ことそういう(宗教)ことに関しては、思いのほか早熟な考えを披露した、キョーコさん。シューキョーとは、人間の弱い心が生み出すでっち上げであり、やり場のない気持ちにつけ入る妄想でしかないのだと、めずらしく真正面から否定してみせた、彼女。
以前、イギリスBBCのニュース番組内でのこと。ゲストには、ハーバード大学の教授とアーカイブを主宰する男性二人。
教授はハーバード大の図書館のゴミ箱に、数十冊の日記が捨てられているのを見つける。その数十冊の日記は、どれも同じ人によって書かれたものだが、著者名はアルファベット一文字しか記されておらず、中を読んでみても、有名人ではなく、かといって誰と特定できるものでもなかった。後に教授は日記の内容を纏め、小説として発行をすることに。
アーカイブを主宰する男性は、拾ったり送られて来た世間的には無名の人達の日記をアーカイブ化し、全世界に公開しているという。
番組司会者がその二人に「他人が書いた日記を本人の承諾無く勝手に公開することは是か非か?」と疑問を投げかける形で番組は進行。
日本のぬるいニュース番組の対談と違い、普段から相手がセレブだろうや政治家だろうが、その司会者は、観ているこっちの胃がキリキリするぐらいに切り込む人であるが、三人の見解としては、歴史的価値と意義はあるということで、丸くその場をおさめ、番組は三人の晴れやかで穏やかな笑顔とともに終了。
これをもって「世界的な承認を得た!」とは言わない。
なぜこのような記述をしたのかというと、それは匂わすような書き方ではあったが、否定的な意見が寄せられ、ここでまた再度、説明をすをる必要に駆られたからである。
別件ながら、先日、杉並区のとある樹林の中にあった廃屋集落より、凛々しい青年が写っている白黒写真を数枚、どうも手癖が悪いというか、もうとめられないのか、拝借して来てしまう。腐るだけならば保護しようと、つい・・・。
【読んでおきたい】都会の秘境、森の中に眠る空き家群落
まさか取り憑かれたのではないだろうが、その直後から二週間ぐらい、知恵熱がとまらなかった。知恵熱なんてかかったことがなかったのでわけが分からず、ネット上で役に立たないまとめサイトやキュレーションサイトを巧妙に避けつつ、病状になんとかたどり着いたのだった。思考をすると額から焼けるような発熱がして、冷えピタなどすぐ熱々になってしまうほどだった。平気を装っていながら、実は良心の呵責に耐えられなかったのかもしれない
ポリティカル・コレクトネスが行き過ぎて、アメリカ内のコロンブス像が「彼は侵略者だった」と言う理由で破壊されるのと同様、高潔すぎる倫理観は、本来、普通に学んだり楽しむことを、必要以上に奪ってしまっているのではないかと、個人的には危惧する。
そんな僕の数十年後の葛藤を知るはずもない、北の大地で平穏に暮らす彼女に、愛情の変化がまた訪れる。
生家にはでかい肖像画が掲げられいて、そこは有名な観光地にもなっているという。当時行けば父親が車で街案内もしてくれたとか。なるべくしてなった、北のスーパースター、あの人に、巡り巡って遂に、心酔をし始めることになる
1978 ・ 9 ・18 ・ 月 (19) 1:2 6
千春 の オ ー ルナイト ニ ッ ポ ン 聞 い て んよ 。 オモロイ ね 。
あ あ 金山 君 に会 い たい な あ 。
文 通 して ほ し い け ど , 手 紙 私 か ら 出 す
の っ て 私 の 心 , 私 自 身 が ゆ る さ ない よ う な . か んじ
なのよ ね 。 な ん ちゃ っ て . 好 きだ った ら 自身 と か 心 と か 言 っ て ら
れんはず なのにね 。 へ ん な の . B Ut 金山 君 大好
きよ 。 千春 3 ま い 目 の アル バ ム だっ てヨ!
ホ シイ ね 。 お金 がほしい 。 おちてないか し ら . . ..。
とにか く 金山 君 大 好 き。 松本 君 の 時 は
愛し て る , 好 き と か な の に ね 。 金山 君 は
ただ 一言 ・ す なお さ い っ ぱ いの 一言 .
大好 き の 一言 で 決ま る の よ ね 。
だっ て 大好 き な んだ も ん 。 スポ ーツ マンの 君 .
ギタ ー の うま い 君 . 顔 が すこし くず けて る 君 .
