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 隣街に住んでいる姉の史之舞の家へ行き、二人でピザを食べにでかけたり、長崎屋で暇をつぶしたり、駅の地下街をさまよったりと、大いに日曜日を楽しんだキョーコさん。

 さして娯楽のない地方都市の、さらに北の端の寂れようかとしつつあった、あの街のことである。お金をかけないで遊び回ろうとしたら、デパートや駅の商店街を見てまわるぐらいしか、やりようがなかったのだろう。今でいうなら、イオンで映画からショッピング、フードコートといったぐあいに、一日中店内に入り浸るようなものだったと思われる。

 当時の中高生の社交場でもあった、長崎屋。

 僕はキョーコさんの隣街にある長崎屋にはあまり縁はないが、室蘭の長崎屋には、昔から旅行で訪れるたびに行かしてもらっている。

 室蘭駅前にあるアーケード商店街は、凄まじい荒廃ぶりで、ほとんどの店のシャッターは閉じられている。人通りもなく、たまに歩いている人がいるなと思ったら、ガラの悪そうなロシア人の漁師風情が『ここ、本当に日本ナノ・・・?』といった感じで、ショックを受けて驚いたような顔で行き来しているのを毎度のこと見かけた。

 室蘭駅前はそんなだから、少し歩いた先にある「長崎屋」が、汽車の発車までの暇つぶしにはぴったりなのだ。

 かれこれ数十年は通っている室蘭の長崎屋だが、例によって、いつ行っても、人はまばら。建物の老朽化も目立つ。今現在も存在しているとしたら、裏で市が助成金でも出して、撤退しないように居続けてもらっているとしか考えられない。

 室蘭の長崎屋に負けず劣らず寂れれることになる、キョーコさんお気に入りの中高生の娯楽の殿堂でもあっただろう藤淵の長崎屋だが、室蘭よりひと足早く・・・いや、かなり早く、街から撤退をしてしまうことになる。

 いつ頃だっただろうか、数年ぶりに訪れた際に、その長崎屋が、得体の知れない商業施設に変わっていたのは。

 寄せられた情報によると、かつてキョーコさんの住む隣の街で、燦然と輝いていた頃の「長崎屋」には、駐車場裏口にソフトクリームを売る店があったのだという。今では人っ子一人いないような街中に、当時大勢の若者達が歩いていたという何よりの証拠であり、キョーコさんもまた、ソフトクリームを求めて、そして歩きながらほおばっていたのではないだろうか。

 今では封印された幻の駅地下には、「地下街」というほどではないものの、地下にお店がいくつかあったとか。それも若者向けの、レコード店、ゲームセンター、喫茶店、美容室、書店、テイクアウトのおにぎり屋など。観光地らしく、お土産屋もあり、魚介珍味の香りを辺りに漂わせていたとか。

 ちなみに、僕がキョーコさんの日記を発掘した頃、無作為に日記の一部を読んだ際、キョーコさんが、駅の中のとある店と関わり合いを持つという一節を目にした。相当な深い関係性になると言っても言い過ぎではない。それがいつ頃なのかは、まさか書き起こしをするなどと思っていなかったので、日付などは気にもとめていなかったが。

 当時、街で青春時代を送った人達には寂しい限りの、長崎屋撤退に、駅地下封印。

 なお、何度も旅行で行っている僕でさえ、よれて撓み閉じられたシャッターしか見ておらず、地下へ下った経験はないが、これまた、情報によると、地下街閉鎖の理由は、改正消防法に抵触しているからとのこと。駅の地下歩行路も大雨の時は排水に難があることから、一時閉鎖になってしまうようで、全体的に駅の建物自体が老朽化していることもあり、とりあえずの安全性を考慮した結果、早々に地下街が封印されることになったようである。

