街がまるごと封印、まるで軟禁状態に置かれたかのような虎ノ門五丁目界隈の薄暗い行き止まり。背後には、貧民部落から抜け出す避難路ではないのかとさえ思ってしまう、山の上へと続く階段がある。
全身蔦に纏わりつかれている廃墟アパートに、元診療所のような、数十年前に放置されただろう、一軒のくすんだ廃墟家屋。
一体、階段を登って行った山頂には何があるのかと、小刻みに震える膝頭の小暴れを抑えつつ、右に左に目眩の時のように時折よろめいたりしながら、一段一段確実に、登って行ってみることにした。
上の見えない昼でも暗い中を、登って行く
階段の中腹辺りで振り返る。まさしく、これぞ廃墟集落。これが港区だということを誰が信じてくれるだろうか。
診療所の窓の縦型クーラーのファン。しばらくじっと観察したが、やっぱり動いている気配は無い。
さらに上から
密集はしているが、光がさしている。
最上段。石畳の向こうに何かある。大体なんとなくわかってきた。
この変速ルートでは予想も出来なかったが、「西久保八幡神社」という神社であるらしい。
神社の片隅には砲弾が。
発電機らしき物も無造作に。
外国の方が木陰のベンチで休んでいました。
このまま神社の正面口から出ると普通の虎ノ門の街に戻ってしまうので、また、階段の方へ引き返す。最後に、廃墟集落のランドマーク的な地点を訪れるために。
その途中にあった、やはり縦型の年代物のクーラー。「ge」とあるので、アメリカの「ゼネラル・エレクトリック」社の製品だろう。日本の家電メーカーがまだ満足にクーラーを開発できなかった時代の物かもしれない。
三丁目の夕日の鈴木モータースのような店。当然ながらすでに廃業をしている。というか、あまりにもこのシリーズの連載が長かったため、もう更地になっている可能性もあるが、虎ノ門の廃墟集落というと、この建物が引き合いに出されることが多い。
二十代の頃、警備員のバイトをしていた時に、よく現場で一緒になった人が、下町の古い家とそのバックに近代的なビルを入れた写真を撮る趣味があると言っていた。写真雑誌のコンテストにも何回も入賞しているのだという。僕も当時は花の写真を撮っていたので同じ趣味ということで意気投合していたのだが、その頃はなんで建物の写真?と意味がわからなかった。まぁ、新旧の織りなす時間を越えた物語性がその一枚に同居しているとかなんとかがあるんだろうと、意図は理解できたが、どうせ写すなら、心が癒されるような、花や風景を撮った方がいいだろうと、ついでに旅行もできるしと、彼の顔を見るたびにそんなことを思っていたものだった。
ところが今では、北海道の山の中まで廃屋を追い求めて行ったり、かといえば、港区のど真ん中の廃墟集落までわざわざ出掛けていって、いつしかの彼とそっくりの写真を撮ってしまうことになるとは、当時は夢にも思わず、価値観の真逆の変わり様には自分でも驚かされるばかり。
この写真を撮っていてそんな昔のことを思いながら、そういえば、彼を含むバイト時代の連中や、バックパッカー時代に海外の旅先で出会った人は今何をやっているのだろうかと、ふと、気になりだし、深夜にごそごそ書類などを引っ張り出し、調べてみることにした。特に、eメールが普及したかしない頃の人達。
eメール普及以前は、男でも女でも、紙に書いた住所交換が普通であり、実家の住所交換などが普通に行われていたものだ。旅先とはいえ、今考えると、よくそんなことをしていたもんだなと。
本当に会ってみたいとか、話がしたいなら、実家に電話をすればいいのだろうが、そこまでのものではない。女性なら結婚もして子供もいるだろうし、下手な勘違いをされても困るというもの。
ただ、ネットで検索をして名前が引っかかり、ツイッターやブログでもやっていれば、声をかけるぐらいだったらハードルは低いので、あれから何をしていたんですか?とか、近況を聞いてみるのは非常に興味がある。
