢をしてしまうキョーコさん。
ガキ . バ カ . アホ , キチガイ マ ヌケ く る く る パ
せいぜい付け足した悪口もこの程度。読まれる方がどん引きをするまでもない愛嬌のあるものだ。
キョーコさんの怒りと訴えは真剣そのもの。一生懸命我慢してきて、常に自分を抑えながらも、なんとか出した答えを、キョーコさんいわく「あんな風に思われ返され・・・」たと、兄貴に激しい怒りをぶつける。もう、耐えられんのだと。
兄貴は自分だけが東京で辛かったり嫌な思いをしていると勘違いしていると、彼女は憤る。
どこまで本気なのかわからないが、睡眠薬を用意して死んでやるとまで言い出す始末。
”あんちくしょう”をぶん殴ってやろうとさえ思ったとか。
この「あんちくしょう
そんな時、コメント欄より寄せられたのは、
>1976年の少女漫画で「年下のあンちくしょう」からの引用かな?と思いました
というご意見。なるほど、どストライクの答えが来てしまったなと。少女漫画の好きなキョーコさんのことなので、殺伐とした文中に多少の和みを与えるためにも、好きな漫画の題名からオマージュされた言葉を選んて使用したのは、これまでの例を見るまでもなく明らかで、自然な流れといえる。
僕自身も、さも真を得たりと、我が物顔でコメント欄にて答えていたものの
>この日記から遡ること約1年前の1977年9月発売のピンクレディーのヒット曲「ウォンテッド」に「あんちくしょう」というフレーズがあります
矢継ぎ早にご指摘が来る。
そういえば、ピンク・レディーの歌にそんな歌詞があったのを思い出す。実は「年下のあンちくしょう」はキョーコさんの愛読誌でもある「なかよし」の連載ではなかったのが気にはなっていた。彼女の家庭の経済状況は決して恵まれていたとは思えないので、少女漫画雑誌をそう何冊も買えなかったに違いない。過去にもピンク・レディーの新曲の歌詞や振り付けをすぐ覚えようと必死だったキョーコさんのこと。可能性としては「ウォンテッド」から引用したものと見ていいだろう。
さらにそれらを補足するようなご意見が。
>「♪あんちくしょうに会ったら 今度はただで置かない」をいうフレーズが口をついて出ます。歌詞がぴったりですよね
思わず”トン”と拳底で膝を打つ。キョーコさんと同じ立場、心情で歌われているような歌詞であったのだ。漫画の「年下のあンちくしょう」 は、『年下で若干気後れするけど、癪に障るほどアイツが好き・・・』の意味合いがあるが、ウォンテッドの歌詞は、兄弟なのでキョーコさんはおぞましいほどの罵声は浴びせられないものの、『はらわたが煮えくり返るほどのあの野郎めが!』といった、キョーコさんが共感できるセリフでもある。もっとも、作詞家の都倉俊一による歌詞は、キョーコさんよりもっと年上の艶っぽい恋愛に長けた女性を描いているので、そのセリフ部分だけを切り出しての見解ではあるが。
キョーコさんなりに兄貴への恨みつらみを興奮しながらも書き綴ったつもりだったが、それでも怒りは静まらず、ページ数は三ページ目に突入。我慢に我慢を重ねて”その言葉”だけは言わないでおこうと思っていたものの、ついに、自分の境遇と引き換えに、兄貴が東京で好き勝手やっているその様(さま)を、彼女は書き吐いてしまうことになる。
この 親の すねかじりめ ! ちくしょうめ
キョーコさんからしたら、一番端的にあらわしている言葉だとは思っていた。”クソ兄貴”と呼んでもそこは目上の年長者。二ページ目までは自制が効いて押さえ込んでいたがもう限界だった。
思いの丈をぶちまけたキョーコさんは「もう泣かん。泣く気にもならん アホ臭くて」と漏らす。悔しいやら悲しいやらで、その時点まで、目に涙を浮かべしゃくりあげながら中学三年生の女の子が日記を書いていたのだった。
泣くのもアホらいいと言った直後、こんな時でさえ彼女はもう定例と言っても良い”金山愛”の自己点呼確認をする。しかも、今度こそ手紙を書くと宣言をする。以前にもそういったことを言っただけのことがあったので、今回も、窮地の自分を奮い立たせるために、その場しのぎで言ってしまった感はあるが。
翌日の彼女はすっかり穏やかなり、まるで過去の甘い思い出に浸るかのごとく、金山君はもちろん、キョーコさんの中の恋愛ビッグ・スリーとも言ってもいい、他のあの二人への熱き想いも、後ろを振り返ってまるで夢の中を退行するかのように、懐かしき時代を述懐していく。
殺気立っていたペンの乱れを補正しようとでも考えたのか、目に眩しいが心踊るよな蛍光ペンで、またまた書き始めてしまうことになる
1978 . 8月 8日 (9日) 1: 15
昨日 は. た なばた なんだったんだ って さ ! ???
