津久井-91
 あなたは、地方を車で旅行をしている際などに、国道や県道が分岐をしていてる場合、そしてそれは一定の距離を走ると、分岐したはずの道がまた少し先で繋がっている場合、その手前でどういう選択をするだろうか。

 分岐した短い区間において、分身でもしたかのような同時に存在るする二つの同じ国道や県道が並行して走っているというこの現象。

 呼び物の観光施設などが無く、他府県から人が来て欲しくない場合、このような分岐ルートを設け、バイパスに車を誘導をし、我が町への流入を阻止するのが、こういった道の主な目的のようである。

 方や、バイパス、もう一方はというと、市街地、町の中心部を貫く道なのである。

 次の有名観光地へ急ぐ旅行者なら、そのような大見出しで表記されている方のバイパスを当然ながら選んでしまうことだろう。ショートカットでもあるし、聞き覚えのないしょぼい町の市街地の方の道を通るなど、時間の無駄でしかないと。

 それは大きな間違いである。たかだか、数分の時間を節約するあまり、旅の出逢いを自ら損なってしまっているのであると、ここに声を大にして言っておきたい。

 バイパスではない方の道には、無名の町の掘り出し物のようなお宝と、遭遇できる機会がわんさかと眠っているのだと、今までの経験から、断言できる。

 バイパスを回避し、寂れた町の中心の道を行く時には、是非、両脇の車窓に広がるかけがえのない、一瞬の奇跡との巡り合いに期待をし、脇目も振らず、その眼で、凝視してもらいたい。

 今回の物件も、あの異端のオーナーの懐に飛び込んでやろうと、二大聖地を巡る途中、そんな僕流の旅の仕方から偶然発掘することになった、ある古く活気の無い小さな町中で出逢った、あられもない露わな、とある宗教施設の成れの果てである。

【読んでおきたい】空中回廊のある、廃墟ペンション

 バイパスを通って楽をしていたら、こんな得難い驚嘆すべき至宝のような廃施設を、拝むことなく、素通りをし、一生を終えていたのかもしれないと思うと、つくづく、急がば廻れ、遠回りして、敢えて時間を要しながらも町中を通ってよかったなと、今回の物件捕獲に、無常の喜びを感じている、寡黙な廃墟探索者が、ここに、ひとり、夏の到来を感じながらも、心はすでに、秋の季節の行程に、胸躍らせながら・・・
 


津久井再-2
 このご時勢、過疎の町とはいえ、大胆にも廃屋が堂々と口を開けて、町中に打ち捨てられているなというのが、正直な印象であった。



津久井-93
 こんなのがあるのだから、市街地突入は、あえてやってみる価値があると言えるだろう。

 この時は一般の民家の廃屋だと思っていたが、今門構えを見てみれば、それがそうでないことがわかる。



津久井-90
 所有者不明なのだろう。何のお咎めもなく、中へ入って行く。

 くぐりがあり、右は蔵のようだが、扉は固く閉まっていた。



津久井-40
 お馴染み、ガムテで緊縛されたポスト。

 間違いなく、廃墟、廃屋。



津久井-42



津久井-41
 二棟続きだ。



津久井-44
 子供の落書きのようだが、創造性がなく、あまり活発ではないというのが勝手な印象。



津久井-45
 二階を支えきれずに、一階が押し潰されかかり、ガラス戸が屈曲し折れかかっている。

 倒壊の日は近そうだ。



津久井-43
 蔵の窓蓋のように、ギザギザが付いて気密性を高めているのは、断熱性を考慮しているのだろうか。



津久井-94
 こんなのが、そこそこの規模の町中に、そのままありますか!?

 どういった経緯で・・・・・・



津久井-46
 棟続きの建物の玄関のドアは、これまた施錠されたまま。



津久井-47
 民家の廃屋にしては、違和感があった。



津久井-48
 ラジオやってますの下に、金光教とある。

 ここは、金光教の教会と呼ばれる施設の廃墟だった。

 関係者に知り合いがいるわけでもなく、興味も無かったので知らなかったが、「きんみつきょう」だとばかり思っていた。きんみつで変換出来ないのでアレと思ったら、正しくは「こんこうきょう」であるとのこと。



津久井-49
 金光教学など、関係書籍が多数そのまま横たわる。



津久井-50
 奥には祭壇。

 金光教は幕末に赤沢文治により創唱された民衆宗教。本部は岡山県浅口市金光町にある。公称信徒43万人。

 一部の宗教にあるような、強引な勧誘や高額なお布施、他宗教への攻撃、といった悪評はそう多くは聞かれない。

 著名人の信徒には、甲本ヒロト、品川祐( 親の実家が金光教信者)、三田寛子、松木安太郎 (サッカー解説者) 、などがいる。



津久井-51
 ここの教会関係者でしょう。

 金光教自体は活発に活動をしているようですが、何故に、こんな形で廃墟になってしまっているのか。



津久井-52
 熱心な信徒らによるものだろうか。

 それとも、教会を仕切る、”取次者”と呼ばれる方の声か。



津久井-53
 開祖が金光教を開いたのは安政6年なので、写真のご夫婦とは時代が違う。

 下の建物は本部の会堂に似ているが、規模が小さい。以前の建物なのかもしれない。



津久井-54
 もう、誰が誰やら、そして、このままにされているという、不条理さ。

 引き戸があったので、開けて中に入ってみることにした   
 



つづく…

「そのままあった、お結界」金光教の廃墟宗教施設を発見したよ.2

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