そこで、目ぼしい何人かを調べてみると、最初は全く引っかからなかった。地名や、そういえば中国で事業を起こすとかいってたなぁと、類推して検索をかけてみると、数名ばかり、凄い人になっている人がいたのだ。そのうちの特にひとりは、クリエィティブで国民的な仕事、誰もが知っているやつを手がけていた。寸前のところまで行動に移そうと思ったが、昔の軽いノリで接しようものなら、かなり手前であしらわれそうだったので、情けないことに、思いとどまってしまった。他にもベンチャー企業のCEOなんていうのもいて、彼は僕がよく小間使いのように使っていたので、これならいけるかと思ったが、その彼の会社のホームページの更新が十年ちょい前から止まったまま。文言だけはスケールのでかい説明がしてある。使用されている会社の人達らしき写真がストックフォトの例の変な外人写真ばかりのやつで、あの切れ者ながら誠実そのものだった彼が、妙なことに手をそめているのではないかと察し、やっぱり踏みとどまってしまった。時代は双方(僕と彼ら)に人を変えさせてしまう力の流れが存在するものですね。
モータースの手前を曲がる。そば屋を営まれていたようです。
こんな路地も見納めです。
古民家カフェのようでした。解体寸前まで営業をするのでしょうか。
もはや要塞化してますね。
本当に、最後です。
もと来た地下鉄の駅に戻ることにしましょう。
随分前に廃墟になっている家だが・・・
子供か、それとも、大人になった子供が、昔遊んだおもちゃを記念に置いていったのでしょうか。
地下鉄駅までの帰りすがらにいたのは中国人ばかり。あと数年で、さらに人も建物も街も激変してしまうことでしょう
おわり…
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コメント
コメント一覧 (15)
tokyu8500さん。
思えば、ここ一帯の景色は異様でした。まさしくゴーストタウン。空間の時間が止まっているような。
>神社以外もうほとんど工事現場になっていました
いつの間にかそんなことになっていたんですね。僕が行った時にはもうカウントダウンが始まっていたと。街そのものが生まれ変わるという大規模都市開発。
>この景色がたった3年前と言うのですから驚きです
奇跡の景色が失われてしまい、残念でなりません。どこにでもあるような商業施設の集合体がまた生まれるのかと思うと、ため息しか出ないです。
カイラスさん
この一帯が今どのようになっているのか気になったのでGoogleマップで航空写真を見てみたのですが、神社以外もうほとんど工事現場になっていました
その工事現場の範囲がかなり大きく、いかにこの集落が大規模だったかがわかりました
かなり興味をそそられる景色だったので、是非行ってみたかったのですがもうないとは残念です。
またこの景色がたった3年前と言うのですから驚きです
tokyu8500さん。
90年代にトミカを買った子供が育って、家を出る時に記念に置いていったとか、そんなところでしょうかね。この界隈、部外者が入って来ないような共同体意識の強そうな環境だったので、荒らされずに残っていたのかも。今はここ激変してしまいましたが、なんとも惜しい風景でした。
購入後すぐに放置していったとは考えにくいので、ここから出て行ったのは2000年ごろなのでしょうか…?
森ビルの中途半端な地上げにより、周辺の超近代的な都市景観との対比が激しすぎる、昔の佇まいのままの集落が取り残される結果となってしまいました。それはご承知の通りかと思います。周辺環境とのそのあまりの違いから、比喩として「貧民街のような」という表現を用いましたが、一部に「のような」が抜けていたかもしれません。あくまでも例えであり、そのものを言っているわけではありません。気分害されたなら、お詫びしたいと思います。どうもすみませんでした。
凄い金を手にして去っていったんだne!