金山君に おもい き って 手紙を書こう か と 思っ て
いるの(ホンキよ). たとえ*友彦*君に 好きな人が
いても いいのら . アタックと いうより も 友達になりたい.
それだけでい いの ら . 私 は 友 の _姿 , をしっている
だけ なのか も し れない もの .
ギターの うまい 友 . 高飛 び の 勇しゅう な 友 . 足るのがはやい
い .友 . そん な 友彦君しか 知 らないのか もしれな い
BUt ,修学旅行の時の友 か ら いえ
もっと 前から 見 ていた のかも しれない . 2年 の 時
バレーボール を男女とも体育館 で いっ しょに やった*
その時, 男子の方で とても コンビの い い , すごく
ピッタリ あ っ た 二人の人が い た . トス を 一人が
上げると もう 一人 が まわり こんで スマッシュ,
レシ - ブ する , まるで 二人だ けの バレーボール の
ように . なぜ か その一人の 人に 気 があ った,なん と なく
気になった . その人は左 ききだった . なんとなく 金山君,友
だ ったような 気がす る .卒業した人かもしれない .
だけど友だったような 気がほんとにするのら , やさしく .
スポーツ マン で お も し ろ お か しな かんじ の人
時は八月の八日であるが
>昨日 は. た なばた なんだったんだ って さ ! ???
最後にはてなマークが三つもついていることから、いくらキョーコさんでも本気で間違えていたとは思えない。では、その年に何か特別な天文現象でもあったのかと調べても、これと言って何もないようだ。中国の旧正月ではないが、ある一時期だけ北海道の一部では七夕を一ヶ月遅らていたとは、聞いたこともない。
怒られた翌日に親と朝顔を合わせる時や、それこそ兄弟喧嘩の翌朝の兄との対面時など、非常にバツが悪いものだ。人にあまり相談事をしないキョーコさんは、日記だけが本当の自分を出せる場。昨日の大喧嘩での憤懣やる方ない思いを書き綴った昨日の今日。日記とて同じことで、気まずくもあり、頁と向き合って嘘の感情を書くわけにもいかないので、書き始めで、キョーコさんなりのジョークで、場の緊張を解いたのかもしれない。昨晩激怒した父親が朝一番顔を合わせると「今日は日曜日じゃないのか?」とおやじギャグを言い、子供の萎縮した心を和らげるように。
>金山君に おもい き って 手紙を書こう か と 思っ ているの(ホンキよ).
前も同じことを言って実行しなかったので、誰も訝しるわけでもないのに、括弧で補足をして本気であると、実は自分で自分に諭している。
>たとえ*友彦*君に 好きな人がいても いいのら .
この場合の”まことちゃん”言葉は、嘘をついているという”やましさ”から、別人格を演じることで、それを言ったのはこの口では無いんだといった、罪を逃れたいという心理が彼女の中で働いているのではないだろうか。
>アタックと いうより も 友達になりたい.それだけでい いの ら .
やれるだけのことはやる。手紙を書いて渡してそれで断られたら、それは自分でも納得ができるし、最低限、友達としての関係として繋がっていられる。
>私 は 友 の _姿 , をしっている だけ なのか も し れない もの .
ギターや高飛びが上手だったり、足が早かったりと、金山君の表面的な格好良さしか知ることができていなかったのかもと、一石を投じる、キョーコさん。
>BUt ,修学旅行の時の友 か ら いえもっと 前から 見 ていた のかも しれない .