虫 歯 の ある 君 。 や さ し そう で , す なお そ う な君
そ ん な 金山 君 が 大好 き なの ら よ 。
そんじ ゃ ね ま す ね 。 お や す み 。
ある一時は、連日連夜、口を開けば、所にタモリの大合唱。日記の書き起こしをしていて、次の日も所のオールナイトネタでページが埋め尽くされているのかよと、うんざりとした夜も二日や三日ではなかった。
自分でも経験があるとはいえ、こう短期に急激に移り気になるものだなと、青春時代の流れの早い愛情の変化には、おっさん目線では戸惑ってしまうことばかり。
>千春 の オ ー ルナイト ニ ッ ポ ン 聞 い て んよ 。 オモロイ ね 。
以前は、「やっているみたいね・・・」と、北の生み出したスターが、東京でも流れる全国区のラジオパーソナリティに抜擢されたからって、大目にみないわよ・・・、といったにべもない薄い反応しか示さず、彼女は異常なまでの所&タモリ礼賛に明け暮れていた。
ところが、所ネタが影を潜めたのと時を同じくして、いつの間にかに松山千春のラジオのヘビーリスナー化していた様子。
思えば、タモリさんに好きだ、愛してると熱を上げていたのには逆に違和感があっただけで、いずれこうなることは、あそこを見てきた僕からしたら、遂に来たか・・・と、必然だったとも言える。ようやく過去から現在へのパーツの一つがリンク(結びついた)したのかと。
> あ あ 金山 君 に会 い たい な あ 。 文 通 して ほ し い け ど , 手 紙 私 か ら 出 す の っ て 私 の 心 , 私 自 身 が ゆ る さ ない よ う な . か んじ なのよ ね
貫き通す、金山愛。前は決心をして、踏ん切りをつけたように「思い切って文通します・・・」と、高らかに一度は宣言したはずだった。今になって、キョーコさん自身がそれを許さないとは、どういうことなのかと、自分で打ち消したその理由を一拍を置いて、説明しようとする
>な ん ちゃ っ て . 好 きだ った ら 自身 と か 心 と か 言 っ て ら れんはず なのにね 。 へ ん な の .
誤魔化して逃げた、キョーコさん。そんなだから、いつまでたっても捕まえられないのだと、青春時代のほんの一瞬、大恥をかいて笑われて例え傷ついてもどうってことないじゃないかと、まるで僕が当時の自分に諭し問いかけるように念を送ってみるが、当然、その思いは届くはずもなく、ぼやぼやとそのまま逃げてばかりいると、あっという間に、窓の外を見れば、サイロは横倒しになり、トタン屋根の納屋は跡形もなく地面に伏してバラバラで、部屋の中の内装は崩れて剥がれかかり、染みだらけの屋根の所々の裂け目からは夜風が侵入し、床には今まさに書いているはずの日記帳が、数十年間、打ち捨てられたかのごとく、転がっているという”事実”が、その前へのひと踏みで変えられるのではという、歴史修正モノのSF小説の出来事のような錯覚に、あの時、実際に踏み入って発見した時に僕が感じた既視感を、この場面でも思い起こされてしまったのは、若かりし日に一歩を踏み出せなかったという、弱い自分を彼女の中にみているからなのかもしれない。
>B Ut 金山 君 大好 きよ 。
前回のシューキョー観告白に絡めて、キョーコさんは金山君を無意識ながら神格化して遠ざけることで、直に接することなく、当たらず触らずで、自分が傷つくことから逃れようとしているのではという声も寄せられた。この逆説的なひと言を聞くと、まさにそうなのではと思わされる。
>千春 3 ま い 目 の アル バ ム だっ てヨ! ホ シイ ね 。
つい最近まで、隣街のデパートのレコードショップまでわざわざ趣き、ガラスショーケースの向こうから、指をくわえるようにして、買えもしない所ジョージのLPを眺めていたというのに、短期間に価値観がガラリと変わってしまった様子。
>お金 がほしい 。 おちてないか し ら . . ..。
実家の牛ボイをしてもお金が支払わえることもなく。
昔、道北で大学生にバイト代を聞いたら、国の最低賃金より安い時給で働かせられていた。ホクホー(今は無い)というスーパーとデパートの中間みたいな商業施設内にあった、「ゴールデンチキン」とかいった名前のケンタッキーのパクリのような店でのことだ。キョーコさんの時代はもっと古いので、時給はさらに安く、ましてや中学生はマトモな店では働かせてくれない。この「お金 がほしい 。 おちてないか し ら . . ..。」という一文は、今の人が思う以上に切実だと言えるに違いない。
