1978年の10月7日の午後から、当時はまだなんとか賑わいがあったとはいえ、北の大地の端のおよそそういったたぐいのお店が似合わない街に、華々しくオープンをするという、キョーコさんも興味深く心待ちにしている、某有名全国規模のファーストフード・チェーン店。
それは、ある一定以上の年齢の道産子の人には非常に懐かしい、かつて、道内にて一大勢力を誇っていた、ケンタッキー・フライド・チキンの模倣店「ロッキーフライドチキン」のことではない。
マクドナルドやケンタッキーが北海道に本格上陸する前は、道内のそこそこの都市には結構、赤い看板がやけに印象的な、ロッキーフライドチキンのお店があり、僕も旅行中に食べたりしたものだった。
当時札幌駅の地下にあった本屋で、汽車の待ち時間に暇なので、地元の雑誌でも読もうと手に取ったのが「財界さっぽろ」。
そこにはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったロッキーフライドチキンの経営戦略や社長のインタビューが載っていたので読んでみたところ、インタビュー側がかなり辛辣にロッキーの社長に切り込んでいて、『大手のファーストフードチェーン店が本格的に未参入なのをいいことに、模倣店を堂々と道内展開するのはどうしたものか?』といった厳しい論調で問い詰めるスタンス。『味はほとんど同じでオリジナリティは全く無し』とも。実際、僕の感想としても、味やメニュー構成もほぼ丸パクリであったのは確か。この記事を読んだだけでも、単なる道内企業の提灯記事を書いている雑誌ではないと判明したので、それからもオンリー立ち読みではあるが、北海道旅行の時に暇を持て余した際に読むには欠かせない雑誌となった。
「真似ているんですから、味が似ているのは当然なのです」
開き直った態度をとるロッキーの社長に呆れ、ロッキーフライドチキンの行く末がそう明るくないことを記事内で予見していた記者だったが、それはズバリと的中。前に北海道に行った時など、道内にかつてあれほど旺盛を誇っていたロッキーフライドチキンの姿は跡形もなく、唯一、北見枝幸の町のツタヤぐらいしか店のない寂れたメインストリートの中に、僕がそれを見た時、幻影じゃないかと思ったぐらい、薄っすらと存在感の無いやつれて老朽化した、ロッキーフライドチキンの生き残り店舗を目撃することになったのだった。
懐かしさが込み上げて涙が出るぐらいの熱い感情の高ぶりをおくびにも出さず、ロッキーフライドチキンの店舗に入店。くたびれた店内インテリア、テーブルもガタガタ。一番泣けるのが、昔の賑わっていた頃からやっているだろう老夫婦が、チキンを揚げたりと、細々と店を切り盛りをする切ない光景。お二人とも、ファーストフードの店員としては、あまりにも弱々しく所帯じみていて、漂う物悲しさと薄幸感。いくら日本が超高齢化社会とはいえ、とてもその二人はファーストフード店を営む姿ではなかったのである。
『頼む、ここだけは、あの健気に働く老夫婦のためにも、いつまでも続いてくれ・・・・・・』そう願いつつ食べたフライドチキンは、昔と変わらない、ケンタッキーそのままの味。決して不味くはないというのが、当時から不思議と変わらずこのチェーン店に持ち続けていた印象でもあった。
キョーコさんは日記内にて、まもなく我が隣街にオープンする、ファーストフード店の話題に何気なく触れているようだが、どのくらい後だかはまだ不明なものの、ある密接か関係を確実に持つことになる。
ちなみに、僕が廃屋の中で日記を発見をした際に、ふと目にしたと頁の一節。”こんなの、偶然では説明がつかない”だろうと、腰を抜かさんばかりに後方にのけぞりながら、これはもしや僕が拾得することが運命だったのではとさえ感じ、大げさではなく、一瞬、自分についてこの少女は書いているのではと思ったぐらいであり、そんなことから咄嗟に持ち去ってしまったという、驚異的な共時性のことと今回のファーストフード店の関連性はあまりないが、全くなくもない話でもある。
ファーストフード店とキョーコさんと僕の関連性において、大まかな遠因性で語ってみるならば、ロッキーフライドチキンとの出逢いと別れに、近いと言ったら近いのかもしれない。
ここまでそのシンクロニシティとやらをぶち上げておいて、相当なものなんだろうなという期待値は上がるばかりのような気もするが、本当にドラマを越えた偶然以上の必然性があったのだと、恥も外聞もなく説明できる事柄であるので、まだもう少し、その先の事実のお訪れに、今しばらくお待ちいただけると有り難い限り
キョーコさんはその前段階とも言える、大人への過程を辿る修練の場としてのその有名ファーストフード店のオープンを、知ることになる。当然、現段階では自分と店との将来的な関わりなどわかるはずもなく、他人事のように話題にしているだけであったのだったが・・・・・・
1 978年 1 0 月 5日 11: 15
昨日 日 記 を 書 か んか っ た. 昨 日 水曜だ っ た け ど
集体 は な し ・ 今日だって な ん に も お も しろ い こと な んて
なか った。 明日だ っ て き っ と ろくな ことが ない だ ろう .
