夕張廃墟 二階
 無音の夕張ゴーストタウンの廃屋内階段にて。

 乾燥により踏板(ふみいた)と蹴込み板の間に隙間が生じ、一歩登るごとに、自身の荷重でその間隙が撓み圧せられ、木と木が擦り合い乾いた二重奏。その度に小さい鳥の絶叫音のようなものが響き渡る。咎める者がいないとわかっていても、ひと踏みごとに心臓が締め付けられる思いがする。

 階段を登りきる数歩手前。胸あたりから上が床より見えている状態。二階室内をこわごわ見回す演出意図が込められた、一人称視点による写真を、わざわざ撮っているこの時の自分に感心をする。当初はブログをやる気など毛頭なかったというのに。自己満足の写真にしては、手間をかけ過ぎているだろうと。

 単なる個人的嗜好から始めてみた北海道廃墟巡り。実は、同時並行であるもうひとつのミッションをこなしていた。むしろ廃墟巡りよりそっちの方がメインだったこともある。

 それは、古びて寂れたおもちゃ屋さん巡り。

 ある時期からレトロなブリキ玩具などが頻繁出て来るようになった「こち亀」の影響を受けてのことだった。ただ、あそこまで古いのは興味が無い。でも地方の寂れたおもちゃ屋へ行けば、ファミコンの売れ残りソフトや、古いボードゲームならありそうだ。それなら値引きしていそうだし、趣味の範疇でもある。主目的が全国の「おもちゃ屋」巡りを、やってやろうと思いつく。日本を股にかけてのお宝探し感覚が味わえるのではないかと。

 海外や国内はもうめぼしい所へは行ってしまっている。旅は好きなのに、行き先というか、目的を失っていたのだ。

 今さら家を出て遠くへ行って何か得をすることはあるのかと、真剣に考えてしまうことが度々   

 遂にやりたいことが見つかった。とりあえず、全国のおもちゃ屋を回るその前に、都内を制覇しておこうと、地元近くのおもちゃ屋を絨毯爆撃のように、車やバイクで巡る日々がスタート。

 三鷹駅から徒歩ではいけないぐらいの距離がある、とあるおもちゃ屋。

 小学生になる前にその店には行った記憶があるが、生活圏内ではないのでそれ以降行ったことはなかった。車の激しい往来のある街道沿いに位置していて、駐車場はない。バイクでも駐車は難しい。徒歩か自転車に限られるような場所。一軒家の一画に古い倉庫みたいな店があり、中へ入ると手前に駄菓子がずらりと並んでいた。カウンターのガラスケースと奥の壁の棚に古そうなおもちゃが並んでいる。よくあるように、おもちゃ屋だけでは客が来なくなり、利益は薄いながらも店主は年金生活で悠々自適なので、駄菓子を売って子供達を相手に充実した余生を送っているようなお店。ガラス戸には「BB弾あります」と書いた紙が貼ってあった。

 店主はお婆さん。

 駄菓子屋コーナーには見向きもせず通り過ぎ、カウンター下のガラスショーケースを無言で凝視する。信じられないことに、任天堂の赤白ファミコンが置いてある。さすがにゴムの四角ボタンではないが、紛れもなく新品のファミコン。驚いた顔をして、お婆さんに見透かされボラれてはいけないので、眉一つ動かさないで値段を聞く。

 ちなみに、昭和からあるおもちゃ屋さんにて、いくら古い在庫が並んでいるからといって、決して自分から「安くなりませんか?」とは切り出してはいけない。あくまでも定価販売を前提としているから、場合によっては激怒される場合がある。僕も当初は値切る気まんまんだったが、それをやって店主と気まずくなったことがしばしば。定価だからこそ残っているのだと考えよう。

「値引きはできないよ。ここに置いてあるのは全て定価」

 ヤフオクが始まってから結構日も経っていた頃だというのに、定価で新品のファミコンを売ってくれるのだという。口角が上がりそうになるのを堪えて、落ち着き払った声で囁くようにもう一声。

「定価ですか・・・。こういった古いおもちゃの在庫って、もっとありますか?」

「これどう?光線銃で撃つやつ   

 お婆さんのすぐ背後の棚に「任天堂ダックハント」が置いてあった。ファミコンソフトのではない。実際の光線銃を撃つおもちゃである。箱の色が褪せて脱色していた。ファミコン本体ならともかく、光線銃シリーズのダックハントを定価で買うのはどうしたものかと考えたが、街中で宝探しをしていて掘り当てた感覚を味わえて興奮していたということもあり、ファミコン本体とダックハントを怒涛の勢いで購入することにした。普段滅多に衝動買いをしない、倹約性の染み付いた、この僕が。

