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 1978年の10月7日の午後から、当時はまだなんとか賑わいがあったとはいえ、北の大地の端のおよそそういったたぐいのお店が似合わない街に、華々しくオープンをするという、キョーコさんも興味深く心待ちにしている、某有名全国規模のファーストフード・チェーン店。

 それは、ある一定以上の年齢の道産子の人には非常に懐かしい、かつて、道内にて一大勢力を誇っていた、ケンタッキー・フライド・チキンの模倣店「ロッキーフライドチキン」のことではない。

 マクドナルドやケンタッキーが北海道に本格上陸する前は、道内のそこそこの都市には結構、赤い看板がやけに印象的な、ロッキーフライドチキンのお店があり、僕も旅行中に食べたりしたものだった。

 当時札幌駅の地下にあった本屋で、汽車の待ち時間に暇なので、地元の雑誌でも読もうと手に取ったのが「財界さっぽろ」。

 そこにはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったロッキーフライドチキンの経営戦略や社長のインタビューが載っていたので読んでみたところ、インタビュー側がかなり辛辣にロッキーの社長に切り込んでいて、『大手のファーストフードチェーン店が本格的に未参入なのをいいことに、模倣店を堂々と道内展開するのはどうしたものか?』といった厳しい論調で問い詰めるスタンス。『味はほとんど同じでオリジナリティは全く無し』とも。実際、僕の感想としても、味やメニュー構成もほぼ丸パクリであったのは確か。この記事を読んだだけでも、単なる道内企業の提灯記事を書いている雑誌ではないと判明したので、それからもオンリー立ち読みではあるが、北海道旅行の時に暇を持て余した際に読むには欠かせない雑誌となった。

「真似ているんですから、味が似ているのは当然なのです」

 開き直った態度をとるロッキーの社長に呆れ、ロッキーフライドチキンの行く末がそう明るくないことを記事内で予見していた記者だったが、それはズバリと的中。前に北海道に行った時など、道内にかつてあれほど旺盛を誇っていたロッキーフライドチキンの姿は跡形もなく、唯一、北見枝幸の町のツタヤぐらいしか店のない寂れたメインストリートの中に、僕がそれを見た時、幻影じゃないかと思ったぐらい、薄っすらと存在感の無いやつれて老朽化した、ロッキーフライドチキンの生き残り店舗を目撃することになったのだった。

 懐かしさが込み上げて涙が出るぐらいの熱い感情の高ぶりをおくびにも出さず、ロッキーフライドチキンの店舗に入店。くたびれた店内インテリア、テーブルもガタガタ。一番泣けるのが、昔の賑わっていた頃からやっているだろう老夫婦が、チキンを揚げたりと、細々と店を切り盛りをする切ない光景。お二人とも、ファーストフードの店員としては、あまりにも弱々しく所帯じみていて、漂う物悲しさと薄幸感。いくら日本が超高齢化社会とはいえ、とてもその二人はファーストフード店を営む姿ではなかったのである。

『頼む、ここだけは、あの健気に働く老夫婦のためにも、いつまでも続いてくれ・・・・・・』そう願いつつ食べたフライドチキンは、昔と変わらない、ケンタッキーそのままの味。決して不味くはないというのが、当時から不思議と変わらずこのチェーン店に持ち続けていた印象でもあった。

 キョーコさんは日記内にて、まもなく我が隣街にオープンする、ファーストフード店の話題に何気なく触れているようだが、どのくらい後だかはまだ不明なものの、ある密接か関係を確実に持つことになる。

 ちなみに、僕が廃屋の中で日記を発見をした際に、ふと目にしたと頁の一節。”こんなの、偶然では説明がつかない”だろうと、腰を抜かさんばかりに後方にのけぞりながら、これはもしや僕が拾得することが運命だったのではとさえ感じ、大げさではなく、一瞬、自分についてこの少女は書いているのではと思ったぐらいであり、そんなことから咄嗟に持ち去ってしまったという、驚異的な共時性のことと今回のファーストフード店の関連性はあまりないが、全くなくもない話でもある。

 ファーストフード店とキョーコさんと僕の関連性において、大まかな遠因性で語ってみるならば、ロッキーフライドチキンとの出逢いと別れに、近いと言ったら近いのかもしれない。