 街や人々が高齢化した結果、駅周辺からエンターテイメント施設が姿を消す結果となってしまった。長崎屋の成れの果ては、残念ながら、パチンコ屋になってしまうらしい。

 中学生ともなれば、輝ける先の未来しか常日頃見ていないような印象が一般的にあるが、キョーコさんはこの歳ながら、昔日のありし日のことを思い返すことが本当に多い。

 実家が廃屋となり、今自分が書いている日記帳が、瓦礫の中から発掘されることになる運命、街の衰退、人々の高齢化。

 そんな暗い未来を知ってか嗅ぎ取ってか、目を背けるかのように、キョーコさんはまた、過去の自分を語りだすことになる。
 
 それも、小学生時代のこと。中学生の卒業時前後ならまだ理解できるが、なぜ、今なのかと。

 小学生時代の古傷に、敢えて触れながらも、意外な昔話を語りだしていく   



11a
  1 978  ,  9 月 11 日  (12日)   0 :24

今日は べ つに  ありませ んね。  明 日 卓球 で す  .
 まあ . どう に で もなれ  だね  ,  中学生 最 後 の卓球
三年 の最後の 卓球 大会 。  三年 間 は  イ ” と い う ま に
 すぎ てしまっ た。 まる で  ちょ っ と まえに  松 本君に会っ
たみたい に  思うほど   、  ち ょ っと ま えに  皆中 に 行った
 気分 みたいに思 うほど  .  ほ んとに短*すぎた ほど です。
 今まで の  こ と思い 出すと  ,  なんとなく 感 じょう が  高まって
 来るみたい 。   小学生 の前  ,  西 村くん  家 に  お べ
んとう を 持 って  遊び に 行 ったり 、  来 たり した こと ,  、
小学生に な ってか ら  令 ちゃん  , 美 っ 子 ちゃん , ち ぇ子
* ちゃん に ぶ なぐ ら れた こ と  ,   私  一人だ け
 家にの こって  泣 い て しま ったあの 日  。  あの 日 は
はっき り お ほえている  .  おとうさ んの 親戚 の 家に
遊 び に 行 く こ とに な  って   .  兄 と姉 だ け つれて
 行 って  私 と  ゆたか は 家 にのこ された。
あの時  ほ んと うに 行 きたか っ た  .  だ か ら こそ
  泣 い た。 あ の日 の こ と は忘 れ な  い。

キョーコさんが大好きで得意な卓球。中学生時代最後の卓球大会があるというのに『まあ . どう に で もなれ  だね  ,』と、随分と他人事で投げやりになってしまっている。

>三年 間 は  イ ” と い う ま に すぎ てしまっ た。

以前、所ジョージのラジオから影響を受け、「ア、ア、ア、ア、、、」と連呼していたので、それをアレンジして、ギャグのつもりで取り入れたようだが、大して面白くならなかったのを自覚しているのか、特に後付けフォローをすることもなく流した様子。後述に絡んでの要点としては、小学生時代からあっという間だと言うことを述べているようだ。

>小学生 の前  ,  西 村くん  家 に  お べんとう を 持 って  遊び に 行 ったり 、

忘れた頃に出てくる西村くんの存在。キャンプの時、西村くんのお父さんがボートを提供したりと、お金持ちの家だろうということは想像できる。キョーコさんのお父さんと資産家である西村くんのお父さんに、経済的な繋がりでもあるのかもしれない。

>小学生に な ってか ら  令 ちゃん  , 美 っ 子 ちゃん , ち ぇ子* ちゃん に ぶ なぐ ら れた こ と  ,

三人もの女友達から、ぶん殴られたと打ち明ける。小学生になってからとわざわざ言及しているということは、小学一年生の時のことなのだろう。一対三なら、立派なリンチだろうけど、小学生時代に、しかも低学年で、そんな殴り合いの喧嘩を女の子同士でするものなのだろうか。

少なくとも、僕の小学校時代に、女の子同士で殴ったり蹴ったりのケンカは、ありえなかったように思う。

大人数生徒ゆえの、都会の希薄な人間関係は、遺恨をいつまでも引きずってしまうような、陰湿な陰口や無視といったイジメが多そうで、キョーコさんの地域のように、過疎ゆえの緊密な関係にある友達同士では、その場で怒りを発散し、後腐れのないような、暴力に訴えるケンカが主流だったのか。

漁師や市場関係者の子供といった、職業の違いからくる気性の荒さも関係していそうだ。

>私  一人だ け 家にの こって  泣 い て しま ったあの 日  。

まるで橋の下に捨てられた子供のような言い方だが、そんなにまで辛かったあの日の出来事とは。

>あの 日 ははっき り お ほえている  .  おとうさ んの 親戚 の 家に遊 び に 行 く こ とに な  って   .  兄 と姉 だ け つれて 行 って  私 と  ゆたか は 家 にのこ された。

一人だけ家に残されて泣いたはずだったのに、幼いとはいえ、「ゆたか」君も一緒。お守りをさせらたていたらしい。意思を表明できない赤子なのだから、キョーコさんとしては一個人だとは考えていないのか。

