奥多摩の寮2-3
 カラフルな寮の中には、昔日の、若き血潮を想起させる、大量のエロ本が、約四十年の歳月を経ていまだ、新書のような真新しさで、そこらに散乱していた。

 居間には、散らばるエロ本の間より、楽しげな家族の写真アルバムが、申し訳なさそうに、置かれていたことが、なんとも不可解であった。子供がすくすくと育つ環境で、寮生らが、おおっぴらに、エロ本を回し読みしていたのだろうか。それとも、父親の秘蔵コレクションなのか。

 同行者のSさんは、突如体調を崩し、車へと戻るが、閉じこもったまま、車から出てこなくなる。

 顔面蒼白のSさんは、次の現場で、涙目になりながら、正直に僕に告白してくれたのだった。

 確実に、あの寮の中で、霊現象を体験したのだと。その場で話すと、取り憑かれる気がしたので、黙ったまま、車の中でひとり、薬の影響かもしれないが、下顎がガタガタと、震えていました、と・・・・・・



 奥多摩湖はもう目の前に迫って来ているが、目的地の「奥多摩寮」は、少し手前の道を入って行った所にあるはずなのに、気づかずに一回通り過ぎ、引き返すも、地図は確かに示しているのに、二回目もまた通過してしまう。気がつくと、自分らから遠ざかっているという、腹立たしい有様。

 沿道を凝視し続けているのに、道ごと消失しでもしたかのような幻の寮の行方に、『有り得ない!?』と、同行者のSさんとともに顔を見合わせる。

 こうなると、工事中により完璧に塞がれている、フェンスの向こうに、極めて細い道が存在しているぐらいしか、道を見失ってしまう理由はないだろうと、フェンスの前にいる、交通誘導員のお婆ちゃんに尋ねてみることにする。

 東京を離れて地方へ旅行に行った時など、車窓の風景で、かなりの確率で遭遇し、驚かされるのが、田舎の幹線道路などの工事現場で働いている、お婆ちゃんの姿。

 見た目、七十五歳以上のお婆さんを普通に目撃する。毎回のように感心しながらも、びっくりするというより、心配になってくる。可哀想に、そのお年で、よっぽど、家計が苦しいのか。ボケ防止なのか。人手が足りなくて、頼み込まれて無理して来ているのか。孫が二桁ぐらいいそうな皺々のお婆ちゃんが、凍てつく冬、または、真夏の炎天下、成年男子でも過酷な肉体労働に精を出し、一端の労働者として、道路建設現場で大きな存在感を放っている。

 そんなことは、東北より北のことだとばかり思っていたら、奥多摩とはいえ、我が東京でも、定年を遥かに過ぎても働かされている老婆と相対し、敬服するとともに、申し訳なくもなってくるが、「この先、通れますか?」と聞いてみた。フェンスの向こうには、少しばかりの空間がほの見え、車一台なら進めそうな道があるようだった。

「消防署までなら行けますよ」

 細い道を進んで行ったとして、森の奥にあるのは、目指す廃墟の寮だけだと思っていたら、さらに奥地には、消防署があるのだという。つまり、それは集落があるということを意味する。

 青梅街道から分岐する、獣道のようなこの道の行った先に、人が住んでいるとは到底想像もつかなかったが、限界集落が社会問題になっているのは、目の前のお婆ちゃん建設労働者同様に、何も東北や北海道だけの話ではなく、ここ、東京でも、同種の問題を抱えているのだなと、思い掛けずも、教えられることになった、今回の、道程   
 


奥多摩の寮-96
 車一台がギリギリ通れる山道を、クネクネとした崖に沿いながら進んで行った。

 道をタイヤ一本分でも外したら、即、谷底である。

 待避所はあるにはあるが、設置してある個々の場所の間隔が遠すぎて、もし対面から車がやって来たら、どちらかがバックのまま数分ぐらいをかけながら戻らなければならないと思われた。

 それは何もここだけに限ったことではなく、いつも待避所のある田舎道でそんな心配をするのだが、なぜか毎度のごとく、抜群のタイミングで待避所が控えていて、上手い具合に片方が待避所に収まり、双方通過し終え、無事事なきを得ている。