そんなことはない、人気者だからといった軽薄なノリではなく、ずっと前から彼を見つめてきて、長きに渡り考えに考えあぐねた答えが、「金山友彦」その人なのであると。
>男子の方で とても コンビの い い , すごくピッタリ あ っ た 二人の人が い た .
日記を書き始める前のお話。
>トス を 一人が上げると もう 一人 が まわり こんで スマッシュ,レシ - ブ する , まるで 二人だ けの バレーボール の ように .
まるで踊るような二人の男子のバレーボール・プレイに目が釘付けだったキョーコさんは、いつしか、その片方の一人を好きになっていた。これが初恋というものなのか。
>その人は左 ききだった . なんとなく 金山君,友 だ ったような 気がす る .卒業した人かもしれない .
この先のどのあたりかわからないが、何気ないのこの一節に、実は重要なフレーズが込められているようなことがあったりするのかもしれない。
すく な く と も それ だ け は 私 に も わかるのら
友の心が し り たい , その答 が む ざ ん で も . ショック
でも 友の* 心が知りたい .
友達にして ち ょう らい . 私に . こ ん な私に 気軽に
声を か け て ち ょう ら い . *そういえば*修学旅
行 の 時に *声 か け てく れた なあ バスの中で
うれしかった なあ . で も あの 時 は ギターの うま
かった人 しかし らなかったのよね . *みょうじ
さえ * しらんか った の よ ね お か しなもんよ
博君 ど うして るだろう , 私にとっては友達よ .
いまはどうで あろうと ね . 山角君 は だれが好き
なのか なあ . 小学 校の修学旅行の 時
ひ そかに 思ってしまった人 なのよ
今も少しだけね . . . . 。
松本君どうしてるか な .
彼は 私を 泣かせるほど 思って
しまった人なのよね . 今 会えた ら
やっぱりまた 好きに ,昔の思いが
再び私の心にもどってくるか
松本 晃 . 私をかえた と思う人 .
松本 晃 . あなたが いなければ
私は ちがう 道を あるいて いたと思う
まけ るな くじけるな オヤスミ
今の自分がつらい状況に置かれている時、ふと、小学校や中学校時代の友達や好きだった子が頭に浮かんできて、当時に想いを馳せたり、彼らは現在何をやっているのか無性に知りたくなり、居ても立っても居られなることがある。俺は現在こんな空虚だが、あいつらは幸せでやっているのだろうかと。
SNSの普及した現在では、フェイスブックを調べまくったりするが、ネット普及以前の旧友の場合、特に名字が山田や鈴木では、突き止めるのは至難の業。そもそも、フェイスブック自体をやっていないことがほとんど。
キョーコさんは昨晩の大喧嘩の反動からだろうか。過去の甘い恋愛とまではいえない愛の物語のそれぞれの序章を、語りだしていく。
>友の心が し り たい , その答 が む ざ ん で も . ショックでも 友の* 心が知りたい .
こんなキョーコさんが、手紙を渡したりするのが想像できない。”もしも”の場合、今以上に勉強が手につかなくなる可能性があり、それはオーバーに言えば、この時期、身の破滅を意味することになるのではないだろうか。
>友達にして ち ょう らい . 私に . こ ん な私に 気軽に声を か け て ち ょう ら い
タケモトピアノのCMの財津一郎みたいなことを言う、キョーコさん。もっとも、関西ローカルのCMなので、当時のキョーコさんが知っているはずもないと思うが。
>そういえば*修学旅行 の 時に *声 か け てく れた なあ バスの中でうれしかった なあ .
こんな純愛が今ありますかと。でも、昔を偲んで恍惚の表情をするのにはまだ若すぎる気も。
>で も あの 時 は ギターの うまかった人
まだ恋愛感情を抱いての”男”としてはみていなかった。ギターが上手いというだけの、ただの金山友彦でしかなかった。
>しかし らなかったのよね . *みょうじさえ * しらんか った の よ ね お か しなもんよ
今では毎晩点呼のように金山君の名前を深夜に呼ぶキョーコさんだったが、ほんの数ヶ月前までは名字さえ知らなかった。
>博君 ど うして るだろう , 私にとっては友達よ .いまはどうで あろうと ね .
