調布廃屋-30
 驚いたことに、そこは正確に言えば、廃屋ではなかった   

 毎度のことながら、都会の街中に眠る、昭和ロマンの息吹を閉じ込めたかのような、まだ見ぬ廃屋を求めて、地元を徘徊していた、気温三十三度を超える、ある夏の日のこと。

 郊外や地方に行けば、そんなの(廃屋)ごろごろと転がっているだろうに、なぜおまえは東京の街をあてもなくブラブラとしているのか?と、おっしゃる方がいるかもしれない。

 ひとえに、遠征は朝が早くて大変億劫なのと、そうそう出掛けていては出費がバカにならないのと、都会の片隅で黙殺されている、ドラえもんのひみつ道具で言えば「石ころぼうし」をご近所の人から無理やりかぶせられたような、哀愁漂う廃屋に、なぜか僕だけは、ブラックホールに引き寄せられるかごとく、吸い込まれていってしまうからに他ならない。



調布廃屋-34
 京王線調布駅の駅前にある「一口茶屋」で買い求めた「かき氷レインボー」がシャッキリ感をまだ残したままの距離に、その広大な敷地はあった。

 遭遇した瞬間、普段は何事にも冷静なこの僕が   北朝鮮の国境で少年兵士に、デジカメをガメられそうになった時でも、列車内にいた北朝鮮人のビジネスマンに、よどみない英語で助けを乞い、手助けを受けて、双方に差し障り無く、穏便にデジカメを取り返してもらうなど(途中停車のホーム上で少年兵士を盗撮しようと試みたので、非はどちらかというと僕にあった)大概は落ち着き払って行動をする僕が   色めき立って、それを目の前にして、ほくそ笑むほどだった。

 実は数日前に下見に来ていて、今までの経験や肌感覚により、ここは完全なる空き家であると、勝手な自己内判定を下していたのだ。



調布廃屋-7
 よって本日は、満を持しての、廃屋訪問だったはずなのだが、そこでは、予想もしていなかった展開、そして、今や廃屋トップ・ビューリストの僕にだからこそ話してくれた、衝撃の、生活実態が明らかとなる   

※この笑顔も眩しい男性の写真は、撮影にご協力していただいた、廃屋?にお住まいのご主人(この記事の主人公でもある)です(筆者ではありません)



調布廃屋-36
 問題の家へと行く前に、やっつけておかねばならない廃屋が、何本か向こうの路地に建っていた。

 至近距離。

 吹き出した夏の緑に全身を覆われ原型を留めないまでになっている。



調布廃屋-35
 森の中の忘れられた廃墟のよう。



調布廃屋-37
 空は密集する木々により視界を遮られている。



調布廃屋-43
 ためらうことなく、そっと、ドアノブに手をかけてみた。



つづく…

「心を開いた、廃屋生き仙人」廃屋生き仙人との友情.2

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