明 3~~~ 6 ま で 秋 の遠 そ く . なぜ か 気 が の ら ない .
家の方が 好 き だ 。 まだ おなか の ぐ あい が *悪 いの
かなあ . それ にして は沢山 た べ る のよ ね
明日は べ ん と う だ 。 ホ ン ト に 気が の ら な いの 。
松本 君 で も い い 、 **K・Y・M で も い い 中 村君 でも
い い 会 いたい . 会 いたい . 松 本 君 今 ご ろ は 彼女
作っ て る だ ろ う なあ . も う 二年 だ も んね え .
一 度 で い い か ら また会 いたい 、 メ ガネ の 君 .に .
銀 ブ チ の メガ ネ の あなた に , ガ リ ガ リ のあ なた に ね .
今日 は 沢 山 テレビ を 見 て し ま った ・
世良 さ んカ ッ コ イ イ . B U t * 今の 私 には
ど れも と く べ つ 良く 思 え な い . どれ も 、
もう だ れ で も い い の よ . 私 いった い な にを すれば
いいの ? お しえてよ . お や すみ さ ん。
日記を一日すっぽかしたと言い訳をしながらも、ようやく筆圧も安定してきて、字が正常になりつつあり、病状が回復してきたと思われる、キョーコさん。
>明日だ っ て き っ と ろくな ことが ない だ ろう .
自分で妙な縛りを作ってしまったばかりに、金山君のことを話題に出せない日々=ろくなことがない日、ということなのだろう。
>明 3~~~ 6 ま で 秋 の遠 そ く . なぜ か 気 が の ら ない .
明日、せっかくの楽しそうな学校行事の遠足があるというのに、実はキョーコさんは遠足当日の日記を書き忘れることになる。あの奇跡の一夜、もはや語り草にもなっている修学旅行の喜び、宙を舞うようだったときめきの瞬間、あの頃のみずみずしく溌剌として眩しかった彼女はどこへ行ったのやら。近頃は塞ぎ込んだ姿ばかりが目立つように。学校不信になっているのかとも思ったが、やはり、金山縛りがあるために、遠足の日記の内容が不自然にならざるをえなく、腫れ物に触るように日記を書くぐらいだったら、自分の気持ちに嘘をつくことなく、いっそその日は無かったものとして扱ってしまおうとの、苦渋の判断がそこにはあったらしい。
>松本 君 で も い い 、 **K・Y・M で も い い 中 村君 でも い い 会 いたい
結論が出ていたはずの”K・Y・M条”。様々な意見が出され、それならそうであるとばかりに、金山君を筆頭にして、例の三人の男達を指す条約のようなものと、誰しも納得していたはず。でも、ここであっさりと、松本・中村、の二人の名前がスラスラとキョーコさんにより語られることになってしまい、どうやら、K・Y・M条とは、金山君ひとりのことを指し示す言葉だったことが明白に証明されてしまう。しかも、既にその言葉の抑止力は無いに等しく、ほぼ出しているも同然。今までのエピソード同様に、早くも形骸化してしまっている様子。
>も う 二年 だ も んね え . 一 度 で い い か ら また会 いたい 、 メ ガネ の 君 .に .
思春期の少女の日記において、好きな人に触れないということは不可能ということなのか。代替手段として無理矢理松本君のことを振り返って感傷的になっているが、そもそも勉強に打ち込むために余計な時間を費やさないようにと決めただろうK・Y・M条であるのに、堰き止めているダムのヒビより段々と決壊へ向かうように、もう喋りだすのは時間の問題とも思える気配が。
> 世良 さ んカ ッ コ イ イ .
これはもちろん、世良公則のことでしょう。ロックグループ「ツイスト」の「あんたのバラード」発売が前年1977年11月25日。最大のヒット曲「銃爪(ひきがね)」が1978年8月10なので、今まさに絶頂期であり、目移りの激しいキョーコさんがひと言話題に出してしまうのも無理のない話。
>私 いった い な にを すれば いいの ? お しえてよ .
自らが決めた条約により、手足を縛られることになった、彼女。日記をすっ飛ばすことが多くなったのは、その理由からくる情緒不安定さによるものだったのか。
すると、数日の冷却期間を置いてから、キョーコさんの内なる支柱はもろくも音を立てて崩れ始めていき、ポツポツと苦しい言い訳をしながらもはや止められなくなり、言葉の端々に金山という言葉が露骨に出て来てしまうことになってしまうのだった。
1978 年 10月 7 日 PM 11: 00
また . *昨日 .書き忘 れた み た い. さ い き ん おか しい の
そうだ。昨日 ウワサのチャ ン ネ ル を や っ と 見 る こ とが 出来
たのです ぞ . 先週 は 頭*痛 で 見 れ んか っ た し . その
前の 週は テレビ を 消され たので 頭 に来た ので 見な
か っ たのよ . 所 ジョージ い い わァ 、 妹も出たのよ .