 昔からの絶妙な統計と、日本人の美しい譲り合いの精神が、狭隘道路での、円滑な通行を可能にしているのであろう。

 中国のど田舎、工事中の峠道で大渋滞に嵌ったことがある。片側通行をするような秩序など生まれようもなく、クラクションの嵐、スキを見つけては横入り、抜かし放題で、阿鼻叫喚の工事現場を抜けるのに、五時間はかかったことがあった。工事の規模が、山の斜面全域に及んでいたので、途方もないスケールの工事ということもあったのだろうけど。

 僕はエアコンも効いていない、ボロの長距離バスのコチコチに固い座席の上で、額の汗を拭うしかすることがなかった。今は確実にあの頃よりは民度があがっているだろうから、もっとスムーズに行くと思いたい。



奥多摩の寮2-2
 手前にある、緑深まる奥地には異質な、温かみのある色合いの洋風建築が「奥多摩寮」であるというのは、すぐにわかった。

 並びの奥に、もう一件の廃屋。

 寮というが、こんな辺鄙な山中の近くに工場などありそうもなく、どこに通うためにここに建てられたのか、理解しかねた。



奥多摩の寮2-1
 「難波」とある。表札にしては違和感があったので、地域名とかも思ったが、まず思いついたのが、寮長と、その家族が住む家だったのではないかということ。

 
 付近には、むかしからの馬の水飲み場跡があり、隣接して、馬を休ませるあいだに休憩できる御茶屋が、かつて三軒並びで存在したという。

 寮や、難波さんのお宅は、昔はその御茶屋さんであったらしいとのこと。

 駐車お断りの看板だけ、やけに新しく感じて、車の駐車をためらったが、そんなわけもないので、しっかりと、車を建物横に停車させてもらう。



奥多摩の寮2-3
 入ってみると、中身は取り払われてしまっている。

 撓んだ天井。ほぼ外殻のみで、中身は内装さえ持っていかれたのだろうか。



奥多摩の寮2-5
 場所的には、山の裾野の森に位置する。



奥多摩の寮2-4
 床や壁の一部が炭化しているので、ボヤがあり、中を空にした可能性が大きい。

 ご家族が住まわれていたとして、他人ごとながら、安否を心配せずにはいられない。



奥多摩の寮-1
 難波宅の痕跡は、あっても瓶ぐらいのものであった。



奥多摩の寮2-8
 弾力性を感じられる、トイレの床。慎重に進む。



奥多摩の寮-2
 身を乗り出しての、限界のカット。底が抜けたら、肥溜めのあった場所に全身を打ち付けること必至。



奥多摩の寮-90
 難波宅はこれぐらいにして、いよいよ、メインの「奥多摩寮」の前に。



奥多摩の寮-3
 山奥を敬遠しがちな、若者受けを狙ってか、欧風の別荘にも見える。



奥多摩の寮-92
 一度は密閉された、奥多摩寮   



奥多摩の寮-93
 驚いたことに、五歳ぐらいの男の子と、その両親が、奥地の方へと歩いて行くのを見る。

 やはり、集落があるのかもしれないが、それは相当離れたところにあると思っていたので、意外であった。
 


奥多摩の寮-95
 寮の端から見下ろすと、一部が瓦解。建物内の歩行にはじゅうぶん、用心をしないといけないだろう。



奥多摩の寮-91
 正面の扉より、入ってみることに   



奥多摩の寮-8
 崖に掛かっていた部屋部分は完全に崩落し、崖下でそのまま崩壊の後、朽ち始めている様子。

 左に行くと、昭和のある時間より突如、時が止まった台所、次に、エロ本が散乱する居間、その居間には、ストップひばりくんなどの、子供用ゲームもそこかしこに。相容れない物同士が混在する中に、家族のアルバムを発見するが、その写真の中に、エロ本寮の歴史を紐解く手がかりが見え隠れしているようなのだった   




つづく… 

「時間が止まった台所」森の奥の、廃墟エロ本寮.2

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