「お兄さん、少し遅かったわねぇ~。何年か前にマニアの人が来て、お店の在庫をほとんど買っていったのよ」

 店半分が駄菓子屋のコーナーになっているのは、お婆さんいわく”長期不良在庫”が捌けたせいでもあるのだという。初代ファミコンに目もくれず、そのマニアとやらが買っていったのは一体何なのだと。羨まし過ぎる。

 この『何年か前にマニアの人が来てうんぬん・・・』というセリフは、以降、いたるところで聞かされるハメになる。北海道のあるおもちゃ屋では、「香港人がゲームウォッチの在庫を買い漁っている」と言われたことも。その香港人の話しは、ネットがある程度普及していた時期に聞いた話しだったが、グーグルマップはまだ無い頃。彼らは日本語が喋れないで筆談で会話をしたというから、一体、北海道の最果ての過疎の村のおもちゃ屋さんに、どうやって辿り着いたというのか。

 ちなみに、任天堂のダックハントを実際にやってみたところ、最初は「麦球」と呼ばれる電球が点かなかったが、何度かスイッチをオン・オフすると無事点灯。小型プロジェクターみたいなのが壁に動く鴨を投影し、それを光線銃で撃つと、ちゃんと死んだ鴨が落下をしていく。実に任天堂らしい凝ったゲーム。赤白ファミコンも完全な新品だったが、驚くことに、説明書裏の保証書欄に、秋葉原の九十九電機のスタンプが押してあった。おそらく、ファミコンブームかその末期、在庫が無くてお婆さんが秋葉原まで買いに行ったに違いない。その数、数十台か。その中の一台が、後世へと残され、僕の手元にやって来ることになった。

 任天堂の品薄商法はそれほどえげつなく、バツグンの市場在庫コントロール力を誇る。今のスイッチだってそうだ。持ち運びできる据え置きハードのゲーム機なんて迷走もいいところなのに、ネットや店頭では現在品切れを起こしている。これは任天堂が出荷をコントロールしているのと、中国富裕層向け需要が重なっているためだ。

 ゲームボーイアドバンス用の『ファミコンミニ』というソフトが以前発売になったが、ファミ通には「再生産はしません。市場の在庫が捌けたら終わりです」と、任天堂関係者の言葉が掲載されていたので、コレクションBOXが貰えるというのもあり、『こりゃ、売り切れたら終わりだ   』とまんまと乗せられて、焦って発売日にヨドバシカメラまで山のようにソフトを買いに行ってしまった苦い経験を持つ。

 結果、発売しばらくは品切れが続いたが、以降、『ファミコンミニ』のソフトは店頭でいつまでも潤沢に並び続けることになる。今でもあるところにはありそうだ。

 ちなみに、それは西口のヨドバシカメラであったが、そこにてあの2ちゃんねるの創始者『ひろゆき』氏を見かけた顛末を記述したのが、こちらの記事である。

【読んでおきたい】ひろゆきハウス

 「ゲームボーイライト」というバックライト付きのゲームボーイの限定版が発売されることになり、これもファミ通にて任天堂の広報が「ゴールドとシルバーの色は剥離させないように特別な技術力が必要になり、大量生産ができません」と解説。これまた発売日に急いで買ってしまうことに。生産技術に関するもっともらしい説明をしておきながら、発売当初は品切れをさせて飢餓感を煽り、それ以後店頭在庫は限りなく豊富のままであった。

 友達のいる名古屋へ、古びたおもちゃ屋巡りの遠征に行ったり、都内は全て行きつくしたりとしていた中、そうだ、慣れ親しんだ北海道へ行こうと。下町にて密かに生き延びていた昭和の廃墟のようなおもちゃ屋などを行き来していたら、廃墟そのものにも俄然興味がわいてきたことだし   

 地元近くの駅前が再開発されるにあたり、よく行っていたおもちゃ屋が廃業になるからと、大して価値のない在庫を多量に買ってしまったり、北海道ではすでに先人により買い漁られた後で、あまり食指の動く品がなかったりと、到底実益にはならず、あくまでも見失った旅の目的のひとつの形態として、埋蔵金掘発掘感覚のあるおもちゃ屋巡りの泥沼に嵌っていく。

