連日のように歯の痛みを訴えるキョーコさんが、その痛みの要因を理解していないのか、単に、甘い物への抑えきれない欲求と、自分の好きな食べ物を自分の手で作り出すという楽しさに目覚めたのか、今日もまた、新作のデザート作りに余念がない。
ある味のゼリーを完成させるが、その味に特有の失敗をする。特筆すべきは、どうせ目分量で材料など適当に配合しているのかと思いきや、かなりシビアで、グラム単位で突き詰めている様子。案外、この分野に向いているのではないかという片鱗を見せつけたのだ。
テスト期間に入り、最低とも言えず、かと言って、合格点には遠く、微妙な点数叩き出し、これはいけないぞと、今まから感が相当強いものの、ともすれば、小学校の高学年並の豆知識を、毎日の日記に一日一個挿入して、学力向上に務めるという、涙ぐましい、はたから見れば、最後の悪あがきともとれる、でもやらないよりはマシではあるが、その努力はこの先、報われるのか。
同級生が揃って映画を観に行く中、早くも次のお手製デザートを史之舞の住む部屋に持参する。その前で、不気味な音が漏れてくるのを、キョーコさんは聞き逃さなかった
帰りの汽車では、小学校時代の恩師と再会。
キョーコさんが、涙を流さんばかりに謝意を示した、「今こんなにも上手になったのは先生のおかげ・・・」という、今まで特に披露してこなかったので、窺い知ることのできなかった、その、彼女が自画自賛するという、彼女の意外な特技とは、一体、何であったのか
1 9 78 , ** 1 1 月 9 日 (木) 1 1: 0 6
** 昨日 の ことか ら . . . . . 1 1 月 8 日(水)
この日は 水 よう で 集体 のあ る 日 で すよ ね . と ころが
こん度か ら 5時間 目 保健 な の で うち ら の学 校 で することに
なり 6時間 目 だ け 並木 と い っ しょ にや る ん だ っ て .
おもしろくないね . 女子 は 創作ダン ス 男 子は け んどう
金山君 も 山住君 も 宮 脇 君 も 見 なか っ た . ... 。
そ* し て 今 日 、 11月 9 日 は .
歯 医者 に 行き . 史之舞 を つ れ て来 た .
た だ それだ け . 今度 何か 作 る ぞ う
それで は 歯が い たい ! お やす み .
1 9 7 8 年 1 1 月 1 0 日 ** 1 1:45
今日 の 集体 も (水 よ う ) と同 じ こ としま した,
金山君 の か お な んて 全 々で す . うわ さ の チャン
を みました , とに か く 歯 が 痛 い のには
まい ります 歯 が い たい の なお して!!
歯 が 痛 い . 全部 ぬ い て !! おやすみ .
体育の授業は、男子が剣道。女子は創作ダンス。
僕の頃も小中かは忘れたが、女子が創作ダンスをやっていた記憶がある。ダンサーでもない、ダンスの素養も無い、いち田舎の教師が片手間に考える創作ダンスなんて、その内容など、たかが知れていることだろう。
それでも最善を尽くそうと、キョーコさんの学校の先生は、例えば、アイヌ民謡の踊りを取り入れたり、ソーラン節を洋風にアレンジしたりと、世の話題にはならなかったかもしれないが、北の端の当時すでに廃校も見据えていたような、名もなき中学校の、数人ばかりの生徒達とともに、生徒間では、記憶に残るようなダンスで、楽しい時間を過ごしたのかもしれない。そんな小さな喜ばしいストーリーを汲み取ってあげたいが、残念ながら、キョーコさんはダンスには全く興味を持っていない様子。
>歯 が 痛 い . 全部 ぬ い て !! おやすみ .
連日のように歯が痛いと訴え、全部歯を抜いてくれとまで言い出すような、激しい痛みに悩まされているのに、翌日から、傷口に塩、この場合は砂糖を擦り込むような、信じられない行動をとる、キョーコさんだった
19 7 8 年 11 月 1 1 日 1 1:1 2
今日 は 土 曜 日 で した , コ ー ヒ ー ゼ リ ー を **
作りました . 結 果 と し て は . . ・ まず 少 し に が か っ た。
3 0 g 砂*糖 減 ら し た か ら か な あ .
明 日 は 史之 の 所 へ 行 く 予 定 で す ぞ . P :m 6:0 0 ごろ
まで は 歯が 痛 く て 痛 が っ て たの に 今 は寒 さ で 痛 さ も
ふ っ 飛ん で し も う た ワイ , ワ イ . 勉 強 * やら な け
れば . 来週は 完全 に テスト が ** 待ち 構 え て
い るの じ ゃ . 今 日 か ら や ら ね ば いか ん の に 。
月 よ う 理科 . 火 曜 数学 . 社会 は 終 っ た
け ど さ . 4 2 点 よ . これ で は 全々 悪 くて ,
歴史 が なんとい っ て も 弱 いの よ ね え .
今日 か ら 漢 字 を 多 く 使 う こ と に し た の だ ぞ!
少し で も と 思 っ て ね . * 何 も しな い よ り も や は り
良い と 思 いま し てね . これ か ら 別 の物 も 書き入れる
こ とにす る ぞ ! た と え ば ・ 社会 の 年号 だ と か ・
地名 だ と*か さ . 英語 の単 語 とか とか を 一つ で も
毎日 書 い て いく の よさ . そ れ で は 一 つ .
