夕張 カーペット
 炭鉱の街、夕張で生まれ育ち、石炭産業全盛期の恩恵を存分に享受。この地へ、後世に訪れることになる廃墟散策者にアラ探しをされようが、決して恥ずかしくもない、大層な家を構えるまでに至った、当該住居の家主。

 子供の時分に駆け回っただろう、夕張の草原に見立てた、グリーンのカーペットは、苛烈な紫外線の照りつけにより、窓のガラスから陽射しの差し込むその部分だけに、退色が進行中。日曜には、家主が昼寝をするための、陽だまりという名の毛布、いや、そこまでいかなくとも、タオルケットが、優しくつつんでくれていた、最上の特等席であったのではないのかという、至極順当な推察を、今日もまたひとつ、ひねり出すことに成功する。

 では、かつては、コークス生産炉の煙突からの煙に霞んでいた、あの空はどうなったかと、天井へと視線を移す。



夕張 天井
 炭鉱施設が稼働していない当時より、空は澄んでいるとはいえ、重くのしかかる財政再建への険しい道のりが暗い影を落としていることもあり、皮肉にも、この天井こそが如実に、現在の夕張の現実を、映し出していた。

 今の夕張を知りたいなら、ここ、グリーン・ウォールの家を訪問するのが手っ取り早いか。



夕張 腐食
 幾何学模様が装飾された天井パネル。

 こういったキノコを見るたびに、食べられそうだと思いつつも、自我が堰き止めるのか、いまいち踏み切れない、型を破れないでいるもどかしくもある自分がいる。炎上上等のYouTuberなら、ためらいもなく、『廃屋キノコ食べ歩きの旅』のようなものをやってしまいそうだ。

 アクセス数と評価アップのために、PS4をばら撒くような配信者がいたりと、同じネットを使い発信をしている立場でありながら、その違いには驚くことばかり。
 
 

夕張 ハエ取り
 色彩で纏われた家主の理想郷を、たぶん、僕だけが汲み取ってやることができた。

 ここまでやれば、もうじゅうぶんだろうと、この家から・・・ひいては、夕張から、去る決意を固める。



夕張 赤階段
 壁と壁を突っ切っているのは、おそらく、配管。その配管には消音材が巻かれ、カバーが付けられ、さらには水色に着色されている。よく見ると、手すりも水色。地表より上の空間は空とみなし、水色に統一されているようだ。

 急な階段は注意喚起を促すべき、赤色で警告をするという、色彩を自在にに操っていた、家主。

 手すりを手で伝っていくことで、時を越えた家主とのぬくもり交流を図る。



夕張 飲み屋
 後ろ髪を引かれる思いがしながらも、グリーン・ウォールの家に別れを告げ、隣接する、飲み屋兼住宅の廃墟へと。
 


夕張 カレンダー
 1987年のカレンダー。

 JRが発足。天安門広場で学生が民主化を求める大規模デモ活動。

 ここの家主は早めに去っていった様子。



夕張 造花
 場末のスナックのような、安っぽい造花で飾り付けられた店内。

 男も女も、皆、黒いダイヤに引き寄せられるように、ここ夕張へ誘われ、こんなスナックでも大繁盛をしていた時代が本当にあったとは・・・。

 今では、場末どころか、ゴーストタウンになってしまっているが   



夕張 漆黒
 スナック店内から、住宅の方へと。



夕張 ボトル
 常連の炭鉱労働者達が残していったと思しき、ボトルキープの忘れ形見。

 子供心に、大人になったら是非やってみたいと憧れていた、ボトルキープというシステム。気づけば、ビールぐらいしか飲まない大人になっていたので、かつての夢はこれからも未来永劫、叶えられそうにない   



夕張 自転車
 レトロな自転車が。



夕張 拡大
 自転車の知識はサッパリなので当てずっぽうだが、いかがわしい中国製のようにも見える。しかし、家主が去っていったのは、天安門事件のあった年。あの頃の中国製の自転車といえば、新聞配達で使われているような、質実剛健さを絵に描いた、無骨でありながらも、後方の荷台に、ニワトリを入れた籠をいくつも積み重ねトーテムポールのように高くそびえさせても、撓まず、びくともしないような、スト2の背景で行ったり来たりしていたような、あんな、自転車ではなかったのか。