 これをやることで、名所もなにもない僻地の町や村へ行く理由ができる。行った先々では、思いもかけなかった人や物、場所や施設との出逢いがある。

 次第にそれは廃墟巡りへと途中で大きく舵が切られ、より深く傾倒していくことになっていく   
 


夕張廃墟 クッキー
 もうクッキーの缶ぐらいしか残されていない。

 ちょっとした”夕張”生活の知恵を発見。

 柱に鉄板が巻いてあるのにまず気付く。これはかつて近くにストーブがあり、熱により柱が焦げるのを防いでいた形跡。とすると、クッキーの缶は単なる空き缶ではなく、タバコやライター、マッチ、その他細々とした道具を、同様に火力の強力な石炭ストーブの熱から守っていたものと思われる。顔がうつりそうな鏡面スチールを使用する理由は、ストーブの熱を反射させて熱効率を更に上げることを考えてのことに違いない。あと、夏などに背中が痒い時は、寄っかかるとひんやりして気持ちいいことも。

 ということは、手前の黒焦げた丸い盆のようなものは、必然的にストーブの台ということになる。

 熱に過敏な反応を示して人一倍警戒をし、かつそれを逆手に取り、有効利用へと導き、とどのつまり、家族と家屋の保護と平穏な生活にたいそう尽力していた   

 夕張の無名の一(いち)市民でしかないご主人の功績を、廃墟の闇より救い出すことに成功をする。おもちゃ屋でレア物ゲットならぬ、見捨てられた廃屋にて、質素ながらも徳を得たような気がして、社会貢献でもできたかのような喜びを感じている自分がここにいる。

 

夕張廃墟 カレンダー
 2001年とは、二十一世紀が始まった年。翌月には大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープン。新しい世紀の胎動とともに、慣れ親しんだ我が家との決別をすることになったご主人。

 家の近くにある”あの”ダムに沈むわけでもなく、その心中察するに余りある   



夕張廃墟 ハンガー
 利用価値の無いハンガーを大量に捨てていったのはご愛嬌か。

 奥様の使用済みパンストを使用して作られた御主人苦心の手製の”はたき”。

 ご老人が住まわれていた廃屋には、ドアの取っ手に紐が結ばれていて、引っ張りやすいように工夫されていたケースを過去に何度も目撃。よって、家族の他に、お年寄りも住んでいた二世帯住宅だったことが考えられる。



夕張廃墟 沼
 そのひと踏みで、絶妙な均衡のもとに建っている、この家のバランスを崩しかねない。

 穴が空いて落下だけでは到底済まされず。

 押入れの中の赤い自家製すのこ台の上にあるやもしれない、緑好きご主人の残留物にかなり興味しんしんではあったが、これでは近寄るのさえ危険なのでやめておく。

 まるで、廃墟の陰鬱な闇に映し出された、これはモネの睡蓮か。キャンバスは畳。つい見とれて下へと視線を固定しきりだったが、アゴをしゃくりあげるように顔をもたげてみると・・・・・・



夕張廃墟 天井崩壊
 油にまみれたラーメン屋のダクトの姿のように、天井が崩壊をしてしまっている。



夕張廃墟 俯瞰
 二階の惨状を俯瞰図にて公開。

 グリーン・ウォールならぬ、グリーン・フロアー。レースのカーテンもありふれた白色ではなく、あくまでも自己主張を感じさせる”寒色”系。

 家主のご主人の見立てでは、レースのカーテンが水色の空なら、床のカーペットは緑の草原。炭鉱の町に育った彼のせめてもの頭の中の理想郷。この二階に、彼の手と知恵により、誰に気づかれるわけでもなく、具現化されていたのだ。それが今ではこの目の前の凄まじい、ディストピアのごとく残骸であるとは、もう気の毒で口をつぐむしかない。もしや家族さえそのコンセプトは知らされておらず、『お父さんが選んだカーペットやレースのカーテンは、どれも趣味が悪いわね   』と、一笑に付されていたのかも。

 家主の無念さの中に埋没していた”想い”を、さらにまたひとつ、くみ取り引き揚げて、活字に起こし、提示することにより世に知らしめ、この場に残留する彼の思念を供養することに無事相成る。


 お次は、壁や床以上に外来からの生物達に侵食されてしまっている天井の入念探索に取り掛かる。再び”あの”赤階段を下って行く。気になっていたお隣の飲み屋らしき廃屋に突入。そこには、想像もしなかった、ある文学少女の痕跡を発見することになる   

 

つづく…

「SF文学少女が目を瞑る未来」 夕張廃墟世界、孤独探索.9