社会 で 大韓民国 首都 は . . . ? 首都 は ソウル
資 源 が と ぼ しく 日 本 か ら 独 立 し た 国 で す ぞ ・
朝 鮮 半 島 に あ る んで す ぞ 。 オワ か りか ? 英語 も 一つ
D I A R Y Diary ・ 日 記 で すね 。 そ れ で は おやすみ。
全部の歯を抜いてやりたいほど歯に激痛が走っていながらも、キョーコさんのデザートへの執着は、とどまることを知らない。作りたいのか。食べたいのか。人の喜ぶ顔が見たいのか。本人はこの段階では語っていないが、おそらく、手はじめに簡単なデザート作りで練習を重ね、史之舞に試食をさせつつ、腕に自身がついた頃、満を持して、金山君に手作り誕生日ケーキを、プレゼントしてやろうという、魂胆なのではないか。
>結 果 と し て は . . ・ まず 少 し に が か っ た。
ゼリーなんて、ゼラチンにインスタントコーヒーやジュースをいれて冷やすだけなので、デザート作りとしては、初歩中の初歩。ちなみに、僕は紋別の個人でやっていたスーパーにて、手軽に多目のデザートが食べられそうなので、フルーチェを買ってみたことがあった。いざ作ろうとしたら、ありえないことに、五年も前に製造されたものだった。捨てるのは勿体ないので、牛乳と割って食べてみたら、いかにも古くて、危険な味がした・・・。それから十数年後、そのスーパーの付近を訪れる機会があったので行ってみると、当時でも潰れそうだったそのスーパーは、建物だけはそのままに、奥に細長いというスーパーの形状をいかした、ビリヤードバーに変わっていた。ほぼ住宅街の中である。土地建物の所有は親で、息子が世代交代だとばかりに、新たな商売をはじめたのだろう。昔同様、客はひとりもいなかったので、「あの時、腐ったモノを食わせやがって!」なんていう怒りは、静まるどころか、浮かんでも来ず・・・。
あの台所には、スポンジケーキを作るような器具が見られたが、キョーコさんのお菓子作りの歴史は、今、始まったばかり。やがては、バイトでドーナツを死ぬほど一日中、揚げまくることになるのだから、少しのにがかったミスなど、他愛もない初期の些末なエピソードとして、記憶の片隅にも残らないに違いない。
>3 0 g 砂*糖 減 ら し た か ら か な あ .
グラム単位で反省点を述べ、料理については繊細な部分を覗かせる、彼女。
>歯が 痛 く て 痛 が っ て たの に 今 は寒 さ で 痛 さ も ふ っ 飛ん で し も う た ワイ , ワ イ .
決して気密性は高そうにない、あの、言葉は悪いが、あばら家の二階、深夜。十一月の初旬にもなれば、尋常ではない寒さが体の芯まで染み渡る。正露丸で歯の痛みを散らすのと同じく、寒さで歯痛もぶっ飛んでしまったというのは、あながち、冗談でもない、実感を伴った、現場からの声だろうと思われる。
>社会 は 終 っ た け ど さ . 4 2 点 よ . これ で は 全々 悪 くて ,歴史 が なんとい っ て も 弱 いの よ ね え .
絶望的な点数ではないが、金山君が進学する高校には、届かないような点数らしい。
>今日 か ら 漢 字 を 多 く 使 う こ と に し た の だ ぞ! 少し で も と 思 っ て ね . * 何 も しな い よ り も や は り 良い と 思 いま し てね .
キョーコさんにとっては、青春時代、日記の中が自分の世界の全てだった。悩んで、学んで、反省をして、夢を語る。満たされ、自立した時こそ、日記が必要とされなくなる時だと思うが、そんなことが、残された日記のページ内に、やって来るのだろうか。
>社会 で 大韓民国 首都 は . . . ? 首都 は ソウル 資 源 が と ぼ しく 日 本 か ら 独 立 し た 国 で す ぞ ・
キョーコさん、時代は激変していますよ。日本の家電メーカーは韓国のサムスンやLGに全く対抗できずに、日本市場で売っている、高齢者騙しの日本製を謳ったテレビはどれも、中身はLG製の液晶パネルです。キョーコさんぐらいの年の少女は、当時なら信じられないでしょうが、皆、K-POPに夢中です。
>英語 も 一つD I A R Y Diary ・ 日 記 で すね 。
今、これを学んでいるようでは、金山君の背中も見えていないはずだが、投げ捨てはしないという、気力だけはまだ、かろうじて、持ち続けている、彼女だった。
1 97 8 年 1 1 月 12 日 (日) 13日 0:2 2
今日 は 日 曜 で し た 。 史 之 の 所 へ 遊 び に 行く
ことに な っ て お り まし た の れした。 朝 , 8:3 0 分 の”き せひろし
ただの ひ ろ み” の ”ベス ト 1 0 ” と とも に 起き
顔を 洗い . 歌を 歌い なが ら . そ し て笑い なが ら
料 理に 朝 っ ぱ ら か ら 取 り組 ん だ .
料 理とい っ て も しれたもの . レモン ムース よ 。
い が い と か んた ん 。大成功 み た い 。 史之 の 所 へ
3 つ も って 行 っ て 一 つ 私 が 食 べ あ と 2 つ 史之 が
食 い こん だ 。 家 に は 2 つ (全部 で 5 こ 作 っ た)
一 つ は 私 が 食 べ も 一 つ は My Mother が .
今度 作 る ものは グ ラ ン ド Mother も 食べ て くれ る
よぅな . fathe r も 食べ て く れる よ う な ものに しょう.
今 日 . 並 木の駅か ら 汽車 に 乗 っ たのだ け ど も .
行 く と . 山角 君 . 阿部 さ ん キクチ ャ ン(松 井 さん)
な どな ど の 人達 が い た の だ 。聞 く と 映画 を見に
行 く んだ ってさ . あの ・・・ ・・ 羽 は な んだか を乗せて・・・
だ か と い う 映画 . 私 と し て は 山 角君 を 見 て いる
日曜だというのに、相変わらず、姉と遊ぶ約束をしている、キョーコさん。
>”き せひろしただの ひ ろ み” の ”ベス ト 1 0 ” と とも に 起き
喜瀬 浩(きせ ひろし)とは、札幌テレビ放送(STV)のアナウンサーだった人。彼がラジオを中心に活躍していたことや、朝っぱらからテレビの地上波で歌謡曲のベスト10番組はやっていなかっただろうから、キョーコさんが目覚まし代わりに聴いていたのは、ラジオ番組だったと思われる。
>顔を 洗い . 歌を 歌い なが ら . そ し て笑い なが ら 料 理に 朝 っ ぱ ら か ら 取 り組 ん だ .