>松本 君 の 時 は 愛し て る , 好 き と か な の に ね 。 金山 君 は ただ 一言 ・ す なお さ い っ ぱ いの 一言 . 大好 き の 一言 で 決ま る の よ ね 。
松本君と金山君との愛の異質さについて力説する、彼女。金山君へは余計な説明はいらない。澄んだ空に紅一点、ただ「大好き」だけで決まってしまうのだと。
>ギタ ー の うま い 君 . 顔 が すこし くず けて る 君 . 虫 歯 の ある 君 。 や さ し そう で , す なお そ う な君 そ ん な 金山 君 が 大好 き なの ら よ 。
将来的に、掘り起こされて一般にに晒されることがわかっていたなら、顔から火が出るほど恥ずかしくてとても書けなかっただろう、熟す前の果実のような酸っぱい酸っぱい言葉が並ぶ。
恋に勉強に必死で頑張っていた人がいたということを、この時代に確認できるだけでも、意義があったのではと自分に言い聞かすことにする
授業参観が開かれるが、見に来た人は、たったの一人もいなかったと嘆くキョーコさん。キョーコさんの家族がということではなく、クラス全員の親が来なかったらしい。酪農家が多く、しかも極めて少人数のクラス編成なら、そういうこともあるのだなと、偶然残留物の間隙より救い上げられた日記帳より、また貴重な、でも教科書にも載らないような瑣末な情報ではあるけれど、知り得てよかった史実に、胸が熱くなる。
冗長でおのろけでしかないのかもしれないが、一途な金山愛が紡ぎ出す、長文独白が、一度は閉ざされた廃屋の一室より、切々と漏れ伝え聞こえ始める
つづく…
「少女が挑んだ牛歩戦術」 実録、廃屋に残された少女の日記.59
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コメント
コメント一覧 (16)
どうも、こんばんは。
本編ばかりか、コメント欄までくまなくお読みいただき、有り難いのひと言です。僕もコメント欄を読むことで吸収できることが多いので助かっています。ブログを書き始めた当初の数ヶ月ぐらいは全く反応が無かったので、自分だけがウケていて、たまに検索で引っかかって読んでくれる人は皆冷ややか感想を持っているのではと疑心暗鬼になったこともありました。やっと第一の山が動いたのは、ブログ村に登録した時だったのですが、やはり、コミュニケーションの場は必要なのだと思い知らされた次第です。
>ここじゃねぇか!!と一人で突っ込みました
そうでしたか。灯台もと暗しというか、根源の街にお住みなのですね。妙な名前に変えてあるので、惑わされたのと、より知っているだけに先入観が邪魔をしたのかと。あの道を曲がっていなかったら、このような場はなかったわけで、運命を感じるような気もします。僕も地元の商店街に鬼太郎のフィギュアが並ぶまでは、水木しげるが地元に住んでいることを知らなかったので、案外そういうものなのかもしれないですね。
シリーズは当分続きそうなので、これからもよろしくお願いします。
以前はコメント欄を見ずにこのシリーズを読んでいた為、まだキョーコさんの町は特定出来ていませんでした。
そこで数日前よりキョーコさんの日記シリーズ、コメント欄含む全てをここまで読み直しました。そして、気付いてしまいました。
自分は今までキョーコさんの町のとあるアパートの一室で寝転がりながら、“キョーコさんの町”をここかここかとGoogleマップを眺め探していたのだと。
気付いたとき感動と動揺で全身に鳥肌が立ちました。ここじゃねぇか!!と一人で突っ込みました。
全く違う場所を、きっとここなんだろうなと考えながら読んでいたもので。
kailas様、惹き付けられるような文章とコメント返しが素敵です。
北の地方の共同体にたまたま入り込んでいったのがあの団体だったのでしょうね。ダム誘致ができるのも納得です。
>実際にある施設の建設計画が1990年代初期にありました。その計画は今も別な形で生きています。
最近では海外関係の話を聞きますが、当時も話だけはあったのですか。土地は果てしなくあるだけに、計画があっては頓挫しての繰り返しだったのでしょうね。