なんとな く 口 が 大 き くて 歯 のな ら びが 小 人 み たいな
所 が そ っ く り とい う よ う に 似 ていた . うち の なんて
一つも 似 てる 所 な んて ないもんね
今日 、市 に 行 って ホント は歯医者 に 行 くのだっ
た け ど 道 銀し ま ってい た ので ダ メだ っ た 。
ト-スター かう つ もり だ ったけど オー ブ ン トースター に
した . ウシシ ー お も か っ た よ 。 大き しさ ,
今日 は あま り 買 い 物 せんか っ た。今度 行った*時は
チ ー ズ . スープ . ハム ・ フ ラ ンス パ ン ・ ドー ナツ を
買 っ て く る ぞ ! 全部 たべ 物! ミスタ ード ーナ ッツの
場所が わ か っ た。 明日の * 午後 か ら スタ ー ト する んだ
っ て 私 もっ とまえ か ら あ る の か と思ったの だ・・・・
K・Y・M条を必死に守りながらも、一方では、平気な顔をしてウワサのチャンネルを観てしまう、矛盾だらけの、キョーコさん。
>その 前の 週は テレビ を 消され たので 頭 に来た ので 見な か っ たのよ .
居間のテレビで、和田アキ子がせんだみつおを虐待する場面を大口を開けて笑って観ていたキョーコさんに呆れ果て、さすがの親もテレビを消したらしい。子供に全くの無関心ということでもないらしい様子。
>所 ジョージ い い わァ 、 妹も出たのよ . なんとな く 口 が 大 き くて 歯 のな ら びが 小 人 み たいな 所 が そ っ く り とい う よ う に 似 ていた .
本命はすっかり松山千春になったものの、次点の所ジョージを久しぶりに褒め称えてみせた、彼女。今では私生活を切り売りすることなく、自身の趣味を売り物にしている所ジョージが、当時は妹までテレビに引っ張り出していたという、現在は誰も話題にしないだろう事実の掘り起こしの成果をここに見る。
>うち の なんて 一つも 似 てる 所 な んて ないもんね!
史之舞とではなく、兄貴達とキョーコさんが一つも似てないということなのだろう。
>道 銀し ま ってい た ので ダ メだ っ た 。
キョーコさん一家のメインバンクは潰れてしまった拓銀ではなく、道銀だった模様。
>ト-スター かう つ もり だ ったけど オー ブ ン トースター に した . ウシシ ー お も か っ た よ 。 大き しさ ,
この頃からだったのだろうか。専用品のトースターが時代遅れになり、一般家庭がこぞって用途の広いオーブントースターを使い出したのは。意外にも先見性を持っていた、キョーコさんだが、新品のオーブントースターは当然ダンボール箱に入っているわけであり、あの長崎屋あたりから、女子中学生がひとりで担いで、大草原のただ中の一軒家までたどり着いたことを考えると、とてつもない重労働だったに違いない。
次に、とうとう、キョーコさんの口から、運命のお店の名前が直々に、語られることになる。先々で、そうなることとは、まさか今の時点で、本人も思いもしなかったことだろう。
>ミスタ ード ーナ ッツの 場所が わ か っ た。 明日の * 午後 か ら スタ ー ト する んだ
いつ頃になるかとか、どの立場でとか、そこまでは把握していないが、キョーコさんは、遠くないだろう未来において、制服も凛々しく威風堂々と晴れやかに、青春時代を謳歌するかのように、ミスタードーナツでアルバイトをすることになる。現在の引きこもりのような状態から、誰がその姿を想像できただろうか。
ここで、ちょっとした疑問が。僕が初めて藤渕へ行ったのは日記が書かれてから後のことであるが、当時でさえ殺風景な街中が印象的で、コンビニはおろか、ファーストフード店など見かけやしなかったので、食べる所に困り、駅構内をふらついてみたところ、なんと、駅構内にミスタードーナツの店舗があるのを見て、衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。「こんな僻地にある駅に、ミ、ミ、ミスタードーナツってか!!」と。ちなみに、汽車の待ち時間に耐えられなくなり数度利用。それから後に行った北見駅駅前など、まだ舗装していなくてドロのぬかるみでぐっちゃぐちゃで、バス乗り場には明治時代に描かれたのか?と思うぐらい煤けたペンキのどでかい観光マップのイラスト入り市内路線図がデンと構えていたほど。
以前、サラリと日記をのぞいて、キョーコさんがミスタードーナツでバイトをしているくだりを読み、僕はてっきり、駅構内にある店舗のことだと思っていたが、今回の口ぶりからすると、どうやら駅構内の店舗ではないみたいだ。他にふさわしい場所が想像できないが、当時はまだ似つかわしい場所があったのだろうか。そして、キョーコさんの働いていたミスタードーナツは駅構内?それとも・・・・・・ 場合によったら、あの時接客をしてくれたお姉さんが、キョーコさんだったりする可能性もあるのだと思うと
なお、これとは別の僕とキョーコさんの共時性については、このような妄想の域(接客どうのこうの)ではなく、ありえない偶然の確固とした事実に基いています
こん度 来た時 は 買 い に 来るぞ! ケーキ も食 べ たい 。
最 近 ふ とっ た わり には あまい 物食 べ た り して んの .
