日記の冒頭で『昨日 は. た なばた なんだったんだ って さ ! ???』と、いくら彼女がそそっかしいとはいえ、一ヶ月も遅らせての勘違いはしないだろうから、兄弟大喧嘩の気まずさを中和させるために繰り出した一言だろうと思っていた。小説家でも書き出しには悩むもの。兄貴との喧嘩をいつまでも引きずってしまえば、恨み節を延々と吐く自分に嫌気がさしてきてしまう。心機一転、めくられた次の白紙ページと向かい合い、文字通り、白紙に戻すべく、キョーコさんなりの拙いジョークで場を癒やしてから、新たなる希望の明日へと、洋々と足を踏み入れるかに見えた、彼女。
しかし、中学生の頃から北海道へ旅行をしているこの僕が
キョーコさんが言う8月の七夕というのはこの「ローソクもらい」という北海道の風習ではないでしょうか?
北海道へはもう冬にしかいかなくなったのはここ最近で、以前はよく夏にも行っていた。しかし、そんな子供の隊列は見たことがなかったし、聞いてもいなかった。所詮僕は観光客で、地域に溶け込んではいなかったのだろう。ユースホステルやライダーハウスの主(ヌシ(オーナーではなく、長期滞在者達の中から一目を置かれ選ばれ祭り上げられた存在。リーダー。大抵が古参旅行者)やその取り巻き達とは、良好な関係をその都度持っていたが。
ローソク出ーせーとうたいながら各家庭を回るものですが、いつからか子供たちが各家庭からローソクの代わりにお菓子をもらうハロウィンのようになっています
東京の人などほとんど知らないと思う。昔、北海道出身の相原コージの漫画の中で描かれていて記憶に残っているエピソードがある。彼の地元の風習にある、長い棒の先に枡をくっつけた柄杓のような物を携えて近所を回り枡の中にお米を入れて貰うという行事を、全国どこでもやっているものだと思い、『懐かしいよな~』と共感を求めるように、東京へ出てきた頃周囲の人に話したら、『そんなのお前だけだよ・・・』といった顔で皆に唖然とされ、場が寒々としドン引きされたという。相原コージのは町内レベルの特殊なお祭りだが、ローソク貰いの八月の七夕は、全道レベルのもの。
近年になりハロウィンの風習を取り入れていったところなどは、全国から開拓民が集まり、多様な文化を受け入れていった北海道らしいところでもある。
北海道でも先に拓けた札幌小樽方面は東北出身者が多く、仙台と同じく旧暦で七夕を迎える場合が一般的なのではないかと
北海道全体で七夕の日程が統一されていないのは、開拓民の方々の出身地が影響をしているとか。毎年ニュースでやっている、仙台のあの派手な飾り物の七夕は、八月にやっていたんですね。それが北海道の一部の地域の七夕に影響を与えていると。
それから、財津一郎の「ピアノ売ってちょーだい」のCMは、今は北海道でも放映されていますよ
絶妙な韻を踏み、金山君への求愛を唄い綴ったキョーコさん。それはまるで、タケモトピアノのCMで財津一郎が歌うCMの一節のようだった。東京でも深夜に稀に見る機会があるけど、今では北海道や九州でも放映されているという。
タケモトピアノにピアノを売ったこともあります(^^) 他より格段に買い取りが高く驚きました
テレビやネットで出張買取を派手に宣伝しているところは、どこもすこぶる評判が悪い。タケモトピアノが長きに渡り市場を独占しているのは、超優良企業であったということか。東京の人間からすると、なぜ財津一郎なのかという疑問は残るが。昔、草刈正雄主演の「鞍馬天狗」実写版のドラマがあり、財津一郎が新撰組の近藤勇を演じていた。興奮したシーンでの彼の演技は、つばきが放射状に勢いよく飛び散る、それこそ”口角泡を飛ばす”迫真の演技であり、子供心に『これは凄い演技をする人だ。きっと世に出てくるから覚えておこう』とさえ思ったほど。関東圏では財津一郎を見かけるのはそのドラマぐらいだったので、彼を知らなかったのだ。後年、面白地方CM特集で、彼の出演するタケモトピアノの映像をみても、しばらくは同一人物とは思わなかった。
キョーコさんは恍惚の表情で、過去の片思いであるものの、甘い恋愛経験を書き記していった。