>あの時  ほ んと うに 行 きたか っ た  .  だ か ら こそ  泣 い た。 あ の日 の こ と は忘 れ な  い。

本当にキョーコさんは、一生、このことを忘れなさそうだ。逆に子供を育てる方としては、こんなことを後々まで根に持つのかと、生の声として参考になりそうでもある。



11b-12
  小 六  . 足を お っ て  一ヶ月 く ら い  入院 ,
  たいくつだ った  .  はじめは  そう ではなか っ たの。
  男の人の 所に 私は 入ったの  .    でも  .   バ バ
  ばっか しの所に 入ったっけ も う  イヤケ が さ してきたさ  .
   いろ い ろあっ たね  ほ んと  ,   金山 君 好き  。
   でも今日 は  これで ね  ,    お やす み なさ  い  。

 1978年  9月  12 日 ㈫ (13日)  0 : 5 0  晴れ

 今日  , 中体連 , 新人 戦 が あ ったの だ 。  小 学生は
 団体  1位 に な っ たん だ っ て 。スゴイ  スゴイ 。
 お敬 は  ちょうしが 悪 いみ たい で 4位  .  お し く も **
 かん内 体会 に は 出 場で けません。 と こ ろ が
 伸一 君 が 1位に な ったの だ 。 ホン トニ ス ゴイ  。
 団 体 は 女子  3位 。  * 男 子は4位 と か なしい
 けっか  。 で も おもし ろ か っ た い ろ ん な 人 と 会 っ て
 なつかしかっ たり .  おもしろかっ たり し て ね  。
 私にとって 中学生活最後 の 戦球 であ っ たのだ か ら. 
 それで は  もう  そ ろ そ ろ 金山君 し合 に 出 て な か った 。
 おやすみ  。

> 小 六  . 足を お っ て  一ヶ月 く ら い  入院 ,

何気に重症を負っていた、小六時代のキョーコさん。父親のことをほとんど日記に書かないのは、牛ボイの作業をやらされていた時、骨折をしてしまい、今でもそのことで父を恨んでいるのではと、だいぶ斜めな深読みをしてみる。

>でも  .   バ バ  ばっか しの所に 入ったっけ も う  イヤケ が さ してきたさ  .

骨折をした際、子供ということもあり、はじめは男性部屋に入れられたものの、後に女性部屋へと移される。しかし、その女性部屋は婆さんばかりで話しが合わず、気が滅入って嫌気が差したということらしい。

ババという言い方は独特だが、キョーコさんの地域で使われる方言なのか。関東なら、婆様自身が自虐的に自分のことや他の婆さんを「ババ」と言ったりする場合があるかもしれないが、中学生が日常で使うような言葉ではない。

>お敬 は  ちょうしが 悪 いみ たい で 4位  .  お し く も

僕はキョーコさんが日記内で、素直に他人を褒めたり思いやったりするのをみるにつけ、自分はなんて今まで浅ましい人間だったのだろうと、感じてしまうことが多々ある。

僕が四位になった友達の感想を日記に書いたなら、呆れたり、『しょーもなっ!』と突き放すに違いない。自分以外に読まないのだから、誰も傷つかないし、それが本音であるというのが正直なところ。

彼女は他人を本気で労っているからこそ、そういった言葉が閉ざされた日記の中でも出て来るのであり、心根の部分が、根本的に僕とは違うようだ。

ブログ記事で批判めいたことを書いて、その時は確信をついていて痛快さがあるのではと自分では思っていても、後で読み返すと、なんとも後味が悪く、いつも後悔ばかりしている。偶然に掘り出すことになった日記ながら、見習わなければいけないところが実に多い。

>私にとって 中学生活最後 の 戦球 であ っ たのだ か ら. 

「戦球」とは。

調べても、プレステのゲームしか出てこない。キョーコさん独自の造語だろうか。それとも、極めて狭い地域で使われていた言葉なのだろうか。読めば言葉の意味は伝わり、全く不自然さはないのだが。


 集体(集合体育)で、陸上競技の練習があるが、そこで、今まで語られることのなかった金山君のネガティブな一面を、キョーコさんが指摘をし、書き綴っていく。

 それを読むと、僕でさえ多少の嫌悪感を感じてしまうような所があるが、彼女もそう思いつつも、やはり、それでもそこが良いのだと、最大限の擁護をしてみせることになる。



つづく…

「猛っている彼」 実録、廃屋に残された少女の日記.54

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