卒業式の答辞でしか一生のうち聞くことがない「走馬灯」とは、まさに今のキョーコさんの頭の中に見えている光景ではないだろうか。
>山角君 は だれが好きなのか なあ . 小学 校の修学旅行の 時ひ そかに 思ってしまった人 なのよ
思えば初恋とは、好きになるだけのことなら、幼稚園時代でもおかしくはない。好きになったと言えず、”思って”しまったとは、今の金山君に遠慮をしているということなら、なんとも奥ゆかしくもいじらしいキョーコさん。
>松本君どうしてるか な .彼は 私を 泣かせるほど 思ってしまった人なのよね .
今では金山愛に全てを賭けているような彼女も、松本君にはかつてそんな思い出があったとは。
>今 会えた らやっぱりまた 好きに ,昔の思いが再び私の心にもどってくるか
金山君への手紙を出せないでいるあまり、昔の思い出に浸りすぎているような気も。>松本 晃 . 私をかえた と思う人 .>松本 晃 . あなたが いなければ私は ちがう 道を あるいて いたと思う未来へと導く、金山友彦君か。過去の残影の中で仄めく、松本 晃君か。 キョーコさんの明日は、どっちなのか
過去に逃避をしたような一夜。それとも、近々踏み出す前に、思う存分懐かしんだのか。
キョーコさんは明るさを取り戻し、あるふたりの芸能人の名前をさかんに連呼し出す。お二人とも現在も現役でご活躍されている方々だ。二人のような職業に就きたいとも言い切る。
特に二人のうちの片方の彼にはご熱心。金山君は憧れで、近くて遠い人。でも芸能人の彼はまた違うのだという。
過激な愛情表現も彼女らしくなく飛び出したが、一体、彼の何がキョーコさんにそこまでさせてしまうというのか
つづく…
「彼女が語る、二人のアイドル」 実録、廃屋に残された少女の日記.39
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コメント
コメント一覧 (24)
あきらさん。
少女の素朴な日記ですが、地方の風習など学ぶことの多いですね。
入植者が多いから、さらに複雑になるという。
函館と根室は7月との事。
私が赴任していた熊本ではお盆が7月と8月に別れていました。某サイトからの転載になりますが、以下の様な歴史がある様です。
「熊本市(旧市内)、山鹿市、植木町、玉東町、泗水町など県北部では七月盆(7月13~15日)が多いが、その他の地域では八月盆(8月13~15日)が多い。
(熊本市内でも、白石町、旧天明町、川尻、御幸西無田などは八月。)戦前までは球磨や天草地方では旧暦で行っていたが、今はすたれた。
七月盆の理由としては、太陽暦採用後、軍人と官公庁の町だった関係で新しい法律に従った。養蚕が盛んで8月は7月より忙しかった。八月盆の理由としては、八月の方が旧暦のお盆に近い。親戚が一堂に集まれる夏休みであることから、近年では八月盆に移行している。」
らしいですが、周辺都市から熊本市への転居も多い為、熊本市では半々位で混在していました。
日記のほんの一文から日本の地域性の勉強になります。
うさぎさん
コメント欄は皆さん読んでいられるようですので、僕としても補足してもらえているようで、助かります。
>「ローソク出ーせー」と呼んでました
ローソク自体は同じなんですね。僕は全くその文化圏に無いので、外国の風習のように感じてしまいます。道内でも地域差で、もらいと出ーせーの違いがあるのがまた面白いです。
>「もらい」というのは、ここ10年くらい?にこちらの放送番組でそう言っており知りました。
まあ、正解は無いのでしょう。どっちが本式、というわけでもないようですし。ルーツの入植者の故郷、その後の地元での変化が、今にあらわれているとか。
>わたしの場合は、小学低学年の時点で既に、ほとんどお菓子
キョーコさんの地元もお菓子なんですかね。風情がないと言えばそうですね。
>停電が少なくなり、懐中電灯など更に進化したり…蝋燭は危険ですし
時代の変化ですか。簡素化と、安全、あと、お菓子だと子供ウケが良いというのもありますし。
>時には5円10円50円などの、お金をくれる家もありましたよ。
アメリカのハロウィンに似てますね。仮装行列じゃなくて、お菓子をもらいにいく方の。僕はアメリカのホームステイで留守番をやらされたのですが、近所の知らない人と知り合うきっかけになりました。「ローソクもらい」もそんな側面がありそうです。