 ここまでそのシンクロニシティとやらをぶち上げておいて、相当なものなんだろうなという期待値は上がるばかりのような気もするが、本当にドラマを越えた偶然以上の必然性があったのだと、恥も外聞もなく説明できる事柄であるので、まだもう少し、その先の事実のお訪れに、今しばらくお待ちいただけると有り難い限り   

 キョーコさんはその前段階とも言える、大人への過程を辿る修練の場としてのその有名ファーストフード店のオープンを、知ることになる。当然、現段階では自分と店との将来的な関わりなどわかるはずもなく、他人事のように話題にしているだけであったのだったが・・・・・・



5
 1 978年  1 0 月 5日    11: 15

 昨日  日 記 を 書 か んか っ た.   昨 日  水曜だ っ た け ど
 集体 は な し ・    今日だって  な ん に も お も しろ い こと な んて
 なか った。  明日だ っ て  き っ と ろくな ことが ない だ ろう .
 明  3~~~ 6 ま で  秋 の遠 そ く . なぜ か  気 が の ら ない  .
 家の方が 好 き だ 。  まだ  おなか の ぐ あい が *悪 いの
 かなあ   .  それ にして は沢山 た べ る のよ ね        !
明日は べ ん と う だ 。  ホ ン ト に  気が の ら な いの  。
  松本 君 で も  い い 、 **K・Y・M で も い い  中 村君 でも
 い い 会 いたい  .  会 いたい .  松 本 君 今 ご ろ は 彼女
  作っ て  る だ  ろ  う なあ  .  も  う  二年 だ も んね え   .
  一 度 で  い い か ら また会 いたい  、  メ ガネ の 君 .に  .
 銀 ブ チ の メガ ネ の あなた に  ,  ガ リ ガ リ のあ なた に ね . 
 今日 は  沢 山 テレビ を 見 て し ま った  ・
 世良 さ んカ ッ コ イ イ  .    B U t   * 今の 私 には
 ど れも   と く べ  つ  良く 思 え な い  .   どれ も  、
 もう だ れ で も  い い の よ  .   私  いった い な にを すれば
 いいの  ?  お しえてよ   . お や すみ さ ん。

日記を一日すっぽかしたと言い訳をしながらも、ようやく筆圧も安定してきて、字が正常になりつつあり、病状が回復してきたと思われる、キョーコさん。

>明日だ っ て  き っ と ろくな ことが ない だ ろう .

自分で妙な縛りを作ってしまったばかりに、金山君のことを話題に出せない日々=ろくなことがない日、ということなのだろう。

>明  3~~~ 6 ま で  秋 の遠 そ く . なぜ か  気 が の ら ない  .

明日、せっかくの楽しそうな学校行事の遠足があるというのに、実はキョーコさんは遠足当日の日記を書き忘れることになる。あの奇跡の一夜、もはや語り草にもなっている修学旅行の喜び、宙を舞うようだったときめきの瞬間、あの頃のみずみずしく溌剌として眩しかった彼女はどこへ行ったのやら。近頃は塞ぎ込んだ姿ばかりが目立つように。学校不信になっているのかとも思ったが、やはり、金山縛りがあるために、遠足の日記の内容が不自然にならざるをえなく、腫れ物に触るように日記を書くぐらいだったら、自分の気持ちに嘘をつくことなく、いっそその日は無かったものとして扱ってしまおうとの、苦渋の判断がそこにはあったらしい。

>松本 君 で も  い い 、 **K・Y・M で も い い  中 村君 でも い い 会 いたい

結論が出ていたはずの”K・Y・M条”。様々な意見が出され、それならそうであるとばかりに、金山君を筆頭にして、例の三人の男達を指す条約のようなものと、誰しも納得していたはず。でも、ここであっさりと、松本・中村、の二人の名前がスラスラとキョーコさんにより語られることになってしまい、どうやら、K・Y・M条とは、金山君ひとりのことを指し示す言葉だったことが明白に証明されてしまう。しかも、既にその言葉の抑止力は無いに等しく、ほぼ出しているも同然。今までのエピソード同様に、早くも形骸化してしまっている様子。

>も  う  二年 だ も んね え   .  一 度 で  い い か ら また会 いたい  、  メ ガネ の 君 .に  .