『そういえば*修学旅行 の 時に *声 か け てく れた なあ バスの中でうれしかった なあ .』
こんなにも曇りの無い素朴な純愛が今の世の中にありますか。あると言うなら僕の目の前に持って来て見せて欲しい・・・・・・
ただ、危険な臭いを感じずにはいられなかった。自己陶酔し過ぎて、夢想と妄想の成分から染みた出た居心地の良い羊水のまどろみの中から戻ってこれなくなるのではないかと。これはあの大喧嘩によるショックが大きくて、その揺り戻しが来ているのだろうか。ほんの一瞬だが、見守ってあげたいと感じつつも、心苦しく悲哀さえ感じてしまった。
七夕と言えば織姫彦星の夜ですから・・恋の話をしたくなる気持ちも、分かるような気がしてしまいます。そしてきっと、他の誰にもできない話だったんでしょうね
そうであったのだ。キョーコさんはなにも精神的ショックから、昔日の愛を執拗に語ってしまう退行現象を引き起こしたのでもなんでもなかった。
その下地には、北海道と彼女の地域独自の八月七日の七夕が存在していた。想いを相談したり共有する友達もいないことから、日記に思い出と願望を打ち明けて、脆く崩れそうになっていた自分を支える糧にしていたのかもしれない。
一気に陽気になったかに振る舞う、キョーコさん。
金山君は特別な地位にいる遠い存在だと言い放ち、ある二人の芸能人に心酔するほど惚れ込んでしまったのだという。
2017年の現在において、その二人に恋慕の情を抱くということは、かなり特殊な嗜好を持ち合わせている方であるということになりそうだが、当時なら、至極まっとうな恋感情だったのだろうか。いや、その時でさえも、特に二人目の人に関しては、かなり特殊な好みであったと言わざるをえない。ファンクラブがあったり、写真集やブロマイド写真など、決してなかっただろうと断言できてしまう。
彼らが好きなあまり、受験生だというのに、その二人と同じ職業につきたいとか、当時の大人気番組のレギュラーにして欲しいなど、タガが外れてしまったような浮かれようの彼女。
一体、高校進学はどうなってしまうというのか
1978年 8月9日 (10日) 1:20
アハハ , 今 , オールナイト ニッポン
聞いてんのよ . 今日は タモリやってんの
もう一人で めちゃ くちゃ わけのわかん
ない . 話しのおかしな 話を して んの .
いつも おも し ろい けど ホント に おもしろいね.
私 今日 (水*** 曜日) は所 ジョージ
所さん か* と思ったけと 火曜日だったのよね
所さん の聞きたかった なぁ . でも タモリ も お も し ょいか ら
いいなあ . 私も へんた い か ね ?
タモリも 好きだけど 所 ジ ョ
金山君 も 好きだ なあ . タモリ (森田 一義)
アハ . 家の おとうちゃん* **** ********
**** . ** , ** ,** , ** こんなこと
言ってちゃ きりないなあ . 私 も タモリ みたいな
コメディアンに なりたい . 所 ジョ ー ジ み たいな
かんじのコメディアン にもなりた い . あ~~ ん
うわ さのチャンネルの 一員 に なりた い なあ
高校 なんて ど う で も よい ,今の私 には
(ほんとは だいじ だけど )いいの い いの . 所さん を 好きに
なっちまったんだから .なんとなく い い かんじなのよね
まけるな くじけるな おやすみ
金山君っ て どうして スポーツ マ ン で かっこ いい のか うっらやましいなあ。
大喧嘩の後にキョーコさんの荒んだ心を癒やしてくれたのは、過去に好きになった人との思い出語りをすることで、感じることでができた”ときめき”。そしてときめきがまたひとつ、ふたつ・・・加わることになる。
>アハハ , 今 , オールナイト ニッポン聞いてんのよ . 今日は タモリやってんの
当時の学生カルチャーのメインストリームといえば、ゴールデンタイムのテレビより、深夜ラジオのオールナイトニッポン。今でいえば、AbemaTVのようなものか。ご多分に漏れず、キョーコさんもヘビーリスニング中。
>いつも おも し ろい けど ホント に おもしろいね.