この冬は思ったより積雪が過酷ではなく、キョーコさんの家も何とか倒壊を免れたようだが、今や二階部分への侵入は不可になってしまい、もはや、いつ崩壊してもおかしくない状況。
事情を知らない人なら、目を背けて通り過ぎてしまうような、うらびれた廃屋の下で、ほんの数十年前、青春を謳歌する中学三年生の少女が、朝から楽しげに歌い、笑いながら、料理を作る。そこに置かれていた日記を読み解かずに、どこの誰がその快活な少女の姿を、想像できたのか。今では、家の前に立つと、清水の流れが聞こえるのみの、寂寥感に包まれる、悲しげな情景がひろがるだけの、その一家の佇まいの成れの果て。想いよ届いてくれたならと祈りながら、書き伝えていくことが出来る最善の術(すべ)なのだろうと、決意をまた、新たにした次第である。
>料 理とい っ て も しれたもの . レモン ムース よ 。
ゼリーの次はムース。だいぶ前、テレビで川合俊一が、好きな食べ物を答えるインタビューをやっていたが、趣旨としては、料理についてのはずだったのに、彼の口から出できたのは、ゼリー、プリン、グミ、ババロア、ムース、葛餅、など、柔らかいものにやけに偏った、甘いデザート類ばかり。さらに、自宅には、懐中電灯が五十本ぐらい設置してあるのだという。各部屋に一本とかではなく、ベッドの枕元に一本。テレビの横に一本。冷蔵庫横に一本。本棚の両端に一本づつといった、具合。それらを聞いて、川合俊一に普段見せる爽やかな顔と違い、底知れぬ闇を見たような気がした。後に、ストーカー被害に遭っていたと聞いて、懐中電灯の多さには納得がいったものの、好きな食べ物がグニャグニャしたものばかりという点では、彼に対して生理的に受け付けない部分が残ったままであるのは、致し方ないところであろう。
>今度 作 る ものは グ ラ ン ド Mother も 食べ て くれ るよぅな . fathe r も 食べ て く れる よ う な ものに しょう.
お爺さんやお婆さんの話題はほとんど出てこなくても、平和な日常を送る老人に普段特筆することが無いだけで、良好な関係は保たれている様子。
>聞 く と 映画 を見に 行 く んだ ってさ . あの ・・・ ・・ 羽 は な んだか を乗せて・・・だ か と い う 映画 .
いつもキョーコさんだけハブられているような気もする。同級生と遊ぶより、お姉さんとの方が楽しいのだろうか。
ほう が い い の になあ ・・・・.。 山角君 お と な し そ う な
お と な しくな さ そ う な 感 じ の人 ・・・ *よ く わ か ら な い ,
まあ 良い . 次は .... 史之の 所 へ 直行 . *
階 段 を 登 っ た時 . 不気味 な 音 が し て きた ...
聞 こ え て き た . . . な ん て こ とは ない . そ れ は
史之 が ギ タ ーを 弾 い て い たの ら よ .
入って レ モ ン ム ース を 食べ させ て 、 史之 の
レ コ ー ド を 聞 い て . 市 に 出 た . 毛 糸 を 買 っ て
そ こ ら へ んを 見て まわって ・ ・・. ピ ザ を食べ に 行 っ た ,
ポ パ イ へ 。オイチ か っ た . 大変 **遅 れ て い る
たん生日 の プ レゼン トを もら っ た の で す . ウシシー!
そして お 家 へ 帰 っ た . 汽 車 は こ ん で い な か っ た。
行*く 時 は こ んで い たのに . 帰 り はガ ラ ガ ラ だ っ た .
帰 り の キッ プ を 買 う 時 あの な つ か しい 阿 部先生を
見た . 谷 先生 に も 似 た 阿 部 先生 が 今 . . . .
もう なつ か しさ と うれしさ と ・・. 他のもの が 合 わ さ り
涙にもな り そう な ほ ど に 感 げ き とい う よう な 感 じ
を 心 に う け た 。 ほん と の 小 さ い 小学 校 4年くらい
か ら 今 ま で 一度 も 合 っ て な い の だ か ら 。
今 、 こ のよ う に し て 絵 が う まく 書 け る の は この,
阿部先生 の お か げで ある の で す . ほ ん とに .私 に
と っ て は な つ か し く .. * 思 い 出 の 先生 だ か ら、
ほんとに 本当 に なつ か し い , ああ なつか しい .
小 さい こ ろ の 私 ・ ・・・ 小 さ な こ ろ に も ど り たい かんじ
* もう そ ろ そ ろ 寝 る とす る か . 英語 ・ RE M V M Ber
だ っ た っ け ? 思 い 出 remumber . 社 会 .
朝 鮮 民主主義 人民 共和国 .首都 ピョ ン ヤン .
それ で は も う す ぐ 1:0 0 に な る の で 寝たい と
思 い ます 。(0:53) Go od n ight 。 おやす み .
同級生は皆揃って映画に行くというのに、キョーコさんだけは日曜日だろうが、飽きもせずに姉の史之舞の所へ。
>階 段 を 登 っ た時 . 不気味 な 音 が し て きた ...聞 こ え て き た . . .
史之舞の部屋は二階の一室だった。不気味な音が聞こえてくる。お見合いをして、その相手と付き合っていたはずなのに、日曜の昼から妹と遊ぶ約束をしているということは、破談になった可能性が高そうだ。
>な ん て こ とは ない . そ れ は 史之 が ギ タ ーを 弾 い て い たの ら よ .
時代ならではの、独身女性のアパートの一室から鳴り響く、ギターの音色。お世辞にも上手ではないという表現を、やわらげるために、このような言い方をしているのだろう。姉への優しい気づかいだ。
>入って レ モ ン ム ース を 食べ させ て 、
以前、史之舞さんは通常の生活が困難な状態かもしれないという情報があったので、その頃なら、介護食のように、食べさせたのだと読み取っただろうが、さすがに今は、キョーコさん力作のレモンムースを姉に味わってもらって褒めてもらいので、急き立てるようにして、食べさせたということだろう。
>市 に 出 た . 毛 糸 を 買 っ て そ こ ら へ んを 見て まわって ・ ・・. ピ ザ を食べ に 行 っ た , ポ パ イ へ 。オイチ か っ た .
