食べられそうなキノコでも無いのかなと時折茂みを蹴り上げながら、見るだけでも陰鬱になってくる、すでに森の一部と化している廃墟構造物に、足元に細心の注意を払いつつ、侵入してみることにする
森にこんなものが置き去りとは、土地の所有権とかはまだ炭鉱会社が持っているんでしょうか・・・。無用の長物以外の何物でもないのだろうけど。
初めて行った時のベトナムのホーチミンの国営デパートが、これそっくりだった。横方向にも同様に壁無し。剥き出しのコンクリートに、個人商店がただ並んでいるだけ。そこでタオルハンカチを一枚買ったはいいが、ベトナムの食堂の屋台では小皿に氷をまぶしたタオルハンカチ、日本風にいうといわゆるおしぼりが出てくるので、僕が国営デパートで買ったタオルハンカチで何気なく汗を拭くと「あんた、食堂のパクって来たでしょう!」と、周囲の日本人バックパッカー全員に疑われるという、苦い思い出は今でも忘れることができない。ちなみに、僕以外は全員、タイの北で半分住人のように暮らしている、高齢者バックパッカーだった。確かに、ベトナムに行った頃はバックパッカーなりたててであり、過度に倹約傾向に走っていたのは否めないが、店で出されるサービスのタオルをパクるほどのせせこましいケチではない。僕以外のバックパッカー達は、僕がパクったものと決めつけ、これは面白い笑い話だと僕が頑なに否定しても「いやいや、パクったでしょ」を繰り返し、僕が陥落するのを待っていたようだが、たかだか数十円の物を盗るわけもなく、コンパクトに折りたためて吸湿性も良いという合理的判断から購入に至ったという理由を、このノリの中で説明をしてもわかってもらえそうもなく、彼らは『素直に盗ったことを認めれば面白エピソードだねシャンシャンで終わるのに・・・』と、僕が否定し続けることに不気味ささえ感じ取っていたようだった。あの濡れ衣を着せられて忌まわしい思い出の残るホーチミン市は、今はさぞ大発展していることでしょう。僕を散々嘲り笑った彼らは、一千万を定期預金すると当時のタイの銀行は利子が10%だったので「一生これで暮らす」と揃いも揃って意気込んでいたものの、やがてそのような高金利時代はとっくの昔に過ぎ去り、今では全員音信不通となっている。
100年以上耐えられそうな太い柱。いずれ草木に繭のように覆われることでしょう。
サバゲーの人達も不可侵の領域か。
ほぼ残留物が無い中見かけたのが、「高松式高圧カットアウト」。コンデンサや変圧器を保護する製品。
他に綺麗サッパリ無いのは、撤退にあたり、入念に掃除でもしたのだろうか。
カラオケをやると残響音が胸に響きそうだ。
木製の棚なんかも。
見所があるというか、これに価値を見出だせる人がどれほどいるのか。
廃タイヤをわざわざあんな所に置いていく人が。
トイレ跡かシャワー室跡か。
タイルがあるので風呂の浴槽か。こんな場所にかつて炭鉱夫達の真っ黒な体を洗い流す、浴場があったらしい。
その先には、坑夫のヘルメット。
この地と別れ際に、坑夫がこの場で脱帽し、汗の染み込んだヘルメットを記念に置いていった。また十年後か二十年後、戻って来て、自分で被ったり、孫に被らせてブカブカのヘルメット姿に場が和んだり・・・・・・。
老坑夫の思い出戴冠式のような話しが本当であったとしたら、今の今までこのヘルメットがここに残されているのは奇跡に近く、素直に見学者達の良識を褒め称えるしかないだろう。
今度はヘルメットを裏返しにして中の様子をじっくり確認してから、まだまだ広がりのある広大な森の中へ、幾つもの構造物を求めて、訪ね歩いて行ってみることに
つづく…
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コメント
コメント一覧 (6)
この太さで、全ての内容物を抱えていたのでしょうね。山奥なのに、それの取り除き作業をよくやるなとは思いますが。
>中国と北朝鮮国境近くのホテルに泊まった時に、
もしかして、丹東ですか。列車で通りましたが、機会があればぶらついてみたい街です。