僕もとんねるずやビートたけしのオールナイトニッポンは聴いていたことがある。今さらそのふたりのは聴いてみたいと思わないが、タモリのならネタ的にも時代性に擦り寄っていなさそうなので、かなり興味はそそられる。
>今日 (水*** 曜日) は所 ジョージ所さん か* と思ったけと 火曜日だったのよね所さん の聞きたかった なぁ .
連日に渡り、当時でも豪華そうなレギュラーメンバーが出演をしていた模様。オールナイトニッポンは今では裏のTBSに逆転されてしまっているとか。黄金期のオールナイトニッポンといえば、松任谷由実や桑田佳祐、ビートたけしなど、煌星の如くの若者文化を代表するような、当時のトップスターが名を連ねていた。僕が聴かなくなりしばらくたった頃、オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティのうちの一人が、あの松村邦洋だと知って、かなり落ちぶれてしまった印象を受けた記憶がある。オールナイトニッポン凋落の端緒は、その辺りにあったのではないかと、今だからこそ思ってしまう。トークのつまらない松村邦洋を、放送作家の高田文夫がやたら必要以上に推していて、実際の実力とかけ離れたその手放しの絶賛ぶりに、嫌悪感さえ抱いたほどだった。高田は他にも”大して笑えない立川ボーイズ”を宣伝しまくっていたが、誰一人残っておらず、本人もテレビからは姿を消して、今ではラジオで頑張っているみたいだ。
>でも タモリ も お も し ょいか らいいなあ .
小さい文字の「ょ」部分が最初判読できなくて、「ろ」かとも思ったが、それならわざわざ小さく書かないだろうと悩むこと数分。そうか、これは北海道弁の「おもしろいっしょ~」の短縮版ではないだろうかという、結論を導き出すに至る。
>私も へんた い か ね ?
キョーコさんの時代でも、タモリのファンであるということは、普通でないとの自覚があった様子。タモリは蝿が前足を擦り合わせるといった、一種独特な形態模写をやっていたから、万人に受け入れられるようなタレントではなかったことは確かだった。
>タモリも 好きだけど 所 ジ ョジ は も っ と好きだなあ
アイドル性という点で比べれば、所ジョージが一歩リードか。
>アハ . 家の おとうちゃん* **** ************ . ** , ** ,** , ** こんなこと言ってちゃ きりないなあ .
キョーコさんがかなり面白いことをやっていたものの、訳あって自己検閲をすることに。夜中にどんなことを考えていたら、このような発想ができるのかと、感心すると同時に、ここまで凝ったことをやっておきながら、本来なら読むのは自分ひとり。そもそもこの日記に費やした作業量を振り返り、それらを手放すその瞬間、ためらいを持たなかったのかどうなのか。それとも、その暇さえなかったのか。
>私 も タモリ みたいなコメディアンに なりたい . 所 ジョ ー ジ み たいなかんじのコメディアン にもなりた い .
受験生にとっては、限りなく危険な徴候。現実逃避という名の魔の手が
>あ~~ んうわ さのチャンネルの 一員 に なりた い なあ
リアルタイムでは知らないものの、よく懐かしのテレビ番組特集では、和田アキ子と覆面レスラーの「デストロイヤー」によって、パワハラを受けながらも徳光和夫が実況を決してやめないで涙目で喋り続けるシーンが印象的な番組。今だったら、中卒で「私、YouTuberになりたいなぁ~」と言っているようなものだ。これはいよいよ、危険な領域に入って来たのかも。
>高校 なんて ど う で も よい ,今の私 には(ほんとは だいじ だけど )
本気では言っていないとも受け取れる。
>いいの い いの . 所さん を 好きになっちまったんだから .