思春期の少女の日記において、好きな人に触れないということは不可能ということなのか。代替手段として無理矢理松本君のことを振り返って感傷的になっているが、そもそも勉強に打ち込むために余計な時間を費やさないようにと決めただろうK・Y・M条であるのに、堰き止めているダムのヒビより段々と決壊へ向かうように、もう喋りだすのは時間の問題とも思える気配が。

> 世良 さ んカ ッ コ イ イ  . 

これはもちろん、世良公則のことでしょう。ロックグループ「ツイスト」の「あんたのバラード」発売が前年1977年11月25日。最大のヒット曲「銃爪(ひきがね)」が1978年8月10なので、今まさに絶頂期であり、目移りの激しいキョーコさんがひと言話題に出してしまうのも無理のない話。

>私  いった い な にを すれば いいの  ?  お しえてよ   .

自らが決めた条約により、手足を縛られることになった、彼女。日記をすっ飛ばすことが多くなったのは、その理由からくる情緒不安定さによるものだったのか。

すると、数日の冷却期間を置いてから、キョーコさんの内なる支柱はもろくも音を立てて崩れ始めていき、ポツポツと苦しい言い訳をしながらもはや止められなくなり、言葉の端々に金山という言葉が露骨に出て来てしまうことになってしまうのだった。



7a
 1978 年   10月 7 日     PM     11: 00

 また . *昨日  .書き忘 れた み た い.  さ い き ん おか しい の
 そうだ。昨日   ウワサのチャ ン ネ ル を  や っ と 見 る こ とが 出来
 たのです ぞ  .  先週 は 頭*痛 で 見 れ んか っ た し . その
 前の 週は テレビ を 消され たので 頭 に来た ので 見な
 か っ たのよ  .  所 ジョージ   い い わァ  、  妹も出たのよ .
 なんとな く 口 が 大 き くて  歯 のな ら びが  小 人 み たいな
 所 が  そ っ く り とい う よ う に 似 ていた  .  うち の なんて
 一つも 似 てる 所 な んて ないもんね            !
  今日 、市 に 行 って   ホント は歯医者 に 行 くのだっ
 た け ど  道 銀し ま ってい た ので  ダ メだ っ た 。
ト-スター かう つ もり だ ったけど  オー ブ ン トースター に
 した .  ウシシ  ー  お も か っ た よ  。 大き しさ  ,
 今日 は  あま り 買 い 物 せんか っ た。今度 行った*時は
 チ ー ズ  . スープ  . ハム ・ フ ラ ンス パ ン  ・ ドー ナツ を
買 っ て く る ぞ  ! 全部 たべ 物! ミスタ ード ーナ ッツの
 場所が わ か っ た。 明日の * 午後 か ら  スタ ー ト する んだ
っ て  私 もっ とまえ か ら あ る の か と思ったの だ・・・・

K・Y・M条を必死に守りながらも、一方では、平気な顔をしてウワサのチャンネルを観てしまう、矛盾だらけの、キョーコさん。

>その 前の 週は テレビ を 消され たので 頭 に来た ので 見な か っ たのよ  . 

居間のテレビで、和田アキ子がせんだみつおを虐待する場面を大口を開けて笑って観ていたキョーコさんに呆れ果て、さすがの親もテレビを消したらしい。子供に全くの無関心ということでもないらしい様子。

>所 ジョージ   い い わァ  、  妹も出たのよ . なんとな く 口 が 大 き くて  歯 のな ら びが  小 人 み たいな 所 が  そ っ く り とい う よ う に 似 ていた  . 

本命はすっかり松山千春になったものの、次点の所ジョージを久しぶりに褒め称えてみせた、彼女。今では私生活を切り売りすることなく、自身の趣味を売り物にしている所ジョージが、当時は妹までテレビに引っ張り出していたという、現在は誰も話題にしないだろう事実の掘り起こしの成果をここに見る。

>うち の なんて 一つも 似 てる 所 な んて ないもんね            !

