明治庶路炭鉱-30
 食べられそうなキノコでも無いのかなと時折茂みを蹴り上げながら、見るだけでも陰鬱になってくる、すでに森の一部と化している廃墟構造物に、足元に細心の注意を払いつつ、侵入してみることにする   



明治庶路炭鉱-31
 森にこんなものが置き去りとは、土地の所有権とかはまだ炭鉱会社が持っているんでしょうか・・・。無用の長物以外の何物でもないのだろうけど。



明治庶路炭鉱-32
 初めて行った時のベトナムのホーチミンの国営デパートが、これそっくりだった。横方向にも同様に壁無し。剥き出しのコンクリートに、個人商店がただ並んでいるだけ。そこでタオルハンカチを一枚買ったはいいが、ベトナムの食堂の屋台では小皿に氷をまぶしたタオルハンカチ、日本風にいうといわゆるおしぼりが出てくるので、僕が国営デパートで買ったタオルハンカチで何気なく汗を拭くと「あんた、食堂のパクって来たでしょう!」と、周囲の日本人バックパッカー全員に疑われるという、苦い思い出は今でも忘れることができない。ちなみに、僕以外は全員、タイの北で半分住人のように暮らしている、高齢者バックパッカーだった。確かに、ベトナムに行った頃はバックパッカーなりたててであり、過度に倹約傾向に走っていたのは否めないが、店で出されるサービスのタオルをパクるほどのせせこましいケチではない。僕以外のバックパッカー達は、僕がパクったものと決めつけ、これは面白い笑い話だと僕が頑なに否定しても「いやいや、パクったでしょ」を繰り返し、僕が陥落するのを待っていたようだが、たかだか数十円の物を盗るわけもなく、コンパクトに折りたためて吸湿性も良いという合理的判断から購入に至ったという理由を、このノリの中で説明をしてもわかってもらえそうもなく、彼らは『素直に盗ったことを認めれば面白エピソードだねシャンシャンで終わるのに・・・』と、僕が否定し続けることに不気味ささえ感じ取っていたようだった。あの濡れ衣を着せられて忌まわしい思い出の残るホーチミン市は、今はさぞ大発展していることでしょう。僕を散々嘲り笑った彼らは、一千万を定期預金すると当時のタイの銀行は利子が10%だったので「一生これで暮らす」と揃いも揃って意気込んでいたものの、やがてそのような高金利時代はとっくの昔に過ぎ去り、今では全員音信不通となっている。



明治庶路炭鉱-33
 100年以上耐えられそうな太い柱。いずれ草木に繭のように覆われることでしょう。



明治庶路炭鉱-34
 サバゲーの人達も不可侵の領域か。



明治庶路炭鉱-35
 



明治庶路炭鉱-36
 ほぼ残留物が無い中見かけたのが、「高松式高圧カットアウト」。コンデンサや変圧器を保護する製品。

 他に綺麗サッパリ無いのは、撤退にあたり、入念に掃除でもしたのだろうか。



明治庶路炭鉱-37
 カラオケをやると残響音が胸に響きそうだ。



明治庶路炭鉱-38
 木製の棚なんかも。



明治庶路炭鉱-39



明治庶路炭鉱-40



明治庶路炭鉱-41
 見所があるというか、これに価値を見出だせる人がどれほどいるのか。



明治庶路炭鉱-42
 廃タイヤをわざわざあんな所に置いていく人が。



明治庶路炭鉱-43
 トイレ跡かシャワー室跡か。



明治庶路炭鉱-44
 タイルがあるので風呂の浴槽か。こんな場所にかつて炭鉱夫達の真っ黒な体を洗い流す、浴場があったらしい。



明治庶路炭鉱-45
 その先には、坑夫のヘルメット。



明治庶路炭鉱-46
 この地と別れ際に、坑夫がこの場で脱帽し、汗の染み込んだヘルメットを記念に置いていった。また十年後か二十年後、戻って来て、自分で被ったり、孫に被らせてブカブカのヘルメット姿に場が和んだり・・・・・・。



明治庶路炭鉱-47
 老坑夫の思い出戴冠式のような話しが本当であったとしたら、今の今までこのヘルメットがここに残されているのは奇跡に近く、素直に見学者達の良識を褒め称えるしかないだろう。



明治庶路炭鉱-48



明治庶路炭鉱-50
 今度はヘルメットを裏返しにして中の様子をじっくり確認してから、まだまだ広がりのある広大な森の中へ、幾つもの構造物を求めて、訪ね歩いて行ってみることに   




つづく…


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