>ローソクもらい自体無かったと、全く知らない
元々は仙台あたりの風習らしいので、例えば九州から入植した人の末裔だと、全く知らないこともあるでしょうね。様々息づいているのが魅力的です。
「ローソクもらい」の件ですが…わたしたちは当時「ローソクもらい」では無く、「ローソク出ーせー」と呼んでました(「出せ」では無く「出ーせー」です(^-^;)。「ローソクもらい行こう!」では無く「ローソク出ーせー行こう!」という風にです。「もらい」というのは、ここ10年くらい?にこちらの放送番組でそう言っており知りました。かと言って、それが本当の呼び名か?は分かりませんが…。
それから蝋燭がお菓子に変わったのは、同じ市内でも地域差があるかも知れませんが、わたしの場合は、小学低学年の時点で既に、ほとんどお菓子でした。8時だヨ全員集合!でも停電が度々あったような時代、蝋燭で一時しのぐなんて事は普通でしたので、お菓子に成り代わったのも、徐々に停電が少なくなり、懐中電灯など更に進化したり…蝋燭は危険ですし、もうどこの家も棄ててしまうほどの蝋燭を溜め込んでる状態でもあったので、そう言った流れでお菓子になったのだと思います。
時には5円10円50円などの、お金をくれる家もありましたよ。
また札幌の隣の江別市では、全域か?は分かりませんが、わたしより10歳程上の方が言うには、ローソクもらい自体無かったと、全く知らないと言ってました。
少女漫画には、ドロドロとした愛憎劇は予想できますが、そんな詩的な表現が織りなされていたんですね。言葉が突き刺さるから、キョーコさんも強く影響を受けているのかも。
>キョーコさんと同学年の我が母上も、当時三原順の「はみだしっ子」を愛読していたそうです
作者も作品も知りませんでしたが、機会があれば読んでみたいです。後を引きそうですが。
>母上が同学年ということもあって、キョーコさんの日記には不思議な親近感が沸いてきます
読み手のサチさんがキョーコさんと同年代の人ではなく、そういったこの日記との接し方もあるとは。近からず、でも遠からずの、母親と同じ世代を生きたナマの声が聞けるのではないかと思います。
キョーコさんと同学年の我が母上も、当時三原順の「はみだしっ子」を愛読していたそうです。
(私も読みましたが、内容や葛藤ポエムの文章力が凄まじく少女漫画と侮れない作品でした)
母上が同学年ということもあって、キョーコさんの日記には不思議な親近感が沸いてきます。
どうもこんばんは。
キョーコさんぐらいの年代は、マンガの影響をモロに受けますよね。昔、テニスボーイという漫画がありましたが、あれがなければ当時誰もテニスをやらなかったのではと思ったりしました。
>キョーコさんのポエマー気味なところはこの時代の少女マンガの影響かもと思うところがあります
萩尾望都さんは『11人もいる!』だけは読んだことがあります。漫画の中にあった自分の心境と重なるようなセリフを書くか、あるいは、独自発展をさせてしまうのは大いにはありえそうです。キョーコさんのはキマっている詩もあるんですが、言葉が追いついていないようなのもあり、まぁ、まだ中学生ですし微笑ましいですが。
>そしてこのポエマー感自分も身に覚えがありまくりで気恥ずかしくなってしまいます(^^;;
形は違えど、誰もが通る道ですね。僕は高校生の頃、マイケル・ジャクソンのスーパースター性について論じてしまった作文は、今思い出しても赤面モノです。
>キョーコさんの記事は封印したはずの黒歴史を暴いてくるので読むのに時間がかかるときがあります(^^;
同族嫌悪的な感情がありながら、それゆえ共感もできそうですね。
>そして私、タケモトピアノにピアノを売ったこともあります(^^)他より格段に買い取りが高く驚きました
意外です。同じくテレビCMでよく拝見をする出張買取のネットオフやバイク王はすこぶる評判が悪いみたいです。伊達に歴史を重ねて市場を独占しているわけでもないのか。
少女漫画とそれにまつわる世界観は、僕にはなかなか理解できないところがあるので、パムさんの意見はとても参考になりました。どうもありがとうございます。
その答えが無残でも
なんて中々今は見かけない表現ですね