史之舞とではなく、兄貴達とキョーコさんが一つも似てないということなのだろう。

>道 銀し ま ってい た ので  ダ メだ っ た 。

キョーコさん一家のメインバンクは潰れてしまった拓銀ではなく、道銀だった模様。

>ト-スター かう つ もり だ ったけど  オー ブ ン トースター に した .  ウシシ  ー  お も か っ た よ  。 大き しさ  ,

この頃からだったのだろうか。専用品のトースターが時代遅れになり、一般家庭がこぞって用途の広いオーブントースターを使い出したのは。意外にも先見性を持っていた、キョーコさんだが、新品のオーブントースターは当然ダンボール箱に入っているわけであり、あの長崎屋あたりから、女子中学生がひとりで担いで、大草原のただ中の一軒家までたどり着いたことを考えると、とてつもない重労働だったに違いない。

次に、とうとう、キョーコさんの口から、運命のお店の名前が直々に、語られることになる。   先々で、そうなることとは、まさか今の時点で、本人も思いもしなかったことだろう。

>ミスタ ード ーナ ッツの 場所が わ か っ た。 明日の * 午後 か ら  スタ ー ト する んだ

いつ頃になるかとか、どの立場でとか、そこまでは把握していないが、キョーコさんは、遠くないだろう未来において、制服も凛々しく威風堂々と晴れやかに、青春時代を謳歌するかのように、ミスタードーナツでアルバイトをすることになる。現在の引きこもりのような状態から、誰がその姿を想像できただろうか。

ここで、ちょっとした疑問が。僕が初めて藤渕へ行ったのは日記が書かれてから後のことであるが、当時でさえ殺風景な街中が印象的で、コンビニはおろか、ファーストフード店など見かけやしなかったので、食べる所に困り、駅構内をふらついてみたところ、なんと、駅構内にミスタードーナツの店舗があるのを見て、衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。「こんな僻地にある駅に、ミ、ミ、ミスタードーナツってか!!」と。ちなみに、汽車の待ち時間に耐えられなくなり数度利用。それから後に行った北見駅駅前など、まだ舗装していなくてドロのぬかるみでぐっちゃぐちゃで、バス乗り場には明治時代に描かれたのか?と思うぐらい煤けたペンキのどでかい観光マップのイラスト入り市内路線図がデンと構えていたほど。

以前、サラリと日記をのぞいて、キョーコさんがミスタードーナツでバイトをしているくだりを読み、僕はてっきり、駅構内にある店舗のことだと思っていたが、今回の口ぶりからすると、どうやら駅構内の店舗ではないみたいだ。他にふさわしい場所が想像できないが、当時はまだ似つかわしい場所があったのだろうか。そして、キョーコさんの働いていたミスタードーナツは駅構内?それとも・・・・・・ 場合によったら、あの時接客をしてくれたお姉さんが、キョーコさんだったりする可能性もあるのだと思うと   

なお、これとは別の僕とキョーコさんの共時性については、このような妄想の域(接客どうのこうの)ではなく、ありえない偶然の確固とした事実に基いています   



7b
 こん度 来た時 は 買 い に 来るぞ!  ケーキ も食 べ たい 。
最 近  ふ とっ た わり には  あまい 物食 べ た り して んの .
 今日だってす ご いも ん よ . 今 , お なか の ぐ あ い が
 悪 い みたい  な の よ。  並木か          !
 この前  給食 のおさ ら に 金 山 って書い て あった の .
 べつ によね え  .  さ っき   K・Y・M㊙を や ぶ っ て しまう
 所だ ったり し て  . . . . .  . .  。 も っ と 市 に いて
 時間 が あれば 行き た い 所  たくさんあ る の に  .
 リョー ユー  に も   行 ってみた い し ・ なにか   食 べ た
 行って みたい し  . 本 など も さが した い し さ  .
 いろ いろ 見たり  . 食べ たり し た い わけよ!
 うちの学校はおもしろ くな い しさ   .
 家 に いたって くだ ら な い もん . ギタ ー
 ほしいなあ ! ステレオ  か  ラ ジ カ セ ほし い   ,
 私 っ て よく ば  り だ か ら な あ  .
 ど っか に お 金ないか なあ  .   1 00 万 あれば
 私  なんで も  買 える .  ステレオだ っ て ふくだって
 食べ もんだ って さ  、  好 き な 物 が  買える  .
  1 00 万 お く れ   お や す み  .

