小岩の街を歩き回り、足の裏に適度な痛みを感じ始めた頃、情報提供者である”えっちゃん”さんの言う、”ピンクハウス”へと、ようやくたどり着く。
下町というと、狭い路地に古い木造家屋が密集しているイメージがあったが、ここ小岩は、それらが淘汰されてきているのか、そこかしこに真新しい更地が見受けられ、ある一定の間隔をもって、廃屋が点在している。
地元民ではない全くの他人ごとながら、そう遠くないたかだか十年先ぐらいの未来が、とても不安に感じられるような、妙に風通しの良い空き地ばかりが目立つ、お世辞にも活力があるとは言えない、ひっそりとした街であるという印象を持った。
ピンクハウスは一軒だけではなく、奥に色が薄めのピンクハウスも存在していた。これらの二軒は色の濃淡が微妙に違うので、奥にある薄めのピンクハウスの方が、歴史が古いと思われる。事実、建物の損傷具合も奥の方が酷い。
通りに面しているピンクハウス脇の小道を入っていくと、薄ピンクハウスがあり、更に、その小道の幅にはゆとりがあり、道というよりは中庭のようになっているが、ピンクハウスと中庭を挟んだ並びには、比較的新しい立派な三階建ての、表札によれば三世帯ぐらいで住む、ガレージ付きの豪邸と言ってもいい家があるものの、それもまた廃墟になっていた。
つまり、通りから入った中庭の空間に面する、三軒が皆廃屋化している模様。位置関係から、三階建ての豪邸が、二軒のピンクハウスのオーナーだったと推測できるが、その区画諸々が空き家となってしまっている現状では、詳細な事実は確かめようがない。
またさらに、中庭を囲むピンクハウス二軒と三階建ての廃墟豪邸の区画の隣がアパートだったが、それも、人々が去ってからかなり月日が経過をしているらしき廃アパートのようだった。
中庭に潜り込んで、ピンクハウス群を拝見する前に、お隣の廃アパートを、ちょっと見学してみることに
長期間手入れが行われていないだろうと思われる、廃アパートの庭。
植物は詳しくないのですが、高原ぐらいでしか見かけないようなのが生えているような気も。
持ちこたえられなくなり、木材で補強をしてあるという、かなり危険な状況。
テレビでマツコが大袈裟に言っていたような、切った張ったの殺傷沙汰は見られるはずもないが、小岩の街中廃墟率は、相当なものである。
ピンクハウスの横に「みどり荘」。
同じオーナーが、ピンクの区画、みどりの区画、といったように、色分けしていたのかもしれない。かろうじて売れる可能性のあるアパートだけが、山崎不動産によって引き取られたか、委ねられたかと。
新築でさえ配給過剰気味の昨今、風呂付きで一万円だったら、アジアの留学生達などに需要がありそうですが・・・
ガムテ跡を見る限り、二軒ほどご在宅の可能性はある。
我が物顔で施錠確認をせず、慎重な振る舞いを心がけることが必要だ。
それぞれの管に耳を当ててみたが、ガスや生活用水などが流れる気配は無し。
住人のひとりが育てていたのだろうか。
生活の知恵が詰まった、涙ぐましくもある、古タイヤを利用した鉢植。
錆の様子では、放置されてから、十五年前後といったところか。このアパートもそんなものだろう。
一階の全てのドアの施錠を確認。
今のところ、廃墟です。
依頼を受けた”ピンクハウス”ならともかく、得体の知れない横のアパートまで見物とは暇すぎるにもほどがあるだろうとも思ったが、よっぽどの機会がないとここへはもう一生来ないだろうからと、時間を持て余しているということもあり、とにかく、二階へと登ってみることにする。
壁はまだそんなでもないが、床部分の板が、自重で抜け落ちそうだ。
腐食している床。
瓶ビールが何らかの影響を及ぼしたのか。
ベトナムで自転車屋台のサンドイッチを食べた時、中にびっしりと蟻がいたことがあった。あれは常温のガラスケースに材料をストックしておくようになっている。売り子の管理が甘かったから大量の蟻にたかられてしまったのだろう。
タイからマレーシアへ行く長距離バスの途中、休憩をした小屋みたいな店で購入をした「ポッキー」の箱の蓋を開けたら、中から大量の赤蟻が吹き出して来て、思わずのけぞって倒れそうになるぐらい驚愕をしたことがある。おそらくそのポッキーは長期在庫品で、中の袋が劣化して破けていて、無数の蟻が侵入していたためだと思われる。
以前の経験を踏まえつつ、Gや鼠の棲家になっていやしないだろうかと、開けてみることに。
小さい蜘蛛の巣が張ってあるぐらいか。
電源装置はいずれも近年は使用されていない様子。
二階のドアの鍵も全て閉められていた。
さしたる成果もないことから、庭からアパートの部屋の中の様子をうかがってみることに
庭の手前部分に何かが転がっている。
クリスマスにサンタの手伝いをする、あの小人だろうか。
かつて、人も目を背けるような老朽化したこのアパートのとある住人が、心の安らぎを求めて、せめてクリスマスはつつましくも明るく祝いたいと、考えた挙句、購入に至ったのがこの人形ではないのか。
ぶら下がっていて気にはなっていたが、よく見るとこれはゴジラのデフォルメキャラ。短冊は切れているが風鈴だったようだ。