>小姐「200円払って。」 我「俺が?」
中国の人は、日本のホテルに泊まって、アメニティーをごっそり持って行くのに、たかがタオル一枚で必至過ぎますね。しかも、aliなんかを見てもわかりますが、タオルなんてせいぜい数十円ですよね。
>チェックアウトして数分で 数えてしまう従業員もすごいな~。と思って私は払っちゃいました
従業員のささやかな小遣い稼ぎだった可能性もありますね。僕は財布をポケットから取り出そうとしたら、ティッシュが一枚はらりと落ち、汚い普通のおっさんから「罰金だ!」と怒鳴られて金をむしり取られましたことがありました。安いから妥協してしまうのですが、もっと強くならなくてはと随分後で後悔しました。
ハンカチの話で思い出してしまいました。
中国と北朝鮮国境近くのホテルに泊まった時に、ツアーで行った誰かが部屋のタオルを
持ち帰ったのでしょう。ツアコンのお姉ちゃんが私のところに来て//
小姐「タオルが部屋から一枚なくなっている。誰が持って行ったのか聞いてくれる?」
我「え?タオル?どの部屋かわからないの?作業した人に聞いてみたら。」
小姐「どこだか、わからない。誰だか探して。」
我「みつからなかったらどうするの?」
小姐「200円払って。」
我「俺が?」
私が一番年上だったのでツアコンのお姉ちゃんは私のところに来たみたいでした。
当時の物価で200円は高すぎるな~。と思ったのですが、チェックアウトして数分で
数えてしまう従業員もすごいな~。と思って私は払っちゃいました。余談ですが。
この柱の野太さには惚れ惚れするというか、北海道が仮に滅んでも、この柱だけは残っていそうな生命力を感じます。
>壁は無くなっても骨が大事なのは、日本人の根本と言うか、美意識の原点だと感じてまする。
目立たぬところで、せっせと慎ましやかに、寡黙に下支えするということですか。清いですね。
>日本人は、やっぱり面より芯なんですよ~。
外面より、最後は芯が大地に食い込んで逞しく生き残る。実感するために、やはりもう一度行ってみたいと思いました。
骨組みが美し過ぎでまいってます。。。
壁は無くなっても骨が大事なのは、日本人の根本と言うか、美意識の原点だと感じてまする。
日本人は、やっぱり面より芯なんですよ~。
急激な地盤沈下でもしない限り、この姿はここにあり続けるのでしょうね。また来れば見られるという嬉しさはありますが、相当な衰退している感に、北の先行きを心配してしまいます。
>雄別にしたって、道内には様々な遺構が在るけれど、解体するにも莫大な費用が掛かるし、況してや費用の出所もないんでしょう。
最近雄別炭鉱には案内をするガイドがいるらしいですね。あの壮絶な落書きは消してしまったようです。観光客を呼び込みたいんだと思いますが、数十年前にもなると落書きにも味わいが出てきていて、惜しい気もしたりして。でも、苦しい財政の足しになればいいのですが。いまだにある日突然、雄別炭鉱の記事のアクセスが跳ね上がってビックリすることがあります。
>本気で茸探してたんですか?(笑)
多分その辺りなら毒キノコしかないと思いますよ。
被写体として、毒々しい蜘蛛やキノコを求めていることもあり、本気で食用のを探しているとか、大げさだったかもしれないです。
>シメジや舞茸採るなら、山を切り開いた時に出来る廃根線、(木の根等を集めた小山)
あれはそういう名前があるんですね。ここでひとしさんから聞かなければ、一生普通の小山としか思わずに生きていたと思います。これから活用させてもらいます。ありがとうございました。
雄別にしたって、道内には様々な遺構が在るけれど、解体するにも莫大な費用が掛かるし、況してや費用の出所もないんでしょう。
まあ歴史を語り継ぐなら壊す必要もないんですがね。
本気で茸探してたんですか?(笑)
多分その辺りなら毒キノコしかないと思いますよ。
シメジや舞茸採るなら、山を切り開いた時に出来る廃根線、(木の根等を集めた小山)を探せば多分見つかるでしょう。