この当時から所ジョージは「所さん」と呼ばれていることに着目する。リーゼントにサングラスではいかつい印象があるので、お茶の間ウケを狙い、自らをその頃から「所さん」と呼び、親しみを込めてそう呼ばれるようにし向けていたのでは。怖そうという見た目のハードルは上がったままで、喋ると温和なお兄さんの所さん。現在まで続くとてつもない成功ぶりを見るにあたり、「さん」付け戦略が彼によるものだとしても、何も不思議なことはない。
>金山君っ て どうして スポーツ マ ン で かっこ いい のか うっらやましいなあ。
まるで、『鳥山明先生の作品が読めるのはジャンプだけ!』の位置にわざわざ書き込んだ意図とは。タモリや所ジョージへの愛情を語りすぎてしまい、金山君に申し訳なくなった義理堅いキョーコさんが、『そんなことないのよ、ホントは・・・』の贖罪の意味合いがあったと僕は見る。
1978 , 8月 1 0 日 (11日) (11日) 3:00
アハハ . このごろ 夜ふか し ばっかりして ダメネ .
でも 私 所 の こと考えると もう むね が つまりそう
所 さん 大好き . もぅ なんと なく好き に なっちまった。
BUT , 金山君に は 金山君 のみりょくが あるの。
金山君 は 身近 で あり 遠い人でも あ る
* 所 ジョージ は あこが れ というか なんというか
とにかくそんな か ん じ . だけど ステキ な所さんだなあ
金山君 いまごろ どうしてる か な . ね て る か な? 勉強
し て るか な ? 私は ほ とん ど 勉 強 しとらんのじゃ
そ ろ そ ろ ねむ くなって き た 所 さん大好き ,
Kiss me . . . . .。
なん ち ゃ って , ち んちゃっ て .
もうめ ちゃく ち や よ 私
おとといの 勉 だったかな ? 朝だった
かな? とに か く 髪 きっちまったの
ぜんぜんみちかくなったの
今 まで こんなに みじ か くきった
こ と ってな い と思うよ , そのうち
もっと みじかくな るよ ね!*金山君 ,
まける な くじける な おやすみ
所 さん っ て いい顔してるよ 私
連日、タモリや所ジョージのオールナイトニッポンの第一部を聞いているということは、3時まで起きていたということ。酪農家族の朝は早そうなものだが、家業のお手伝いをしているキョーコさんの眼は、血走っているのではないだろうか。
>でも 私 所 の こと考えると もう むね が つまりそう
所ジョージにたいして、ここまで愛を訴え思い詰めたことのある女子中学生が、その当時でさえ、いたのだろうか。このページをコピーして、世田谷ベースの入り口に貼ってキョーコさんの無念を晴らしてあげたい気持ちも。情感を込めて気持ちが高ぶっているから、金山愛同様、名字も遂に呼びつけのままに。
>金山君 は 身近 で あり 遠い人でも あ る
お互いを知っているからこそ、いくつもの目に見える障害に阻まれて、成就しない恋もあるということなのか。所詮、所さんは幻影にすぎないと。
>所 ジョージ は あこが れ というか なんというか とにかくそんな か ん じ . だけど ステキ な所さんだなあ
そういえば、所ジョージに関する酷いスキャンダルは、これほど芸能生活が長いにもかかわらず、聞いたことがない。そこらへんの清潔感も昔から好感度が高い理由なのかも。
>金山君 いまごろ どうしてる か な . ね て る か な? 勉強 し て るか な ? 私は ほ とん ど 勉 強 しとらんのじゃ
勉強もしないまま、所ジョージへの愛を深夜にひとり、語り続けていた。
>とに か く 髪 きっちまったのぜんぜんみちかくなったの今 まで こんなに みじ か くきったこ と ってな い と思うよ
人生で一番短い髪なのだという。道化を演じるフリをして、やはり心の奥底ではなにか思うところがあったのか。
>そのうちもっと みじかくな るよ ね!*金山君 ,
病気で頭髪が抜けるでもなく、どういう意味があるのだろうかとしばし考察・・・。おそらく、ラブレターをそのうち金山君に渡すつもりでいるけれど、断られるのが予想できてしまうから、その失恋のショックで、さらに髪の毛を短く切ってしまうかもと、心の中の仮想”金山君”へそっと語りかけている内気で弱気で健気なキョーコさんがいると、見た
