夜道-1
速度はせいぜい時速10キロ前後。霧と暗闇の中を黒岩の繰るステーションワゴンがのろのろと歩を進める。

大きなカーブでハンドルがずれてタイヤが笹薮にはみ出した。と、藪の中からライトに向かって飛び込んできた大量の蛾が、フロントガラスを叩き付ける。

「クソッタレ!」

サブロウが悪態をついた。黒岩がハンドルを切って車体を砂利道に戻す。


<廃墟サークル『薄昏(うすぐれ)』メンバー>
 黒岩(男)35歳:リーダー。
 サブロウ(男)34歳:開錠のプロ。
 (女)24歳:女子大生。
 金城(男)40歳:廃墟写真マニア。
 ホイさん(男)42歳:在りし日のウタリ山荘をよく知る元登山家。
 ミッチー(女)33歳:同、ホイさんの恋人。
 (女)29歳:廃墟情報の生き字引。
by sabu
【読んでおきたい】廃墟、『チニカ山荘』荒くれ探索


金城があくびをしながら腕時計を覗いた。

「・・8時には、着きそうにないですな。」

澪も携帯電話の時計を覗き込みながら、前席の二人と金城に順々にグミキャンディの袋を差し出した。

「・・なんだか、申し訳ないなぁ。」

戻った菓子袋にガサゴソと指を突っ込みがら、澪が寂しげな笑顔で呟いた。

黒岩が運転席から振り返り、問う様に目を向ける。

「だって、言い出したの私でしょ・・。二日もかけてこんな奥地に・・」

砂利道に穿たれたわだちに車輪を取られて、車体が大きくたわんだ。澪は思わず前シートの背に摑まりながら、続けた。

夜道3
「・・しかもお迎えは笹薮と大量の蛾、それにこのガタガタ道だけ・・?」

サブロウがバックミラー越しに、にやりと笑いかけた。


今回のツアーを最終決定したのは他でもない、廃墟サークル『薄昏』のリーダー黒岩だった。

車両による北海道の廃屋踏査。

それも北海道西部にあるこの急峻な半島に所在する『あの物件』へ、本土からフェリーを乗り継いで車路2日かけて訪れるというのが今回の企画だった。

それもこれも、今年で『薄昏』から卒業する澪が語った、廃墟マニアの間に伝わるある伝説がきっかけだった。

それは今から2ヶ月前、『薄昏』の月例ミーティングに遡る。

レッド-1
「ねえ、皆さんウタリ山荘の『レッドルーム』って、知ってる?」

環状八号線沿い、深夜のファミリーレストランに集まった7人の『薄昏』メンバーは、かれこれ一時間にわたって今年のツアーの目的地の選定に議論を交わしていた。

今年のツアーは、イギリスへの留学が決まった澪にとって『薄昏』の卒業記念となる。その分、澪の今日の会合に対する思いは真剣だった。

その澪が、だらけ始めた会議の雰囲気を活性化させるため、廃墟マニアの間で半ば伝説となっているその部屋の名を口にしたのだった。


「・・おいおい、澪。『知ってる?』じゃなくて『行ったことある?』だろ。このサブロウ様に向かって、よ。」

サブロウが半ば呆れ半ば憤慨したように答えた。

「はいはい、大変失礼しました。そのお答え振りからすると、サブロウ様はおいでになったことがありますのね。・・それではもちろん、あの伝説の朝日もご覧になったことでしょうね・・?」

皮肉を込めた慇懃な口調で澪がやり返す。

「・・いや、レッドルームには入ったけどさ・・」

サブロウは歯切れ悪くもごもごと答えた。


『ウタリ山荘』・・それは、北海道西部のとある半島の突端、小高い丘の上に建てられた山荘の名である。

昔の木造校舎を思わせる質素な造りや老朽化した設備の不便さにかかわらず、ウタリ=オーナーこと伊藤洋二氏の温かい人柄と、その手による素朴ながらも味わい深い料理とで、この地を訪れた多くのバイカーやサイクリストに愛されていたという。

台風-1
しかし、山荘は3年前にこの半島を襲った台風によって徹底的に破壊されてしまう。

かつて暖炉が温かい火を投げかけていたウッド調の内装は、破損した屋根や窓から容赦なく吹き入る海風によって、引き裂かれ、吹きちぎられ、蹂躙されてしまった。

被災後、何度か復旧の試みがなされたものの、激しい損傷の程度はそれを許さず、結局山荘は廃墟として荒れ果てた高台の上にその惨めな姿をさらし続けることになった。


その後、悲嘆にくれたオーナが事故死したという噂も相まって、最果ての地に打ち捨てられた悲劇の山荘として、今なお多くの廃墟マニアを引き付けてやまない有名物件であった。


そして『レッドルーム』とは、山荘の一室、かつて客室であった海側の部屋に廃墟マニアが付けた呼称であった。そのネーミングは2つの「赤」に由来する。

1つはかつて山荘のオーナーによって、部屋の壁から天井まで一面に塗りつけられた黒味がかった濃い赤。この乾いた血液を連想させる不気味な赤色は山荘の外装にもふんだんに使用されており、ネット上では『ウタリ=レッド』などと呼ばれていた。

もう1つ~これが廃墟マニアの間で伝説を呼んでいるのだが~高台の部屋の窓から遥かな水平線に沿って室内に射し込む、澄んだ朝日の「赤」だった。

レッド-2
薄暗いウタリレッドの壁を徐々に染め上げていく北海の澄んだ朝日の赤。その二重の赤の交錯が織りなす神秘的な景色は、見る者にこの世のものとは思えない感動を与えるという。~レッドルームで真っ赤な日の出を拝んだ者はその後の一年は幸せに過ごすことができる~・・そんな根拠のない尾ひれを付けながら、レッドルームの伝説はネット上を賑わせ続けていた。

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