そのクオリティーの低さから市販品ではないようで、住人だった小学生が、図工の時間にでも製作したのか。
住人がまだいた頃でも、老人ばかりの絶望的なアパートといったわけでもなかったらしい。
廃アパート然としていても、一部屋だけ専有者がいるというケースは、このブログでの廃墟アパート探訪でも、過去に何度か経験しているような珍しくない話である。
耳を澄ますと、周囲は静けさを保っているようなので、室内をのぞいてみることに。
映画「仄暗い水の底から」のようになっている。
上から水が垂れているのではなく、床から滲み出ているように見えますが。
この内部状態だと、全面建て替えは必須のようだ。
とんだ寄り道をしてしまったが、長い時間を経て、穏やかで眠たげな小岩の住宅街でもひときわ目立つ、原色ピンクの色に彩られているものの、古びて朽ちゆく倒壊間近の、ピンクハウスの中庭へと、踏み込んで行くことにする
つづく…
「廃墟「ピンクハウス」の消えた家族」 下町、空き家巡りの旅.5
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コメント
コメント一覧 (4)
イランには三年も住んでいたんですか。イランからパキスタンへ陸路で抜けたのですが、パキスタン側の国境の町が、北斗の拳に出てくるような殺風景な砂漠の只中で、細枝で組まれた店ぐらいしかないゴーストタウンのような町でした。世界の最果てはここなのではないかと思ったぐらいです。
>みどり荘を管理する看板、、、、山崎不動産ですが、ピンクハウスの向かいに
あります
気付かなかったです。休日だったので閉まっていたのかも。かなり怪しく撮影をしていたので、注意されかねなかったかも。
>椎名誠が学生時代住んでいた小岩のアパートを、本を頼りに探しに行った事もあります
もしかしたら「哀愁の街に霧が降るのだ」ですよね。文庫本でかなり分厚い上下巻を読んだことがありますが、めちゃくちゃ面白かったです。舞台は小岩でしたか。アパートの四畳半で、男だけの四人か五人が共同生活をする話ですよね。神業的な親子丼をつくる定食屋に彼らが夢中になるというエピソードを覚えてます。
マツコは千葉県民なので、東京という地位だけはどうしても越えられないとわかっているから、内心では勝った気でいる小岩にコンプレックスがありそうです。
私は96年~99年までいました。
イスファハーン、、、静かに遺跡に佇むと古い歴史が回想します。
みどり荘を管理する看板、、、、山崎不動産ですが、ピンクハウスの向かいに
あります。
kailasさんが探索している時、よくぞ不動産屋の目にとまりませんでしたね。
もしくは、目にとまったら鍵を開けて部屋を見せてもらえたかも、、、なんて、、、有り得ないか。
アパートの並びの土地が道路より低いのは、昔JRが高架になる前に、交差している柴又街道は陸橋だった名残と聞いた事があります。
余談ですが、
マツコがTVで「小岩」をヤバイ町と言いますが、住んでる住民はそれほどコワイコイワだとは
思っていません。
江戸川区花火大会は、花火大会の観客動員数としては日本一を記録しています。
昔は、サンリオショップの隣にハリウッド(キャバレー)がある位、大人と子供の世界が入り混じっていて
も誰も文句を言わない寛容さがある町。
椎名誠が学生時代住んでいた小岩のアパートを、本を頼りに探しに行った事もあります。
街なかに風俗、アジアンな店、廃屋があろうと、保育所があろうと、廃屋があろうと
いい意味でも悪い意味でも小岩らしいな、とつくづく思います。
何気に貴重な経験をお持ちなのですね。イランに住んだ経験とは。
最近ではドラマ「ホームランド」で、主人公だったはずのアメリカ人が、テヘランの街中で公開処刑をされたのがショッキングでした。
イランは深夜特急的旅の黄金ルートの地ということもあり、僕は旅行でですが、行ったことがあります。
イランをボロの長距離バスで移動中、砂塵舞う砂漠の真ん中にある、映画「バグダッドカフェ」のような荒涼とした食べ物屋で休憩をし、かなり質素な食事をしたのですが、その時飲んだイラン製のコーラが妙に記憶に残っています。アメリカの経済制裁はこんなところにも及んでいるのかと。
>でも日本と違い、色がありません。乾燥地帯なので、緑が生えていたり、基本レンガと土なので腐敗するはなく、廃墟=土色を永遠に維持しています
その食事の店や周囲一帯は、まさにそのようでした。欧米ならともかく、イランのような国に住めることはなかなかないので、羨ましく思います。イスファハーンとか、また行けたならと。
寄り道をしましたが、今回もお読みいただきありがとうございました。
高原に生えているような草木で思い出しましたが、数年イランに住んでいた時に
テヘランの街中や田舎で廃屋を見ました。
でも日本と違い、色がありません。
乾燥地帯なので、緑が生えていたり、基本レンガと土なので腐敗するはなく、廃墟=土色を永遠に維持しています。
日本はその点、住人の生活残留物や、湿度によって無人になってもまだ変化している建物に見届ける楽しみがあると思います。
ピンクハウス楽しみにしています。