ゴールデンウィークに訪問されたことは、メールでもお聞ききしましたが、また行って来たとは深入りしてますね。
>周りを見ただけですが、まだ健在でした
もってあと二年ぐらいですかね。都市部と違って更地になる可能性は無いだけに、完全消滅危機のようなものは感じないですが。僕が夏場に行く場合は、新調したブルゾン作業着を着込んで行きたいと思います。
次の日記だったかに「歩くのが一番、車なんか!」みたいな呟きがありました。本当は車で送り迎えして欲しいのだなという裏の気苦労があったように感じました。通りすがりの東北人さんの話を聞くと、まさにそのようですね。
日記の中ではまだ本格的な冬は迎えていないですが、文中の描写と現在の冬の期間を比べて感じてみるのも面白そうです。
現在の滞在記、興味深く読みました。わざわざどうもありがとうございました。
寂れた集落でこういう話を聞くと、例の宗教がらみで集落が二分され、最終的に離農廃村したH振興局S町のTを思い出します。
F県O町のNも某開発のダム計画で集落が二分、結局ダムは作られなかったのに廃村になりました。
行間辺も明るみに出ないだけで色々あったのかもしれません。
実際にある施設の建設計画が1990年代初期にありました。
その計画は今も別な形で生きています。
もし完成していたら、家と日記はもっと早くに土に埋もれていたでしょう。
ところで、先月初旬に再び北海道を訪れることができたので、GWに続いて再度キョーコさんの家を訪れました。
最寄りの駅から歩きました。
1度立ち入っているのと、春に訪れた際に気になった場所の確認がメインだったので家には立ち入らず周りを見ただけですが、まだ健在でした。
ただ、夏立ち入るのは危険が伴いそうです。
瓦礫の山と化した敷地、ただでさえ歩くのは危険なのに、この時期らしく草に覆われ見通しはより効かなくなっています。
廃墟探索は草も少なくクマや虫の心配がない春先に限ります。
着いた当初は夕方で曇り空ながら薄日の差す天気だったのですが、日が沈むにつれ霧が深くなっていき恐怖を感じるほどでした。
街灯も人家も周りには疎らです。
ただ、最寄り駅から家まで歩いてみることで、当時のキョーコさんの家路につく時の気分を味わえたような気がしました。
最寄りの駅に戻ってきたのは19時過ぎ、闇と霧に覆われ孤独と幻想的が同居していました。
1番の収穫は当時のキョーコさんが写っている写真を手に入れることができたことです。
私が日記で想像していた通りの少女でした。
私が満足する部分まで廃墟の成り立ちを把握できたので今後の調査に関しては手を引きます。
最後に再度あの地を冬に訪れるかもしれません、冬の行間辺の姿を見るために。
熱く読んでもらいどうもありがとうございます。
僕も初めて地球の歩き方を読んだ時は「こんな俺でも一人でバックパック一つで世界旅行できそうだな」と、胸の高まりを感じたのを憶えています。深夜特急は旅先の人から教えてもらったのですが、自分と似たルートだったので、没入感が凄まじくあっという間に読んでしまいましたね。
>人生についてまた改めて考え直すきっかけになりました
日記の中でつまらないことで考え込んだり、他愛もないことで喜んでいたりするのを読むと、僕も身につまされるというか、しっかりしないとなと、同じく考えさせられることが多いです。
人それぞれですが、Ester5100さんのように賛同してくれる方が多いので、泰然と構えて、ぼちぼちとやって行こうと思っています。
熱烈なメッセージ、ありがとうございました。
久々に出会った充実した濃い内容のブログ。
感動しました。
この「キョーコさんシリーズ」含め一通り他の記事も読ませて頂きました。
高校の終わり頃に出会って貪るように読んだ、「深夜特急」や「地球の歩き方」を初めて読んだ時の感動が蘇りゾワ〜っと鳥肌が立ちました。(自分もほんの数ヶ月でしたが20代半ばに海外バックパッカーしてました。)
キョーコさんの日記が始まる頃、自分は約1歳。人生色々、人も色々。このブログに出会ってから人生についてまた改めて考え直すきっかけになりました。
賛否両論あるかと思いますが、自分はこのブログは意義のある事だと思っています。
気苦労も多く更新大変だと思いますが、陰ながら応援させて下さい。
長々失礼致しました。
漁船ではないから拿捕される可能性は無いとはいえ、寝る間もないような重労働ですね。しかもやる事が多くて複雑そうで、ライダーハウスにまどろんでいるような人達にはとても出来そうにない仕事のような気がします。