今日だってす ご いも ん よ . 今 , お なか の ぐ あ い が
悪 い みたい な の よ。 並木か
この前 給食 のおさ ら に 金 山 って書い て あった の .
べつ によね え . さ っき K・Y・M㊙を や ぶ っ て しまう
所だ ったり し て . . . . . . . 。 も っ と 市 に いて
時間 が あれば 行き た い 所 たくさんあ る の に .
リョー ユー に も 行 ってみた い し ・ なにか 食 べ た
行って みたい し . 本 など も さが した い し さ .
いろ いろ 見たり . 食べ たり し た い わけよ!
うちの学校はおもしろ くな い しさ .
家 に いたって くだ ら な い もん . ギタ ー
ほしいなあ ! ステレオ か ラ ジ カ セ ほし い ,
私 っ て よく ば り だ か ら な あ .
ど っか に お 金ないか なあ . 1 00 万 あれば
私 なんで も 買 える . ステレオだ っ て ふくだって
食べ もんだ って さ 、 好 き な 物 が 買える .
1 00 万 お く れ お や す み .
将来的には、ドーナツを腹いっぱい食べられるようになることなど知るはずもなく、ケーキを今度は食べたいと、無邪気な希望を語る、キョーコさん。
>今 , お なか の ぐ あ い が 悪 い みたい な の よ。 並木か!
シャレなのか、謎かけなのか、自分だけが知るギャグなのか。地名の部分を原文のママに置き換えたとしても、全く意味不明の文章。精神状態の不安定さは続いており、ハチャメチャに大きく叫んで発散してみたかったのかもしれない。
>この前 給食 のおさ ら に 金 山 って書い て あった の . べつ によね え .
お皿に書いてあったのは事実だから、それはセーフでしょうよとばかりに、なし崩しになりつつある、K・Y・M。これは、高級食器メーカー「ノリタケ」のように、ブランド名が刻印してあったのか。それとも、小規模中学校なので、食器にそれぞれ名前を書いておいて毎回同じのを使用していたが、たまたま間違えて配られたのか。はたまた、金山君がいたずら心で皿に落書きをして、それがキョーコさんに回ってきたのか。いずれにしろ、今上げたどれかだとは思う。
>も っ と 市 に いて 時間 が あれば 行き た い 所 たくさんあ る の に .
その昔は、女子中学生も胸をときめかせる憧れの街であったが、今では、名寄本線以来の、JRの本線路線の廃止も検討されているという、休日の採掘現場のような静けさの漂う駅前と、駅前通り。あの日、あの頃、キョーコさんは確かに、今では衰退著しいあの街で夢と希望をこれでもかと膨らませていた。あれも買いたい、あそこへも寄りたいと。
>リョー ユー に も 行 ってみた い し ・
個人的にはパンメーカーしか浮かばないが、そういう名の雑貨店でもあったのかも。
>なにか 食 べ た 行って みたい し . 本 など も さが した い し さ . いろ いろ 見たり . 食べ たり し た い わけよ!
今では北風が目にしみるだけのゴーストタウンの街にも、かつては、少女の夢の全てを叶えてくれる綺羅星の如くのお店が並んでいたということ。
>私 っ て よく ば り だ か ら な あ . ど っか に お 金ないか なあ . 1 00 万 あれば 私 なんで も 買 える .
