鍾乳苑-30
 非常線の張ってあったドアは施錠してあったので、一段上がった横のドアから、入らせてもらうことに。

 ドアを開けてみる。特になんの障害が立ちはだかるわけでもなく、容易く内部の侵入に成功した   

 入ってすぐには、トイレがあり、



鍾乳苑-31
 その先にはまるで地下牢でもあるかのような、暗く長い廊下が続いていた。

 ここに限ったことではないが、板敷きの廊下に、コンバットブーツは、タップダンスの比ではなく、その存在を主張し過ぎるほどに、施設内に響き渡ってしまう。

 だからといって、靴をわざわざ脱ぐこともなく、僕はいつも、こういう時は、より強く床を踏み叩いて、大きな音を奏でながら、さながらパレードのように、突進して行くことにしている。

 静寂を切り裂く、その、場違いなけたたましい音は、ひとり気が狂ったように見えるかもしれないが、気の弱い定住者や小動物などが住み着いていた場合、『危ないのが来た・・・』と思わせる効果がおそらくありそうなので、余計な接触を避けるためにも、ひたすら逃げて行ってくれることを願い、今日もまた、同様に、打楽器のように廊下を派手に打ち鳴らしながら、中へと入って行った   



鍾乳苑-39
 早速、廃墟での自殺多発現場でもある、ボイラー室。

 以前訪問した、北海道の首吊り自殺のあった廃墟ラブホテルでも、定住者が最後に選択した場所は、ボイラー室であった。

【併せて読みたい】北の杜、首吊り自殺の廃ラブホテル訪問

 俗世間から姿を隠し、流れ着いた廃墟。いつからか夜になると、狂ったようにバカ騒ぎをしにくる、若者達が連日やって来るようになる。金も、行き場も、生きる理由も失った彼が、廃墟でさえ居所がなくなり、選んだ最後の最後の隠れ場所が、ボイラー室だった   

 ここでもそうだったのだろうかと、調べてみたが、そのような痕跡は見当たらず。



鍾乳苑-40
 読売新聞。昭和62年12月13日(日曜日)。



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 スリッパどころか、コンバットブーツで我が物顔で歩き回っていることに、”申し訳ない”以外の言葉が見つからない   



鍾乳苑-44
 耳を澄ましながら、気配を窺いつつ、登っていく。



鍾乳苑-46
 台所は、一灯も無い、漆黒。

 毎回チェックを怠らない、廃墟での冷蔵庫確認は、ただの空でした。



鍾乳苑-47
 調理に関する、営業許可証か。夢と希望を膨らませ、営業許可の申請をしたこの時、今の惨憺たる現状は、到底、想像できなかったことだろう。



鍾乳苑-49

 

鍾乳苑-51
 とある、一室。「鍾乳苑」と書かれた提灯。黒胡麻のような大量のつぶつぶは、ネズミのフンである。



鍾乳苑-50
 こんな立地に建てる酔狂な宿経営者がいるのだろうかと、本気で宗教施設説の信憑性を再考してみようかと思った、その時、こんなポスターの掲示を目にする。

 ある時期までは、本気で観光を目的とした、宿を経営していたことは、確かなようである。



鍾乳苑-52
 同行者のSさんが、各部屋で見たこともない本数のカメラを立てて撮影をしているので邪魔になると思い、先にこっちを見ておこうと、階段を下り、別棟の建物へと。



鍾乳苑-53
 地味なモノトーンで統一されていたかに見えた、鍾乳苑の建物だったが、ここからは、彩色も豊かに感じられた。



鍾乳苑-54
 黄色の非常線テープの貼られていた観音開きドアの裏側。かつてはロビーであり、お土産売り場であったのだろう。



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 もしかしたら、この部分は後から増設されたのかもしれない。一向に来ない客に業を煮やし、洋風の建物を新築して規模の拡大をしてみたが、問題はそこではなかったらしく、負債が雪だるま式に増えてしまい、無残にも、廃業へと追い込まれた、鍾乳苑オーナーの失態   



鍾乳苑-56
 優雅なクラッシック音楽が流れていた、レセプション。



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 「学生寮のようだ」と僕が評した建物の方へ行ってみる。



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 雑魚寝部屋か。お座敷食堂か。当時の賑わいは残念ながら少しも残っていない。



鍾乳苑-60
 これでは、薄い氷の上を歩いているのと同じ。これから行くという人は、ここには立ち入らないのが賢明だろう。



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 後ろを振り返り、押入れだった跡に目を向けると、ピザを作る時に用いる、シュレッドチーズと化した、おそらく、枕の成れの果て   

 あぁ、枕の最期って、こんな風になるのだなと、感心しながらこれを眺めていたその時、階段の上から転げ落ちるような勢いで、同行者のSさんが息も荒く、目を剥きながらやって来た。

「カイラスさん、人がいますよ!!!」

 それから畳み掛けるようにして、人のいるという部屋の他にも、出川が霊を感じ取った部屋、そして、長年の経験による検証と動かしがたい決定的な物的証拠の発見により、ほぼそこであろうと僕が確信をした、紛うことなき自殺現場も、特定の運びとなったのだった   




つづく…

「根拠のない心霊部屋」山奥の、心霊廃墟旅館.3

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