オカルト茶屋-1
 地域一帯では心霊スポットとして名高い、この廃墟食堂。

 そのように口づてに噂されているのは、実際に、事件があったからなのか、事前の情報では定かではなかった。

 同行者のSさんはそういうオカルト情報を信じているようなフシがある。加えて、先ほどの廃墟寮からどうも様子がおかしくて落ち着きが無い。

 玄関から入る際も、少し躊躇をして、頭痛がまだ治ってないなどと言い出し、また車でひとり休もうかなというような素振りを一瞬、見せたので、後ろから体を密着させて反転する隙間を作らせず、僕の腰の反動で、ドンと、半ば強引に建物内へ彼を押し込んだ。勢い余ってSさんは入ってすぐの廊下の上で躓きそうになる。

 廊下の突き当りの開かれたドアには、黒人トランペット奏者のポスターが貼ってあった。

 まずは端の部屋からだと、マイルス・デイヴィスっぽいそのポスターのあるドアの部屋の中をのぞくと、目に飛び込んで来たのは、今度は、白人男性二人の白黒ポスター。

 見ようによっては、事故現場を目撃して悲しんでいるような、兄弟の写真のようでもあるが、このようにして壁に貼っているからには、海外の歌手の男性デュオといったところなのだろう。

 僕がかろうじて知っている昔の二人組男性歌手ユニットは、「サイモン&ガーファンクル」ぐらいしかなかったので、早速調べてみると、見事に、そのようであった。

「怖っ!」

 残留物が派手に散乱した廃墟の一室、陰りのある悲壮な面持ちの外人二人の白黒写真が、不気味に見えたかもしれない。そう言い残すと、Sさんは「私は隣の部屋を先に撮影しますから・・・」と言い残し、そそくさと部屋から出て行ってしまった。



オカルト茶屋-2
 こち亀で、泥棒時の心得として、一番下の段から引き出しを開けていけば、一回ごとの閉じる手順が省けて効率が良い、というエピソードをやけに覚えていて、今のこの歳になっての廃墟探索において、その教えはとてつもなく有効的に役立たせてもらっている。

 廃屋では、タンスを見かけると、下から一気に開けていく。上段まで達したら、全段全て開ききっている引き出しを、一気に押し込む。上から順に開けて閉じてとやって確認していくのは、そのつど、閉じるという行為の手間が発生し、ワンアクション分の時間の無駄な浪費となってしまう。

 このタンスに関しては、既にこの状態であった。



オカルト茶屋-6
 男性用のスラックスか。何十年間も、自分の履き古したズボンが、廃墟のタンスに入れられたままどころか、晒されているのを見て、なにか感じることはないのだろうか。

 それを感じることのないほどの、どこか遠くへ行ってしまっているのか   



オカルト茶屋-3
 押絵羽子板でしょうか。

 この観賞用の押絵羽子板は、生まれた女の子の初正月のお祝いとして贈られるものらしい。

 目の中に入れても痛くない、長女が、いたのでしょう。



オカルト茶屋-4
 それを物語るように、押入れには手鏡が。 電気アンカも。



オカルト茶屋-5
 押入れだったものを、棚として利用しているスペースの奥の砂壁に、歌手の写真が貼ってあった。

 Sさんが一旦戻ってきて「隣の部屋は年頃の女性の部屋だったみたいです」との報告受ける。



ポスター押さえ-1
 もう一枚の写真は丸まっていたので、Sさんに抑えてもらう。

 誰だか全く見当もつかない。

「続きがあるんで」と言うと、忙しそうにSさんはまた隣の部屋へ行ってしまった。僕にリトマス試験紙のような様子伺いをさせて、全くもって安全だと判明したら、心置きなくこの部屋の撮影をしようとする魂胆に違いない。

 この時点ではまだ彼は話してくれていなかったが、この後に、ひとつ前に行った廃墟寮で、実は何かに取り憑かれたような経験を確かにしたのだと、僕にそっと打ち明けてくれることになった。

 オカルトや霊などは気持ちの持ちようでしかないと思うが、実際に不意の頭痛などの症状が自分の身に起こると、その原因を目に見えない霊などのせいにしてしまいがちになるのかもしれない。