東京だとアパート代が異常に高かったりするので、地方の高給バイトと一概には比較できないかも。今もそういう景気の良さそうなバイトはあるんですかね。僕がバイクで行っていた頃は、まるで死体洗いバイトの都市伝説のように、ミンクの皮剥ぎが一万円であると、よく聞いたものでしたが、実際にやった人に会ったことはなかったです。
わざわざいたわってもらいありがとうございます。蚊に刺されまくった本人が気づかなかったですが、蚊の影響も少なからずあったのかもしれないですね。
>笑うと見える部分に虫歯があるとしたら、、当時の私なら歯抜けと同じくらい幻滅しますが
キョーコさんがきっちりと歯医者に通っているのにたいして、金山君が豪快にも歯の状態を全く気にしていないのは、背後にみえそうな経済状態なんかもあったりして、興味深いところです。
>それすら不可能だと、ラジオから流れるのをラジカセで直接録音するしかなかった時代です
さすがに聴き込むのにテレビからは無いとして、ラジオからだとすると、FMラジオの話題はしないから、慎ましくAMラジオから録音ですかね。当時そういう人が多かったとはいえ、昭和の息遣いがページの間から漏れ聞こえてきそうで、しんみりとなりました。
>根津甚八
今まではオールナイトニッポンきっかけでしたが、この人の場合は何がきっかけになるのか。もしや中学卒業後まもなくお酒を飲み始めるとかありそうですよね。地方の子の方が監視が緩くて開放的な分、早熟だと言われていますし。
その名前だったと思います。妙に覚えられないような名前だったと。ランチがあって、500円ぐらいで、チキンメインのライスや野菜の付け合せがあって満足な内容でした。
>昔ソ連が不法占拠している島が見える町で1か月ほど昆布漁のバイトをし、内容は(朝3時頃起床し出港の準備、漁の助手で船に昆布を積む、戻って岩場に干す、干した昆布を後日乾燥機にかける、干して縮んだ昆布を巻きながら伸ばす、親方が等級をつけ等級ごとに箱に入れる、その他船の水抜き、刺し網の手伝い等)自分は高給だと思っていました。たまたま豊漁だったのかバイト代の他にボーナスまでもらいました。
しかし・・・就職したのち本州の人に話をしたところ、「なんで、そんな給料でそんな過酷なバイトしてた?」と言われ、本州の給料水準ではそうなんだろうな、と思ったことがあります。
ただ、本州のサービス業より時給換算ではかなり少ないですが、体力的には過酷でも精神的には気が楽なので漁のほうがいいなと思いました。
お元気になられて何よりです。
虫歯も全く気にしない程の金山君への愛。
口中を覗き込んだのではなく、笑うと見える部分に虫歯があるとしたら、、
当時の私なら歯抜けと同じくらい幻滅しますが、キョーコさんの恋心は
盲目ですね。
「お金がほしい・・・落ちてないかしら。」
当時LPは¥2000~¥2800位でしょうか?
なかなか買えないですよね。
LP買った友達にTDKやmaxellのカセットテープを渡して、録音を頼むのが定番じゃないでしょうか。
それすら不可能だと、ラジオから流れるのをラジカセで直接録音するしかなかった時代です。
千春や根津甚八ポスターを見る限り、アイドルには興味なしですね。
知恵熱は五袋ぐらい冷えピタを使用していたら、いつの間にか治りました。
名前からしてホクホーは道内のチェーン店みたいですね。文中のホクホーに久方ぶりに行った時は、そこに書いてある「ボスフール」に変わってました。チキンの店は跡形もなかったですが。最近はまさか最低賃金以下はないですよね。
>札幌には坂レトロスペースって珍スポットあります
面白そうですね。中国人観光客はそこに興味なさそうだし、札幌に行く際は、寄ってみようと思います。
虫歯さえも肯定する恋心は、金銭という条件が考慮されない、青春時代ならではと思います。
あまり考え過ぎないように。
ホントの病気になりますから。
私はここでタイムスリップして日々の疲れから解放されています。
ホクホー釧路町にもありました。キョーコさんも行ったろうな~。ホクホー→サティ→ポスフール→イオン。私はずっと前にマイカルサティでパートしてました。最低賃金でした(笑)でも超楽しかった。
札幌には坂レトロスペースって珍スポットあります。そこの館長はぶっ飛んでいて、賛否両論あるのですけど、館長ある意味カッコいいです。