夕張 本
 グリーン・ウォールの家の軒先に、捨てたというよりは、仕方なく置いていったのではないかと思われる、数冊の本が。

 その中の一冊が、新井素子の「通りすがりのレイディ」。


 昔からSF小説が好きでよく読んでいたが、今でいう”ラノベ”というジャンルの新井素子の作品は、バカにしていたところもあり、手に取ることさえなかった。主に読むのはゴリゴリのハードSF系ばかり。ロシアを含む、欧米系の巨匠作家による作品群を読み漁った。時には、これは名だたる名作で間違いないからと、自分の好みでもないのに、勧められるがままに読み進め、無理して最後まで読破したものの、全く頭に残っていなかったことも一度や二度だけではない。

 新井素子さんの経歴を調べると、大変素晴らしいものであるし、見栄を張り巨匠の小難しい作品を、無理して読み続けるよりも、感性がまだ若く鈍っていない頃、素直に彼女の作品を読んでおけば良かったなと、今更ながらに思い、反省するところがある。
 


夕張 新井素子
 北の大地の山の中。その昔、最先端のエネルギー産業により繁栄を続けたものの、時代の趨勢とともにやがて衰退。街は復活を賭け、多額の資金を投入し、未来都市にあるような施設をいくつも建設。結果、膨大な債務を抱えることになり、街は財施破綻。僕が読んできたSF小説そのままの世界を地で行った、夕張市。夕張こそ、来るべき暗い日本の未来の姿だと、多くの人は口を揃えて言う。

 父親が炭鉱関連の会社を解雇。母親もパートの働き口を失う。同級生は次々に夕張を離れて行く。そんな厳しい現実と直面している時、少女が読む小説は、科学的考証の上に描かれているリアルなハードSFではなく、新井素子作品だったのではないかと。

 夕張を先に見据えている、現在の日本において、ブームというよりは、ラノベが定着をしてしまっているのは、何も偶然では無かったのか。少女は一歩、先に行っていただけだった。

 テレビをつければ、『日本凄い、クール、世界中から愛されている!』といった、捏造極まる、戦前へ回帰したかのような、ナショナリズムを煽る、低俗な番組ばかりが流れている。高品質なモノづくりをする国はどこかというアンケートでは、日本は世界で第八位だったとか。一位はもちろん、ドイツ。ジャパネットで日本製のノートパソコンを買ったり、てるみくらぶの新聞広告みて海外へ行こうとしていた人などには、八位という結果は、信じられなかったに違いない。

 通りすがりの、廃墟探索者が、一足早い日本の姿を、ここ夕張で体現をし、警鐘の意味を込め、かつ、再生への糸口を探るべく、問題提起をしつつ、全国へ内情を知らしめるという、地道な活動を、今ここに、成し遂げる。

 それらの効果が早くもあらわれてきているようで、直近では、「夕張 廃墟」で検索をすると、このブログの夕張の記事が、上から二番目に来るようになった。

 一番上はなにかというと、まさしくラノベというか、スィーツ系のなんたら女子の、ゆるふわ記事であった。ノマドパッカーをやたら推奨する、怪しげな人が多いけど、セミナーで儲けているだけなのではないかと。

 ラノベも良いが、ハードな現実を直視しなくてはいけない   

 ゴーストタウンのメインストリートの真ん中にて、五分ほど立ちすくみ、まだまだ切り込んでいかなくてはいけない場所や領域がいろいろあるなと、コクリと頷き、やって来た方向と逆に進み出すことで、夕張の霧がかった薄暗い未来へ向かうのではなく、再生と復興を演出するため、逆境を敢えて切り開いて行くという試練を自分に課するために、わざわざ二百メートルほど歩いた。

 車は逆方向に駐車してあったので、結局はまた徒歩で戻り、Y軸ではない、x軸の方の道に、車を勢い良く走らせる。過去でも未来でもない、不確実な道の方角へと・・・・・・
 


終わり…  

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