この時代に、ハンバーガーやピザを当然のように食べる生活。東京に住んでいても、誰もがそういう環境にはなかったはず。人によっては、新宿まで行かないと、ハンバーガーなど買えないとかざらだった。枯れる寸前の石炭産業の恩恵を、少なからずとも、キョーコさんは享受していたようだ。
>帰 り の キッ プ を 買 う 時 あの な つ か しい 阿 部先生を見た .
恩師、阿部先生を発見する。
>もう なつ か しさ と うれしさ と ・・. 他のもの が 合 わ さ り涙にもな り そう な ほ ど に 感 げき とい う よう な 感 じ を 心 に う け た 。
今まで、新人バスガイドの最後の演説に感動したりと、泣きたくなるほどの感激を何度も味わってはいるが、決して、泣くことはない、キョーコさんであった。そう、安い涙は流さない、性根の座った、精神性の強さを持ち合わせているらしい。
>今 、 こ のよ う に し て 絵 が う まく 書 け る の は この,阿部先生 の お か げで ある の で す .
このようにと言うが、どのようなのかイマイチわからないが、キョーコさんは自画自賛ながら、絵には自信があるようだ。それには権威付けによる自信も備わっているだろうから、かつて、美術展などに選出されたことがあるのだろう。
>英語 ・ RE M V M Ber だ っ た っ け ? 思 い 出 remumber
英語は中学に入っていきなりやらされるので、苦手意識があると、ズルズルと来てしまいわからず仕舞いのことも多い。塾で補うのが一番なのだろうけど、通わせてくれるような環境もなく、これでは、金山君の背中は遠のいていくばかり。
北朝鮮の首都をこの時期に憶えたところで、進学には全く関係無いかもしれない。決して投げ出さないという強い意思だけは常に持ち続けようとする、キョーコさんであった
暴飲暴食がとまらないキョーコさん。街へ行き、チキンの店からまたチキンの店へとハシゴをしてしまうほど。
二択で悩む、高校進学。均くんには、金山君と一緒の高校は無理だと言っておきながら、心の中では、何くそと、そう簡単に諦められない自分との葛藤
未来はテストの結果にかかっているといってもいいが、そのテストの結果は、見るも無残なものであった・・・・・・
つづく…
「少女の屈辱、はしご食い」実録、廃屋に残された少女の日記.77
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コメント
コメント一覧 (38)
あきらさん。
なんでも、アメリカの学生でも今は筆記体、読めないらしいですね。
元はタイプライター文化だったこともあるし、合理的で良いのかな。
キョーコさぁぁぁん、この時期にこれじゃ(笑)
そう言えば最近は英語、筆記体は習わないそうです。
手紙を書く時等、筆記体の方が速いんですけどね。
パソコン、スマホの普及でめっきり字を書く事自体が減って来ましたね。漢字をつい度忘れしたりします。
どうも、久方ぶりとまではいかないと思いますが、お久しぶりです。
読む習慣の中に入らしてもらっているだけで、こちらこそ、感謝です。
>キョーコさんの日記も好きですが、やっぱりカイラスさんの何気ない言葉のチョイスやエピソードが自分にはツボです笑
枝葉の部分まで読んで楽しんでくれているんですね。書き進めながら、全く関係ないし無駄なのでは?と、思う時もあったりしますが、そこまで言われると、例え数%の人に向けてでも、自分で決めたら書こうと、今、しみじみ思った次第です。
>今回も川合俊一のくだりでは笑わせてもらいました、職場の休み時間だったのにも関わらずクスッと声が漏れてしまうくらいツボでした。
川合俊一のゼラチン好きや懐中電灯大量所持の話題は、実生活では話す空気にどうしても恵まれず、ならば、本筋の脇にでも書いていおけば、つっかえていたものも、取れるだろうと、こっそり、記述してみました。少なくとも、一人の人には刺さったようなので、良かったというか、あの言い表しにくい部分が、伝わったことがうれしいです。
紆余曲折あるとは思いますが、また次からも、よろしくお願いします。
カイラスさんいつもブログ更新おつかれ様です。数少ない生きる楽しみを1つ増やしていただいて感謝しております。
キョーコさんの日記も好きですが、やっぱりカイラスさんの何気ない言葉のチョイスやエピソードが自分にはツボです笑
今回も川合俊一のくだりでは笑わせてもらいました、職場の休み時間だったのにも関わらずクスッと声が漏れてしまうくらいツボでした。周りにはさぞ気持ち悪がられただろうと思います。
これからも楽しみにしています。
お体に気をつけてください。
お待ち頂き、ありがとうございます。ひとつ前の記事ですが、こちらに返信します。
>無残なものよ、とかやはり前時代の女の子なのだなぁと思うような言い回しが散見されますね。
数十年も前ですから、現代では使わないような言い回しも、また、郷愁を誘うのではないかと思います。あぁ、70年代だったのかと。次では、松山千春に、ハートマークを何十個も書いていたりして、時代の変遷を感じずにはいられません。
>食欲旺盛な時期、まさに私にもありました。 あの頃は家にお菓子があろう物なら食べつくす勢いで。
誰しも、通る道でしょうね。ケンタッキーでチキン一つ、他で四つとか、そこまで詳細に記す必要あるのかなと思いますが、キョーコさんにとって、今が、一番の盛りなんだと思います。
>この頃のこの地域は余程栄えていたのでしょうね。
僕が初めて北海道に行った時は、この年代より後ですが、マクドナルドはおろか、ケンタ、コンビニを見かけたのは、札幌より北には無かったような気がします。旭川にはあったかもしれませんが。駅前老舗高級デパートといい、炭鉱産業の旺盛は今では計り知れないものがあったのだと思います。
>一度だけ観光で軍艦島に渡りましたが楽しみにしていたのに本当に少ししか探索できず端をちょっとだけ見た程度で…
行かれたのですか。一部だけを、スロープに伝っての見学ですよね。僕が中学生の時に泊まった長崎のユースホステルでは、無許可軍艦島ツアーがありました。ツアーといっても、漁師の漁船に乗って、決められた時間に帰してもらうやつです。今思うと、参加していればなと。廃墟ブームより遥か以前だったので、崩壊もそんなに進行していたかっただろうし。見たい時に押し入ってでも見ろ、それが廃墟ですね。