この強い反動が、その後、キョーコさんにミスタードーナツの敷居を跨がせ、アルバイトの道へと向かわせたのか。
>ステレオだ っ て ふくだって 食べ もんだ って さ 、 好 き な 物 が 買える . 1 00 万 お く れ
親に言えるはずもない。史之舞は精々最大限頑張ってくれて一万円がいいところ。それでも、十代の姉にしたら、出血サービスのようなところがあるけれど。友達に願望をぶつけても虚しいだけ。子供の頃のその切実なまでの物欲に金欲、本当にわかる。僕も子供の頃の自分にドンと小遣いをやってみたくなる時がある。知らないおじさんがやって来て、十万円でも貰い、好きな物を買うことが出来たらどんなに嬉しかったことかと。
キョーコさんの尽きぬ消費願望は、やがて、社会人に混ざって働くことを選択するようになる。いや、それは単なる決めつけで、フリーターとしてなのかもしれない。あるいは、ミスタードーナツの社員だったりする可能性も非常に少ないが、あることはあるのかも。
史之舞と待ち合わせをして、トコちゃんの家に行ったり、そこでカレーを食べ、お泊まり会をしたなどと、とりとめのない日常をひとしきり軽快なペンさばきで書き綴った後、キョーコさんはまるで、入水自殺者が覚悟を決めて海に入って行く前にしたためた遺書の内容のような悲壮感漂う告白文を、意を決したかのように書き連ねることになる。
青春を返せ。もう、終りです。並木には、あの道内では名高い「僻地音楽祭」さえ来やしない僻地の中の僻地だ・・・・・・と。
ポエティック度はより一層高まり、情感のこもった文章は、確実に少女が大人へと変わっていく分岐点・・・振り返ってみれば、その時だったなと、思わせるに相応しい、揺らぐ少女の内面が素直にそこには記されていたのであった
つづく…
「姉の窮状と姉のセレモニー」実録、廃屋に残された少女の日記.67
こんな記事も読まれています
コメント
コメント一覧 (23)
あきらさん。
どうも、こんばんは。
まだ活気があって、若い人、人口も多かった時代、藤淵のミスタードーナツが売上世界一ですか。物珍しさで街中の人が押しかけたのでしょう。日記を読むと、駅前の賑やかさの描写があるので混雑はしたと思いますが、桁違いの売上だったんですね。その時代、東京でもミスタードーナツは珍しかったと思うので、尚更のことかもしれないです。
Wikiによればミスタードーナツの藤淵市内の某店舗が1978年に「店舗あたり売上世界一」を記録したとの記述があります。今やゴーストタウンの様になった藤淵ですが、そんな輝かしい記録が出る程、まだ活気があったのでしょう。多分キョーコさんも開店したてのミスタードーナツで混雑に紛れながら、フレンチクルーラーやオールドファッションなんかを買い求めたのでしょう。今、もうその店舗は存在しない様です。
どうも、スマホゲーを中断してまで読んでいただき、コメントまで、感謝の言葉もありません、ありがとうございます。
>K・Y・Mとは金山・山角・宮脇の3名ではないでしょうか?
順当にいくとそのようになるのかもしれません。松本という人もいますが、文中での言及具合からして、違うような気もします。
>kailasさんの独特の解釈を添えた註釈や、コメント欄の皆さんの鋭い観察眼や行動力もこのシリーズの魅力だと思います。
僕も、現地まで行ってくれる方や、過去に遡ってまで調べ物をしてくれる方など、お世話になりっぱなしです。自分だけでは、どうしてもわからなかったような行間の読みなども、思い知らされることが多いです。コメント欄の言葉と本文で完成形になってますね。以前、コメント欄にポルトガル語のスパムの急襲があり、危機感を持ったのですが、設定を施したら、ピタリと遮断できて、一安心なんてこともありました。
>kailasさん、どうか無理せず、少しずつでもいいので完走を目指してくださいね!
時として、直近のコンサートのチケット入手の日などは、同日四ページもあったりして、途中で切るに切れずに、気が遠くなりながらも書き起こしをしたりしていますが、自分で蒔いた種でもあるので、せめて、完走はしたいと、思ってます。何のために理由をつけて、連載をしだしたのかということもありますし。
熱い応援、ありがとうございます!
読み進めています。
お陰さまで、気に入って毎日やっていたスマホゲームがおろそかにさえなっています…(笑)
kailasさんの独特の解釈を添えた註釈や、コメント欄の皆さんの鋭い観察眼や行動力もこのシリーズの魅力だと思います。
ただ、ネタバレっぽいのはそれとなく…でお願いしたいと個人的には思います(笑)
まだまだ日記の先は長そうですが、とりあえず追い付いて、更新を心待ちにする立場になろうと思います。
kailasさん、どうか無理せず、少しずつでもいいので完走を目指してくださいね!
