白鳥湖ホテル フロント
 白鳥湖ホテルのフロント部分。

 ここだけを拝見すれば、庶民的な旅館のようにも見える。



白鳥湖ホテル ボンボン
 ガラスケース上に置かれていた、コミックボンボン。

 収録漫画には、「SDガンダム」や「もーれつア太郎」のリメイクなど。核となる作品が見当たらない。こんな雑誌が売れていたのだろうか。



白鳥湖ホテル 漫画
 ファミコンのゲーム名ばかりが並ぶコミックボンボン。見やすい位置に表記されている、ファミコンのゲーム「ロックマン4」のリリースが1991年なので、その頃読まれていた雑誌だろうと思われる。

 片や、子供漫画雑誌の王者「コロコロコミック」は、「ドラえもん」「おぼっちゃまくん」「ドッジ弾平」など、もうすでに読んでいなかった僕でさえ知っているような大人気漫画のキャラで表紙が埋め尽くされている。

 ゲーム記事頼りの内容が行き詰ったのか、コミックボンボンは2007年に、休刊となってしまった。
 


白鳥湖ホテル 南野陽子
 アイドル時代の南野陽子。ヘアスプレー「ケープ」の広告の女性は志穂美悦子さんだろう。

 千葉真一が主宰するJACに所属のアクションスターでもあった彼女。1987年に長渕剛と結婚。長渕剛の意向もあり、結婚と同時に専業主婦となる。つまり、志穂美の広告が掲載されている雑誌は、1987年以前のものということになり、ロックマン4のコミックボンボンなども考慮すると、このホテルは、1990年前後頃に廃業をしたこ可能性が高い。



白鳥湖ホテル ソファー
 漫画雑誌の品揃えには特に力を入れていた様子。



白鳥湖ホテル 台
 ホテルでありながら、地方のスナックのようなロビー。



白鳥湖ホテル 正面ドア
 このガラスが割られていないのは、不法侵入達のせめてもの良心か。

 ここから外へ出られそうだが、はやる気持ちをおさえる。



白鳥湖ホテル フロント入り口
 昔の小学校の用務員室のような地味なフロント。



白鳥湖ホテル 瓦礫
 もう一方向の出口は塞がれているようだ。



白鳥湖ホテル 中
 やって来た方向。

 正面玄関を背にし、左にフロント。右にクローク・ルーム。数十年前は、引きも切らない客で賑わっていたらしいが、現在、数時間滞在していても、僕以外に気配はない。

 夕方のニュースの情報コーナーをみていたら、廃校になった小学校を改築して、宿泊所とお化け屋敷を併設した施設の紹介をしていた。

 こちらの白鳥湖ホテルの方がよっぽど怖いに違いないが、何と言っても市街地から遠すぎる。ほんとの僻地。お化け屋敷への転用は実にいいアイデアだと思うが、こう辺鄙な場所だと、利便性の悪さから集客は見込めない。もう、ただ朽ち果てるのを指を加えてみているしかないのだろう。



白鳥湖ホテル 横倒し
 この角度からならわかる、テーブルタイプのテレビゲーム麻雀機が横倒しにされた意味。サバゲーの弾除けに使用されていたらしい。



白鳥湖ホテル 冷蔵庫
 昔、会社の先輩の家に行ったら、新大久保駅からすぐ近くのアパートなのはいいが、築数十年になろうかというボロボロの木造アパートに彼は住んでいた。

 台所に置いてあったのが、これとほぼ同じ、店頭に置いてある業務用のガラスショーケースタイプの冷蔵庫。飲みかけの牛乳や、バター、缶ビールなどが丸見えの状態。漂う半端ないアナーキー臭。

 翌日、ほのぼの面白話しとして、決して僕は悪気はなく、新大久保の先輩の同期でもある良きライバル関係にある別の先輩にそのことを話したら、「おまえ、まだ学生気分が抜けてないのか。まともな給料を貰っているんだし、住むところや使うものを考えろよ!部下にそんな所を見せて恥ずかしく思わないのか!?」と、新大久保住みの先輩は同期の先輩に、言われてみればもっともなことを指摘をされ、かなりしょげかえっていた。

 新大久保住みの上司、というかクリエイティブな現場だったので先輩という感覚だったが、彼は小姑のように神経質で僕に対して煩く、ほとほと嫌気が差してある日「インドに行くので会社を辞めます」と言い放ち、本当に僕は会社を辞めてしまうことになる。

 インドに行くというのは咄嗟に考えた適当な理由だったが、その一ヶ月後、バックパックを背負って、実際に行くことになってしまう。しかもスケールアップをし、完全に陸路で世界一周をしてやろうと、とりあえず、新宿のバスターミナルから、当時日本一の営業距離を誇っていた長距離バスに乗り、福岡へと。そこから韓国までフェリー。韓国の仁川から中国大陸へまたフェリーといったぐあいに、順調に人生の道を踏み外すしていくことになっていく   



白鳥湖ホテル アイス
 個人宅でさすがにこれは見たことがない。



白鳥湖ホテル 屋根
 崩落したトタン屋根が行くてを阻む   



白鳥湖ホテル エントランス
 今では虚しいプラ看板の説明書き。



白鳥湖ホテル 光GENJI
 光GENJIが活躍をしたのは、1987年から1995年。今までの物証による考察とずれてはいない。

 このステッカーはエスキモーのキャンペーンによるもの。1990年5月17日に発売されたシングル曲「Little Birthday」のB面「な・な・なのなの時間割」が、エスキモー「クリスピーナ」のCMソングとして使用されていた。振り付けはラッキィ池田。

 1990年あたりが、白鳥湖ホテルの末期と見て間違いないだろう。



白鳥湖ホテル 崩落屋根
 こちら側からの脱出は無理なので、引き返し、「白鳥湖ホテル」と表記のあった、ガラスドアから、いよいよ外へ出てみることにする。

 開放されたかのように勢い良く、表へ飛び出す。



白鳥湖ホテル 正面
 振り返る   



白鳥湖ホテル 庭
 波打つアスファルトの方々から草が吹き出て、背が伸びて茂り密集している。

 バブル華やかしきの頃に、この地味な社員寮のような面立ちであったなら、客足が遠ざかるのもうなずけるというもの。

 外周チェックも、怠らず、入念に一つのボルトさえ見逃さない心意気で、見回ってみることにする   



つづく…

「間違えた進入路」 幻湖、森の上の廃墟「白鳥湖ホテル」.5

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