前に行った下町の小岩、東京でも区外、なんかはもうこんな兆しがありますよね。SF映画のディストピア的な、くっきりとした階層分けができるかもしれませんね。足立区ナンバーは山の手エリア通行禁止とか。
>今、建ってたり建てられている高層マンションもいつかはそういう時期を迎えるかもしれませんね
吉野家の牛丼クーポンを貰った人が大行列を作っている状況で、よく、高層マンションが売れるものだなと思います。中国マネーが引けば、今の越後湯沢なんかにあるリゾートマンションのような廃墟化が、都内でも多く見られるような気がします。
言われてみれば、昔は路地裏の鉢植えは無秩序だったような。
>路地に猫がいたりとかトミカやゴムボールが遊びっぱなしのまんまって光景ありましたもんね…
チョークが書きっぱなしとか、ボールとか普通に転がってましたね。大人も夢中になるぐらいだから、不健康だけど、子供がスマホゲー依存症みたいになるのは無理もないです。
>最後のショッカーが物悲しいというか滑稽というかw
何年ああやっているのか。港区でよくぞ、と思ってしまいました。
>特に女性は結婚を機にまったく行方がわからなくなる人、ご主人や子供の世話でなかなか連絡しにくい人もいますし
特別に下心があるのではなく、旅好きなので話しぐらいはしたいと思ったりしましたが、当時のノリで会うのはもう無理ですよね。SNSをやっていたら、挨拶するぐらいの無難な形であの頃の幕引きをしようかと思います。
年賀状の途切れというのは、微妙な関係の人達との別れがやって来やすいですよね。『もういいだろう・・・』なんて思ったりして。逆に生まれた時からネットに繋がっている今の人達は、そんな完全な別れが存在しないわけで、別れが来ない分、しがらみが一生続くのは僕だったらどうにかなってしまいそうです。
>人情なんて紙風船なんでしょうね。
泣けますね。それがしぼまないうちにと言ってはキザですが、気になる人が一人声をかけやすい状況にいたので、勇気を出してコンタクトをとってみたいと思います。
>発電機に萌えです。
神社の外れになんなんですかね。戦中に軍に供出しようとして、免れたとか。
縦列か、渋滞か、見る人の心持ちによるでしょうね。廃墟も、宴の跡なのか、亡骸でしかないのか。えっちゃんさんはきっと、この街が取り壊されないで、そのままでいいじゃないと思っているのでしょう。僕は誰もパクんないのかなと、みみっちいことが浮かんだりして。
>開閉するドアやシート、車体下など、ついつい大人目線でいじり、ジックリ見てしまう私です。最近のミニカーの種類には驚きますね。
少子化もあって、どっちかというと、大人用に作ってあったりしますよね。おもちゃショーでも、トミカの限定発売に行列が出来てましたが、子供と一緒に並んでいる父親の方が積極的でした。転売する気満々じゃないのかと。
>春節が近いせいか、我が家のまわりも ウヨウヨいます。 お土産屋店主が、試食の度を知らないと ボヤき、レジが混んでいる時、待ちきれなくてそのまま支払わないで持って行かれたと嘆いていました。
細切れのバームクーヘンとか、全部食べてしまいそうですね。まだ経済発展する前の中国を旅行していた時、よく欧米のバックパッカーと「この中国の人達が世界に旅行者として飛び出して行ったら、とんでもないことになる」と話していたのを昨日のことのように思い出します。寸分違わず、その通りになりました。ただ、寿司は絶対食べないだろうと思っていたら、くら寿司で横の中国人がバクバク食いまくっていたので、お金に余裕ができると、食の嗜好さえも変わってしまうのだなと、北京の屋台で30円ぐらいのぶっかけメシを食べたあの夜のことを、ふと、思い出してしまいました。
何とも言えないですね 路地に猫がいたりとかトミカやゴムボールが遊びっぱなしのまんま
って光景ありましたもんね…最後のショッカーが物悲しいというか滑稽というかw
「そういや、あの人どうしてるかな~」と思っても、日々に追われ連絡を取るとか
年賀状引っ張り出すって行動まではいかないですね 特に女性は結婚を機にまったく行方が
わからなくなる人、ご主人や子供の世話でなかなか連絡しにくい人もいますし
せいぜいプクククっと不気味に思い出し笑いするくらいがちょうどいいのかなw
20年間くらい年賀状での挨拶程度でした。が、お互いのの喪中ハガキ
を出すタイミングで次回から一人減り二人い減りと縁が無くなってしまった様です。
人情なんて紙風船なんでしょうね。
発電機に萌えです。
ミニチュアやジオラマ好きな私なので
時が経ってミニカーを見て
開閉するドアやシート、車体下など、ついつい大人目線でいじり、ジックリ見てしまう私です。
最近のミニカーの種類には驚きますね。
春節が近いせいか、我が家のまわりも
ウヨウヨいます。
お土産屋店主が、試食の程度を知らないと
ボヤき、レジが混んでいる時、待ちきれなくてそのまま支払わないで持って行かれたと嘆いていました。
これが全てではないのですが。