小岩-94
 今思えば、本当にどうでもよかった「みどり荘」の見学を終え、ようやく本来の目的である「ピンクハウス」の前へとやって来る。

 つい数日前、政府から「まち・ひと・しごと創生基本方針」案なるものが発表をされる。街中の思い出遺産ともいうべき、空き家をなかば強制的に撤去しようとしているばかりでなく、ゆくゆくは、それぞれ本人達が抗いようのない手段により、空き店舗を町中から消滅させるという方策が決められようかとしているようだ。要は、空き店舗の土地への課税強化。

 東京とはいえ、人口流失が著しく、人通りも無ければ需要もない。先の見えない家業を継ぐ者はおらず、商店街はやがてゴーストタウンのようになっていく。

 その空き店舗の土地に増税をしたとしても、それらのオーナーは、それならばと建物を壊して更地にするだけ。良くて駐車場として生まれ変わるのが精一杯だろう。不毛の地が増殖するだけだ。

 空き家と駐車場と更地ばかりが目につくここ小岩の状況は、まさしく先細りの日本の未来を象徴する光景が広がっている。新たな政府の政策は、都市部の町中の風景を小岩化へと、いっそう加速させる以外の何物でもないのではないか   



小岩-92
 幼馴染と共有する思い出のレガシーが、消失する危機感から、名物”廃墟”のレポートを委ねられたという、今回の小岩訪問。



小岩-93
 ひび割れたモルタルから次第に繁殖していった黒カビ。水分の蒸発しきらない影側が特に酷い。



小岩-96
 全身がピンクなら、雨樋パイプまでピンクに塗られている。

 奥の家は薄めのピンク。

 尋常ならざるピンクへの執着。



小岩-41
 歩道より下の位置に建てられている。

 一家で食卓を囲んで朝食を食べていたら、通学途中の同級生にのぞかれてしまい、学校で「今日もお前んち、しけた朝食食ってたな!」などと、言われかねないような、極めて低位置に位置する家。

「アパートの並びの土地が道路より低いのは、昔JRが高架になる前に、交差している柴又街道は陸橋だった名残と聞いた事があります。 」

 えっちゃんさんよりのご説明。なるほど、そういうことでしたか   

 ちなみに、柴又街道とは、このピンクハウスの前を通る道のこと。



小岩-39
 後々のクラス会でも取り沙汰されるような、薄気味悪いこの廃墟アパート。

 夜にはいっそう、その不気味さをここ小岩界隈で浮かび上がらせているに違いないこの建物が、心霊探索隊の餌食になっていないのは、下町ならではの、隣人愛ゆえの、共同相互秩序意識が機能しているからではと思われる。



小岩-95
 轟音を撒き散らしながら、バイクが行っては帰ってくる。

 この視界の中に、アメリカの「ヘルズエンジェルス」を意識したようなカスタムバイクショップが存在している。

 店先には、まさにそのような格好をしたオラつきたい年頃の若者達が。

 ピンクハウスを必死に何枚も写真に撮る僕を、怪訝な顔で、多少の笑みを含みつつ見つめていたが、こっちにまで来て冷やかすようなことはなかったので、安堵する。

 注目したい、隣のガレージ付き豪邸。



小岩-42
 剥がれゆくピンクのペイント。当時なら、さぞ目に痛くなるようなサイケデリックな鮮烈な色彩だったことに違いない。



小岩-40
 小岩のような都下の下町でなかったら、深夜に大勢で軍団がやって来て、隙間から誰かがこっちを覗いた、覗かないで大騒ぎをしたことだろう。



小岩-45
 ピンクハウスのパティオともいうべき空間に降り立つ   


表札
 パティオに面を並べる二軒のピンクハウス群を含む三軒の家は同じオーナーだと思われるが、主従関係を見出すとしたら当然、向かって右側のガレージ付き豪邸のこの家が主(あるじ)であろう。

 わりかし新しさの残る三階建ての豪邸ながら、人気(ひとけ)は一切なく、ここもまた廃墟になってしまっている。それも、このような生々しい、いまだ生活臭の残るネームプレートを掲げたまま。

 もしや、オウム真理教に拉致をされ殺害された、あの、S弁護士一家の家族ではと、慄然とし一瞬背筋が寒くなったものの、調べてみたら、あの人達が住んでいたのは横浜であった。

 では、三軒もの大型ともいえる住宅を残したまま、大家族は何処へ行ってしまったのか。


 検証するべく、踏み込んで行ってみる   



つづく…

「家族の幻影」 下町、空き家巡りの旅.7

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