K・Y・Mとは金山・山角・宮脇の3名ではないでしょうか? ここまでにも散々名前が挙がっていますし、間違いないと思うのですが。
先週、偶然このサイトにたどり着き、廃屋の少女シリーズと巡り会いました。
それからは夢中になってしまい、仕事の合間や生活の合間を見つけては、少しずつよみすす
母親の話は結構出てくるようになりましたが、父親は全くですね。家にいない理由として、遠洋漁業はちょっとないとして、タンクローリーや長距離トラックの運ちゃんということですか。
>カレンダー、パーソナル無線、他です
パーソナル無線は兄貴のかなと思ったんですが、複合的に考えると、父親の可能性もありますね。
>70年代はタンクローリで運んでいました
なるほど。タンクの中身は牛乳でないかと。整合性は無理なくあります。
>浜頓別では聖徳太子の万札が88年に、普通に流通していて驚きました
そんなだと、偽札抑止にならないですね。ロシア人とか平気で使ってそうですが。
>建物はあるが、人が歩いていないのは不気味な感じがします
駅前が殺風景な最果て旅情あふれる光景がたまらなく好きなんです。自分の足音しか聞こえないような。昔の賑わいなどをここで聞けるので、その比較でしみじみしんみりできるのもまたいいですね。大阪から格安航空が飛ぶとニュースで見ました。駅の方は来ないだろうから、ますます駅前ゴーストタウン化が加速しそうで、鉄道路線存続も危うくなる一方ですね。
50年代までは場所にもよりますが乳を搾り自転車で集荷場に運んでいたようですが、それが嫌で親は酪農を継がず弟さんが継がされたようですが今は廃業しています。70年代はタンクローリで運んでいました。
kailas様が64での記載の通り稚内駅付近は様変わりしましたが、枝幸は変わらないでしょう。
浜頓別では聖徳太子の万札が88年に、普通に流通していて驚きました。
今では北風が目にしみるだけのゴーストタウンの街
>日記もそうですがkailas様の文章力がすごく詩的です。しかし当時はスパイクタイヤの粉じんも目にきました。
建物はあるが、人が歩いていないのは不気味な感じがします。以前北朝鮮に例えられましたがわかる気がします。
あのロッキーフライドチキンは、僕にとって、ラッキーピエロと並ぶ北海道旅行における、北のファーストフードの原風景でもあります。隅々全域といったわけでもないでしょうし、地域によっては思い入れが無い人もいると思います。
>駅前が寂れてしまったのなら、あの炉端焼き屋も、多分もう無いんでしょうかね。
酷い寂れようで、しかも再開発をされてしまったら、公園とかになってしまいそうです。市場の向かいにある、二軒のくたびれた定食屋も昔からその存在を熱い眼差しで見守ってきましたが、いまいち勇気がなく、利用には至っていませんでした。ネットが普及してきて、調べてみると、評判はそんなに悪くない様子。いつ取り壊されてもおかしくないようなので、今度こそは訪ねてみようと思います。
思わずググって見ましたが、赤い看板が見覚えあるような無いような??
かれこれ20年以上前、出張の打ち上げで藤淵(だっけ?)の炉端焼き屋さんで食べたプリップリ新鮮なホヤと、半身なんだか開きなんだかを焼いたマス。
めちゃくちゃ旨くて驚愕した記憶が未だに強く残ってます。
駅前が寂れてしまったのなら、あの炉端焼き屋も、多分もう無いんでしょうかね。
叶うならもう一度食べに行きたいです。
運送系ですか。妙に古い廃車がたくさんあったのは、何か関係があるんですかね。どっかから来た人が、勝手に不法投棄をしていった可能性もありますが。
>ヨーカドーは81年にできたため、高3でバイトならヨーカドーもありえます
駅のミスドで何年もバイトをしていた可能性があったなら、まかり間違って、接客を受けていた可能性も有り得るんですけど、僕は他のミスドには行っていないので、それはなさそうですね。
>菱光裏の通りの新星・新世界というパチンコ屋はよく行ったのですが。毎日行っていたので店員にならないかと誘われましたが断りました。
昔は駅近くに店内の音も漏れて騒がしく、パチンコ屋があったんですね。今のあの駅周辺の荒廃ぶりからすると信じられません。ただ、郊外型と違い、昔といえど駅近くのパチ屋は規模が小さそうなので、おまけに当時でも将来性は絶望的だったでしょうから、誘いを断ったのは正解でしょう。その選択で人生が変わっていたのかもしれないと考えると、恐ろしいですね。
ひとしさんの鋭い指摘で家業は酪農ではないと確信しました。農家は農協です。基本は、何でも農協・何でもホクレン、支持政党は自民党。道銀はまず考えられません。
ヨーカドーは81年にできたため、高3でバイトならヨーカドーもありえます。進学し「ろ商」からは川向いです。高1からバイトもしくは「★」なら多分北大通り裏の場所だと思われます。
菱光・・・ボーリングあったんですね。スガイはよく行ったのですが、菱光のは全く覚えていません。菱光裏の通りの新星・新世界というパチンコ屋はよく行ったのですが。毎日行っていたので店員にならないかと誘われましたが断りました。今更地ですよね。断ってよかったです。
今更ながら菱光が現役で頑張ってるのは知らなかった!