廃墟記事、日記ともども、これからもよろしくお願いします。
最新のキョーコさん記事にコメントしたつもりが間違えてしまいました…
なんともドジで…またまたすみません…
間違えていきなり送信してしまいました…。
すみません…
キョーコさんの記事の続き楽しみにしていました。やっぱりリアルタイムで追えるのは良いですね。
無残なものよ、とかやはり前時代の女の子なのだなぁと思うような言い回しが散見されますね。
食欲旺盛な時期、まさに私にもありました。
あの頃は家にお菓子があろう物なら食べつくす勢いで。
私はキョーコさんより10歳以上歳下だと思いますがピザやケンタッキー田舎住まいで中学生の頃は殆ど食べたことが無く憧れの食べ物でした。
この頃のこの地域は余程栄えていたのでしょうね。
カイラスさんが廃墟探索の際、現場を悲観的に見ないと言われていて、ずっと昔に他の廃墟サイトで軍艦島は廃れて廃坑になったのでは無くまだ活気のある状態で廃墟になったのであまり陰鬱な雰囲気が無くむしろ楽しげだ。というような事を書かれていたのを思い出しました。
一度だけ観光で軍艦島に渡りましたが楽しみにしていたのに本当に少ししか探索できず端をちょっとだけ見た程度で…なんともお粗末でしたが改めて探索される方達の凄さを感じました。
話が逸れてしまいましたが今後もお怪我などに気をつけて末永く探索を楽しまれて下さいね。
私も更新を楽しみにしています。
どうも、はじめまして。コメント、ありがとうございます。
ら抜き言葉や助詞の省略がほとんど使われていないのは、時代性と、いうても、当時のこの年代の人達は、本を読んでいたからなのかもしれないですね。部屋には、小説が結構転がってましたし。今の時代、読まない人は全くまともな文章に触れる機会が無いので、口語で書いてしまったりするのでは。
>中学生のキョーコさんがSNSと活字離れに染まった現代の若者達(僕もですが(笑))をみたら、どう思うのかが気になります。
ただ、繋がりと承認欲、誇示を前提とした文章になるだろうから、ここまであけすけな、時には、素朴すぎる内容になるかなと。ただ、閉じられた世界で無いので、伝播していく可能性の面白みは期待できますね。
>とはいえ何よりも、日記の中の彼女が本当に楽しそうで、生き生きとしているのが一番の魅力なのですが!
それは言えます。あの北の端の小さな今では廃屋の下に、毎日のように溌剌と暮らしていた女の子が、いたのだなと、画が浮かんでくるように感じます。
>大学で言語学と発達心理学を学んでいるので、その辺からこの日記を見たらどうだろう?と思い、
多方面の方から読んでいただき、応援までしたもらって、励みになり、原動力になります。これからも、引き続き、よろしくお願いします。
ここまでキョーコさんの日記の文章を読んでみて、漢字の少なさやスペルミス等、字面だけ見れば稚拙な反面、ら抜き言葉や、「〇〇行く・〇〇食べる」などの助詞の省略がほとんど用いられていないのは何故だろうというのが、僕の最初の感想でした。文全体でも、方言は難しいですが、意味がすっと入ってきて、簡単にイメージができました。
この字面の稚拙さと文章構成能力の高さのギャップは、現代の人、特に彼女と同年代位の子にはあまり見られないよなあ...と。
基本的にはどちらも一様に高いか低いかの二極かな?と思います。もし、中学生のキョーコさんがSNSと活字離れに染まった現代の若者達(僕もですが(笑))をみたら、どう思うのかが気になります。
そんな彼女の不思議な文章力に僕は惹かれました。
とはいえ何よりも、日記の中の彼女が本当に楽しそうで、生き生きとしているのが一番の魅力なのですが!
大学で言語学と発達心理学を学んでいるので、その辺からこの日記を見たらどうだろう?と思い、ひとり盛り上がってしまいましたが、これからも陰ながら応援させて頂きます。
どうも、はじめまして。お読みいただき、ありがとうございます。
シリーズが70を越しながらも全部目を通していただけるのは、嬉しい限りです。
>山村留学していたので、当時を思い出して少し懐かしくなりました。
良い経験ですね。僕の頃にあったら、やってみたかったです。親と毎年同じ海に行ってましたが、いつも同じなのでほとんど記憶に残ってません。
>畑やら放牧地やらが無限に広がっていくさまには度肝を抜かれました。
函館から行った人でさえ、感動してましたから、北海道でもまた違った景色なんでしょうね。
>当時は廃屋に興味がなかったので、あの時キョーコさんのお家にも寄れたらよかったなあ...
普通、道沿いに廃屋があっても、入ろうとはしないですからね。あっても大概、独居老人のものです。そして、数年もすれば、形が無くなっているかもしれないという、儚さ。一時のものですね。
>思い出が蘇ってくると同時にまた北海道に行きたいな、と思いました!
中国人観光客を押しのける勢いで、また、行ってみてください。ここを読むことにより、山留生さんの旅の楽しみ方も変わったでしょうから、違う側面が見られると思いますよ。
引き続き、ご愛読、よろしくお願いします。
昨日の夜になってようやくキョーコさん日記シリーズの最新記事まで追いつきました!
あとこれは全くの偶然でびっくりしたのですが、藤淵その他登場する地域に関する私の推測が合っていれば、少し前に2年ほど、藤淵より東の地域に山村留学していたので、当時を思い出して少し懐かしくなりました。(とはいえ、キョーコさんより三回り弱ほど年下なので70年代当時のことはよく分かりませんが...。)私が留学前に元いた地域がかなりの都会だったので、畑やら放牧地やらが無限に広がっていくさまには度肝を抜かれました。
あと最後にもうひとつ、向こうでお世話になった人に1度だけ行間辺にも連れて行ってもらったことがありました。泊りがけで色々ツーリングしたり、電車で市内にも行って買い物したり...。当時は廃屋に興味がなかったので、あの時キョーコさんのお家にも寄れたらよかったなあ...と今更ながら後悔です( .. )
''電ぱ''ってアレのことだったのかなあ、としみじみと思い出すことしか今はできませんが、思い出が蘇ってくると同時にまた北海道に行きたいな、と思いました!
これからも更新楽しみにしてます!