突如語りだした、所ジョージへの憧れと愛情。束の間の現実逃避か。芸能人になりたいと、就職活動ともとれる内容も口にしてみた、キョーコさん。
受験に恋愛に就職
彼女は公園の芝生より眩しいその判別不能の蛍光ペンにて、明日も青春時代のほんの一瞬、一ページを時折、甘美な散文詩を織り交ぜつつ、少女漫画に多大な影響を受けつつ、明日へと続く先の長い未来に向けて、日記を書き積み重ねていく
つづく…
「紳士と個性、逡巡する少女」 実録、廃屋に残された少女の日記.40
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コメント
コメント一覧 (15)
どうも、はじめまして。読み込んでくださり、誠にありがとうございます。
北海道にお住まいですか。廃墟好きには良い環境ですね。これからの季節、楽しんでください。
>8月7日の七夕もろうそく出せも子供の時から当たり前の行事でした。
僕は北海道によく旅行に行っているわりには知らなかった行事ですが、普通にやられているんですね。仙台ならまだしも、北海道で行われているのは、今でも奇妙な感じがします。ここ数十年は夏に行ってないから実感が無いからかもしれませんが。
>私が小学生くらいの時に初めて手にした蛍光ペンが嬉しくて色々書いた記憶がよみがえりました。
大抵使いまくって、そのうち飽きるんですよね。あと、書いた瞬間に色が変色するのや、付属の特殊ペンで上から塗ると変色するのやら、変色ペンの大ブームが僕の学校ではあったのですが、これは時代が違うみたいです。
>日記で多用されているbutですが、私が小学生や中学生くらいのころにも見かけたことがあり、違和感なく懐かしく思いました。
これは流行とかではなくて、歌謡曲に挿入されているような英語を使って大人びた表現をしてみたいけど、まだハードルが高く、甘んじて手頃なbutを使用していたのでは。高校になれば、もう少し凝った英語を取り入れそうです。まぁ、仲間内での狭い流行りとかがあるので、答えは無いようなものですが。
これからも、極めてローカルな流行り廃りが出てくるかもしれないので、読み解いていってみてください。引き続き、よろしくお願いします。
グリュック王国からたどり着きました。
道内在住の廃墟好きです。
キョーコさんの日記も家事を忘れ読みふけっています(^_^;)
私はキョーコさんより一回り下くらいの年齢です。
8月7日の七夕もろうそく出せも子供の時から当たり前の行事でした。
キョーコさんの蛍光ペンで書かれた日記を見て、私が小学生くらいの時に初めて手にした蛍光ペンが嬉しくて色々書いた記憶がよみがえりました。
日記で多用されているbutですが、私が小学生や中学生くらいのころにも見かけたことがあり、違和感なく懐かしく思いました。自分で使った記憶はあまりないので、雑誌や友達の手紙などで目にしたのだと思います。
流行っていた表現なのかなと思っていましたががどうなのでしょうね。
(まだ途中までしか拝見しておらず、この先のコメントなどで解明されていたらすみません)
今後の更新も楽しみにしています。
寄せられたコメントはこちらで一括して管理できるので、古い記事でもなんなりとお申し付けください。
趣旨に賛同してもらったばかりか、睡眠時間を削ってまでお読みいただき、ありがとうございます。
>廃墟の残留物というのは想像力を掻き立てられるもので昔から大好きです。
遠い昔に引き戻されて、往時を妄想していくのが楽しいですよね。直面している光景と正反対なのがまた。
>これは「おもしろい」という言葉が崩れて「おもしょい」となった、が正解です。
北海道弁の「~しょっ」とはまた違うということですね。キョーコさん家族のルーツは、東北の入植者らしいという可能性が高いようなので、言葉もそこから来ているみたいですね。
成長していくドラマとしても楽しめそうなので、これからもよろしくお願いします!
探しもので画像検索していて偶然キョーコさんの日記にめぐりあいました。
廃墟の残留物というのは想像力を掻き立てられるもので昔から大好きです。
思春期の日記なんて…いの一番に破棄したくなるようなシロモノをネット越しに読むことができる(不謹慎と思いつつ)ワクワクが止まらず睡眠時間を削って一気にここまで読んでしまいました。
日記の始まりが自分の生まれ年で不思議な気持ちです。
さて、本文中
※※※※※※※※※※※※※※※
>でも タモリ も お も し ょいか らいいなあ .