>本当ですか!!!何年か前に行ったら駅裏が更地になっていたため潰れていると思っていました。
今度行ってみます。
自分のことを思い返してみると、自営をしていた親のメインバンクは信用金庫。僕は駅前にATMがあって便利だからと、都市銀でした。ひとしさんの言われるように、中学にもなると、親と銀行を一緒にするという選択はあまりないように思われます。キョーコさんも、駅前のミスドや長崎屋で買い物をすることを考慮すると、メインバンクとかいう意識などなく、必然的に道銀になっていたのかも。
>数年前のネット書き込みにカレーが150円で食べれたとか?有り得ない破格ですよね(笑)
イートインスペースがあるんですね。外食は東京の方が安かったりしますが、都心でもまず無いその値段は、一生我が店とお付き合いをしてくれという、中高生をターゲットにした、戦略価格だったのではないでしょうか。相当やり手のオーナーさんのようなので。
>確か並びに日活のポルノ劇場が在って高校の頃亡き親父のスーツ着て深夜の暗がりに紛れる様に映画を観に行ったのが懐かしいです
普通はせいぜい、日が落ちてきたのを見計らって、自販機でエロ本ぐらいまでですが、親のスーツで日活のポルノとは、気合入りまくりですね。また、日活直営のロマンポルノの映画館があったのも、炭鉱時代の余韻がまだあった頃ならではかと。日活の撮影所は僕の地元にあるので、あの河川敷近くのスタジオで撮られた映像が北の隅々までに行き渡って、それなりの需要を満たしていたのかと思うと、地元民としては誇らしい限りです。
>古いせいか中は汚く、足下を鼠が走り回って足にぶつかるなど気持ち悪くなって途中で逃げる様に出てきましたが!
今のシネマコンプレックスと違い、昔の映画館には汚いイメージがありますね。特に日活ポルノの劇場はそうなのでしょうが。新宿コマの映画館でさえ、男子トイレに行くと、臭いは酷いし、大人のオモチャの自販機まであって、いまだにそれを見た時の衝撃は忘れることができません。
キョーコさん宅の家業が6話で判明した訳ですが、キョーコさんのメインバンクが道銀だとは少し以外に思います。
酪農や農業って大体は農協の組合員になっててJAバンクを利用してる様に思われますが。
もしかしたらキョーコさん独自で道銀に口座を開設して、お年玉や家業の手伝い等で得た僅かな収入を中学生ながらコツコツ貯めていたんでしょうかね?
でも街に出て歯医者へ行くなら、出掛けに親から貰って行きそうな気がしますがね?
今更ながら菱光が現役で頑張ってるのは知らなかった!
少し調べたら、数年前のネット書き込みにカレーが150円で食べれたとか?有り得ない破格ですよね(笑)
確か並びに日活のポルノ劇場が在って高校の頃亡き親父のスーツ着て深夜の暗がりに紛れる様に映画を観に行ったのが懐かしいです(笑)
古いせいか中は汚く、足下を鼠が走り回って足にぶつかるなど気持ち悪くなって途中で逃げる様に出てきましたが!
前の北見駅訪問時には、今はなき東急デパートのレストラン街の中華レストランで、ランチを食べました。500円と格安でしたが、値段相応どころか、心まで貧しくなるようなしょぼい内容にがっかり。夜の病院みたいな静けさが建物全体を覆っていたので、撤退の話を聞いた時は、やはりな、と。
>駅隣東急デパート改装現在北見市役所になってます
それは珍しい再活用パターンですね。デパートの痕跡を探すのも、ネタとして面白そうです。
>そう言えば近々藤淵にもスタバがオープンする様です(笑)
21世紀になり、とうとう、スタバがオープンしてしまいますか。転売需要のための、恒例のオリジナルタンブラー争奪大行列が、できるんでしょうね。降りしきる雪の中、道内のトップニュースになったして。
北見駅前も変わりましたよ。金市館(ラルズ)は解体、現在ホテル
道路挟んで向かいのデパートHOW解体現在北見信金
駅隣東急デパート改装現在北見市役所になってます。
そう言えば近々藤淵にもスタバがオープンする様です(笑)
あの今居酒屋のある店舗は、かつてはミスドでしたか。あそこの店舗もよく変わりますよね。居酒屋の前は定食屋だったような。しかもその定食屋オープン当初に行って、結構賑わっていたような記憶が、微かながらあります。
>あの大きくもない駅になぜ2店舗も営業してたんでしょうか・・・
地元の辣腕経営者、コーチャンフォー氏が、1978年頃、ミスタードーナツを東京あたりで見て、ビビッと来たのかもしれないですね。『これは凄いことになるぞ』と。北の藤田田的なポジションを意識していたとか。
そういえば前回の「キョーコさんの好きな芸能人と関係の強いそのファーストフード店」という予告で匂わせていたのは、ミスタードーナツのCMのことだったのに、今回、全く触れなかったというミスを犯したことに今、気づきました。所ジョージのCMは記憶に残っていますが、”♪ハーロー ミスタードーナッツ”というのはイマイチ忘れてしまっているかも。