キョーコさんは各駅しか乗っていないと思いますが、路線としては本線なので、当時より少ないものの、全体的にそこそこの本数があります。
>もしかしたら廃線になってそうな気もしますが
本線というのは普通なかなか廃止にはならないものですが、昔、名寄本線が廃止に追い込まれました。キョーコさんの地元の本線も、過去に何度も、廃止の噂が囁かれていますよ。
どうも、はじめまして。
僕の書いたものに感化され、あの地まで行っていただける人には、ただただ、感謝です。こんな自分でも、人を動かせるのだなと、やりがいも増してきます。
>雪が降る中半分壊れたキョーコさんの家はとても寂しく、家の前で日記を頭の中で思い起こして佇んでしまいました。
僕が行った頃は中に入れなくなるとまでは想像しませんでしたが、過酷な気象条件なので、仕方がないんですね。目の前の映像と、飛び跳ねるような内容の日記の違いに、戸惑ったことと思います。
>学校にも行ってきました。
僕はまだ行ってないです。知りようが無かったので当たり前かもしれませんが。次は行こうと思ってます。
激励、ありがとうございます。これからも応援、よろしくお願いします。
どうも、こんばんは。
この年頃は体格も意識も顕著に変わりますから、字も相応に変わっていっているのかもしれません。僕は常に追っているので、変化には気づきにくいですが。
>時にポエムがまた以前より切々と綴られていたり 私、つい吹き出してしまった事があります 皆さん今回は一段と切ないなどとコメントされていて己の心の汚さに反省しております
僕と同じですよ。ブログ内で蛭子さんの、葬式に行ってケタケタ笑いだすというのを批判したことがありますが、近親憎悪みたいなもので、僕も葬式では思わず吹き出してしまうタイプです。実際、友達の父親の葬式でやってしまった経験があります。神妙なものを深刻に捉えられないというか。廃墟や廃屋に行っても、家の人はどこかで元気にやっているだろうと、常に楽観的に考えてます。自分の父親が死んだ時はネパールにいて、死に目に会えなかったので、まだ生きているような感覚があります。時々父を思い出して涙・・・なんて、ないですね。
>最初の廃屋の部屋を見てこの子、高校生くらいでグレたんだろうなーと思った事を思い出しました
時代的に、煎餅みたいな通学革カバンに、引きずりそうな制服のスカートですよね。ああいう姿をした人が、果たして毎日のように日記を綴るのか、興味があります。
>ヤンキー娘がひっそり乙女なポエムを綴る日記帳 昔、奇面組に似た様な話があったような気がします
つっぱりは仮面を被っているようなもので、文面は変わらないんですかね。マンガを地で行くようなら、より一層楽しめそうです。
当分続きそうなので、引き続き、よろしくお願いします!
遡って51から夢中で辿って追いつきました
キョーコさんの日記、漢字増えたなーとか字が少しずつ大人びてきてるかなとか考えながら…
最近は随分と1日の日記のボリュームがありますね
記事の書き起こしも大変だと思います
時にポエムがまた以前より切々と綴られていたり
私、つい吹き出してしまった事があります
皆さん今回は一段と切ないなどとコメントされていて己の心の汚さに反省しております
キョーコさんのヤンキー説が出ている時期がありましたが私自身、最初の廃屋の部屋を見てこの子、高校生くらいでグレたんだろうなーと思った事を思い出しました
時代が80年代に向かう時期、ツッパリとかなめねことか数年後には流行っていたと思うので心からグレたというよりカッコいいと思ってファッション的に惹かれたのかもしれませんが
ヤンキー娘がひっそり乙女なポエムを綴る日記帳
昔、奇面組に似た様な話があったような気がします
長々と長文失礼しました
また他の記事も含めて楽しみにしています
どうも、はじめまして。長期のシリーズにもかかわらず、全てに目を通してもらい、有り難い以外の言葉が見つかりません。
>もしかして両利きで、文字を書くときは右手メインだったのでは?
正直言って、僕は行き当たりばったりで、余裕が無くて、コメント欄で補足してもらうことが多いです。s.sasakiさんのあげた過去のキョーコさんの発言を参照すると、確かに、左でも書けるようでもありますね。時代的にも、右利きに矯正され、中途半端に、左右が使えるのかもしれません。事実、僕は、箸が右で、書くのは左です。
>「金山・山角・宮脇」の頭文字と解釈しても通じます。
なるほど、そういうことにもなりますね。忘れた頃に、日記内で触れる可能性もあるので、その解釈を踏まえながら、読み解けたらなと思います。
>どうも「並木は僻地でないから僻地音楽会に参加しない」と考えた方が
その通りでしょうね。僕は、普段から僻地僻地と日記シリーズ内で言っていたので、文字通りの僻地ネタが出てきて舞い上がってしまい、僕からみたキョーコさんの地元が僻地であるという固定観念から抜け出せずでした。あの家だけをみれば、確かに僻地なんですが、地元の序列からいえば、まだまだ僻地がありますよね。
>何だか粗探しみたいで申し訳ありませんが、今後の解読の助けになればと思いました。
なかなか過去記事を振り返ってとか、難しい分量になってきているので、助かります。
これからも、是非、よろしくお願い致します。
読み進めていく上でいくつか気になった点があったので、お伝えします。
(1)キョーコさんの利き手
キョーコさんは左利きということになっていますが、最初の方で「右手が疲れたから左手で書いてる」といった表現や、「左利きの金山君が格好いい」、「金山君と同じように左手で書く練習をしている」とありました。
もしかして両利きで、文字を書くときは右手メインだったのでは?