(前文省略)これは北海道弁の「おもしろいっしょ~」の短縮版ではないだろうかという、結論を導き出すに至る。
※※※※※※※※※※※※※※※
とありますが、これは「おもしろい」という言葉が崩れて「おもしょい」となった、が正解です。当方は本州最北県出身ですが、県内でも「おもしぇー」「おもしょい」という言い方はされており、それは「おもしろい」と同義であります。
馴染みのない方言に加えて、完全なる他人の日記となれば読むのもきっと大変だったろうとお察し致します。この先の展開がとても気になるので続きも読み進めたいと思います。
また何か見つけたらコメントさせていただきます( ´ー`)
どうもコメントありがとうございます。
>「うわさのチャンネル」かぁ、懐かしいね
こういった何でもありのバラエティ番組は最近ありませんね。今はテーマが絞られているというか。
>最初のコーナーは「ゴッドねぇちゃん」
「ゴッドねぇちゃん」とはコーナー名から来ていたのは知りませんでした。このコーナーの印象が現在の和田アキ子を像を作っていると。
>その後はせんだみつおと山城新伍のコーナー。「痴漢、まんごろうだぁ~」のセリフが記憶に残る。
山城新伍も出てたとは。初見はチョメチョメのクイズ番組でした。晩年は、老人ホームで口から食べ物をこぼしながら食べる姿を、ミヤネヤで放送されてしまって、なんとも哀しかったです。
>その視聴者指示で動く「おねぇちゃん」がパンティ一枚だったのよ。私はそりゃもう性に目覚める中学生だったから興奮120%だね。
現在だったら自主規制で駄目そうですが、当時は攻めていたようですね。思春期なら納得です。
>オヤジが見てたから「僕は見ませんが、映ってるならまぁ、そうですか」と、クールに構えるフリはしたが一部分は熱くなっていたあの頃だったな
気まずい親とのあの頃を、思い出すかのようです。当時こういうのは、声を出して騒いで誤魔化すタイプと、クーさんのようなクール派に別れていたのではないかと思います。僕も沈黙クール派でした。
制作費の安いトーク番組ばっかりの今と違って、出演者が派手で、企画も多彩で凝っているみたいだし、時代の勢いを感じます。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ハッタリとはいえ、睡眠薬で死んでやるとまで書いたわりには、翌日以降には引きずっていないので、案外さっぱりした性格だなと思いました。
>若い子なら一度はかかる「芸能人になりたい熱病」も発症し
ああ、これですか。そういえば、中高生ぐらいの時は誰でも思ったりしますよね。地方だと上京しなくてはいけないから、人によっては憧れも二倍増しなのかも。
>蛍光ペンゾーンの解析大変と思いますが
初めてみた時は『蛍光ページは全て取り除くしかない・・・』と苦悩しました。レタッチソフトにより、土壌に蛍光塗料にと、本来なら二重に喪失するはずだった思い出の掘り起こしに成功をし、意義深いかなと大袈裟に思ったりも。
「うわさのチャンネル」かぁ、懐かしいね。
和田アキ子・せんだみつお・マギーミネンコ・このはのこ・デストロイヤーらが出てたな。
最初のコーナーは「ゴッドねぇちゃん」
徳光さんが4の字固めを食らうシーンが有名。
その後はせんだみつおと山城新伍のコーナー。
「痴漢、まんごろうだぁ~」のセリフが記憶に残る。
各コーナーの後の「テレフォン宝探し」
これが楽しかった。
スタジオに部屋に見立てた場所を作り、電話で繋がった視聴者が「電話の下」とか「ベッドの中」とか言って、ダイヤの指輪(だったかな)を探すというもの。
その視聴者指示で動く「おねぇちゃん」がパンティ一枚だったのよ。
私はそりゃもう性に目覚める中学生だったから興奮120%だね。
でもテレビなんて一家に一台だから、気まずいのなんのって・・・
オヤジが見てたから「僕は見ませんが、映ってるならまぁ、そうですか」
と、クールに構えるフリはしたが一部分は熱くなっていたあの頃だったな。
前回の兄妹ケンカで怒り狂うあまり仮名筆記体になってしまった日記と違い
文字も落ち着き、若い子なら一度はかかる「芸能人になりたい熱病」も発症し
(相変わらず?)のキョーコさんに戻って安心しました
蛍光ペンゾーンの解析大変と思いますが楽しみに待っています
>いつもの結びの言葉の まけるな くじけるな がほぼ形だけのものになってきていますが
いやまさに、その指摘は確信を得ていますね。タモリ&所への愛を語ったりして、足下が揺らいでいるのではないかと。
>受験や困難に本当に負けないで欲しいと思いました
とりあえずは受験なんだろうけど、今の感じだとギリギリを越えてしまっていますね。
>「でも、しかし=but」と表現するのは当時流行っていたのでしょうか?