将来的には、ドーナツを腹いっぱい食べられるようになることなど知るはずもなく、ケーキを今度は食べたいと、無邪気な希望を語る、キョーコさん。

>今 , お なか の ぐ あ い が 悪 い みたい  な の よ。  並木か          !

シャレなのか、謎かけなのか、自分だけが知るギャグなのか。地名の部分を原文のママに置き換えたとしても、全く意味不明の文章。精神状態の不安定さは続いており、ハチャメチャに大きく叫んで発散してみたかったのかもしれない。

>この前  給食 のおさ ら に 金 山 って書い て あった の . べつ によね え  . 

お皿に書いてあったのは事実だから、それはセーフでしょうよとばかりに、なし崩しになりつつある、K・Y・M。これは、高級食器メーカー「ノリタケ」のように、ブランド名が刻印してあったのか。それとも、小規模中学校なので、食器にそれぞれ名前を書いておいて毎回同じのを使用していたが、たまたま間違えて配られたのか。はたまた、金山君がいたずら心で皿に落書きをして、それがキョーコさんに回ってきたのか。いずれにしろ、今上げたどれかだとは思う。

>も っ と 市 に いて 時間 が あれば 行き た い 所  たくさんあ る の に  .

その昔は、女子中学生も胸をときめかせる憧れの街であったが、今では、名寄本線以来の、JRの本線路線の廃止も検討されているという、休日の採掘現場のような静けさの漂う駅前と、駅前通り。あの日、あの頃、キョーコさんは確かに、今では衰退著しいあの街で夢と希望をこれでもかと膨らませていた。あれも買いたい、あそこへも寄りたいと。

>リョー ユー  に も   行 ってみた い し ・

個人的にはパンメーカーしか浮かばないが、そういう名の雑貨店でもあったのかも。

>なにか   食 べ た 行って みたい し  . 本 など も さが した い し さ  . いろ いろ 見たり  . 食べ たり し た い わけよ!

今では北風が目にしみるだけのゴーストタウンの街にも、かつては、少女の夢の全てを叶えてくれる綺羅星の如くのお店が並んでいたということ。

>私 っ て よく ば  り だ か ら な あ  . ど っか に お 金ないか なあ  .   1 00 万 あれば 私  なんで も  買 える .  

この強い反動が、その後、キョーコさんにミスタードーナツの敷居を跨がせ、アルバイトの道へと向かわせたのか。

>ステレオだ っ て ふくだって 食べ もんだ って さ  、  好 き な 物 が  買える  .  1 00 万 お く れ

親に言えるはずもない。史之舞は精々最大限頑張ってくれて一万円がいいところ。それでも、十代の姉にしたら、出血サービスのようなところがあるけれど。友達に願望をぶつけても虚しいだけ。子供の頃のその切実なまでの物欲に金欲、本当にわかる。僕も子供の頃の自分にドンと小遣いをやってみたくなる時がある。知らないおじさんがやって来て、十万円でも貰い、好きな物を買うことが出来たらどんなに嬉しかったことかと。

キョーコさんの尽きぬ消費願望は、やがて、社会人に混ざって働くことを選択するようになる。いや、それは単なる決めつけで、フリーターとしてなのかもしれない。あるいは、ミスタードーナツの社員だったりする可能性も非常に少ないが、あることはあるのかも。



 史之舞と待ち合わせをして、トコちゃんの家に行ったり、そこでカレーを食べ、お泊まり会をしたなどと、とりとめのない日常をひとしきり軽快なペンさばきで書き綴った後、キョーコさんはまるで、入水自殺者が覚悟を決めて海に入って行く前にしたためた遺書の内容のような悲壮感漂う告白文を、意を決したかのように書き連ねることになる。

 青春を返せ。もう、終りです。並木には、あの道内では名高い「僻地音楽祭」さえ来やしない僻地の中の僻地だ・・・・・・と。

 ポエティック度はより一層高まり、情感のこもった文章は、確実に少女が大人へと変わっていく分岐点・・・振り返ってみれば、その時だったなと、思わせるに相応しい、揺らぐ少女の内面が素直にそこには記されていたのであった   




つづく…

「姉の窮状と姉のセレモニー」実録、廃屋に残された少女の日記.67

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