>そこに出来たミスドは「アメリカのドーナッツが来るんだって!!」と、当時大変話題に
『時代がやって来たぞ!』って感じで、人の街の昔の話題なのに、なぜかにやけてしまいます。
>駅前のケンタ、デイリークイーンとともに懐かしい風景です
デイリークイーンもあったんですか。名前だけは知ってましたが、アメリカのソフトクリーム屋さんだったとか。駅前も市民の人達も、その頃は本当に若さがみなぎってましたね。讃岐うどんブーム後に行ったら、早くも駅前の讃岐うどんの店が廃墟になっていたという、悲しすぎる光景を見ましたが、時代とともに繁華街が移ってしまったこともあり、しょうがないのでしょうか。
>菱光はもともとボウリング場とスーパーでした。
ボーリング場もですか。あの駅裏に存在していたのが想像できません。刑務所の地下道みたいなのを伝って行ける駅裏で印象に残っているのは、同じく、廃墟化したピンク色のおもちゃの問屋(子供人形?)のビルです。古い在庫があれば買おうかとマークをしておいたのですが、とっくの昔に廃業してました。
>80年代になると、スーパーと、ゲームセンターや軽食コーナー、文具店、薬局の形で営業
それが後のコーチャンフォーの礎になったと。
>学校帰りの中高生の寄り道ルート
そんなに揃っていると入り浸りになるでしょうね。今度行った時には、その場に立って、かつて中高生達が引きも切らずに賑わった活気と興奮の夢の跡の空気を吸って、感傷的な気分に浸りきりたいと思います。
駅舎の東側に隣接した店舗もありましたね。
今は居酒屋が入っているようですが。
あの大きくもない駅になぜ2店舗も営業してたんでしょうか・・・
今考えるととても不思議です。
の歌がまだ無くて、
♪ハーロー ミスタードーナッツ
・・・というCMソングの頃でした。
今は閑散として空き店舗だらけの大通りですが、70年代は本当に賑やかでした。
そこに出来たミスドは「アメリカのドーナッツが来るんだって!!」と、当時大変話題になりました。
駅前のケンタ、デイリークイーンとともに懐かしい風景です。
菱光はもともとボウリング場とスーパーでした。
この日記の当時は、まだボウリング場も営業しているか辞めたかのギリギリの頃ですね。
80年代になると、スーパーと、ゲームセンターや軽食コーナー、文具店、薬局の形で営業しており、学校帰りの中高生の寄り道ルートのひとつでした。
ミスドって、日記の時代だとそう東京にも無かったような気がするのですが、当時は北海道にいち早く積極的展開していたのですかね。ケンタよりも先にと。2000年過ぎぐらいに紋別に行った時、街中にケンタッキーがあって時代の移り変わりを肌で感じました。鉄道があった頃は駅前にそば屋ぐらいしかなくて酷い寂れようだったのに、ファーストフード?しかもケンタッキーが!?商売になるのかなと。
>コーチャンフォー佐藤さんです。DUSKIN、ミスド、TSUTAYAと手広くやってます
少し前に、札幌店がネットで話題になってましたね。とてつもない床面積を誇る郊外型本屋だと。オーナーは地元の方でしたか。
>駅裏のショッパーズ菱光で間違いないと思います。
今となってはなかなか昭和的なスーパーのようなので、次回は行ってみたいと思います。
>菱光の近くにファンシー曽我もあったと思います。
当時の若者王道ショッピングコースですか。中央の情報はあまり無く、でも地元で目一杯青春を楽しんでいたさまがうかがえますね。
>キョーコさんが隣街で働くとは毎日汽車で?車でしょうか?
進学したとして通学と関係していたり、車だとすると、免許の年齢などがありますね。今の家でウダウダしている様子から、大きな声で接客をしている姿がとても想像できないのですが、人は変わっていくのでしょうね。
最近僕は車ばかりなので駅の細かい把握はしてなかったですが、汽車旅の時はかなり駅のミスドを利用してました。一昔前はコンビニも無かったですし。
>1号店は大通りの丸⚪鶴⚪の向かい角に在った店舗がそうだと思います。
すると、今回の日記では、そこのことを言っていると。
>北見駅前は今は無くなり、国道を網走方面に行った所に移転してますね
駅前のデパートが撤退したところまでは知ってましたが、今はそんなことになっているんですね。初訪問時の北見駅駅前では、レトロなペンキ大看板のせいもあり、フロンティア度がかなり高かったです。
>リョウユーですが、おそらく駅裏のショッパーズ蔆光?菱光(りょうこう)かと思われます?
なるほど。リョーコーですね。今となっては渋い感じのスーパーのようですが、当時はキョーコさんのような女子中学生も羨望の目で見ていた(オーバーか?)、先駆的なショップだったのかもしれないですね。
1号店は大通りの丸⚪鶴⚪の向かい角に在った店舗がそうだと思います。
北見駅前は今は無くなり、国道を網走方面に行った所に移転してますね。
リョウユーですが、おそらく駅裏のショッパーズ蔆光?菱光(りょうこう)かと思われます?