(2)㊙️K・Y・M条
第66回目に「松本くんでもいい、K・Y・Mでもいい、中村くんでもいい」とあります。
キョーコさんの中ではすっかり終わってしまったブーム(?)なので話の本筋には関係ないかもしれませんが、「金山・山角・宮脇」の頭文字と解釈しても通じます。
(3)僻地音楽会
第68回目にて、「へき地音楽会にも並木は来ない」とありました。
カイラス様はこれを「行間辺は僻地すぎて僻地音楽会すら開催されない」と解釈していらっしゃる様ですが、どうも「並木は僻地でないから僻地音楽会に参加しない」と考えた方が自然に話が繋がるような気がします。(実際、その後行間辺は音楽会に参加し、並木は参加していません。)
何だか粗探しみたいで申し訳ありませんが、今後の解読の助けになればと思いました。
結末がとても気になるので、ぜひ最後まで続けてください!陰ながら応援しています。
手芸店ですか。あったんですね、それも、二軒も。廃業は相当早い段階だったろうと、察します。
>毛糸の品ぞろえが豊富だったので、多分その店かと・・・
昔、リリアンとかいうのを小学校の同級生がやっていた記憶があるんですが、それもそこで売っていたかもしれないですね。金山君にアルファベット入りのセーター、編んであげて欲しいです。そういう手芸文化の、最期の世代じゃないでしょうか。
>店名は、かつて新宿東口にあった安さ爆発の家電量販店と同じだったような気がします。
ヨドバシとどこで差がついたのか、消滅してしまいましたね。歌のインパクトはヨドバシより上でした。
>このブログを拝見すると、忘れていた街並みが蘇って楽しいです。
僕も住んでいたわけでもないのに、当時の賑やかだった駅前などが、ありありと、浮かび上がって来るような錯覚に陥ります。日記はドキュメンタリーみたいだし、元・市民さんなどが思い出を補足してくれるからでしょうね。
キョーコさんが、「市で毛糸を買った」という記述。
思い当たるのは、丸三の向かいあたりにあった二件の手芸品店。
一件は主にボタンを扱っていて、もう一件は
藤淵で当時一番、毛糸の品ぞろえが豊富だったので、多分その店かと・・・
店名は、かつて新宿東口にあった安さ爆発の家電量販店と同じだったような気がします。
このブログを拝見すると、忘れていた街並みが蘇って楽しいです。
しかし、ポパイの場所が思い出せない・・・
澱粉のお湯割りとか、あまり聞かないデザートですね。昔の厳しかった生活を教えるために、ひとしさんに食べさせたのでしょうね。僕の家の場合、昔は結構裕福だったのに、時が経つにつれて、経済的に困窮していきました。車が、高級セダンから、コンパクトカーみたいに。服なんか全部クリーニング屋に出していた頃が、懐かしいです。
>昔ってオーブンやらレンジって普通に20~30万してたはず? 一般庶民はそうそう買えない製品ですよ。
レンジも昔は高かったですよね。近所で買った人がいると、主婦がその家に集まったりして。
>小学生時代同級生のお宅に自動食器洗い機見たときは驚きでしたわ!
アメリカではかなり昔からあるんですが、日本だとここ二十年ぐらいでしょうか。昭和四十年なら存在も知らない人ばかりだったかと。僕は友達の家に行ったら、チャンネル式のテレビが、リモコンだったことに驚いたことがあります。あのつまみを、爆音をたてながら、モーターで強引に回してました。早すぎた機能だったのか、その家以外では見なかったです。
ゼリエース、僕の家でも定番ではなかったですが、食べた記憶があります。プラカップのゼリーが普及する前だったから、当時食べた人も多いんでしょうね。あと、毒々しい色の、エメラルドグリーンや蛍光ピンク色のシャーベットなども。ほぼ、色が付いた氷でしたけど。
>お正月はカチカチお餅でかき餅も作ったなぁ
うちのお婆ちゃんは、カビだらけの餅でそのままかき餅を作ってました。見える部分のカビを取り除いても、菌糸が伸びているので危険なんですよね。一族に癌で死んだ人はいないので、そんなに気にすることはなかったかもしれません。
>町内にアメリカ人一家が住んでて、一回手作りクッキーをもらったけどすごくおいしくて 母がわざわざ辞書もって作り方聞きに行ったんだけど、オーブン自体家になくて挫折www
昭和の横浜っぽいエピソードですね。オーブンって、電子レンジのように値段が下がって普及というより、食生活の欧米化により、必要となってきた器具ですよね。少し前は、贅沢品だったかもしません。だいぶ昔、黒人のマッチョがCMで「おまえんちにも、オーブントースターぐらい、あるだろう?」といいながら、冷凍ドリアを宣伝してましたが、痛い所をついているなぁと、オーブンのある家を羨んだ記憶が、いまだに忘れずに残ってます。
>ここで道内在住の方がキョーコ邸、実際に見ておられるのを読むと羨ましい限りですわ
内地からは、なかなかこれだけを目指しては行きにくいし、難しいところです。道内だったら、ひとっ走りなんですけど。
レモンムースを作った、あの台所はまだ、なんとか無事でしたか。屋根が強風でブラブラ揺れているとは、末期的ですね。
>辛うじて玄関と台所付近が原形留めてる状態でした。
欲を出して探索しようものなら、崩れてきて下敷きになる可能性が大のようですね。後に続く方は、じゅうぶん、気をつけてもらいたいものです。
家の母親は子供時代裕福ではなかった様で、澱粉をお湯で溶いて砂糖を入れた物を食べていたそうです。
僕も食わせられた経験アリ(笑)
昔ってオーブンやらレンジって普通に20~30万してたはず?
一般庶民はそうそう買えない製品ですよ。
小学生時代同級生のお宅に自動食器洗い機見たときは驚きでしたわ!
昭和40年中頃でした。
春先はそこらへんに生えてるヨモギと白玉粉で草餅、夏はゼリエース、
秋はスイートポテトか芋入り蒸しパン、お正月はカチカチお餅でかき餅も作ったなぁ
たまにホットケーキ、パン耳を揚げてお砂糖かけたやつ、蒸しプリンもあった!