当時なら、ピコ太郎もオマージュしている「This is a pen」はドリフの影響で流行っていたかもしれないですが、butはどうなんですかね。授業で覚えて使いやすいから、独自に使っていたと思います。
>何回か見たことはあるのですが、なぜか私はやったことがありません
町内会活動で頑張っている家の人が率先してやっていて、他の人はあまり関心が無かったとかですかね。
>タモリさんや所さんについては、私も子供の頃、こんな大人になりたいな…って
憧れを持ったことがありましたね~
キョーコさんと趣味が似ていますね。その二人は確かに人気タレントですが、当時でもど真ん中の王道とは違ったタイプだと思います。
どうも、コメントありがとうございました。
どうも初めまして。
半年も住まわれたとは羨ましいです。旅行もそうですが、帰った後に滞在していた時の有り難みがしみじみ感じられたりしますよね。
>このキョーコさん日記については一気に読んでしまいました 実はもう完結してるものだと思って読み始めたので現在進行中だと分かって嬉しいような残念なような
そうですよね。昔の日記の書き起こしだから、普通、もう筋道はわかっていて、ゴールは提示してあると、思ってもおかしくないかも。現在、蛍光ペンゾーンなので、一日先さえわからない状態です。
> 四国西南部や瀬戸内地方には「かいつり」と呼ばれる行事が旧正月にあったそうです 子供達が各家を回って「かいつり、かいつり」などと声を出すと、家の人がお米や小豆なんかを子供に渡し、それを持ち寄ってお餅にしたり、お粥を炊いたりしたのだそうで、現在ではお菓子を渡す風習に変わって来てるとか
形態は似ていますが、東北地方のとはやはりちょっと西の方は違いますね。後世まで残こすために、お菓子にする知恵は似ていますが。
>母の日の日記の「ゆるして、くりや」とか 先日の「おら、こまっちょる」と言った言葉遣いが 瀬戸内や大分、愛媛県辺りの方言に似てるように思えて、もしかしたらキョーコさんの住んでいた辺りに昔開拓に入った一団があったのかな
その言葉は、当時の漫画の中にも無さそうですよね。芸人も使っていなさそうだし。後々に母親のルーツが語られることがあるかもしれないので、その時判明するかも。
あまり西よりの考察はなかったので、もしかしたらそっちの方から来たのかもという可能性を感じたりしました。
コメント、どうもありがとうございました。
ろうそく貰いの七夕については、私が幼少のころ住んでいた地域でも行われていました。
何回か見たことはあるのですが、なぜか私はやったことがありません。
また、タモリさんや所さんについては、私も子供の頃、こんな大人になりたいな…って
憧れを持ったことがありましたね~ 子供の頃を思い出しました。
大変かと思いますが更新を楽しみにしています。
今回の「ろうそくもらい」の事を読んで思いついた事があったのです 四国西南部や瀬戸内地方には
「かいつり」と呼ばれる行事が旧正月にあったそうです 子供達が各家を回って「かいつり、かいつり」などと声を出すと、家の人がお米や小豆なんかを
子供に渡し、それを持ち寄ってお餅にしたり、お粥を炊いたりしたのだそうで、現在ではお菓子を渡す風習に変わって来てるとか。夏と冬、季節は違うけれど似たような風習があるのだな、と思いました
また、母の日の日記の「ゆるして、くりや」とか
先日の「おら、こまっちょる」と言った言葉遣いが
瀬戸内や大分、愛媛県辺りの方言に似てるように思えて、もしかしたらキョーコさんの住んでいた辺りに昔開拓に入った一団があったのかな、と思いました 素人考えですのでハズレてると思いますが(笑) これからも無理なさらずゆっくり続けて頂ければ幸いです ありがとうございました