私は60〜70年代の少女マンガのファンで萩尾望都さんの作品も持っているのですが、キョーコさんのポエマー気味なところはこの時代の少女マンガの影響かもと思うところがあります
そしてこのポエマー感自分も身に覚えがありまくりで気恥ずかしくなってしまいます(^^;;
それと付録のノートを日記にするという行為もよくやっていました…
キョーコさんの記事は封印したはずの黒歴史を暴いてくるので読むのに時間がかかるときがあります(^^;
ちなみにタケモトピアノ、九州でもまだ時々CMをみかけます
そして私、タケモトピアノにピアノを売ったこともあります(^^)
他より格段に買い取りが高く驚きました
長々とごめんなさい
失礼しました
いつもありがとうございます。
>北海道でも先に拓けた札幌小樽方面は東北出身者が多く
そうだったんですか。それで東北の風習などが伝えられて残っていると。
>仙台と同じく旧暦で七夕を迎える場合が一般的なのではないかと
仙台のあの七夕は毎年ニュースでみますが、旧暦だったんすね。あまり気に留めていませんでした。賑やかそうだなというだけで。
>8月七夕の明確な答えはこれ以外ないような気がします
北海道内での七夕の日がバラバラなのは、開拓民の出身地がそれぞれに影響をしているからかもしれないですね。ローソクもらいは青森のねぶた祭りからきているというし、ローソクがお菓子になったのは、ハロウィンからだろうし、伝えられていった過程が興味深いです。北海道ならではというか。
大変ためになりました。詳細なご指摘、どうもありがとうございました。
自分は道民なのですが小学校は道外からの転勤者子弟が半分はいました
北海道の七夕がなぜ8月なのか教師に聞いていた人もいましたね
その教師が言うには、北海道でも先に拓けた札幌小樽方面は東北出身者が多く、仙台と同じく旧暦で七夕を迎える場合が一般的なのではないかと
8月七夕の明確な答えはこれ以外ないような気がします
愛読、及びコメント、どうもありがとうございます。
札幌の七夕が8月7日なら、そこから全道へ拡散しそうですが、バラ付きがあるのがおもしろいですね。
>キョーコさんの年齢で喧嘩した記憶がありませんが、余程我慢されていたのでしようね
女の子は精神年齢は高いし、中学生で兄貴と取っ組み合いの喧嘩はそうしないですよね。脛かじりの犠牲になっているということが、たまりかねたのかも。
>好きな人との思い出を懐かしんでいる様に思えたので、現実逃避的な感じなのかな?と思いました
七夕だから自分もというのもありそうですが、つまるところ、それは現実逃避になっていたと。思春期ですからね。絶望的な心情のままでなくて救われたような気がします。
8月7日が多数派ということですか。それもローソクもらいからお菓子へと、想像もしていなかったです。
>なんだたんだってさ???というボケ?は、自分には関係ないけど、みたいなスタンスの現れかなあと思います
そんな感じですね。もう大人だし的目線もあったのかも。
>例えばクリスマスとかでも、特に予定がなく寂しい人は「なにそれ美味しいの」なんてトボけた返事しますよね
深くまで悟られまいと、おどけたふりで切り返したのですかね。
>けど、七夕と言えば織姫彦星の夜ですから・・恋の話をしたくなる気持ちも、分かるような
これはもう濃厚な解釈ですね。兄貴に負かされてその反動で退行したなんて、タイトルにまでしてしまいましたが、織姫彦星あってのこそ、甘い思い出が次から次へと紡ぎ出されてしまったと。
拙い部分を補足してもらい、どうもありがとうございました。
>本当の七夕が7月7日と知ったときは驚愕しました(笑)
まだまだ世間にはわからないことがあるもんですね。全道で統一されていないのも不思議です。ジワジワとむらがありながら浸透していったのでしょうか。
>実際にキョーコさんの家を見ているKailasさんはもっとリアリティを感じられるのではないでしょうか
あの廃屋で印象に残っているものの一つは、コップに入った歯ブラシです。ブラシも乾いていないその夜、出ていったような生々しさを感じました。
>この日記を読んでいるとキョーコさんの家が見たくなってしまいます
眺めはいいし、何かの観光ついでにでも行ってみて下さい。冬は家の前の道は除雪をしていないかもしれませんが。
更新お待ち頂きありがとうございます。
このローソクにまつわる北海道の七夕は、東京の人はほとんど知らないと思います。