関東でもこのレベルだったんでキョーコさんハイカラだと思う ムースなんてあったかなぁ…
町内にアメリカ人一家が住んでて、一回手作りクッキーをもらったけどすごくおいしくて
母がわざわざ辞書もって作り方聞きに行ったんだけど、オーブン自体家になくて挫折www
ここで道内在住の方がキョーコ邸、実際に見ておられるのを読むと羨ましい限りですわ
辛うじて玄関と台所付近が原形留めてる状態でした。
馬が数頭放し飼いされていて、全馬にジーっと見られつつ現場をあとにしてきました。
あの家まで行ってくださり、僕のペンがそうさせたのかと思うと、続けてきて良かったなと、しみじみ、思います。おかげで、というのもなんですが、キョーコさんシリーズ、廃墟探索記事ともども、最近、より多くの方に読んでもらっているようで、有り難いの一言です。
>買うと高いのは想像がつきますがそれでもスイーツを子供が好きに作れる環境って当時それなりにいい暮らしだったのかなと思ってしまって。
あの家の現況を見ているので、偏ったイメージがありますが、次の日記では、かなり豪勢にファーストフード店をハシゴしたりと、つつましいのか、余裕があるのか、確かに、判断がつきかねるところはあります。
>あとキョーコさんや頻繁に帰ってくる史之舞は最寄り駅から自宅までどうやって移動してたのかも気になってました。
オーソドックスに、徒歩と汽車だと思います。内容からすると、街の駅からはすぐ近くのアパートっぽいかなと。当時はあの駅前近くに、木造アパートが軒を連ねていたのかと思うと、時の流れを感じます。これからは、パチンコ銀座になってしまわないかと、遠い東の地より、危惧しています。
ほうれん草を多用した、ピザ屋でもあったのでしょうかね。もちろん、版権料など無視の店。
>毛糸を購入 誰かさん?の為にセーター、マフラーでも編むのかな? 史之舞にかな?
レモンムース同様、手はじめに簡単なものを作り、史之舞にでもあてがい、経験を積み重ねたところで、金山君でしょうけど、昔のドラマでもよくあったように、今では廃れてしまい、実に惜しい文化でした。大量生産により、何でも安く買えてしまうのは、考えものですね。
>冬場の毛糸の靴下から女の子は二枚重ね用にパンツまでも普通にありましたが、中学生のキョーコさんは靴下、パンツは無いだろうと思います。(笑)
全然エロくない、二枚重ね用の毛糸のパンツ、ありましたね。当時は皆、手作りでいろいろアレンジしてたのでしょう。
>雪も無くなり、気温もやっと10℃台までなる様になって来たので、暇見てキョーコさん宅の調査に行こうと思案中です。
有終の美を、見届けてきてください。見過ごしてきた、毛糸のセーターなど、あったりして。
一瞬、何のことかと思いましたが、わかりました。訂正しておきました。ありがとうございます!
料理への探究心が芽生える時期も重なったみたいですね。自分で食べて良し、クオリティを高めて、プレゼントとして尚良しと。島田紳助が、子供に物を買ってあげることは、楽しみを奪うことだ、という、名言を吐いてましたが、コンビニで何でも買えてしまう、現代、キョーコさんは、楽しんでもいたのでしょう。
>STVの喜瀬さんの番組は私も聴いておりました。 のちに「喜瀬浩と堺奈穂子の北海道ヤングヒットテン」というタイトルになり
アシスタントの女性だけ変わって、番組枠は続いたんですね。中学生に人気のラジオDJということは、東京で言えば、吉田照美のような存在だったのかもしれません。
>再現ビデオで紹介された凶悪犯の女性D道寺は藤淵で一番賢い高校の出身です。
そんな凶悪犯があの街出身だとか、ご両親は散歩で外出も出来無さそうですね。しかも、地元では優良高校の出身で、期待もされていたのに・・・。意外にも、芸能人や有名人を輩出している高校が多いことに、驚かされました。
中学の頃僕も、焼き肉に目覚めてしまい、ふっくら気味になったことがありました。人生で、食が一番進む時期でしょう。今では、気を許すと、ガンじゃないかというぐらい体重が減ってしまうこともあり、努めて、無理をしてでも、食べるようにしています。
>今ではピザも色々ありますが、当時はピーマン、サラミ、トマトが乗っている位でした。
そうでしたね。日本のピザの原風景というか。今もそうですが、生地は圧縮した食パンのような、本場とは違い、柔らかめのやつ。僕の地元でも、近年まではピザ専門店なんてなかったので、北の端ながら、キョーコさんの隣街は、栄華の残り火のようなものが、まだ、くすぶっていた、ギリギリ、良い時期だったみたいですね。
>毛糸を買って編み物でも?!
やけに毛糸買うアピールをしているなとは、思ってました。本格的な冬に備えて、手袋か、セーターかを、金山君にプレゼントとするつもりで取りかかるも、結局、お姉さんにあげてしまいそうです。
他のブログも更新のたび何度も読んで楽しませてもらってましたがキョーコさんは昔の自分を見ているような勝手な親近感が湧いて本当に大好きです。
40年前に中学生が家でよくスイーツを作るって割とあったことなんでしょうか。
買うと高いのは想像がつきますがそれでもスイーツを子供が好きに作れる環境って当時それなりにいい暮らしだったのかなと思ってしまって。
あとキョーコさんや頻繁に帰ってくる史之舞は最寄り駅から自宅までどうやって移動してたのかも気になってました。
徒歩だとかなりありそうな‥
平壌のくだりに対するカイラス様の冷静な突っ込みも笑わせてもらいました。
ピザのポパイ?これも初耳です。
毛糸を購入
誰かさん?の為にセーター、マフラーでも編むのかな?
史之舞にかな?
自分用かな?気になりますね。
僕らの幼少期は母が編む、毛糸のセーター、マフラー、冬場の毛糸の靴下から女の子は二枚重ね用にパンツまでも普通にありましたが、中学生のキョーコさんは靴下、パンツは無いだろうと思います。(笑)
雪も無くなり、気温もやっと10℃台までなる様になって来たので、暇見てキョーコさん宅の調査に行こうと思案中です。
STVの喜瀬さんの番組は私も聴いておりました。 のちに「喜瀬浩と堺奈穂子の北海道ヤングヒットテン」というタイトルになり、当時の中学生に人気がありました。
余談ですが、先日TBSで放送された「号外が出た事件をランキングにする番組」内にて、再現ビデオで紹介された凶悪犯の女性D道寺は藤淵で一番賢い高校の出身です。
街に行ったからには、食べなければ的なものがあったのですかね。
今ではピザも色々ありますが、当時はピーマン、サラミ、トマトが乗っている位でした。
毛糸を買って編み物でも?!
キョーコさんは
不器用だと勝手に決めつけていましたが。