オカルト茶屋-7
 その女の子のものか、青いので、弟のものなのか。



オカルト茶屋-9
 数十年間、心霊スポット巡りの連中に荒らしに荒らされまくった、無残な結果。

 せめて、開けたら、閉じていって欲しいものだ。



オカルト茶屋-14
 ゲーテ詩集。



オカルト茶屋-15
 人生で一番可愛かった頃、女の子の赤ちゃん用、靴下。



オカルト茶屋-17
 来る日も来る日も、孤独に温度を表示し続ける、温度計。

 石川薬品となっていますが、電話番号もそのままに、今も、あります。



オカルト茶屋-10
 入ってすぐのドア横の押入れにあった、永六輔の本。お亡くなりになる直前は、車椅子に座って、骸骨みたいになっていた。それでもラジオやテレビに出演し続けた、凄まじいまでの気迫。

 黒柳徹子の番組に出演されていた時は、どっちもどっちご両人棺桶に片足を突っ込んだような姿であったのに、総入れ歯が原因か、滑舌は悪いものの、徹子さんの方はいまだピンピンとしている。女性の強さをまざまざと、今の今の間も、ずっと、絶命するまで、画面の中で見せつけ続けるつもりなのだろう。



オカルト茶屋-11
 押入れの奥に目をやると、額に入れられたおそらく同じ黒人トランペット奏者の写真。

 よっぽどファンだったのだなと思うも、でも何かおかしいなと感じ、写真の裏に説明書きでもないだろうかと、取り出そうとしてみたところ・・・・・・



モザイク
 まさかの、遺影だった。

 僕の手にのしかかるようにして出てきたので、思わず、「ヒャッ」と、自分にだけに聞こえそうな低い悲鳴をあげ、手で払ってしまった。

 見ると、二十代後半から三十そこそこの青年である。まるで、遺影を目的に撮られた写真であるかのように、悲しげな目と、何かを訴えかける途中であったかのような、口をすぼめて言いかけのまま、その瞬間、シャッターが押されたような、表情の定まらない、物憂げな顔をしている。

 ここで僕は、かつて、中学生時代、友達の父親の葬式に行き、まるで蛭子能収さんのように、遺影の前で、なんの悪気も無かったが、思いっきり吹き出してしまい、大顰蹙をかったことを思い出した。

 ネットなどで、蛭子さんが葬式に行ってケタケタ笑ってしまうという話を、クズエピソードとして、嘲笑まじりに紹介されているのをよく見るが、僕もまさにそれで、極度の緊張状態では、皆がかしこまっているのが嘘っぽく見えてしまい、蛭子さん同様に笑ってしまうのである。

 真剣さを装う自分に対して『おまえはこんなことで神妙な顔になるようなマトモな人間のはずがないだろう?』と、自問して、こらえられずに、吹き出してしまう。

 逆にそれは、暗く沈んでいる場所において、時として皆を明るくする場合もある。常に物事を、楽観的に捉えているような所があるとも言える。

 僕は、よせばいいのに、その楽観的というか楽天的さで、写真の人と、隣の部屋で撮影をしている、ひとつ前の現場から様子のおかしいSさんに、励まして楽しんでもらおうと、バチが当たるとかいう概念を普段から微塵も持たない僕は、ある仕掛けを実行することにした。



オカルト茶屋-16
 隣の部屋にいるSさんに聞こえるように、こう叫んだ。

「Sさん、面白い物を発見しましたよ!!」

 建物内に入ってから少し時間が経過しているし、僕がこの部屋に入って何事もなかったどころか、何か楽しそうな物があるらしいとのことで、「なんですか?なんですか?]と、笑みを浮かべながら緊張感のもうとけたらしいSさんが、興味津々、隣の部屋からこっちに移動して来る。

 僕はこの部屋を出て隣の長女らしき部屋に移動しようと思い、廊下ですれ違いざまにこう告げた。

「押入れの奥にあるから、見て下さいよ」

 まもなくすると、僕とすれ違いで入った、押入れに遺影のある部屋から、ドドっという床を踏みしだく音がしたかと思うと、Sさんの低い唸り声が聞こえた。

 興奮気味で僕の所に来て、

「あれ、御主人ですかね?それにしては若いですから、息子さんかもしれませんね。いや、でも・・・できれば、見ないですむなら、見たくなかったなぁ・・・」と、後悔しきりの、とんでもない奴につきあわされているなという、諦めの焦燥感のある苦笑いを浮かべ、文句の一つも言わず、また部屋に戻っていった。




つづく…

「少女廃部屋クロニクル」湖のきわ、廃墟、オカルト食堂.3

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