>北海道は8月7日が七夕の地域が結構な割合であります
まさにキョーコさんが日記を書いた前日にあったとは。妙な疑いをかけてしまいました。
>それから、財津一郎の「ピアノ売ってちょーだい」のCMは、今は北海道でも放映されていますよ
そうなんですか。随分と規模が大きくなったんですね。今の時代、誰がピアノを買っているのかとても疑問なのですが。東京だとたまーに深夜にみるけど、バラエティ番組のCM特集での方が多いかも。
ご指摘どうもありがとうございました。
キョーコさんは越に入っている時、甘美な散文詩というかラップのようなものを繰り出してきてつい笑ってしまいます。
どうもはじめまして。お読みいただきありがとうございます。
皆既日食みたいな数十年に一度の天文ショーが当時の北海道ににあったのかもと最初思いましたが、全く違っていました。
>いつからか子供たちが各家庭からローソクの代わりにお菓子をもらうハロウィンのようになっています
ずらされた期日自体もですが、行事内容が変遷していったのもかなり興味深いです。子供のやる気を駆り立てる内容でないと少子化もあり伝統が廃れていってしまうから、お菓子に変わっていったのかもしれないですね。
どうもはじめして。
>「ローソクもらい」という北海道の風習ではないでしょうか?
ウィキを読ませてもらいましたが、こんな行事があったんですね。北海道へは中学生頃から旅行に行ってましたが、全然知りませんでした。
ケンミンショーとか、もう誰もがしっていることを大袈裟にやっている番組だと思っていましたが、まだまだ日本には知らない行事、しかも僕にとっては身近な北海道にあったとは意外です。
>キョ―コさんは中学三年生なのでこういう子供の行事には参加しなくなるぐらいの歳だと思いますがちらりと耳に入ったのかもしれませんね
そういえば昨日あったのかな・・・みたいな、もう他人事のような感覚があったのかも。
参考になります。ご指摘、どうもありがとうございました。
私は、札幌周辺の出身ですが七夕は8月7日でした。
兄弟喧嘩、懐かしいですね~私の場合は、姉が2人いますが
一番上の姉とは良く喧嘩しましたね~ 小さい頃は敵いませんでしたけど。
キョーコさんの年齢で喧嘩した記憶がありませんが、余程我慢されていたのでしようね~
好きな人との思い出を懐かしんでいる様に思えたので、現実逃避的な感じなのかな?と思いました。
もうコメントが付いておりますが、私は「北海道の七夕は8月7日」と断言されて育ちました。
地域によって違いがあるのをだいぶ後から知りましたが、多分北海道は
8月7日地域の方が多いはずです。
なんだたんだってさ???というボケ?は、自分には関係ないけど、みたいなスタンスの
現れかなあと思います。
例えばクリスマスとかでも、特に予定がなく寂しい人は「なにそれ美味しいの」なんて
トボけた返事しますよね。
けど、七夕と言えば織姫彦星の夜ですから・・恋の話をしたくなる気持ちも、分かるような
気がしてしまいます。そしてきっと、他の誰にもできない話だったんでしょうね。
兄妹喧嘩のくだりはなんか懐かしい感じですね。実際にキョーコさんの家を見ているKailasさんはもっとリアリティを感じられるのではないでしょうか。
この日記を読んでいるとキョーコさんの家が見たくなってしまいます。と言っても道内在住といえども、気軽に行ける距離ではないのですが。
他の方のコメントにもありましたが、北海道は8月7日が七夕の地域が結構な割合であります。札幌や旭川は8月です。函館は7月ですが、キョーコさんの地域は8月だったようですね。
それから、財津一郎の「ピアノ売ってちょーだい」のCMは、今は北海道でも放映されていますよ。(^-^;)
甘酸っぱい感情がよみがえるキョーコさん日記の大ファンとして、今後も楽しみにしております。
どこからか飛んできて読ませていただいております。
1の方もおっしゃっているように、北海道は8月7日を七夕としている地域があります。
ローソク出ーせーとうたいながら各家庭を回るものですが、いつからか子供たちが各家庭からローソクの代わりにお菓子をもらうハロウィンのようになっています。20数年はすでにお菓子をもらいに行っていた記憶があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%84